第61話 曖昧な存在証明

 



 外から響く戦いの音――煙たい玉座の間で真恋は、訝しみながら音のする方に目を向けた。




「何が起きている?」


「侵入者だろ。真恋たちが連れてきたんじゃないか」




 瀬田口はそう答えた。


 顎に髭をはやした、長身の男性――年齢は40代だが、外見はそれよりさらに若く見える。


 顔立ちは整っており、保護者からの人気も特に高い教師だ。


 だが真恋は、光乃宮学園に入学するずっと前から、彼と面識があった。


 だからこそ、須黒から瀬田口が三階にいると聞いたとき、真っ先に会いに行くと決めたのだ。




(城というわかりやすい目印があるんだ、依里花が動くのも当然か。しかし――)




 真恋はここにいる者たちを、ただの人間だと思っていた。


 だが聞こえてくるこの音から察するに、どうやらまともに戦いが成立しているらしい。


 大木たち同様に界魚の力を与えられているのか。


 それとも別の何かを持っているのか。




(……探って依里花たちの元に持ち帰る、か)




 そうするべきだ。


 だが、真恋の中には迷いがあった。


 それを見透かすように、瀬田口は真恋の肩を抱く。


 日屋見が強く彼を睨みつけたが、お構いなしだ。




「そんな怖い顔するなって。俺たちの仲だろう?」


「……あなたと親しくした覚えはない」


「つれないねえ、小さい頃からよく一緒に食事したじゃないか。家族三人でさ」




 真恋はやんわりと彼の腕を押し返し、振り払う。


 それでも瀬田口は、真恋は自分を拒めないと確信しているように、顔をにやつかせていた。




「いいんだぞ真恋、俺のことをパパって呼んでくれても」


「……」


「どうした、別に変な話じゃないだろう? だって俺たちは――」


「やめろッ! 馴れ馴れしく私に触るな!」




 真恋が声を荒らげると、瀬田口は肩をすくめ茶化すような表情を見せた。


 二人は、真恋が光乃宮学園に前から面識があった。


 それこそ、彼女が赤子の頃からである。




「反抗期かなあ。しかし、俺に会いたくて尋ねたと聞いていたのに、まるでそんなふうには見えないな。真恋、まさかお前――俺から情報を引き出そうとしてるわけじゃあないよな」


「何のことだ」


「加えて日屋見グループのご令嬢も、まるで親の仇みたいに俺のことを睨んでくる。愛情ならともかく、そんなに恨みを買った覚えは無いんだけどな」


「気にしないでくれ、元からこういう目つきなんだ」


「はっ、敵意の有無がわからないと思ってるのか? でも不憫な女だよな、お前が真恋に惚れてるのは知ってるよ。けど日屋見グループのご令嬢っていう立場と性別がそれを許してくれない。いや、違うか……許されない理由はそこじゃあない」




