第30話 あの日、あなたを抱きしめられたなら
廊下は不気味なほど静まり返っていた。
私の足音以外の音はなにも聞こえない。
蠢く肉塊は、近づいてみると人間ほどの大きさがあることがわかった。
そして髪の毛がが生えている。
顔がある。
制服を着ている――
私はそこで足を止め、目をこすった。
「……島川優也に見えてきた」
もちろん私は本物の顔を知らない。
何の関係性もないのだから。
だからこれは脳が見せている幻覚ではなく、あの肉塊が“見せつけている”ということなのだろう。
何の意味があって?
今のところ、明治先生みたいに私の体が引き寄せられる感じはしないけど。
「ねえ、私の声が聞こえてるの?」
呼びかけても反応はない。
彼はうつろな瞳を床に向けたまま、微動だにしなかった。
やはりただの化物なのだろうか。
その割には、彼から殺意めいたものは感じない。
寂しさや、孤独――果たしてあんな異形が進化した先で、そんなものを漂わせる化物が生まれるというのだろうか。
島川優也との距離は10メートルほどまで近づいた。
そこから一歩踏み出した瞬間、パッとワープしてきたように、頭上に複数体のゾンビが現れる。
制服を纏ったそのゾンビたちは私をぐるりと取り囲んでおり、落下の勢いに任せて私に襲いかかろうとしていた。
「ちぇっ、結局罠じゃんっ!」
私は愚痴りながらも、ぐるりと一回転しながらドリーマーを振るう。
ゾンビたちの体は真っ二つに斬れて、伸ばした手が私に届くことなく床に落ちた。
死体を乗り越えて再度前進。
するど島川優也の姿は無く、髪の長い少女がぼろぼろになった制服を着てそこに立っていた。
またゾンビ? いや、だとしたら1体だけで済むわけがない。
私は彼女に近づかず、デュプリケイトデュオでナイフを二刀流にして、イリュージョンダガーを頭と体に投げつける。
すると女の長い前髪が持ち上がり、その顔の大半を埋め尽くす大きな口が現れた。
「キャアァァァアアアアッ!」
そこからは女の悲鳴を思わせる甲高い声が鳴り響き、その“音波”を受けたイリュージョンダガーは粉々に砕け散る。
さらに、その音を浴びた私は、その振動がやけに体内にずしりと響くのを感じた。
体もうまく動かせない。
「これ、何……が、ごぶっ……!」
鉄の匂いがこみ上げたと思えば、口からどろりとした大量の血液が溢れ出てくる。
視界も赤く染まり、鼻や目からも血が流れ出ていることに気づいた。
あれはただの音じゃない。
振動で景色が歪んでいるように見える。
指向性を持った、“振動”という名の攻撃だ。
「ぐ、おぉぉおおおおおッ!」
両足に強引に力を込め、横に転がって逃げ出す。
すると化物は首の向きを変え追いかけてきた。
避けたいけど体が重い。
HPは【18/40】、まだ余裕はあるけど内臓ズタズタになってそう。
私は素早くヒーリングをかけ、傷を回復――よし、宣言無しで行けた!
