第45話 歪んでいるのは時空か命か
『どうしてここいるの。どうしてこんな場所に』
牛沢会衣は、暗闇の中で少女の声を聞いた。
反応して目を開けてみても、視界は真っ黒に染まったまま。
『
声の主にそう問うてみたが、反応は無い。
『終わりにしたかったのに。会衣まで巻き込まれてしまうなんて』
『会衣には緋芦の声に聞こえる。答えて緋芦。どこにいるの?』
『私はここにいる』
『それはどこ? 会衣にはわからない。近く? 遠く?』
『……会衣。ああ、どうして。会衣』
『緋芦。待って緋芦、無事なら会いたい。会衣はずっと緋芦のことを探してたっ!』
会衣は立ち上がる。
といっても、そういう気持ちになったわけで、実際に立ち上がったのかはわからない。
視覚が閉ざされている上に、体の感覚まで無いのか、果たして自分が“そこ”に存在するのかすらわからなかった。
だが、なぜか前に進んでいるという実感はあった。
『いけない。来てはいけない。会衣はここにいちゃいけない』
そして進めば進むほどに、緋芦の声は近づいていき――黒い幕を突き破り、会衣は光の下に飛び出した。
『お城……?』
そこはホテルとは違う、本物のファンタジーに出てくるような石造りの城の中だった。
いわゆる玉座の間という場所だ。
下には赤い絨毯が敷かれ、それを辿った先に玉座がある――はずだった。
『ひっ』
会衣の声がひきつる。
そこにあったのは玉座ではない。
彼女は見ていないが、1階で見た“ホームシック”を彷彿とさせる、壁を埋め尽くすほど巨大な化物だったからだ。
切断された様々な動物の体をつなぎ合わせ、新たな生命として生み出した。
そんな化物。
兎の顔が豚の腹から飛び出し、リスの口に熊の腕が突き刺さる。
人の瞳から鳥の翼が生えて、馬の背中から何十本もの猫の足がくっついている。
しかも、そのどれもが生きた動物のように動いていた。
部屋には獣臭さと腐敗臭、そして血の匂いが充満しており、息をするだけで気分が悪くなる。
『な、なに……わからない、会衣には何も……っ』
怯え、へたり込む会衣。
すると部屋に緋芦の声が響き渡る。
『来てはいけない。会衣は、会衣だけは絶対に来てほしくなかった』
『緋芦? 緋芦、どこなの!?』
『会衣……ここは夢の国なんかじゃない』
『緋芦――』
会衣は緋芦の姿をようやく見つけた。
目の前で蠢く化物の中心で、まるで磔にでもなったように、手足が埋まった状態で。
『緋芦ぉっ! 待ってて、会衣が助けるっ!』
走り出す会衣。
しかし彼女は見えない壁に遮られ、弾かれてしまった。
『あうっ! そんな、壁がっ。会衣に力があれば壊せるのに……今の会衣には、何もできない』
『ねえ会衣。ここは復讐の舞台なんだよ』
『どういうこと? 会衣はわかんないよ』
『報われない私たちに与えられた、唯一無二の復讐の舞台。島川優也にとってもそうだった。私にとっても。そして――』
『帰ろうよ緋芦っ! そんな場所にいちゃいけないよお!』
『ああ……どうして。どうして会衣がここに。こんなこと……こんなことがあっては……』
緋芦の声が遠ざかっていく。
会衣は叫ぼうとしたが、もう声をあげることもできなかった。
やがて景色も黒の幕に閉ざされ、暗闇に包まれていく。
◇◇◇
「はっ!?」
ガバッ、と上半身を起こし起き上がる会衣。
「うわああぁああっ!?」
するとすぐ近くで男が大声をあげ、尻もちをついた。
会衣の体はビクッと震え、反応して他の広間で休む面々も目を覚ます。
「何よ今の声……」
隣で寝ていた巳剣が目をこすりながら言うと、男は「やべっ」と言いながら、慌てて部屋を飛び出していった。
