第74話 家族会議Ⅰ

 



 付近で起きた爆発は、幸いにも一時的にメディアの目を病院からそらした。


 その隙に、依里花たちは病院のスタッフに誘導され、裏の窓から建物に入ることになった。


 どうやら日屋見夫妻も無事に中に入れたようだが、あんなに記者にもみくちゃにされるのは嫌だったので、依里花としては助かった。


 とはいえ、依里花と芦乃は救急車で運ばれる直前にいなくなった身。


 嫌味の一つでも言われるかと思ったが、案外そうでも無かった。


 先に搬送された人たちがフォローしてくれたんだろうか、それとも爆発が起きて忙しくなりそうなので気が気ではないのか――そんなことを考えながら、診察室へと案内される依里花たち。


 すると、廊下の向こうに、先に診察を終えたらしい令愛と夢実の姿が見えた。


 二人は依里花を見つけるなり笑顔を浮かべる。


 そして真っ先に令愛は駆け寄ってきて、ぎゅっと依里花に抱きついた。




「おかえり依里花!」


「ただいま」




 頭を撫でると、令愛の目がとろんと潤む。


 一方、夢実は余裕を感じさせる歩みで近づくと、後ろから依里花をふわりと抱きしめる。




「おかえりなさい。怪我しなかった?」


「あれぐらいの相手なら平気だよ。でも心配してくれてありがと」




 そして同時に、対抗するようにギィが腕に絡みついていた。


 1階までの状態しか知らない大地は、目をまん丸くしている。




「俺がおらんうちにえらいことになっとるな」


「ふふっ、モテモテで大変だね」




 他人事のように笑う芦乃。


 すると後方から元気な足音が彼女に迫る。




「お姉ちゃん!」


「お姉さーんっ!」


「うごっ!」




 背中から緋芦と会衣のタックルを受け、芦乃はうめく。


 そして二人の少女は、即座にその腕を彼女に絡めた。




「あんたも人のこと言えないじゃない、芦乃」




 千尋が呆れ顔で言うと、隣で絹織がケラケラと笑う。




「ねえねえお姉ちゃん、お母さんとお父さん来てるよ。早く行こう!」


「会衣が思うに、きっと二人とも大喜びする」


「会ー衣。その前に私との再会を喜びなさーい!」




 そう言って、絹織は、会衣を芦乃から引き剥がしながら抱きついた。




「ひゃんっ!? あ、きー姉!」


「ほら、言う事あるでしょ」


「ただいまっ!」


「おかえり。姉さんも義兄さんも無事だよ、あとで会いに行こうね」


「うん……でも」




 会衣が不思議そうな顔をする。


 絹織は「ん?」と首をかしげた。




「パパとママになにかあったの?」




 会衣の両親がさらわれたのは、まさに今日のことだ。


 まだ彼女が知っているはずもないのだった。




「あー、そういやそっからか。うん、あった。戒世教のせいで色々、あったけど……最終的には無傷で助かってる」




 そう言って、寂しげな表情を見せる絹織。


 施設にいたときから、何度か彼女はそんな顔をしていて――そのたびに、芦乃は理由がわからずに疑問を抱いていた。


 誰も彼もが無事に助かったのではないのか。


 いや、確かに戒世教のせいで大勢の一般人が犠牲にはなったというが、この悲しみ方はまるで、身近な誰かを失ったようではないか。


 すると、絹織はそんな芦乃の視線に気づいたのか、意を決して告げた。




「……芦乃、すごく言いづらい話があるんだけどさ」


「あたしに?」


「うん。そんなに時間は取らせないつもりだけど――ご両親と会う前と後、どっちがいい?」




 絹織の表情から、その深刻さが伺える。


 漂う不穏な空気に千尋や緋芦、会衣も不安そうだった。


 芦乃は少し間をあけ、答える。




「前にするわ。たぶん、両親との話は長くなると思うから」


「そうだね……久しぶりの再会だもん、ゆっくりしたいよね」




 そんな時に申し訳ない――そう思いながらも、絹織は芦乃と共に、人のいない休憩所へと移動した。




 ◆◆◆




 自販機で芦乃は甘めのコーヒーを、絹織はカフェオレを買うと、テーブルを挟んで二人は向かい合う。




「連城さんのことなんだけどさ」




 気まずそうに、絹織は口を開いた。


 芦乃は、彼女がその名前が出てきたことに驚いた。




「連城先輩と知り合いだったの?」


「芦乃が亡くなったあとにね」


「それって……」




 時系列を聞いただけで、嫌な予感がする。


 そしてそれは的中することとなる。




「そう、一緒に戒世教のことを調べてたの。ファンタジーランドの園長である津森さんって人も一緒だったんだけど」


「津森拓郎……」


「知ってるんだ」


「学園の中で色々あって、名前だけは知ってるの。うちの家族と親しかったんでしょう」


「うん……やっぱり津森さん、中で死んじゃったの?」


「死んだけど、化物に殺されたんじゃないわ。戒世教の大木って女に撃たれたの」