次に地面を蹴って上に飛び上がる。
当然相手もそれを追ってくる、けど動き自体はそこまで速くない。
空中で宙返りしながらスプレッドダガーを発動。
こっちも声を発する必要はない、今の私はいつになく集中できてる。
分裂した刃が相手に雨のように降り注ぐ。
化物は「ギャアァァアッ!」と叫びバランスを崩しながらも、必死に私を狙おうとしている。
だがこうなれば相手はもう私を追いきれない。
天井を蹴って加速し、化物の背後に着地。
その後頭部に向かって、パワースタブで強力な一撃を放つ。
「くたばれぇッ!」
「ギャ――ァ」
首を撥ねられ、あの耳障りな声が止まる。
私は吐血で汚れた制服を見ながら、「はぁ」とため息をつく。
そして次の瞬間、私は
「今度は何?」
私は一体、何を
上には空、足元には懐かしき我が校舎。
つまり私は屋上から身を投げたようだ。
そして地面には――人間の骨で作られた無数の針が置かれている。
「私は七瀬さんじゃないっての!」
空中で体勢を変え、両手のドリーマーを校舎の壁に突き立てる。
ガリガリガリッ、と大きな音を鳴らし、砂礫を撒き散らしながら、石壁に刃傷が刻まれていく。
そして私の体は次第に減速し、地面で串刺しになる直前に静止した。
「ふぅ、腕いったぁ……しかも屋上遠いし」
片方ずつナイフを引き抜き、また壁に突き刺して少しずつ屋上を目指す私。
見上げれば、そこにはこちらを見下ろす島川優也の姿があった。
「どういうつもりなの、島川優也! 私は復讐相手じゃないと思うけど!」
私がそう呼びかけると、彼に横から誰かが顔を出す。
――龍岡先輩だ。
もちろんゾンビ化した。
そしてそのまま、彼は落下して、私の真横を通り過ぎていった。
地面に叩きつけられ、串刺しになる龍岡先輩。ちょっと爽快。
「復讐は復讐で別にやってるってこと? それとも――」
再び屋上から誰かが落ちてくる。
今度は先ほどの化物と似た、長髪の女性だった。
龍岡先輩と違って狙いも的確で、綺麗に私の真上からやってくる。
私はナイフでそれを振り払い、再び島川裕也に呼びかけた。
「もう殺し尽くしたから、無関係の人間を殺すしかなくなっちゃった?」
それは化物の本能だ。
人として果たすべきことが終わったから、あとは犠牲者を増やす以外、やることがないのではないか。
その問いを肯定したのか、はたまた彼の気分を損ねてしまったのか、今度は数十体の女が降り注いでくる。
狙いは雑なので、私に当たりそうなものだけ弾けばいいんだけど、
「面倒くさいなあ」
ちまちま登っていっても埒が明かない。
「誰だか知らないけど、足場にされても恨まないでね――ソードダンスッ!」
視界に収めた8体の死体をターゲットに設定。
ナイフを握る腕の力だけで飛び上がると、まず最も近い1体目を斬りつける。
一度勢いがつくと、あとはスキルの不思議な力で私の体はみるみるうちに屋上へと導かれていく。
最終的には勢い余って、島川優也を見下ろす位置まで飛んでしまった。
落下しながら、屋上に立つ彼を斬りつける。
だがその斬撃が命中することはなく、またしても周囲の景色が切り替わっていた。
「焼ける家……やっぱこれ、ただの化物じゃないね」
私は見せられている。
いや、あるいは本来は私ではなく、彼をいじめていた生徒に向けられるものだったのかもしれない。
煙を吸わないように腰を落とし、出口を目指す。
外からは消防車のサイレンと、野次馬たちのざわめきが聞こえていた。
ようやく玄関までたどり着く。
今のところ化物に襲われてないけど、このまま外に出ただけで終わるとは思えないな。
炎に熱された扉を、足で蹴りつける。
だがびくともしない。
今の私の力なら、少なくとも一発でひしゃげたりはするはずなのに。
まるで不思議な力で守られているようだ。
「出口じゃないかな、これ」
移動している間に炎は勢いを増し、煙の量も増えている。
このまま蒸し焼きにするつもり?
