第51話 信仰を騙り裏切りを語る

 



 私はドリーマーで大木が飛ばしてきた鎖を切り払う。


 令愛もイージスを呼び出すと、それで攻撃を防いだ。


 だが盾を持つ両腕は弾かれ、バランスも崩れる。


 明らかに押し負けている。


 それも仕方のない話だ、パーティに復帰したことで令愛は別れる前のレベルまで戻ってる。


 でもあのときの彼女のレベルはせいぜい40代後半。


 対する大木は、どういったステータスの振り方をしているかにもよるけど、レベル70は越えてそうな動きをしている。




「令愛は自分の身を守るのに専念して!」


「わ、わかったっ」




 令愛のことだし、そこまでの無茶はしないだろうけど――おそらく機を見てスキルでの援護ぐらいは考えているはず。


 大木だって、どれだけ反抗されても“殺し”はしなかった娘を優先的に狙ったりはしないだろう。


 実質的に1対1の状況。


 だったらこの力で戦い慣れてる、私の方が有利だ。


 大木は舌打ちをしながら、続けて私に鎖をけしかける。


 再び切り払おうとすると、突如としてドリーマーの刃に鎖が巻き付き、動きを封じた。




「かかったわね――交鎖縄こうさじょう!」




 さらに刃を絡め取った鎖は私の腕全体に伸び、縛り上げる。


 身動きの取れない私を、大木は嘲笑った。




「そしてこの鎖刃さじんで切り刻まれなさい!」




 彼女のもう一方の手から別の鎖が伸び、まるで弓を引き絞るように反り上がる。


 そして勢いを付けて私の頭上から振り下ろされた。


 フォンッ、という風を切る音が聞こえる。


 鎖刃――その名の通り、ただの鎖ではなく、相手を切り裂く力でも持っているんだろう。


 けど大した脅威は感じない。


 フルバーストを発動、無数のナイフを宙に浮かせ、射出――




「チィッ、動きを封じても動いてくるの!?」


「右腕を止めた程度じゃ、ねえ?」




 相手以上の手数でごリ押す。


 大木は、私を切り裂くつもりだった鎖刃で飛翔するナイフに対処した。


 その隙に、右腕を鎖から引き抜く。


 多少は肉がえぐれたけど、この程度の傷なら動きに支障はない。


 そして私は天井ギリギリの高さまで飛び上がり、両手でドリーマーを強く握った。




「下に落ちるよ、気をつけてね令愛!」


「え、えっ? 下に!?」


「メテオダイブッ!」




 重力や慣性を無視して、私の体は大木に向かって急降下する。


 室内だから、落下距離は大したことはない。


 だけど物理法則など関係ないのがスキルというものだ。


 この距離でも、私の握る刃はさながら隕石のような重さと威力を得る。




「その程度、受け止めてみせるわ!」




 大木は鎖縛牢を両腕に幾重に重ねて巻き付け、それを交差させることで再び私の攻撃を受け止めた。


 だがこのナイフを握っている私にはわかる。


 この重み――真正面から受け止めれば、体の方がもたない。




「ぐ、が、あ……!」




 大木の両足が床にめり込み、人体の限界を超えた負荷に耐えきれず、ふくらはぎが内出血を起こす。


 力が入り震える両腕も勝手に裂け、ブチッという筋肉が切れるような音と共に血が流れ出した。




「潰れろ! 死ね! この世から消えろ、大木ぃ!」


「死ぬのは……あなたよ、倉金! 無価値な命の分際でぇぇぇええッ!」




 目を血走らせながら大木は叫ぶ。


 顔は真っ赤に染まり、こめかみには血管が浮かび、今にもぷつんと切れてしまいそうだ。


 だがさすが、化物としての力を与えられているだけはある。


 彼女の体よりも先に、ホテルの床が限界を迎えようとしていた。




「足元からミシミシって聞こえるんだけど……下に落ちるって、まさか!」




 令愛が私の言葉の意味に気づいた直後、ガゴォンッ! と負荷に耐えきれなくなった床が砕けた。




「きゃあぁぁあああっ!」




 彼女は落下しながら、慌てて盾を下に向け、スキルを使って衝突に備える。


 そして分厚い瓦礫と共に、私と大木も二階に落下した。


 なおもメテオダイブの効果は続く。


 着地しようとした大木。


 しかし私に押しつぶされるその圧力に耐えきれず、その両足はありえない方に曲がり、ガクンと体勢を崩す。




「ふざけ……ないで。こんなものっ、こんなものおぉおっ! が、ぐぶっ」




 ついには内臓にまで衝撃が及んだのか、泡立った血まで吐き出した。


 目の前でその血だらけの醜い顔を見れる瞬間をどれほど待ち望んだことか!