 瀬田口は、今度は日屋見に顔を近づけながら言った。




「お前たちが腹違いの・・・・姉妹・・だから、だな」




 彼女は動じない。


 だが、真恋は動揺を隠せなかった。




「何を言っている……? 私と麗花が、腹違いの姉妹、だと?」


「だってそうだろう? 胎児に曦儡宮の欠片を埋め込む際、その恩恵を最大に受けるには遺伝子の相性が重要だ。だから真恋の母親は俺との間に子供を作った」


「そうだね、私の母親もそうした」




 その行為は戒世教の信者にとって悪ではない。


 当然、日屋見の父親も承知の上だ。


 もっとも――真恋の父親は何も知らないのだが。




「な……し、知ってた、のか……? 麗花は、父親が私と同じだということを以前からッ!」


「好きになったあとに知ったんだ」


「っ……!?」


「私は嬉しかったよ。好きな人との間に血という名の赤い糸が繋がっていたんだから」




 瀬田口の血を引いたことは汚点だ。


 しかし、真恋と姉妹になれたことは、心の底から誇りに思っている。


 それが日屋見の本心だった。


 だがまだ真恋は混乱している、あまりに真っ直ぐすぎて、歪んでいるようにすら見えるその好意を、素直に受け止めることはできない。




「気持ち悪ぃな、お前」




 瀬田口は吐き捨てるように言った。




「人の家庭に割り込む男が、今さらモラルを説くのかい?」


「俺は戒世教のルールに従って生きているだけだ。だから正しい」


「だったらどうして真恋の父親にはそのことを告げなかったのかな。彼はまだ知らないはずだよ、自分の子供が、あれだけ虐げてきた倉金依里花だけ・・だってことを」


「真恋と依里花の差を見て気づけないんなら、そこまでの男だったってことだろ。普通の人間なら鏡を見れば気づくさ、自分の血から真恋のような優秀な子供が生まれてくるはずがないってな! 俺の血だからこそなんだよ。ああ、ちなみに俺はあの男と会ったことがあるぞ。家族三人で楽しそうに買い物してるところに偶然出くわして――なあ、覚えてるだろ真恋」




 目を背けたまま、何も言わない真恋。


 なら俺が代わりに――と、誰も聞いていないのに瀬田口は当時のことを語る。




「お世話になってます、ってさ。嬉しそうに母親が頭を下げるんだ。それに釣られて、あの情けない男も頭を下げる。真恋はわかってる・・・・・から不安そうに俺を見てたな、そう、お前たち三人は家族じゃなかったんだ。家族は俺と、母親と、真恋だけだった。あの男はその場において蚊帳の外で、それが何でかっていうと、自分の意思で倉金依里花を連れてこなかったからなんだ! あいつを娘として愛していれば、家族は成立していたかもしれないのに! はははっ、笑えるよなあ! だってあいつ知らないんだろ? 依里花を生贄として相応しい娘に育てろって命令したのが俺だってこと!」




 彼は実に楽しそうだった。


 それは曦儡宮への信仰心から来るものではない。


 他でもない、瀬田口丁自身の持つ嗜虐性がそうさせているのだ。




「何だよ、嫌そうな顔してるな真恋。でもお前だってそうだ、俺に従った。俺に従って、倉金依里花を虐げた。あいつだけが本当の・・・まともな・・・・倉金家の人間だったのに、そいつだけを苦しめ続けたんだ! その時点で、真恋、お前はどうしようもなく俺の娘なんだよ。倉金真恋じゃない、瀬田口真恋なんだよ!」