「今のって、妙蓮寺? まさか寝込みを襲って――牛沢さん、顔が青いわよ。何かされたんじゃないでしょうね!?」
「……されてない。大丈夫、会衣は触られてもない」
「よかったぁ……」
胸に手を当て、大きく息を吐き出す巳剣。
この広間に閉じ込められた他の人間たちも、ひとまず会衣のその言葉を聞いて安心したらしかった。
「私、見たんですけど……さっきの男、カメラを持ってましたよね」
制服姿の少女が言った。
彼女は二年生の赤羽
「妙蓮寺のやつ、よく学校でも隠し撮りしてたのよ。ったく、寝顔なんて撮ってどうするつもりなんだか!」
「はぁ……はぁ……」
「怖かったわよね、牛沢さん」
「う、うん。でも会衣は……」
顔が青ざめているのは、妙蓮寺のせいだけではない。
先ほど見た、あの悪夢――それが頭にこびりついて離れないのだ。
(緋芦、どこにいるの。もし近くにいるのなら……会衣は、早く会いたい……)
◆◆◆
眠りから覚め、私は薄暗いレストランで目を覚ます。
「重た……」
体の上にはネムシアが乗って、幸せそうに寝息を立てていた。
そのせいか腕が痺れてまともに動かない。
「……寝てるとまんま夢実ちゃんなんだよねえ」
髪の色は違えど、顔はそのもの。
心音が高鳴る。
けれどすぐに罪悪感に締め付けられ、苦しくなる。
やはりまだ、どんな気持ちで彼女と接していいのか、私の中でも整理がついていない。
軽く髪を撫でると、ネムシアは「んぅ……お兄ちゃん……」と悲しげにつぶやいた。
「兄上じゃないんだ。あざといなあ」
きっと、アドラシア王国で“何か”が起きるまでは、女王なんて意識することもなく生きてたんだろうな。
ときどき見える無邪気さや子供っぽさが、その名残なのだろう。
そのまましばしネムシアの顔を見つめていると、足音が近づいてきた。
顔を出したのは赤羽さんだ。
手にはビジネスカバンを持っている。
彼は井上さんが寝ている方を一度確認すると、私に声をかける。
「少し、時間をもらってもいいかな」
「構わないけど」
私は不思議に思いながらも、首を縦に振った。
そしてそっと体を起こし、ネムシアの頭を太ももの上に置く。
彼は向かいの席に座ると、他の人を起こさないよう小さな声で語りかけた。
「今日も外に出るんだろう?」
「もちろん」
「だったら一つ頼み事があるんだ。この人を探してほしい」
そう言って、彼は膝の上に置いた鞄をひらいた。
中には様々な書類や、ファンタジーランドの名札などが入っている。
そこからパンフレットのようなものを取り出すと、ある写真を指さした。
写っていたのは中年の男性だった。
「誰なの?」
「
「はぐれたのはいつなの?」
「はぐれたというか……ホールマンが現れて外に出られなくなってからは、一度も見ていない」
「だったらもう生きてないんじゃ」
「念のために確かめてほしいんだ。おそらく事務所にいるはずだから」
「……一応、事務所がどのあたりにあっ
私は地図を表示し、大まかな場所を赤羽さんに教えてもらう。
ホテル同様、この異界と化した遊園地でも、方向の参考ぐらいにはなるはずだ。
「でもどうして私に? 井上さんに頼めばいいんじゃ」
「それは……もちろん考えたよ。だけど今までは一人でここを守ってくれていたんだ、負担をかけることはできない」
理屈は通っている。
だけど私には、彼が何かを隠してるような気がしてならなかった。
◇◇◇
ネムシアと井上さんが目を覚ましてから、私たちは今日もホテル付近に向かう。