そう思っていると、煙の向こうから人影がこちらに走ってくるのが見えた。
煙を吸い込んだのか足取りはおぼつかないが、明らかに玄関を目指しており――いや、見てる場合じゃないな。
どうせ人間じゃないんだし、先制攻撃で潰す。
「ブラッドピルエットッ!」
ドリーマーを投擲すると、すぐさま高速回転をはじめ、生じた風で煙を振り払いながら飛んでいく。
そして人影に命中すると、ぐぢゅるるるるぅっ、とグロテスクな音を立てながら敵を切り刻んだ。
声もなく相手は床に倒れる。
その姿は、衣服を纏った大人の女性だった。
ただし、顔は潰れており誰なのか判別はつかない。
けど予想はできる。
たぶん、例の火事で焼け死んだ島川優也の母親なんだろう。
そしてこいつを倒しても景色が変わらないということは、まだ“父親”がどこかにいる。
「ごほっ……このままじゃ、酸欠で死んじゃう……!」
私は急いで他の部屋を探し回る。
するとリビングで化物の姿を見つけた。
相手は私を見つけるなり、駆け寄ってくる。
まずはイリュージョンダガーを投げて牽制――すると「グゥォォオオオオオッ!」という雄叫びと共に、体が激しく燃え上がった。
投擲したナイフは相手に触れる前に焼け落ちてしまう。
さらに、一度着火された炎は消えることなく、そのまま私に接近してきた。
さすがにあれに抱きつかれたら体がもたない。
「離れてても肌が焼けそう……ウォーターで消えたりしない?」
何となく無駄だろうと想像しながら、水球を飛ばしてみる。
するとわずかに一部の炎の勢いを弱めることはできたが、すぐに蒸発してしまった。
でも――思ったよりは使えそうだ。
「おぉぉぉお……ウオォォオオオオッ!」
燃え盛る化物は両手を伸ばして、さらに加速する。
「私が接近できるのは一瞬、体が焼け焦げる前に相手を仕留めるッ!」
まずは相手の頭に向かってウォーターを連発、一時的でもいいから炎の勢いを弱める。
すかさず前進。
近づくだけで眼球が灼け、視力が使い物にならなくなる。
制服はもちろん、肌もヂリヂリと焼かれて火傷の痛みが前進を襲った。
だが――
「おぉぉおおッ、デュアルスラッシュゥッ!」
両腕が使い物にならなくなる前に、相手の頭部はずたずたに引き裂かれる。
すぐに私は自分にヒーリングをかけた。
視界が戻る。
すると最初に私がいた廊下に戻っており、目の前にはピンクの肉塊があった。
「はぁ……もう見せたい景色もないんじゃない?」
相手は何も答えなかった。
だが近づくほどに、あの声が大きくなる。
『いえにかえして』
『おとうさん、おかあさん、かえして』
『おうちに、かえりたい』
まるで迷子になった子供のような、悲しげな声が。
『ここはどこ』
『だれもいない』
『まっくらで、まっかで、だれのこえもしない』
目の前にくると、よりはっきりとした言葉になり――
『だれもいない』
『ぼくも、ここにはいない』
『だれか、ぼくをみつけて』
どれだけ聞いても意味などわからないので、私はナイフを突き刺した。
すると大量の血が中から噴き出し、まるで水風船のようにしぼんでいく。
周囲を見ても似たような化物の姿はないし、これで一安心、かな。
『モンスター『ホームシック・レプリカ』を殺害しました。おめでとうございます、レベルが41に上がりました!』
そんなアナウンスが脳に響いた。
安心していた私だけど、すぐさま悪寒を感じる。
今のは本物ではなく、模造品?
確かに島川優也は『ぼくも、ここにはいない』って言ってたけど――あれは本体が別にあるってこと?
だとしたら先生は――
私は慌てて令愛に連絡を取りながら周囲を探索する。
『依里花っ!?』
通話に応じた令愛の声は、明らかに焦っていた。
やっぱりさっきのは偽物だったのか――
「先生が目撃した肉塊は倒したよ。そっちはどう?」
『そ、それがっ、さっき一瞬だけ落ち着いたんだけど……今、保健室の外に肉の塊がへばりついててっ、それを見たらまた先生がおかしくなっちゃってぇ!』
「新しいのが出てきたの?」
廊下に姿を表したのが“レプリカ”と呼ばれる複製品だとするのなら――まだ新たに生み出せるということなのか。
じゃあ保健室に現れたのを倒しても変わらない?
いや、一時しのぎでも先生を守れるのなら――けど間に合う? 保健室まで全力疾走でも数分はかかる。
そもそもなんで明治先生だけが標的になってるんだか。
『あ、あぁっ、先生が……先生の体がっ!』
「もし体のほうが危ないなら、ギィの拘束を解いてみて!」
『もう解いてるのっ! 解いてるし、外に出ていこうとしてるわけじゃなくって……体が、膨らんだりしてっ、先生すごく苦しんでてっ!』
膨らむ? 苦しむ?
どういうこと? あいつは幻覚を見せて明治先生を呼び出してたわけじゃないの?