 瀬田口は真恋の方を掴み、そうまくし立てる。




 真恋の母は、“戒世教のためだから”と言い訳をして長らく不倫をしていた。


 一度や二度じゃない。


 ずっと、ずっと、夫を裏切り続けていたのだ。


 そして瀬田口の子供を産んだ。


 言い訳があるおかげで、一切の罪悪感を抱かず、堂々と『あなたとの子供よ』と胸を張って。




 真恋の父は、“家庭内の平和を保つために”と言い訳をして自分の子供を愛さなかった。


 妻に言われるがまま、自分の子供ではない真恋にばかり愛情を注ぎ続けた。


 それが倉金家のためになると盲信して。


 全てが戒世教の贄となるためだと知らずに。




 そして真恋は、“子供だから仕方ない”と言い訳をして、望まれた形に育った。


 優秀だから、幼い頃から親に言われたとおりのことを出来た。


 だから言われたままに育って、言われたままに依里花を虐げた。


 その全てが瀬田口の命令だと知っていて。


 母親が父親を愛していないと知っていて。


 本当の二人の子供は依里花だけだと知っていて。


 知っていて。知っていたけど。


 いや、知っていたからこそ――全てを包み隠した現状が表に出てくるのが怖くて。


 このまま永遠に封じてしまえば、この“歪み”が誰かに見つかることはないんじゃないかと、そんな愚かな期待をして。




 実際――こんな風に、世界が壊れてしまわなければ、全ては秘密裏に終わっていたのだろう。


 依里花は贄として殺され、真恋は戒世教の幹部として立派に育った。


 全ては瀬田口の思惑通り、誰も(人間としてカウントされる者は)不幸にならずに済む。




「頼むよ真恋、俺のことをパパって呼んでくれ。この世界に残った数少ない家族なんだ、まっとうに愛し合おうじゃないか」




 瀬田口は、目を見開いたまま固まる真恋を抱きしめる。


 全てが正論だった。


 真恋を含めた倉金家は、何もかもを間違い続けてきた。


 彼女は心の中では親を軽蔑し、瀬田口を嫌いながらも、その言葉に従ってきた。


 望まれるがままに、完璧な人間に育った。


 それは他でもない、真恋が戸籍上の父ではなく、瀬田口の娘であることの証明ではないか。


 “自分は何者なのか”。


 彼女は繰り返し、そのアイデンティティを探してきたが――結局のところ、戒世教の信者以外の何者でもないのかもしれない。


 そんなふうに、心が揺らいでいると――真恋の真横を、ギュゲスが通り抜けていった。


 拳が瀬田口の顔面に突き刺さり、彼の体を吹き飛ばす。


 突如玉座の間に鳴り響く騒音に、他の教師たちも一斉に日屋見のほうを見た。




「私の真恋に馴れ馴れしく触らないでほしいな」




 肉体的にも、精神的にも。


 それ以上の接近を、日屋見は許すことができなかった。


 すると壁に叩きつけられた瀬田口は、殴られた顔を軽くぬぐいながら立ち上がる。




「日屋見ィ……何だその腕は。パパに向けていい暴力じゃあないだろ」


「おかしいな、殺すつもりで殴ったのに」


「真の世界に到達した俺たちは、曦儡宮様の寵愛を受けている」




 瀬田口の腕が黒い液体に包まれた。


 先ほどギュゲスに殴られたときも、とっさに口から液体を吐き出してガードしていたのだ。




「どうだ、羨ましいだろう?」




 曦儡宮に包まれた部位を見せつける瀬田口は、どこか誇らしそうだ。


 しかし日屋見に抱き寄せられ、心神喪失状態の真恋は興味を示さない。




「そうか羨ましくないか。真恋は昔からそうだったな、母親ほど熱心に信仰しようとしない。いや、それどころか軽蔑している」




 真恋と、母親と、瀬田口。


 三人でレストランのテーブルを囲む機会が何度もあった。


 女の顔を見せる母親。


 自分を父親だと言い聞かせる瀬田口。


 そんな場所で逃げ場もなく、真恋はストローでオレンジジュースを飲みながら、コップの水面を見つめ、目をそらすことしかできなかった。




「親の望み通り、俺に似て優秀な人間として成長したっていうのに、『自分は母親とは違う』と思い込もうとしている。可愛そうなほどに中途半端だ」


「知ったふうな口を……きくな……」


「知ってるよ。実の父親だからな」


「くっ……」


「ひょっとすると、俺との関係を精算するためにここに来たのかもしれんが――無理だよ、お前には。そんな迷いだらけの心で何ができる」




 何もかもが見透かされている。


 仮に力で勝ったとしても、その言葉一つで真恋の心はグズグズに崩れ去った。


 あまりに弱い。


 自分で嫌になるほどに。




「方法があるとすればただ一つ。開き直って、曦儡宮様に身を任せるんだ。母親の選択の正しさを認めるんだ。そして俺の娘だと自覚しろ。それ以外に真恋が自己を確立させる方法ないあ」