昨日、仲間が死んだばっかりなのだ、さすがに大木たちも警戒して外には出てこないだろう――そう思っていたところに、ギィから連絡が来た。
今日も二人、売店に物資を取りにいくため外に出ると。
正直、警戒しなさすぎだとは思うけど、まあ油断してくれる分にはありがたい。
今日も“狩り”に行こうと思う。
昨日はキャストに一度も見つからずにホテルまでたどり着くことができた。
彼らはホールマンに接客をしているからか、あまり視野が広くないのだ。
なので今日も行けるはず――そう思っていたのだけれど。
「完全に隠れておったはずだ。なぜバレたのだ」
「あの着ぐるみ、地面を嗅いでたわ」
「イヌイヌくんが匂いで私たちに気づいたんだよっ!」
まさか視覚以外まで使ってくるとは思ってもいなかった。
犬が匂いに敏感ということは、他の着ぐるみたちも動物にちなんだ特性を持っているのだろうか。
イヌイヌくんが、速度で若干劣るネムシアに追いつき、彼女に飛びかかる。
「犬畜生が、させぬわ!」
しかしイヌイヌくんがリアクションキャストに触れたことで風の魔法が発動し、着ぐるみは粉々に切り刻まれた。
だがその間にも、別の着ぐるみとホールマンたちが私たちに迫る。
「全員ダウンしてる間に隠れれば、追ってこなくなるんだよね」
「ええ、そのとおりよ」
井上さんから聞いた、キャストの追尾から逃れる方法は二つ。
一つは聖域に逃げ込むこと。
そしてもう一つは、敵を倒して再生するまでの間に、その視界から消えることである。
後者を満たすには、すべてのキャストを倒す必要があるためハードルが高いが、今はまだ大した数は集まってきていない。
「今なら行ける。井上さんも一斉射を!」
「了解よ。ガトリングショットッ!」
「フルバースト、行けぇッ!」
井上さんはトンファーの先端から無数の弾丸を放ち、ホールマンとキャストたちを蜂の巣にする。
そこに大量のナイフも加わって、地上に血の花火が咲き誇る。
瞬く間に地面は赤く染まり、大量の肉が転がる地獄絵図が出来上がった。
今のところ、殴りより銃として使ってるとこをよく見るんだけど、あれ本当にトンファーである必要あるのかな。
まあそれを言ったら、私もナイフを投げてばっかりで、最初から飛び道具で良くない? って言われちゃいそうだけど。
でもこれは夢実ちゃんとの思い出の品だしなあ。
「よしっ、逃げましょう」
「待って井上さん、あそこに生きてるキャストが――」
私が地面を這うラビラビちゃんを指した次の瞬間、その頭が風の刃に切り裂かれる。
すると傷口の断面に、肉とは違う、光を反射する何かが埋まっているのが見えた。
なんだろうあれ、薄いプラスチックのケース?
「ネムシア、ありがと」
「ふふん、女王にかかればこんなものよ」
無事に全滅させられたところで、あいつらが起き上がる前に急いで走り、近くの物陰に身を潜める。
再生を終えたキャストはすぐさま立ち上がり、周囲に私たちの姿が無いか探したが、見つからないとすぐに諦め、通常業務に戻った。
ホールマンの死体は無視して、生きたホールマンたちに風船を配るラビラビちゃん。
すると陽気な音楽を流し、電装をカラフルに光らせる車が死体に近づいていく。
「井上さん、あれは?」
「清掃車よ。元はパレード用の車だったみたいだけどね」
その車は前に空いた穴から死体を吸い込む。
ガリガリッという音が聞こえるということは、中で死体を砕いているんだろう。
「不快な音だのう」
「あんまり見てると心に良くないね」
「ええ、先に進みましょう」
◇◇◇
ギィからもらった情報を元に、売店にリアクションキャストを設置。
私たちは店の様子が見える場所に身を隠し、標的が来るのを待った。