「大木? 光乃宮学園の教師じゃないっけ」


「ええ、そしてあたしを殺した犯人でもある」


「な――あの女がっ!?」




 思わず立ち上がる絹織。


 それは六年越しに発覚する真実であった。


 犯人は想像以上に近い場所にいたことにショックを隠せない。




「それで大木はどうなったの?」


「死んだわ。最後は化物になって」


「そっか……」




 因果は巡り、罰はくだされた。


 その結末を聞き、ひとまずほっと一安心し、再び絹織は椅子に座る。




「でも……そっか、津森さんも結局は……」


「……その言い方、まさか連城先輩も?」




 こくん、と絹織はうなずいた。


 芦乃は「そんな……」と声を震わせ目を伏せる。




「奥さんと娘さんだっているのに」


「それなんだけど――」


「もしかして、あの二人も?」


「というより、家族が殺されたことが発端で、連城さんは戒世教の一員になっててさ」


「そんなっ! あんなに正義感に溢れた人が戒世教の一員になるわけがないッ!」




 声を荒らげる芦乃。


 絹織は申し訳無さそうにうつむいた。


 それを見てはっとした芦乃は、「ご、ごめん」と謝り心を落ち着ける。




「わかるよ……私だって連城さんに裏切られたって知ったときはショックだった。六年も一緒に戒世教を追ってきたと思ってたのに」


「絹織も、殺されそうになったの?」


「ううん、私は……私だけは、殺そうとしなかったんだ。そのかわりに、周囲の人を殺すことで私を戒世教から遠ざけようとしてた」


「っ……そんな、ことを……あの連城先輩が……」




 芦乃にとって連城は、新人だった頃からずっと指導してくれた先輩だった。


 だからこそ、連城も芦乃が死んだときは心から嘆き、そして戒世教を追うと決心したのだ。


 まさかその正義感が引き金となり、悲劇的な末路をたどることになるとは、想像できるはずもない。




「どんなふうに……最後は、どういうふうに、死んだの?」


「千尋にブラッドシープを寄生させたあと、何もかもが限界を迎えたみたいで。私の目の前で、頭を撃ち抜いて……」


「自殺……そっか、そうなっちゃったんだ」


「家族と再会する前にする話じゃないとは思うんだけど。芦乃には、ちゃんと、伝えておかなきゃいけないと思ったんだ」




 絹織の声が震え、涙がこぼれた。


 唇を噛む彼女の姿を見ていると、芦乃は六年という月日の長さを感じた。


 まったく接点の無かった連城と絹織が、それほどまでに親しくなり――そして、決定的な破綻を迎えるほどなのだから。


 そして芦乃も涙を流す。


 天井を見上げ、自分を指導する連城の、厳しくも優しい姿を思い出しながら。




「せめて、あの世で家族と幸せになってほしいな」




 連城自身は、地獄に堕ちるつもりでいただろう。


 だが芦乃はそう願わずにはいられない。


 あの幸せそうな家族の姿を、実際に見たことがあるからこそ。


 手元のカップからコーヒーの香りが漂うと、過去の情景はさらに鮮明に頭に浮かんだ。




 ◆◆◆




 絹織との話を終えた芦乃は、緋芦と会衣のもとに戻る。


 二人は暗い表情を浮かべる芦乃を心配したが、彼女は「平気、行こう」と言うばかりで詳しいことは何も言わなかった。


 そして二人に腕を引かれ、向かった先は待合室。


 そこには――不安げに何かを待つ両親の姿があった。


 芦乃は懐かしいとは感じない。


 なにせ、彼女は6年前、つまり26歳のまま。


 霊になっていたらしい間のことも覚えていないし、せいぜい一週間ぶりぐらいに顔を合わせる感覚なのだ。


 だが、明らかに年をとったその姿に、時間の経過を感じずにはいられない。


 まあ、緋芦と会衣の変化の方が大きいので、驚く、というほどではないのだが。




「じゃあ、会衣は戻る。またあとでねっ」


「うん、あとでね会衣」




 去っていく会衣を、緋芦は手をふって見送る。


 そんなやり取りの声に気づいたのか、井上家の父と母は芦乃たちの方に視線を向けた。


 目が合う。


 涙が浮かぶ。


 母は口元に手を当てぼろぼろと涙をこぼし、そして父も目を潤ませながら立ち上がった。


 6年前に死んだはずの娘が、そこに立っている――


 娘から生き返ったと聞いてはいたが、実際にこうして見るまで信じることはできなかった。


 そして今、実際に見てもなお――信じきれない。


 こんな奇跡があるのか、と。




「芦乃……ああ、芦乃っ……」


「芦乃おぉっ!」




 声をあげ、駆け寄ってくる両親。


 その表情を見て、改めて芦乃に実感がこみ上げてくる。


 ああ、あたし、本当に生き返ってるんだ、と。


 いつもはぶっきらぼうな父が、芦乃の体を強く抱きしめた。


 母は、その実在を確かめるように手のひらを両手で包み込んだ。




「芦乃……芦乃っ、本当に芦乃なんだな!?」


