第46話 ポジティブライフ
津森拓郎、井上芦乃、そして井上緋芦――彼らにまつわる疑問を紐解くべく、私たちはさらに部屋を調べた。
結果、わかったことがいくつかある。
まずは最初に見つけたスクラップ帳の週刊誌記事。
あの続きには、光乃宮市ととあるカルト教団の繋がりについて書かれており、井上芦乃が銃殺された事件にも戒世教が関与しているのではないか、という言葉で締められていた。
そして次のページに貼られていた新聞の切り抜きには、とある記者が失踪したという記事が書かれていた。
たぶん、最初の記事を書いた記者なんだと思う。
戒世教について触れてしまったので殺されたのか――そしてその週刊誌は、その後1年もしないうちに休刊となっている。
井上芦乃は生前、戒世教について調べていたと言っていた。
そして銃撃事件に戒世教が関わっていること、そして記者が消されたことからもわかるように、おそらくこの犯行は、戒世教を嗅ぎ回る井上芦乃を消すために行われた可能性が高い。
次に、別のファイルに収められた、津森拓郎宛ての手紙について。
差出人は井上緋芦だ。
どうやら光乃宮ファンタジーランド園長の津森拓郎と、事件被害者の妹である井上緋芦の間には、事件以降の六年間交流があったらしい。
津森拓郎は、自分の管理する遊園地で事件が起きたことに胸を痛めていたのか、家族ぐるみで仲良くしていたそうだ。
その甲斐あってか、井上緋芦は『将来は遊園地で働きたい。園長さんを目指したい』と言うほど、遊園地に好意的なイメージを抱くようになっていたみたいだ。
また、津森拓郎は、犯人が未だ見つかっていない銃撃事件の真相を個人的に追っていたらしい。
最初のスクラップ帳は、その調査の過程で作られたものだった。
他のファイルやノートには、当日の監視カメラの映像を切り取ったものや、着ぐるみを纏うキャストたちの控室の様子、そして現場付近にいたスタッフや客から聞き取り調査の結果も記されていた。
六年間、津森は仕事をしながら、かなりの時間をこの調査に割いていたみたいだ。
その執念と後悔の強さが、残された多くの資料から伝わってくる。
「これだけ調べても、犯人は光乃宮市にいる信者の女ってところまでしかわからなかったんだね」
「しかし井上芦乃と同じ殺され方をしておるということは……同一犯の可能性は無いのか?」
「銃でお腹を撃たれただけじゃなんとも言えないな。でも、戒世教の信者なら、校内にいる可能性は十分にあるよね」
「だとすると、当時の関係者がこの階層に集合しておるやもしれぬわけか」
とりあえず、これでこの部屋は調べ終えた。
赤羽さんに頼まれたときは何が目的かわからなかったけど、もし彼がこの部屋のことを知っていたのだとしたら――井上芦乃という存在の矛盾を、私たちに伝えたかったんだろう。
◇◇◇
レストランに戻る前に、私たちは職員室に立ち寄った。
そこで二年生の生徒一覧を見ると、井上緋芦の写真があった。
おかっぱ頭の大人しそうな、ごく普通の生徒のようだ。
小柄で色も白い――ようはインドア派な牛沢さんとは、気が合いそうな雰囲気はある。
でも牛沢さんとは違うクラスらしい。
二人が別々に行動していたのは、このあたりが原因なんだろう。
「依里花よ、どうするつもりだ」
目的を終え、名簿を閉じたタイミングでネムシアが言った。
私は目を伏せ、少し考える。
「どうしよっかねえ」
当然、井上芦乃は自分が死んだとは思っていないはずだ。
だが、今の状況は明らかに異常。
彼女の存在自体がカイギョの仕掛ける罠である可能性はある。
何の前触れもなく、いきなり化物に変わって私たちに襲いかかってくるとか。
あるいは、私たちが『あなたは死んでる』って伝えた途端に姿が崩れて、化物になっちゃったり。
「伝えたところで、何かいいことがあるってわけじゃない」
「かといって放置しておくわけにもおくまい。死者が動いておるのだぞ?」
「うん……そうなんだけど。ネムシアはどう思う? 井上さん、ショック受けると思う?」
「そりゃあショックは受けるだろうな。しかし、お主が思ってるほどは落ち込まぬのではないか?」
「落ち込まない、かな」
「我が思うに、あれはなかなか強い女だ。大勢が死に、生き残った人間も半分以上連れ去られたというのに、気丈に振る舞っておる。多少は落ち込んでも、すぐに立ち直ると思うぞ」
普通のことなら私もそうだとは思う。
ただ今回ばかりは、内容が内容だ。