それまでの間、ずっと黙っているのも何なので、私は井上さんに気になっていたことを尋ねた。
「井上さん、その首から下げてるペンダント……」
「ああ、これ?」
「戦うとき邪魔じゃないの?」
「乙女のお洒落に口を出すとは依里花は無粋だのう」
「仕方ないじゃん、気になったんだから」
井上さんは、あまり飾りっ気のない女性だ。
仕事柄、目立たない方がいいというのもあるんだろうけど。
そんな中、そのネックレスだけは常に身につけているので、何か思い入れがあるんじゃないかと思ったわけである。
すると彼女はペンダントと手の上に置き、蓋を開いた。
中に入ってるのは、なんだかよくわからない緑色のおりがみの塊だった。
「何らかの呪術的な物体か?」
「ふふっ、違うわ。これね、ずいぶん昔に妹の緋芦が作ってくれたお守りなの。一応四つ葉のクローバーなのよ。部活の大会に出る時に『おねーちゃんがんばってね』って渡してくれて、その大会で優勝してからはずーっと大事にしてるの」
「かなり年下の妹って言ってたね」
「そうよ。母親以上に溺愛してた自信があるわ」
自分で溺愛というほどだ、かなりの甘やかしっぷりだったのだろう。
「目に入れても痛くない妹というわけか。それは片身離さずに持ち歩きたくもなるはずだ」
「うん……それにこれを握ってると、緋芦のぬくもりを感じる気がするの。温かいってことは、必ずどこかで生きてるってことだと思うのよね」
井上さんは祈るようにそう言った。
井上緋芦の行方は未だ不明。
ギィからも、それらしき姿を見たという報告は無い。
10歳の子供なら、高校生や大人だらけの中だと目立ちそうなのに。
「我も生きておると思うぞ。今もどこかで、姉に会いたがっておるはずだ」
「ありがとう、ネムシアちゃん」
ネムシア自身も妹だし、共感するところがあるんだろうな。
ひょっとすると、アドラシア王国だけでなく、失踪した兄も見つけたいと思ってたりして。
でも女王としての自覚が、個人的な事情で動くこと許してくれない、とか。
「あ、来たみたいよ」
そんな話をしていると、遠くから二人組の男が歩いてくる。
一人は知らない顔だ。
学校の制服を着ていないし、見た目も20歳は越えていそうなので、おそらくはファンタジーランドの客なんだろう。
白町や須黒たちと気があったから仲間に引き込まれたのか。
もう一方は同級生の灰田。
正直あんまり印象には残ってないんだけど、よく白町と話しているガラの悪い生徒だ。
彼らは売店の前に立つと、おもむろにじゃんけんを始めた。
そして勝った灰田が見張りとして外に立ち、もう一方の男が中に入る。
一応、昨日のことを警戒してはいるらしい。
だったら外に出てこなければいいものを。
「そろそろだのう」
ネムシアがそう言った次の瞬間――「ぎゃあぁぁぁああッ!」と男の叫び声が響き渡った。
井上さんが店からわずかに目をそらし、辛そうに唇を噛む。
声に驚いた灰田は、慌てた様子で店の中に入っていったが――それから数秒して、今度は彼の絶叫が聞こえてきた。
同時に売店の中からバキバキと何かが壊れるような音がして、建物全体も大きく揺れる。
恐怖に顔を歪め、四つん這いになりながら出てきた灰田。
なかなか無様な姿を見せてくれて満足度が高い。
笑うと井上さんに笑うかな。
でもごめん、我慢できそうにない。
這いずる灰田を追って、ぶよぶよに太った化物が壁を破壊しながら姿を現す。
「前回の骨の化物とは形が違うわ」
「今度はグールに似ておる」
化物はその巨体を揺らしながら、灰田に迫った。