 潰れろ。潰れろ。潰れろ。潰れろ。




「夢実ちゃんを苦しめ、私の人生も滅茶苦茶にしてだけでは飽き足らず、令愛まで傷つけたお前は! 誰よりも醜く潰れてこの世から消えろ! この世のために消えるべきだあぁぁぁああ!」


「嫌よっ! せっかくここまで来たのに! 私は、私は――」




 あと少しで大木が殺せる。


 だってのに――突如として、真横の壁が砕け散る。


 そこから現れたのは、タックルで壁もろとも敵を押しつぶさんとする須黒と、必死に刀で受け止める真恋だった。




「ウオォォオオオオオオオッ!」


「化物めッ、いい加減に止まれぇッ!」




 二人の目には私たちの姿は写っていない。


 だが須黒の突進は、このまま進めば確実に私と大木を巻き込むだろう。


 しかもあれはただのタックルじゃない。


 全身に何らかの力を纏って、破壊力を何倍にも膨らませた人間弾丸だ。




「依里花はあたしが守るッ!」




 進路に割り込み、防壁サンクチュアリォールを展開する令愛。


 でもあれじゃあ、須黒の攻撃は防ぎきれない。


 それに、巻き込まれれば私だって無事じゃ済まない――私は止むなく大木を蹴りつけ、距離を取った。


 そしてすぐさま令愛に後ろから抱きつき、横に飛ぶ。


 須黒のタックルが私たちの真横をかすめていく。


 憎たらしいことに、大木も鎖を使って体を引きずり、進路上から逃れていた。


 そのとき、須黒のタックルが令愛の防壁に触れる。


 すると防壁はまるで紙のように簡単に引き裂かれて消えた。


 須黒は一切、弾かれて進路を曲げることすら無い。


 そして二人はさらに奥にある壁までもを破壊し、部屋中に瓦礫と砂埃を撒き散らしながら通り過ぎていった。




「な、なんて馬鹿力……それに真恋さんは大丈夫なの!?」




 令愛が怯えるのも仕方がない。


 正直、私も結構ビビってる。


 暇さえあればキャストと殴り合ってる戦闘ジャンキーとは聞いてたけど、あそこまで鍛えられてるなんて。


 真恋も狙撃に気づけなかった自分の不甲斐なさに、今日まで鍛錬してただろうにね。




「真恋があいつを引き付けてくれてる。その間に大木を片付けたいけど――」


「あれ、いない?」


「埃に紛れて逃げたみたい。まだそう遠くまでは行ってないはず」




 周囲を探ってみるも、その姿も、気配も感じられない。


 天井に空いた穴には鎖を引っ掛けたような跡はなく、部屋の窓から出てもそこから先は何もない暗闇が広がっているだけのはず。


 いや、でもさっきの須黒の衝撃で窓は割れてる。


 私は窓に駆け寄ると、そこから下の階を見下ろす。


 するとちょうど真下にある部屋の窓が割れているのが見えた。


 鎖をロープ代わりにして1階に逃げたのか。




「令愛、大木が逃げたのは1階だよ、追いかけよう」


「一階ってことは――」


「何か心当たりがあるの?」


「あの人が曦儡宮って呼んでた化物……たぶん本当はこの階層の主だと思うけど、そいつのいる部屋があるの」


「一階に井上緋芦がいる……」




 しかも大木はそれを曦儡宮だと思いこんでいる・・・・・・・


 だとすると、確かに助けを求めてそこに逃げ込む可能性はあるかもしれない。


 私たちはすぐさま部屋を出て、廊下を走る。




「依里花が言ってる緋芦って、牛沢さんが会いたがってた友達の名前じゃないっけ」


「その子がフロアの主になってる可能性が高いの。ところで、大木はどうしてその化物を“曦儡宮”だと思ったのか、理由とか話してた?」


「ううん、わかんない。でもあたしも不思議には思ってたんだ、大木さんが使ってる“曦儡宮の一部”とも全然見た目は違ったし」




 だとすると考えられる可能性は、井上緋芦自身が曦儡宮と名乗ったか――


 でも何のために?