果たして井上さんは、どこまでその真実に耐えられるのか。
◇◇◇
レストランに戻った私とネムシアは、井上さんと赤羽さんを休憩室に呼び出した。
ここならホールまで声は届かない。
まだ自分の中に迷いはあるけれど――ここは六年後の世界、早かれ遅かれ井上さんは自分で違和感に気づくんじゃないかと思う。
いや、ひょっとするととっくに気づいてるのかもしれない。
六年も時間があれば、スマホの形だって変わってるわけだし、残ってる新聞の日付でもわかる。
だから私は、すべてを話すことにした。
「赤羽さんから頼まれてた園長さんの捜索だけど、事務所に死体が残ってた」
「……そうか」
赤羽さんは、まるでわかっていたかのような反応を見せた。
「さっきは学校に行くって言ってたわよね、園長さんを探してたの?」
「嘘をついてごめん。でもその理由はあとで話すから」
「ちゃんとした理由があるのね。それなら待つわ」
井上さんが疑問を抱くのもごもっともで。
果たして理由を話しても納得してくれるのか――現時点で、私は緊張で手のひらに汗をかいていた。
「僕が園長を探してくれと頼んだのは――彼が血を流す姿を見たからなんだ」
赤羽さんは、懺悔するようにそう語った。
「急に化物が現れ、混乱するお客様を誘導していた私は、事務所の前で倒れ込んでいる園長の姿を見た。自力では動けない様子だった。しかし僕自身も化物から逃げる必要があり、助けることができなかった……六年前と同じだ。もっと早く傷の手当をしていれば、助けられた命だったかもしれないのに」
「最初から津森が死んでおることはわかっておったのだな」
「隠すような真似をして申し訳ない、さすがに死体を探してくれとは頼めなくてね。でも事務所の中にいたのは意外だったよ。自力で移動できたんだね」
そっか、津森さんは外にいたんだ。
だとすると、移動させたときにあのクローバーを握らせた。
井上緋芦はあの場所にいたってこと?
「赤羽さんは中にあったあれを見せたかったんだよね」
「あれってなんのことなの?」
「井上さんが六年前に殺されたっていう記事」
私の言葉に、井上さんは「えっ?」と首を傾げる。
さあ、言ってしまったぞ。
きっと彼女は傷つくだろうけど、今は勢いですべてを伝えるしかない。
「六年前、この遊園地で銃を持った着ぐるみに女性が殺される事件が起きたの。そのときの犠牲者が――井上芦乃だった」
「何を言っているの依里花ちゃん。あたしは生きてるわ。こうしてここにいるじゃない!」
「でも事実だよ。赤羽さんはそれを知ってたから、ずっと疑問に思ってたんだよね」
「ああ、うちの園長が被害者の妹さんと仲良くしていることも知っていたからね。同姓同名の別人かもしれないとは思っていたけれど……」
それにしても、特徴が合致しすぎている。
けれど化物や敵と戦える唯一の人間だ、変なことを言って見捨てられるわけにはいかなかった。
「あたしが……六年前に死んでる? そんなの、そんな記憶なんて無いわ……あたしは緋芦と二人で遊園地に遊びに来て、そして……」
そして、と言ったまま井上さんは固まった。
そこで記憶が途切れているのだろう。
「どうして……着ぐるみが近づいてきたところまでは覚えているわ。いや、でも、緋芦の叫び声が聞こえたような……」
「井上よ、薄々勘づいておったのではないか」
「……」
「多少は取り乱しておるが、思ったよりも錯乱しておらん。頭のどこかで、今の自分の異常性を自覚しておったからこその反応であろう」
ネムシアの鋭い指摘に、言葉を失う井上さん。
しばしの沈黙を挟んで、彼女はぼそりと言った。
「……おかしいとは思ってたわ。色んなものが、色んな場所が、変わってるから」
まあ、そう思うよね。
服装だってそうだし、遊園地の施設もそう。
六年もあれば、景色は一気に変わっていたはずだ。
「でも、急に学校と混ざったりして、おかしなことばっかり起きるから、あたしはそのせいだと思ってたの! だって、想像もしないじゃない――あたしが、もう、死んでるなんて。だったら、今のあたしは何? どうしてここにいるの?」
「わからない。ただ……私たちが手に入れた魔法は、条件さえ揃えば人を蘇らせることだってできる。井上さんが生き返るのも、絶対にありえないとは言えないんだ」
「そうやって生き返ったあたしは、普通の人間なの?」
「それは……」
「依里花ちゃん、少しなら知ってるなら話して。大丈夫、どんな内容でも責めたりしないから」