すると彼は逃げながらスマホを取り出し、誰かに連絡をする。
「白町か!? 俺だ、灰田だっ! 今、売店で化物に襲われてる! たぶん細川もあいつに殺されたんだ! 真口や力富もかもしれない!」
これはありがたい。
勝手に化物に殺されたことにしてくれるんだ、ますます私たちがやったってバレないじゃん。
いい子だねえ、灰田くん。死んでまで私に協力してくれるなんて、贖罪のつもりなのかな。
彼の逃走劇を楽しんでいると、ふいに視線を感じた。
すぐ横でネムシアが私の顔をじっと見ている。
「兄上顔をしておる」
「何その単語。似てないって言ってなかった?」
「よく見れば、目は少し似ておるかもしれん」
復讐者って部分は一致してるんだろうし、探せば少しは似てる部分ぐらいあるんだろう。
だからといって、その一面だけで面影を求めるとか、そんなことは無いと思うけどね。
「ぶよぶよの、めちゃくちゃデカい! ホールマンでもキャストでも無いんだッ! あ、あぁ、もうダメだ。追いつかれる。すまん白町、俺はここまで――」
「ブオォォオオオオオオッ!」
化物は灰田くんに向けて、重ねた両手を振り下ろした。
彼はハンマーに叩き潰されたようにぺしゃんこになる。
飛び散った血は、さながら花のように見事に咲いていた。
ニチャ……と赤い糸を引きながら、化物は腕を持ち上げる。
すると、地面にへばりついた死体から、こちらもグールに似た化物が這い出てきた。
細川って男の成れの果てと比較すると、腹が出ていて、足が短く腕が太い。
その特徴が、どう戦い方に影響してくるのかは、やりあってみないとわからないけど。
「突っ立っておるのう」
「あたしたちには気付いてないみたいね。このまま放置しておく?」
「いや、誰かが来る前に倒して死体ごと片付けよう。レベル上げにもなるからね」
「そこまで痕跡を消す必要があるの?」
「昨日、須黒は仲間のHPがマイナスになったって言ってた。たぶん死んで化物になると、そういうふうに表示されるんだと思う」
「つまりそのマイナスがゼロになると、化物は死ぬということか?」
「そしてそのHPの挙動を見て、勘がいい人間は、あれが仲間の成れの果てだって気づいてしまうかもしれない。もう少しだけ伏せておきたいんだよね」
「そこの判断は依里花ちゃんに任せるわ。倒した方がいいのなら、早く行きましょう」
「うむっ。相手は耐久性に優れた強敵である。高い火力で一気に攻めるのだ!」
私たちは隠れていた場所から飛び出し、化物たちに突撃した。
◇◇◇
「どういうことだよ……どうなってやがるんだよぉぉおッ!」
白町くんはそう吠えると、壁を蹴りつける。
私たちの戦闘が終わってから数分後――入れ替わるように、売店の前に白町くんと須黒くんが到着した。
そこには戦闘の痕跡のみが残り、灰田と細川はおろか、化物の死体すら残っていなかった。
「灰田ちゃんは何に襲われたってんだ。細川ちゃんは何で死んじまったんだ!」
「昨日と同じだな」
「っつうことは、昨日のも化物にやられたってのか!? おかしいだろ、曦儡宮はオレらの味方だって大木ちゃん言ってたじゃねえか!」
「そうだな……だが現にこういうことが起きている」
「クソッ、オレらは神に愛されてるんだろ? 貢物だって捧げてるじゃねえか。嬉しそうに毎日平らげてる! そうだよ、灰田ちゃんも細川ちゃんも、その貢物を手に入れるためにここに来たんだ。なのに曦儡宮はあいつらを殺した! 何でだ! どうしてオレらの信仰心を裏切ったッ!」
白町くん、何の話をしてるの?
貢物を集めるため? じゃあ曦儡宮はあのホテルの中にいる?