「それ以上、妄想で真恋の心を乱さないでくれるかな」


「邪魔をするな日屋見」


「それはこちらのセリフだね」


「俺はお前を殺せるぞ。真の世界では平等なのだから」


「強気だね、三階にはギュゲスこの力を扱える人間はいなかったのかい? というより――教師以外の人間はどこに行ったんだろうねえ。生徒だってたくさんいただろうに」




 ちょうどそのとき、玉座の間の扉が開いた。


 現れた二人の教師は血で汚れており、肩には棒を担いでいる。


 その棒には――首や内臓を切除された、屠殺処理済の人体が串刺しになっていた。




「あ、あれは……」




 真恋の声が震える。


 日屋見は勇気づけるように、その手を強く握った。




「異教徒は人間に非ず――か」


「違うな」




 瀬田口は堂々と言い切る。




「俺たちは彼らが人間だと知っている。しかし彼らは真の世界を受け入れなかった。だから体に取り込むことで、共に信仰を感じ、世界を浄化するんだ」




 意味不明な理屈を、よどみなく。




「真の世界は美しくなくちゃあならない。そうだろ?」




 それこそがこの世に真理であると、疑いもせずに。


 戒世教の害悪が詰まったような言葉だ、と日屋見は思った。




「理解できないって顔してるな。やはりお前たちは“敵”なんだな? ならどうやってここに到達した。真の世界以外はとっくに滅びているはずだというのに」


「真恋、こいつらに話は通じない。瀬田口に“答え”を求めたって無駄だよ」


「麗花……でも」


「真恋ッ!」




 今度は日屋見が真恋の肩を両手で掴み、顔を近づけて言い放つ。




「君の弱さは愛おしい。だけど、君が壊れて消えた世界に私は耐えられない」




 彼女は自分の言葉に少しのうぬぼれと狡猾さが混ざっていることを知りながら、あえてそういう言葉を使う。




「諦めてくれ、少しでも真恋が私のことを想ってくれるのなら」




 要は、この世界に来たことで、少しでも真恋が自分のことを愛おしく思ってくれたのではないか、と。


 2階で二人きりで過ごした時間で、彼女の心を抱き寄せられたのではないか、と。


 そんなうぬぼれを前提とした、卑怯な頼み方だった。


 真恋の瞳が揺れる。


 麗花が――好きな人・・・・がそれで傷つくのなら、諦めるしか無いのだと。




「……ああ、そうだな」




 真恋がうなずくと、日屋見は「ありがとう」と囁いて頬にキスをした。




「美しい友情――いや、愛情か」




 瀬田口は真恋を捉えられなかった苛立ちを隠しもせずに、口元を歪める。


 さらに、彼の胸がぼこっと膨らむと、黒い液体を吐き出した。




「だが……醜いな。真の世界の白さに比べれば、あまりにも!」




 液体は彼の体全体を覆う。


 日屋見は顔をしかめた。




「ひどい臭いだね」


「まるで腐っているようだ」


「結局、彼らも大木と同じように盲目だってことなんだろう。ここは真の世界などでは無いというのに」


「曦儡宮様を愛さないから見えないんだよ!」




 変身を完了した瀬田口は、日屋見に飛びかかる。


 とっさにギュゲスで防ごうとするが、カバーしきれない脚部から血が噴き出す。




「チッ、速いな」


「壊疽を身に纏い、身体能力を上げたのか。麗花、ここから逃げよう!」


「私が壁を破壊するッ!」




 玉座の間にいる他の教師たちも、黒い鎧を全身に纏い、二人に襲いかかろうとしていた。


 日屋見は近くの壁を殴りつけて破壊し、開いた穴から脱出する。


 だが当然、速度で勝る瀬田口は前に回り込む。




「神の前に人間はあまりにも脆弱だ!」




 彼の頭部にぎょろりと無数の眼が開く。


 そこからレーザーが放たれようとした瞬間、真恋は日屋見を押し倒した。


 光線が日屋見の肩をかすめる。


 ジュッという音と共に服が消え、皮膚がドロドロに爛れた。


 だが痛みに動きを鈍らせている場合ではない。




「そこの部屋に飛び込むぞ!」




 真恋はタックルで扉を開き、日屋見と共に目の前の部屋に滑り込む。




「そんな場所に逃げ込んだところでなぁッ!」




 レーザーが二人を追尾する。


 しかし見えない壁がその攻撃を防いだ。




「効かないだと!?」


「聖域……考えたね、真恋」




 聖域を展開できる場所は一箇所。


 だが依里花と真恋は別のパーティだ、真恋は真恋で聖域を展開することができる。


 レーザーが通らないと知った瀬田口は、直に二人に襲いかかろうとするが、バチッと結界に弾かれた。




「なぜ通れない。なぜ阻まれる。真恋、何だこの力は。お前たちはこの真の世界に何を持ち込んだ!」


「ここは真の世界などではない。アドラシア王国という、界魚という化物によって滅ぼされた世界だ」


「真の世界を否定するのか!?」


「曦儡宮なんていないのさ。瀬田口、お前たちが呼び出したものは、曦儡宮とは別の化物だった」


「違う! 俺たちは曦儡宮様を知っている! 曦儡宮様と触れ合っている! 見ろ、この体が何よりの証拠だッ!」




 確かに瀬田口たちの体を覆う黒い液体は、大木たちが使っていた曦儡宮の欠片に酷似している。


 強烈な腐臭を放つことを除けば、だが。




「人知を超えたこの力――それを分け与えてくださる優しさ。曦儡宮様以外の誰にできる? 空を見上げたか? あの巨大な姿を見ただろう。天上から常に俺たちを見守り、真の世界で幸せに暮らす同胞として受け入れてくださる。その大きな心に全ての人類は感謝しなければならない! そして無礼を働いたのなら地面に額を擦り付け泣いて詫びなければならないのだ! 信仰の有無など関係ない! 神の前では誰もが平等にひれ伏す、それが摂理なんだよ!」