 こればっかりは会ってみないとわかりそうにない。


 私たちは階段を降りて、一階に向かった。




 ◆◆◆




 遡ること数分前。


 真恋が須黒を襲撃した直後、部屋から逃げた中見は、三階へと向かった。


 そして広間の扉を蹴り開く。


 中では人質たちが身を寄せ合って怯え、大槻が困った顔でその近くに立っていた。


 中見は大槻に近づくと、表情一つ変えずに告げる。




「これより彼らを皆殺しにいたします。大槻、あなたも手伝ってくださいませんか」


「……何を言っているの」


「人質が殺される可能性を無視して彼女たちが攻め込んできたのです。人質を殺すはずがないとたかを括っている可能性がございますから、ここは皆殺しにして見せしめにし、相手の士気を削ぐべきかと。ああ、それとも一人ずつ処刑するほうがお好みでしょうか。ですがその場合は、いかにして処刑の様子を彼女たちに伝えるかが問題でございますね」


「あなた……本気でそんなことを?」


「もちろんでございます」




 幼少期から戒世教の施設で育てられ、曦儡宮のためだけに存在していると教え込まれてきた中見。


 彼女は人の命に一切の価値を感じない。


 なぜなら人が生きる世界はやがて滅びる定めだからだ。


 真の世界の犠牲となり、選ばれた人間以外はみな死ぬのだから、それ以外の命は全て無価値である。


 そう、心から信じていた。




「大槻、もしかしてあなた殺せないとでも言うつもりなのですか?」




 中見がそう言うと、彼女の手の甲から鋭い爪が三本生えてくる。


 緩やかに湾曲するその爪は、先端が鋭く尖っており、それ以外の部分も刃物のように薄くなっていた。


 その長さからしても、人の首ぐらいは簡単に撥ねられるだろう。


 大槻はごくりと生唾を飲み込んだ。


 中見の言葉からはそこまで脅すような意図は感じられないのだが、なぜか強い圧迫感を覚え、勝手に体が震える。


 快楽的に人を殺す白町とは違う。


 ただただ喜びも悲しみもなく、必要であれば殺す――そんな冷たさが、中見にはあった。




「でしたらわたくしが全てを終わらせましょう。まずはあなたからです、牛沢会衣」


「っ……」




 たまたま近い位置にいたからか、真っ先に狙われる牛沢。


 彼女の体がぴくっと震え、表情が恐怖に歪む。


 隣にいた巳剣はわずかだが庇うように前に出て中見を睨んだが、その程度で彼女が止まるはずもなかった。


 中見は爪を牛沢の首に当て、もったいぶらずにすぐさま斬り落とそうとする。


 牛沢はギュッと目をつぶった。


 だが、いつまでたっても彼女の首が飛ぶことはなかった。


 突如として、中見が頭を抱えて苦しみはじめたのだ。




「う……が、あぁああっ! 頭が、痛い……なぜなのですか……わたくしは、あなた様のために……ぐぎいぃぃっ、曦儡宮、さまぁああ……っ!」


「どういうことなの。曦儡宮が止めてるの?」




 驚く巳剣。


 さらには大槻も同じように、強烈な頭痛に苦しみ、身動きが取れなくなる。


 牛沢はすぐにその意味を理解した。




(緋芦だ……緋芦が会衣を助けてくれたんだ!)