「早とちりしすぎだ。必ずしも曦儡宮がやったとは限らん」
「だけどさあ!」
取り乱す白町くんの肩に、須黒くんがぽんと手を置いた。
「もし曦儡宮が裏切ったんなら、その力を与えられた俺たちはとっくに死んでいるはずだろう。違うか?」
「……それは、そうだけど」
「井上が俺たちに復讐しているのかもしれない。あるいは、新たな勢力が迫っているのかもしれん」
「ここは閉ざされた場所だろ。どっから入ってくるってんだよ」
「倉金が生きているとしたら」
やっぱ、須黒くんのが厄介だなあ。
白町くんより明らかに落ち着きがあるし、日常的にキャストと戦ってるならレベルも私たちより高いはず。
大木や中見さんの実力は未知数だけど、私の直感では一番厄介なのは彼だと思う。
「どうやってあそこから生き延びるんだよ。階段だって使えなくしたろ? しかもあいつが化物を操るってのか!?」
「わからん。何もわからないんだ。だからこそ、俺たちは最悪の事態に備えて動くべきだ」
「須黒ちゃんさあ、本能で生きてるように見えて割と冷静なこと言うよね」
「落ち着いたか?」
「うん、まだ怒りは煮えたぎってるけど、まともに物事を考えられるようにはなった。よっし、売店を調べたら急いでホテルに戻ろうじゃん」
「ああ、灰田と細川が待ち伏せされてたのは間違いない。まずは情報が漏れている原因を見つけ出すことからだ」
話を終えた二人は、売店を調べ始めた。
そこには何の形跡も残ってないけど。
「依里花ちゃん、これでよかったの?」
「ばっちり。あとはギィがうまく誘導してくれるでしょ」
「では我らは戻るとするか」
目的を果たした私たちは、その場を離れてホテル方面へと戻りはじめた。
◇◇◇
帰り道の途中、私は足を止める。
「依里花ちゃん、どうかした?」
「実は行きたい場所があって。ただ学校関係の場所だから、ネムシアと二人で行きたいんだ。井上さんは先に戻ってて」
井上さんは一瞬だけ訝しむような顔をしたけど、すぐに笑顔に戻ってうなずいた。
別れる言い訳が下手だったかな。
彼女は優しいから、何も聞かずに受け入れてくれたけど。
「わかったわ。怪我しないようにね」
「そちらこそ一人でキャストに見つからぬようにな」
「またあとで」
手を振って私たちは別れる。
そして井上さんの姿が見えなくなったところで、目的地の方に目を向けた。
「別に井上を連れて行っても構わんのではないか? 園長を探すだけなのだろう」
ネムシアにはすでに事情は話してある。
ただ、井上さんを連れて行かない理由に関しては、実際に赤羽さんと話した私にしかわからない感覚だと思う。
「赤羽さんの話し方が妙に引っかかってね。何か、井上さんに知られるとまずい事情でもあるような言い方だった」
「ふむ……依里花がそう感じたのなら、我はそれに付き合うがな」
そうして私たちは、まだ足を踏み入れていない領域へと進む。
目指すは、園長がいるという事務所だ。
◇◇◇
途中、キャストに見つかってしまったり、複製された偽の事務所に何度も遭遇したりと、探索は思ったよりも手間取った。
だが四時間かけて、ようやく目的の建物を発見する。
この遊園地を統括する“園長”と呼ばれる人間のいる場所――ひょっとすると、キャストを束ねるボスみたいなやつがいるんじゃないかって期待してた。
でも実際は、事務所の周りはホールマンすらまばらで、キャストの姿も無いぐらい閑散としていた。
鍵も開いていて、拍子抜けするぐらいあっさりと私たちは事務所に入る。
扉を閉めると、中は完全な静寂に包まれた。
「静かだのう」
「うん……不自然なぐらいにね」
騒がしいほど大量の化物が徘徊するこの世界において、静かな場所というのは決して安全なわけではない。
逆に、何か“よくないもの”が潜んでいる場合も多いもの。
私たちの足取りは自然と重くなった。
まず左手にあるのは、多くの事務員たちが働いていたであろうオフィスだ。
開くと――そこには誰もいなかった。
それどころか、特に部屋が散らかっているということすらない。
「整然としておる」
「急に化物に襲われた遊園地にしては、何か綺麗だよね」
「ここは無事だったのかのう」