 今さらそんな理屈を説いたところで、誰が従うというのか。


 真恋と日屋見は彼に冷めた視線を向ける。




「真恋、受け入れれば曦儡宮様は全てを与えてくださるんだぞ。お前の迷いも。お前が何者・・なのかも。全ての答えを曦儡宮様が与えてくださるんだ」


「それは……答えじゃない。そんなものを得たところで、意味がない!」


「そうだよ真恋、耳を貸す必要はない。答えを探すのは自分自身だし、何よりあの男は答えをもたらす者じゃない。迷いを産む、諸悪の根源なんだから」


「俺がいなければ真恋も麗花は存在しなかったのにか?」


「だから何? 誰も愛せないから邪神に縋って、信仰のためって口実で、片っ端から女に手を出しているだけじゃないか。しかも他人を不幸にする方法ばかり選んで!」




 日屋見とて――それを知ったとき、傷つかなかったわけではない。


 両親のことが好きだった。


 戒世教の信者というのは困った欠点だったけど、両親のことを想い、自らも信者としての活動に精を出す程度には親思いだった。


 だというのに、急に父親が本当の父親ではないと言い出すのだ。


 しかも、悲しそうでも、辛そうでもなく、実に誇らしげに。


 そのとき、日屋見は自分と両親との間に致命的な隔絶があることに気づいた。


 優しくて、暖かくて、大好きな両親が――一瞬で別物に変わってしまった気がした。




「ああ、そうか。かわいそうな子供たちだ。親がここまで道を示しているというのに逆らうのか。過ちだとわかりきった道を選ぶのか」




 ちょうど今の瀬田口のように。


 あまりに、根付いた価値観が違いすぎる。




「そこまで言うのなら――会ってみるといい」


「会う?」




 首を傾げる真恋。


 瀬田口は得意げに語る。




「知っての通り、曦儡宮様は信仰に応え、その御身の一部を俺たちに分け与えてくださっていた。そして召喚に成功し、真の世界に到達した今は、さらなる施しを与えてくださったんだ」