 化物の一部となってしまった緋芦。


 フロアの主となった彼女は、同じ力を持つ中見たちよりも上位の存在といえる。


 しかしそんな緋芦でも、できることは頭痛を与える程度。


 自由に化物としての力を使うことはできないようだが、しかし意思は確かにそこにある。




「会衣は、逃げるなら今しかないと思うっ!」


「ええ、そうね。みんな走って、ここから出るわよ!」




 牛沢と巳剣が先導して、総勢二十人ほどの“奴隷”たちが、一斉に広間から逃げ出す。


 自らの意思で大木たちに守られていた者。


 途中で井上たちの元からさらわれた者。


 そして依里花たちとはぐれた者――と閉じ込められた経緯は様々だが、ここから一刻も早く逃げ出したいという思いは共通している。


 だが、中見はまともに立っていられないほどの頭痛に襲われながらも、脱走者を追いかける。


 そして最後尾を走る女性に向けて、爪を振り上げた。




「申し訳ございません、曦儡宮……様。ですが、わたくしは、これこそが正しい行いだと――」


「言い訳がましいねえ」




 中見の顔面に、巨大な鉄拳が突き刺さる。




「がっ――ひや、み……ッ!?」




 中見は自らの顔を維持できなくなり、黒いスライム状に変化させながら吹き飛ばされた。


 日屋見は床を転がる彼女を見て、「ふん」と鼻で笑った。




「快楽のために、ただ殺したいだけだろう」




 中見を見るその表情は、いつもの日屋見とは違い――どこか冷酷に見えた。


 一方、彼女と一緒に3階まで上がってきた赤羽は、脱走者たちに向けて叫ぶ。




「階段はこっちです! 僕が安全な場所まで誘導します、転ばないように気をつけてください!」




 すると一人の少女が、涙を流しながら彼に駆け寄った。




「お父さんっ!」


「佳菜子、無事だったんだな! よかった……お前を取り戻せなかったら、お父さんどうしようかと」


「怖かったよおぉ……」




 赤羽の胸で涙を拭う、娘の佳菜子。


 だが悠長に感動している暇はない。




「さあ、お父さんについてくるんだ。絶対に生き残ろう」


「うんっ!」




 赤羽とともに、3階を後にする脱走者たち。


 戦う能力を持たない大槻は、ただそれを見送ることしかできなかった。


 緋芦による頭痛から回復したのか、中見がゆっくりと立ち上がり、目を細めて日屋見を睨む。


 そして中見は顔を再生したあと、鼻血を手の甲で拭いながら問いただした。




「いつからあなたは、わたくしたちを裏切っていたのでしょう」


「心外だな、裏切ったのは中見くんたちじゃないか」


「何の話です」


「私のお姫様を傷つけた」


「倉金真恋が幹部候補として未熟である以上、あの場で殺すのが最適解だったと言うほかありません。第一――」




 中見から、強い殺気は発せられる。


 中てられた大槻は、ぶるりと体を震わせ自分の体を抱いた。




「倉金真恋の教育はあなたの役目でしょう。なぜ今日まで放置してきたのですか。日屋見グループの跡継ぎにして、戒世教幹部候補の日屋見麗花!」


「親は熱心だけどねえ。私は会社を継ぐつもりもなければ、戒世教の幹部になるつもりもないよ」


「入学前、あなたは親思いで熱心な信者だったと噂に聞きましたが」


「そうすると両親が喜ぶ。一種の親孝行だね」


「では今のあなたは親不孝でございますね」


「そうかもしれないねえ。けど喜びなよ、私が脱落したということは、君や大木の地位が上がるということなのだから」


「すでに曦儡宮様が顕現なされた以上、地位に意味などありません。ただただあなたの裏切りが不快なだけです」


「裏切りというけれど、私はきちんと2階にいる君たちに情報を渡していたよ?」


「肝心な部分が抜け落ちた不完全な情報、でございましょう。“ギィ”なる存在をあなたは我々に伝えなかった」


「はは、それだけじゃないよ。もっと色々と抜けているし、ウソも混ぜておいた」


「あえて聞きましょう。なんのために?」




 日屋見は髪をかきあげ、自信ありげに微笑みながら言った。




「愛する真恋ひめとの未来のために」




 中見は、誰が見てもわかるぐらい不機嫌な顔をして、地面を蹴り前に飛び出す。


 日屋見も同時に前進し、互いの拳と爪がぶつかりあう。




「いつからあなたは、曦儡宮様ではなく倉金真恋を信仰するようになったのですか」


「彼女と出会った、その瞬間から」




 気障ったらしい言い回しに苛立つ中見は、消化不良の殺意を全て日屋見に向ける。


 彼女はそれらを全てを受け流すように、飄々とした態度でギュゲスを振るった。




 ◆◆◆




 私と令愛が1階に降りてくると、ちょうどネムシアたちの戦いの決着がつこうとしていた。


 さすがにリーダーではなく、パーティメンバー二人では今の彼女たちには歯がたたないらしい。


 人間としての肉体は早々に破壊され、スケルトンに変わり果ててからも、パワーアップしたネムシアたちの火力に為す術もなくやられてしまう。




「ちょうどいい具合に固まっておるぞ」


「あたしがトドメを刺すわ。バスターショットッ!」




 井上さんは、両手に持ったトンファーの棒同士をくっつけた。


 すると棒は一つになり、さらには巨大な大砲へと変わる。


 グリップ部分も機械的な形状に代わり、トンファーは一瞬にして近未来的な兵器に変身した。


 キュイイィィィ――と砲口にエネルギーが収束する。


 おそらくネムシアの魔法により吹き飛ばされたであろう骨の化物二体は、体に乗っかった瓦礫を押しのけながら、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。