そう言われても、今のところ私も予想を立てているだけで、正確に状況を把握しているわけじゃない。
「これは、一つの仮説だから。それを承知の上で聞いてほしい」
だからそう前置きして、それを受け入れてもらえないと、いくら懇願されても無責任に話す気にはなれなかった。
「わかったわ、それでも構わないから」
「私は、校舎の2階と光乃宮ファンタジーランドが一つになったのは、井上緋芦の持つトラウマが関係してると思ってる」
自分でそう話しておいて何だけど、ここには致命的な矛盾がある。
時系列の問題だ。
私が思うに、校舎と遊園地が融合した時点で、井上緋芦は“普通の人間”だった。
つまり、その二箇所を融合させるような力など持っていないのだ。
そこには別の意思――例えば、この光乃宮ファンタジーランドに強い思い入れがある誰かが関わっている気がする。
もっとも、これは緋芦さんが無関係だということを示す証拠にはなっていない。
こちらもまた、可能性の一つ。
でも、話すとややこしくなるので、今は井上緋芦を中心にして話を進めることにした。
「キャストやホールマンは、目の前で姉が死ぬのを目撃した緋芦さんの記憶から生まれている。そう思うんだ」
「つまり、緋芦はここにいるのね?」
「人間の形はしてないかもしれないけど」
「そんな……っ」
「もし緋芦さんがこのフロアの主に選ばれたなら、姉を蘇らせるだけの力があることもわかる。でもその場合、井上さんも人間じゃなくて――化物に限りなく近い存在ってことになるけど」
赤羽さんはその言葉に驚き、わずかに後ずさった。
それがショックだったのか、井上さんはうつむき、強く拳を握る。
「しかも、実際に私たちはそういう存在を見てる。死後、化物に変わる――おそらくは、人間の皮をかぶっただけの化物たちを」
「そう、ね。みんなをさらった連中とあたしが同類なら、筋は通るわ」
「ただ――これには辻褄が合わない部分も多くて」
「気休めはいいわよ」
「気休めなんかじゃないよ。化物が自分の身を守るために、大木や須黒に力を与えてるならわかる。でも井上さんは真逆だよね。生きてる人たちを助けるためにここにいる。1階で遭遇したフロアの主も、緋芦さんと同じような立場ではあったけど、彼はカイギョに理性を奪われて大切な人すらも殺そうとしていた。そのときとは状況が違いすぎる。だから今の私には、井上さんが何者なのかはっきりと答えを出すことはできない」
私が話し終えると、キッチンはしんと静かになった。
沈黙はやめてほしい、胃がキリキリするから。
でも井上さんはしばらく黙り込んでしまって、ネムシアや赤羽さんもその様子をじっと見守っているから――私は我慢できずに、もう一度口を開いた。
「井上さん、一つ聞いてもいい?」
「別に……構わないけど」
「井上さんが知ってて、緋芦さんが絶対に知らない秘密って何かある? 秘密っていうほどのことじゃなくてもいい。緋芦さんが知らないなら何でも」
彼女は私を方を見て、苦笑いを浮かべた。
なぜ今、そんなことを聞くのか――そんな表情。
ネムシアからの視線も冷たい。
でも、割と大事なことだと私は思う。
「そうね……寝てる緋芦の額に、こっそりキスしてること、とか?」
「それは気づいてる可能性あるよね」
「そうかしら……」
「他に、何か絶対に知らないこと。職場で起きた出来事とか」
「机に緋芦の写真を置いてるわ」
「それを緋芦さんが見たことは?」
「無いけど……なんなの? どうしてそんなことを聞くのかわからないわ」
井上さんの疑問もごもっとも。
でも、彼女がそれらの“井上芦乃”しか知らない事実を知っていることは――不自然なのだ。
「さっき話した私の仮説。化物になった井上緋芦から生み出されたんじゃないかって言ったけど、だとすると緋芦さんが知ってる記憶しか持ってないはずなんだよ」
「確かに、妹から生まれたのならば、存在しない記憶を補完するのは不可能であるな」
「それってどういうこと? だったら、あたしはどういう状態なの?」
「ごめんなさい、本当にまだわからなくて。だから話すかどうか迷ってたんだけど……」
「そうね……依里花ちゃんも最初にそう言ってたものね」
「でも、間違いなく井上芦乃っていう“人間”はここにいると思う。どうやって生き返ったのかとか、体の造りがどうなってるかはわからないけど、そこに宿っている意識は間違いなく本人のものだよ」