 そして二人のいる部屋の中――その隅にあるはしごを指さした。




「答えが、地下にある」




 ◆◆◆




 真恋と日屋見ははしごを降りた。


 前には暗く長い通路が続いている。


 別に瀬田口に言われたから、というわけではなく、その奥から空気が流れていることから、城から脱出できると考えたのだ。




「この地下通路、本当に外につながっているのか?」


「女王であるネムシアさんが暮らしてた城なんだからね、逃げるためにそういう道は用意してあるはずだよ」


「ならば真っ直ぐ進めばいいのだろうが――」


「でも横の扉から変な音がする、と。どうする、見てく?」




 瀬田口の言っていた“曦儡宮”は、この中にいるのだろう。


 それが本当の曦儡宮だとは思えず、おそらくはフロアの主にあたる界魚の壊疽がいるものと考えられる。


 情報を持ち帰るにしても、その姿や居場所ぐらいは把握しておきたい。


 真恋がうなずくと、日屋見がドアに手をかけた。




「う……ひどい匂いだ」




 開いた隙間から溢れ出した腐臭に、真恋が顔をしかめる。


 それは瀬田口たちが身にまとうあの黒い液体を、さらに濃密にしたような匂いだった。


 そして室内に入ると――




「これはまた、とんでもないものが出てきたものだね」




 そこには、広大な部屋を埋め尽くす、あまりに巨大な黒いスライムが鎮座していた。


 その表面には無数の目が張り付いており、常時せわしなく動いているため非常に気味が悪い。




「瀬田口たちは、あの黒い液体を曦儡宮と呼んでいた。つまりこれは、曦儡宮の一部なのか?」


「でも空に浮かぶあの牙を見て、あれも曦儡宮とか呼んでなかったかな」


「外見を把握できていないのか」


「この場所を真の世界って言っちゃうような連中だからね、どこまで信憑性があるのやら」




 少なくとも、空に浮かんでいるのは界魚の牙だと確定している。


 一方で、大木やギィの扱うあの黒い液体が曦儡宮の一部であることは間違いない。


 ならば、二人の目の前に現れたこの化物は何なのか。


 彼女たちが観察していると、急に部屋全体が揺れはじめた。




「何が起きる……!?」




 部屋の左右から現れたのは、傷だらけの、巨大な人間の手だった。


 さらには天井を割り開き、こちらも巨大な人間の顔が現れる。




「巨大な……女、だと」


「私たちと同い年ぐらいだねえ」




 戦闘に備え、刀と拳を構える二人。


 だがその女からは、不思議と敵意と感じなかった。


 もっとも、常に顔には笑顔が張り付いており、非常に不気味である。


 すると、その巨大な両手が動き出し、黒いスライムを指先でつまんだ。


 その爪で表皮を裂き、指を中に沈ませると、強引に引っ張る。




「グウゥゥゥウッ! ウ、ウウゥゥ、グウゥゥゥウウウッ!」




 スライムは低いうめき声を響かせた。




「苦しんで……いるのか?」




 真恋の言う通り、スライムは痛みに悶ているようにも見えた。


 そして巨人に掴まれていた部分が、ついに千切れる。




「グギッ、グウゥゥゥゥウウッ!」




 ひときわ大きな叫び声が響いた。


 女はちぎったその一部を、真恋と日屋見の前に投げ捨てる。




「私たちの分、なのか」


「もちろん受け取るつもりは無い……よね?」


「そんな馬鹿なことはしないさ。麗花がいる限りはな」


「愛が伝わってよかったよ」




 日屋見が冗談っぽく言うと、真恋の頬がぽっと赤く染まる。




「よっしゃ」




 思わず日屋見はガッツポーズした。




「なぜ浮かれる」


「今までにない手応えを感じたから」


「……まったく、私が絡むと麗花は馬鹿になるな」


「愛ゆえにね」


「手応えも何も……以前から、麗花のことは魅力的な女性だと思っていたよ」




 そう言いながらも、真恋はいつもより恥ずかしそうだ。


 色々あって心が弱っているせいか、日屋見の言動がいちいち胸に刺さる。




「とりあえず、これでフロアの主と、ある程度の能力もわかったな」


「うん、戻って作戦を立てないとね」




 目の前でぐにぐにと蠢くスライムの欠片を放置して、真恋たちは部屋を出ようとする。


 そのとき、二人の頭に声が響いた。




『許さない』




 老若男女の声が混ざりあった、人間離れした声だった。


 彼女たちは思わず足を止める。




「……今、何か聞こえなかった?」


「奇遇だな、私もだ」




 改めてスライムのほうを振り返る。


 すると、続けざまに言葉が頭に流れ込んできた。




『許さない、許さない。どうしてこんなことを。私に甘い蜜の味を教えておいて。私に対価を求めておいて。それは全て、私を苦しめるためだったのか?』




 怒り、憎しみ。


 そういった感情が、まるで同調するように体の中から湧き上がってくる。



『痛い、痛い、痛い、やめてくれ。もう十分だろう。もう恨みは果たせただろう。私とて、好きで人の命を啜ったわけではない! 与えられたから、それを求めただけだというのに!』




 だからといって、一緒になって怒ったりすることはなかったが――どうやらその声は、“頭に響く”なんて単純なものではないらしい。


 もっと奥底。


 命の根源に混ざりあった何かが、共振して、声を二人に伝えている。




『人間が憎い! 許すものか! 全て滅びてしまえ、我が光に焼き尽くされてしまえ!』




 つまりは、遺伝子である。


 真恋も日屋見も、生まれる前、胎児だった頃に曦儡宮の欠片を体内に埋め込まれている。


 声が聞こえる原因が、“そこ”にあるのだとしたら――




「麗花、まさかこいつは」


「真恋の考えてる通りだと思うよ」




 腐り、縛られ、刻まれ、苦しみ続ける黒い異形。


 日屋見はそれを見上げながら、正体を告げる。




「曦儡宮の本体・・だ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る