 だが、もう間に合わない。




「チャージ完了。シュートッ!」




 井上さんの合図とともに、溜め込んだエネルギーは光の球となって発射された。


 そして化物に命中すると、凝縮されたエネルギーが一気に膨張し、爆発する。


 ズドォンッ! と鼓膜が破れそうなほどの爆音が鳴り響き、ホテルの外壁ごと化物たちは粉々に砕け散った。




「す、すご……」


「風通しがよくなったねえ」




 すっかり外の景色が見えるようになった1階の惨状を見ながら、私と令愛は苦笑いする。


 するとネムシアが私の姿を見つけ、手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。




「おーい、こちらは片付いたぞー!」


「あの子がネムシアっていうの?」


「そう、夢実ちゃんとそっくり――っていうか、夢実ちゃんの体にネムシアって子の魂が入ってる状態」


「え……?」




 戸惑うのも仕方ない。


 令愛にはちゃんと話しておきたいんだけど、でも今は時間がないんだよね。




「そちらも無事に令愛を救出できたようだのう。そうか、お主が仰木令愛か……確かに愛嬌のある見た目をしておるのう」




 品定めをするように令愛を観察するネムシア。


 見られている令愛は、ちょっと困惑していた。




「でも大木には逃げられちゃった。1階に来てるはずなんだけど」


「あたしたちは見かけなかったわよ」




 歩いて近づいてきた井上さんは、令愛と目が合うとお互いに軽く会釈をした。




「仕方ないね、さすがにホテルの地形は向こうのほうが把握してるから。そうだ、今から緋芦さんがいる部屋に行くんだけど」


「緋芦に!? あの子はどこにいるの!」


「一緒に来てって言おうとしてたの」


「依里花、この人は緋芦って子の……」


「お姉さんだよ。色々あって、長い間合ってないんだけど――」




 これもまた、説明するのはややこしいんだよねえ。




「ふむ、お主らがフロアの主に会いにいくのか。我はどうする?」


「危険な役目を任せることになるけど、2階か3階の戦いを手伝ってほしいかな」




 2階ではギィと白町が戦ってるのは知ってる。


 でも3階からも、そんな感じの音が聞こえてくるんだよね。


 たぶん、日屋見さんと中見がやりあってるのかな。




「では近い方に向かうとしよう」




 ネムシアは風の力を利用して階段を一気に飛び上がり、2階へ向かった。


 すると、それとすれ違うように赤羽さんが1階に下りてくる。


 その後ろには、ぞろぞろと人質だった人たちを連れて。




「はあぁ……よかった、ようやく合流できた……」




 彼は胸に手を当て、ほっと胸をなでおろしている。


 だけどまだ早い。




「赤羽さん、予定通りみんなを外まで連れて行って。聖域の中に逃げ込めれば安全だけど、その前にキャストに見つかったら危険だから気をつけてね」


「あ、ああ、わかっているさ」




 赤羽さんは私のパーティに所属し、聖域展開のスキルを覚えてもらっている。


 これでひとまず、逃げてきた人たちが戦いに巻き込まれる心配は無いはずだ。




「みなさん、あと少しです! もう少しだけ頑張りましょう!」




 おそらく遊園地でそうしていたのだろう、赤羽さんは慣れた様子で人々にそう呼びかけた。


 そして外に向かって歩きだす。


 すると彼についていく人の群れから外れて、巳剣さんが私に駆け寄ってきた。




「ありがとね、助けに来てくれて」


「どうも。巳剣さんがこっちに残るのは意外だったな」


「白町たちについていくと思ってた?」


「私よりあっちの方が仲は良かったと思うけど」


「ほとんど付き合いなんて無いわよ。それに、今は倉金さんの方が信頼できると思うから」