「だったら誰か逃げ込んでても良さそうじゃない?」
くまなく部屋を探すも、見つかったのはお菓子ぐらいのもの。
ありがたくスマホに放り込みながらも、このオフィスでは大したものは見つからなかった。
隣の休憩室には布団が敷かれていたが人の気配は無く、残るは奥の資料室のみとなった。
「臭いね」
「うむ、人が腐った匂いがするのう」
中から漂う腐敗臭――その正体を確かめるため、扉を開く。
淀んだ空気が一気に解き放たれ、私は思わず顔をしかめた。
1階で過ごしていた間に腐った匂いには慣れたつもりだったけど、ほんの1日で遊園地の“比較的”澄んだ空気に塗りつぶされていたのか。
中に踏み入れる。
左右の棚には、ダンボールいっぱいに詰められた資料が置かれており、段によっては様々な備品も置かれている。
そして部屋の一番奥には少し古めのパソコンがあり、その前にはこれまた使い古されたチェアが置かれていた。
誰かがそこに座っている。
蠅が飛び回る音がして、虫もここに迷い込んでるんだと少し感動した。
一旦ネムシアの顔を見ると、彼女の瞳は不安そうに揺れていた。
目が合う。
とりあえず微笑んで置くと、彼女も力なく笑い返し、少しだけ元気になったようだ。
私のパワーも充電できたところで、椅子に手をかけ、ぐるりと回す。
現れたのは――中年男性の腐乱死体だった。
首から名札は下がっていない。
顔は変色しているけど、まだ赤羽さんから見せられた写真の面影を残している。
「これが園長の津森拓郎かな」
「ここで死んでおったのだな。赤羽には残念な報告をせねばならん」
「ホールマンやゾンビになってないのは珍しいね。致命傷はお腹のこの傷か」
腹部には円形にえぐれたような傷がある。
そこから溢れ出した血が酸化し、ワイシャツは赤黒く染まっていた。
「銃っぽいなあ……やったのは白町なのかな」
「あの男がここまで来て、津森を殺す理由があるのか?」
「無さそうだよね。何か手がかりがあればいいんだけど」
私はデスクの上に置かれたファイルに手を伸ばす。
中を開くと、それはスクラップ帳のようで、週刊誌の切り抜きが貼られていた。
「『光乃宮ファンタジーランドの光と闇。銃撃事件はなぜ隠蔽されたのか』」
「それはなんなのだ」
「六年前の事件を取り扱った記事みたい」
中身を読んでみると、各新聞社が不自然な報道をしていることに疑問を抱いた週刊誌の記者が、事件について詳しく調べたもののようだ。
「遊園地で着ぐるみを着た犯人に銃撃され、現役警察官が死ぬというセンセーションな内容にも関わらず、全国区のメディアはほぼニュースで扱わずに、新聞を見ても被害者の名前は伏せられている」
六年前――割と地元だと話題になった気がするけどな。
でも言われてみれば、こういう事件って全国区のニュースの大好物なのに、あんまり大々的には取り扱ってなかったかも。
私も被害者の名前までは覚えていない。
「お、おい、依里花よ」
「何?」
「この名前は――」
ネムシアが指し示した部分には、“井上芦乃”という名前が記されていた。
「井上さん……え、この事件で死んだのは井上さんなの? 同姓同名とかじゃなくて!?」
「我もわけがわからぬ! しかし、妹連れの警察官で、26歳の女というのは他にはおらぬのではないか?」
「どういうこと? 死んだ人間が蘇ってるの? ゾンビとかじゃなく、人間として」
今までさんざんとんでもないものを見てきたけど、さすがに困惑してしまう。
化物が出てきたとか、魔法があるとか、そういうんじゃなくて――過去に死んだはずの人間が生きてる、なんて。
それに、どうして津森拓郎はその事件について調べてたの?
どうして彼はここで銃殺されたの? しかも井上芦乃と同じ部位を撃たれて。
そのとき、私は津森が何を握りしめていることに気づく。
硬直した手を開いてそれを取り出す。
「なぜそれを……この男が持っておるのだ?」
私もまったく同じ疑問を抱いた。
そこにあったのは、折り紙で作られた四つ葉のクローバー。
井上さんが、妹の緋芦からお守りとして貰ったものと酷似していたからだ。
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