「うん、間違いなくあたしだよ」


「芦乃おぉお……ほ、本当に生きてるわ……よしのおぉっ……!」


「お母さん、泣きすぎだって。あはは……」




 こういうとき、どう返していいかなんて、誰にもわからない。


 ただ、心から娘が生きていることを喜ぶ両親の姿を見ていると、胸から温かいものがこみ上げてきて、自然と涙がこぼれた。


 隣にいる緋芦は、とっくに目が真っ赤になるぐらいぼろぼろに泣いていた。




「あなたのっ、部屋……6年前の、ままなのよ」


「ああ、いつでも、また一緒に暮らせるからな!」


「お姉ちゃん、帰ろう。家族4人で、あの家にっ!」




 人の死によって生まれた空白を見たとき、人は喪失を強く実感する。


 使われなくなった部屋。


 6年間、時が止まったままの部屋。


 あの家で暮らす人々は、そこを見るたびに芦乃の死を思い出し、嘆いていたのだろう。


 だがそれが埋まる。


 望むことすらできないぐらい、ありえない奇跡が起きて。


 再び、あの暖かな家が満たされる。




「うん……帰ろう。あたしたちの家に」




 “生きていていいのだろうか”。


 芦乃の中にあったそんな疑問は、薄れつつあった。


 自分が生きているだけで、こんなにも喜んでくれる人たちがいるのだから。




 ◆◆◆




 一方、依里花たちのいる診察室前の廊下には、生還した者の親族が看護師に案内されちらほらと顔を出していた。


 その多くが涙を流しながら感動の再会を迎える中、令愛もその例に漏れず、父とついに再会を果たす。


 依里花の隣に座っていた彼女は、廊下の奥に立つ彼を見つけるなり、全力で駆け出した。




「お父さあぁぁぁぁああんっ!」


「令愛、令愛なのかっ!?」


「あたしだよっ、生きて帰ってきたよぉ!」


「よかった……令愛、本当に心配したんだからなぁ……!」




 強く抱き合う二人を見て、依里花と夢実は言葉を交わす。




「ああいう家族って、世の中に結構いるんだね」


「私たちの方が例外だもの」


「そうなのかぁ……」




 すると、廊下がざわつきだす。


 次に顔を見せたのは、日屋見夫妻であった。


 麗花は立ち上がり、二人を迎える。


 スーツを着た、いかにも厳格そうな顔をした剛誠は、麗花の前に立つと、表情を緩め微笑む。




「帰ってきたのか」


「まずかったですか」


「いや……それはそれでいい。おかえり、麗花」




 父は娘の頭を撫で、その帰還を歓迎した。


 母も穏やかな表情をしており、静かではあるが嬉しそうだ。


 真の世界にたどり着くのならそれでもいい。


 帰ってきたなら、それはそれで喜ぶ。


 そういう、ある種の割り切りを持った人間――それが日屋見夫妻という人間。


 一方で、麗花は険しい表情のまま、目の前の親を見つめる。




「もういいのよ。真恋が帰ってきたなら十分だから」


「そうはいきません」


「もう、あなたからも注意してよ。私は依里花に会いたくなんて――」




 今度は、倉金ファミリーの番だった。


 一足先に顔を合わせていた真恋は、腕を引き、半ば強引にここまで親を連れてきたらしい。


 そして依里花と目が合うと、母は露骨に嫌そうな顔をした。




「まったく、どうして帰ってきたの」




 依里花は、変わらずクズな母に安堵した。


 そして心の中で疑問に答える。


 ――そんなのは決まっている、罪を精算するためだ。


 言葉にはしない。


 ただ、ようやく対等な立場で――いや、むしろ依里花が上の立場で向き合えるのだと思うと、口角が釣り上がらずにはいられない。




「退いてくださいっ!」




 肩をぶつけ、そう憤るのは夢実の母だ。


 夫を引き連れて現れた彼女は、なぜか不機嫌そうに、大股で夢実の前までやってくる。




「お母さん」




 そう呼びかけた娘への返答は、言葉ではない。


 パチン、という乾いた平手打ちの音だった。


 さすがにこれには、ざわついていた廊下もしんと静まり返る。


 視線が郁成母娘に集中する。


 すると夢実は立ち上がり、拳を握った。




「あーあ」




 依里花は苦笑した。


 次の瞬間、夢実の右ストレートが母の顔面に突き刺さり――




「ふごっ!?」




 彼女は吹き飛ばされ、背中から壁に叩きつけられた。


 ちなみにこのとき、夢実は自分がパーティメンバーに加わり、身体能力が強化されていることをすっかり忘れていたらしい。


 突然のバイオレンス。


 少女から繰り出されたとは思えない、ハイパワーなパンチ。


 吹き飛ぶ母。


 全ての情景があまりに刺激的すぎて、廊下はさらに静まり返る。


 波乱の幕開け――


 病院を舞台に、混沌とした家族会議が始まろうとしていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る