 信頼ねえ。


 巳剣さんにそういうこと言われるの、とてつもなく違和感がある。


 でも私も、意外とか言っておきながら、巳剣さんは何となくこっちに残る気はしてたから――無言でパーティ申請を飛ばしておいた。


 彼女はすぐに承諾する。




「また仲間に入れてくれるのね」


「何かあったとき、赤羽さんのバックアップしてあげて」


「了解。倉金さんの信頼を裏切らないよう働くわ」




 巳剣さんはそう言って、軽く手を振りながら赤羽さんを追いかける。


 だが途中で足を止めて、こちらに戻ってきた。




「何か忘れ物?」


「牛沢さんがいないのよ。階段の途中まではいたはずなんだけど――あ」




 階段の方に目を向けた巳剣さんが固まる。


 私も同じようにそちらを見ると、まさにその階段の途中で立ち止まっている牛沢さんが見えた。


 彼女の視線は、井上さんに向けられたまま止まっている。




「ああ……ちょっと複雑な事情があるから、巳剣さんは先に行っといて」


「そうなの? わかったわ。牛沢さんのことよろしくね」




 今度こそ、赤羽さんに合流する巳剣さん。


 私たちの会話を聞いて、井上さんも牛沢さんの存在に気づいたようで。


 階段の方を見て、かなり困った顔をしている。




「えっと……あはは、久しぶりだね、会衣ちゃん」




 そんなぎこちない言葉をかけられた牛沢さんは、ゆっくりと首を左右に振った。




「会衣は、信じられない。どうしてお姉さんがいるの……六年前に死んだはずじゃ……」


「それがどういうわけか生き返っちゃったみたいなの」


「本当に、本当にお姉さん? 緋芦のお姉さんと、会衣、また会えたの?」


「ええ、会えちゃってるわ。会衣ちゃん、大きくなったわね」


「お姉さん……お姉さぁぁぁんっ!」




 牛沢さんは井上さんに向かって走りだした。


 しかし途中で階段に躓いてしまい、体勢が崩れる。


 そのまま何段分も落ちてしまいそうになったところを、駆け出した井上さんが抱きとめた。




「あ、ありがとう、お姉さん」


「慌てすぎよ。そんなにあたしと会えたのが嬉しかったの?」


「だって、だってぇっ、会衣は……会衣はぁっ……!」




 牛沢さんは、よほど井上さんに懐いてたみたいだ。


 緋芦さんと仲が良かっただけでなく、井上家全体と親交があったのかもしれない。


 確かに井上さんって、見てて年下から好かれそうなタイプではあるよね。


 でも牛沢さんが来てくれてちょうどよかった。


 どうせ連れて行かないといけないと思っていたところだから。




「牛沢さん、とりあえず私のパーティに戻って」


「へ? あ、うん……」


「よし、これで何か起きても大丈夫、と。私……今から緋芦さんがいる場所に行こうと思ってるんだ。牛沢さんも付いてきたいかな、と思って」


「あの部屋に――うん、会衣も行きたかった。緋芦が何を考えているのか知りたかった」




 何があったかは知らないけど、緋芦さんが1階にいることは知ってるんだ。


 だったら話は早い。




「きっとそこで、井上さんが生き返った理由もわかると思うから」




 井上さんは険しい表情で、うなずく。


 何の理由もなく、何の副作用もなく蘇るのならそれでいい。


 だがこの世界において、それは絶対にありえない。


 知らなければ、いつまで生きられるのか、人間の姿のままでいられるのかもわからない。


 私は令愛の案内で、“玉座の間”に続くというドアを開く。


 蝋燭で照らされた不気味な廊下を進む、私、令愛、井上さん、そして牛沢さん。


 そしてついに、私たちは大きな扉の前にたどり着いた。



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