我ながら強引なフォローだ、とは思う。
けど別に嘘をついてるわけじゃない。
井上緋芦が作ったカイギョの壊疽だと断言するのは簡単だけど、それにしては矛盾点が多い。
井上さんは唇を尖らせ、「むーん」と変な声をあげながら悩んでいる。
しばらくその様子を観察していると、彼女は急に両手で頬をぺちんと叩いた。
「うん……ぜーんぜんわからないわっ!」
そして吹っ切れたように大きな声を出した。
「依里花ちゃんは色々説明してくれたけど、あたしの頭じゃ理解できない。要はあたしは死んで生き返った。緋芦はどこかで助けを待ってる。そう思っておけばいいのよね」
色々と省きすぎな気もするけど、ずっと落ち込むよりはこっちの方がいいか。
「それでいい……かもね」
「前向きなのは良いことだ」
「むしろ生き返れたんだからラッキーなのよ。あ、そうだ。あたしが死んだのが六年前ってことは、緋芦は十六歳なのよね。写真とかある?」
「一応、職員室にあったのを撮影してきたけど」
「見せて見せて。あー、かわいいーーーっ! まだ幼さを残しながらも大人になってて、ちょっとあたしに似てきたかな! はあぁぁ、早く会いたぁい!」
急なテンションの切り替えに、私は思わずのけぞった。
赤羽さんも驚きながら、小さな声で私に問いかける。
「いいのかい、これで」
「井上さんは味方だよ。赤羽さんだって助けられてるんだし、それで十分じゃない?」
当然のように井上さんから敵意や殺意なんて感じないし、今のところは化物に変わる予兆もない。
なら無理をして戦力を減らす必要なんて無いはずだから。
私の答えを聞いて、赤羽さんはまだ不安そうではあったが、井上さんの存在を受け入れてくれたようだ。
その上で、彼は語る。
「これは僕自身、馬鹿げた話だと思っているんだが、この遊園地には幽霊が出るという噂があってね」
「へえ、昔からある話なの?」
「いや、五年前ぐらいからだよ。だからあの事件の被害者の霊じゃないかとよく言われていたんだ」
遊園地をさまよう幽霊。
それがカイギョに食われた世界で、肉体を得た姿――そんなふうに考えたんだろうか。
幽霊なんて馬鹿げている。
けれど私は、魂の実在を知っている。
ありえない仮説じゃないな、と思った。
少なくとも、誰も知り得ない井上芦乃だけが知る秘密を、彼女が話せた説明にはなる。
井上さんは、夢中でスマホの画面を見つめ、時に頬ずりをしたり、意味なんて無いのに匂いを嗅いだりしていた。
ネムシアはそれを珍しい動物を見るような目で観察している。
だが、ふいに彼女の眉間に皺が寄り、その視線が扉に向けられる。
「依里花よ、悲鳴が聞こえんかったか?」
「いや、私には」
でも位置的にもネムシアの方が扉に近い。
私は念のため、外の様子を伺うことにした。
するとホールの方がやけに騒がしい。
急いで戻ると、そこには――ラビラビちゃんの着ぐるみを着た“キャスト”が立っていた。
「なんで結界の中にキャストが!?」
その周辺には何人もの人が倒れており、顔には大きな穴が空けられている。
さらに、すでにホールマンとして活動を開始した者もいて、他の避難者に穴から出る粘液を浴びせていた。
助けるために踏み出そうとしたが、すでに彼らの顔はドロドロに溶け始めている。
もう手遅れだ。
ああなってしまうと、顔は完全に消えて穴が開き、ホールマンになるしかない――井上さんからそう聞いたことがある。
「そんな、みんな死んじゃったの!? せっかく生き延びたのに……」
井上さんは、その惨状をみて膝をついた。
ネムシアと赤羽さんが慌てて支えるも、そのショックはかなり大きい。
それにしても、いくら扉が閉じられていたとはいえ、あまりに静かすぎる。
大きな悲鳴があがることもなく、気づいたときはすべてが終わっていた。
そしてキャストとホールマンを足した数は、この場所にいたはずの避難者の数とぴったり同じ。
ここから導き出される答えは――
「人間がキャストに変わったんだ」
結界がある限り、万が一にも外から化物が入ってくることはない。
ゾンビのように体が腐りはじめていた人間だっていなかった。
現状、“自然発生”としか思えないこの現象。
しかし、何か理由があるはずだ。
それを明かせば、無限に再生し続けるあの着ぐるみを、完全に倒す方法が見つかるだろうか。
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