体に異常が発生してるなら――そうだ、確か犬塚さんとギィを保健室に連れ帰るとき、何体か化物を倒したはず。
ギィのレベルは上がってるはず……うん、レベル5だ。
後方支援をやるって言ってたんだし、今のうちに回復魔法を覚えてもらおう。
【ヒーリングLv.3】
【キュアLv.1】
【ギィ残りスキルP:1】
これで――
「令愛、ギィにヒーリングとキュアを覚えさせた。両方先生に試してみて」
『わかった!』
でもキュアは保健室を出る前にやったけど無理だったんだよね。
都合よく、今回は効いてくれればいいんだけど。
『グゥゥ……』
『駄目っ、どっちも効果がない!』
「ヒーリングで一時的に戻ったりはしない?」
『しないのっ、どんどんひどくなってる!』
「保健室に戻ってるからっ! 先生とパーティを組めば、最悪命を落としても魔法で――」
『あ、待ってください先生! 動かないで、死んじゃいますっ!』
『……倉金さぁん、聞こえるぅ?』
令愛のスマホを奪い取ったのか、今度は明治先生の声が聞こえてくる。
その声はかなり苦しげで、か細かった。
「先生、すぐに戻るからそれまでどうにか耐えて!」
『う、ぐ……たぶん、ねぇ……呼んだの、わたしなのよぉ……』
「化物は勝手に来ただけだよ!」
『戒世教について色々調べてたのはぁ……罪滅ぼしのつもりでぇ。だってぇ、わたし、先生なのよぉ? もっといろいろ、できたはずじゃない……七瀬さんもぉ、優也くんもぉ、他の子も、そうよぉ……ふふ、優也くんはぁ、わたしが裁かれたいのを知ってたのねぇ……』
「島川優也は復讐を終えたのッ! 龍岡先輩だけじゃない、他の生徒も殺して、今は化物の本能に従って動いてるだけ。断罪なんて心にも思ってないッ!」
『だったらぁ、わたしの願いを叶えてくれたのねぇ。わたし、人、殺しちゃったものぉ。因果応報……ごほっ、だわぁ……』
「私だって人殺しだッ! でもこうして生きてる! 因果を巡らせるのは人でしかないのっ、勝手に巡るものじゃない! 龍岡先輩を殺したって裁かれる必要なんてッ!」
『でもぉ……わたしが、そうしたかったのよぉ。許せないのぉ。七瀬さんを……助けられなくてぇ……』
「そんなのどうだっていいから! すぐに戻るから、先生は私のパーティに入って――」
『必要ないわぁ。わたし……もう、疲れたからぁ、ちょうどよかったのよ……がぼっ、ぐ、がふうぅっ』
『先生っ、先生!?』
液体が飛び散る音と、令愛や他の生徒の取り乱す声が聞こえる。
もう先生は限界だ。
『そう……ゆうや、くん……寂しいの、ね……』
『諦めるんやない先生!』
『そうよ、耐えるの。すぐに倉金さんがもどってくるわ!』
『会衣、先生に死んでほしくない。がんばってほしい!』
『ギィ、何してるの? どうして先生に近づいて――』
あちらで何が起きているのかはわからない。
『……え? あぁ……そう、七瀬さん……許してくれるの……? そう、だったら、あとは優也くんだけねぇ……』
ただ――明治先生はとっくに死を受け入れていて、どうにもならないことだけはわかる。
『あ、あがっ、がひゅ、ぐ、があぁぁあああああっ!』
到底あの先生から出たとは思えない、大きな叫び声が聞こえた。
その直後、何かが爆ぜたような音が鳴り響く。
遠く離れた保健室の扉――その向こうに、わずかに赤い何かが見えた。
足を止める。
スマホを握る力を強め、私は歯を食いしばった。
『い、いやぁぁあああああああッ!』
時間差で、誰かの絶叫が響き渡る。
誰かが死んでこんなに悔しいのは始めてだった。
しかしこの世界は嘆く暇すら与えてくれない。
保健室の扉が開く。
赤やピンク、黄色に紫――様々な色が混ざりあい、管や塊が絡み合った肉の塊が、ずるずるとこちらに近づいてくる。
「……明治先生の
人の中身は醜くく汚い。
どれだけ美しい心を持っていようと、どれだけ正しい行いをしようと。
そんなもので抱きしめたところで、誰かの寂しさなんて埋められるはずもない。
私はそう思うよ、先生。
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