第28話 不平等共存

 



 逃げ込んだ教室が偶然にも“まともな”形をしていたのは、犬塚さんにとって幸運だったかもしれない。


 運が悪ければ、腐敗した世界に落ちてそのまま死んでいたかもしれないからだ。


 もっとも、それは元から存在した教室ではなく、床は不規則に波打ち、並んだ椅子と机が前衛芸術のように曲がりくねった、異様な空間ではあったが。


 そんな部屋の隅っこで、彼女は膝を抱えて震えているのだろう。


 外には三体のゾンビの姿があった。


 彼らは恨めしそうに「あ゛あぁぁぁあ……」と呻きながら、その腕や体で扉を強く叩いている。


 ガン、ガン、ガン、と教室に音が響くたびに、犬塚さんの体は強張り縮こまる。


 力を得た彼女なら、ゾンビの相手ぐらいはできるはずだ。


 しかしすでにその手足には噛まれた痕があり、おそらく自由に動かすことができないのだろう。


 紫色の痣はじわじわと広がっていき、体は死体のように冷めていく。


 待っていればじきに絶命して、自分たちの仲間入りをする――だが三体のゾンビは、それを許さないと言わんばかりに扉を破壊した。


 自分たちを盾にして逃げ出した犬塚さんに、よほど恨みがあるのだろう。


 そしてついに扉は壊れ、ばたんと教室の中に倒れる。


 叩きつけられたガラスが割れて飛び散ると同時に犬塚さんは顔を上げた。




「私が……何をしたっていうのよぉ……! 私は悪くないのにぃ! 当然のことをしただけなのにぃっ、どうしてこんな目にいぃぃぃ!」




 涙を流しながら首を横に振る。


 もはや、その手に握られた鞭を振るう力も残っていなかった。


 それにしても、死を目前にして発する言葉が『私は悪くない』だなんて、よほど悪いことをした自覚があったんだろうね。


 私は物陰から教室の前に移動し、彼女の死に際の姿をじっくりと観察する。




「何よその顔はぁ。恨んでるの? 私を? 違うでしょうがっ!? 悪いのは倉金よぉ! 嘘をついた倉金がっ! 私のせいじゃないっ! 私のせいじゃないっ! 私のせいにするなら死ねえぇぇえっ!」




 吹っ切れたのか、座ったまま鞭をぶんぶんと振るう犬塚さん。


 しかしその狙いは甘く、せいぜい一年生たちの腕を一本落とすのが限界だった。


 あっという間に彼らは犬塚さんに掴みかかり、大きく口を開いて体に食らいつく。




「いやあぁぁあああああっ! 離してっ、離せえぇえっ! 誰かっ、倉金っ、そうよ倉金がッ――ああぁぁあっ、ぎっ、ぎゃあァァっ! がっ、お、おごっ、やめっ……たすけ、ママっ、ひぐうぅぅうっ!」




 ぐちゃぐちゃ、ぶちっ、とゾンビたちは大喜びで彼女の肉を貪った。


 たまにゴリゴリと聞こえてくる音は、骨ごと肉でも食べようとしているのだろうか。


 溢れ出した血が床を汚し、人間の中身の不快な匂いが教室の外にまで漂ってくる。


 最初こそうるさかった犬塚さんの声もやがて聞こえなくなり、くちゃくちゃという咀嚼音だけが残った。


 死の間際の命乞いは聞いていて心地よい。


 けれどその後に訪れる静寂は、寂しさすら感じられる。


 もうこれ以上、犬塚さんの命を弄んで楽しむことはできない――そんな寂寞感。


 でも、今は違う。


 彼女の強欲さは、自らの苦しみを死で終わらせないことを選んだ。




【キュアLv.3】


【残りスキルP:5】




【リザレクションLv.1 消費MP:40】


【パーティメンバー1名を蘇生する】


【残りスキルP:4】




 私が教室に入ると、ゾンビたちは立ち上がり、こちらに襲いかかってくる。


 血と臓物で口元を汚した一年生たちは、ドリーマーの一振りであっけなく絶命した。


 ギィを背負っていても、もはやゾンビはその程度の相手である。


 犬塚さんについていくという選択をしたのは愚かだった。


 でもその原因の一つに、救出した直後に私が彼らの信用を得られないような言動を見せたことがある。


 全てを彼らの罪にするのはかわいそうだから、速やかに殺して、それで終わらせてあげた。


 そして犬塚さんの亡骸の前に立つ。


 全身余すことなく食い荒らされて、悲惨な有様だった。


 よく観察してみれば、傷口が蠢きながら埋まっていっている。


 えぐれた部分は腐敗した肉となり機能を再生させ、ゾンビとして目覚めるのだろう。


 そんなことを思っていると、さっそく犬塚さんの体がビクビクと震えだす。


 白目をむき、だらんと舌を出しながら泡を吹き、全身の筋肉が不規則に痙攣を起こしている。


 やがて喉から絞り出したような「あ゛、あ゛あぁぁ」という声が漏れ出した。


 そのままむくりと上体を起こすと、私の方を見た。




「うあぁぁあ゛あぁぁあっ!」




 両手を伸ばし、こちらに倒れ込んでくる。


 しかし届かずに、床で顔を強打した。


 犬塚さんの成れの果ては、腕の力だけで私に這い寄ってくる。


 試しに頭を踏みつけてみる。


 するとそれ以上は動けなくなり、「うあぁ、あぁぁあう」と鳴きながら手足をバタバタさせた。




「ふふっ、はは……犬塚さん、かわいいよっ。あはははははっ!」




 その壊れたおもちゃのような姿に、笑いが止められない。




「犬塚さんたちは何の恨みもない私にこういうことして楽しんでたんだよね。でもね、私は犬塚さんたちに恨みがある。殺しても殺し足りないぐらいの恨みが! だから何倍も楽しいよ! ありがとう犬塚さぁんっ!」




 私は彼女に保健室でそうされたように、頭を強く踏みつけた。


 ぐしゃりと頭蓋骨が陥没する感触がある。


 ゾンビ犬塚さんの口から「ふぶっ」と何か液体を吐き出す音が聞こえた。




「あなたたちが私をいじめてくれたおかげでっ!」




 なおも繰り返す。


 どんどん犬塚さんの頭はひしゃげていって、砕けた骨で皮膚が裂けた。


 その傷口や耳の穴から、血と混ざってピンク色で半固形の何かが溢れ出す。




「私はっ、今っ、こんなにもハッピーだあぁぁあああっ!」




 さらに力いっぱい踏みつけると、犬塚さんの頭は完全に潰れた。


 同時に体がビクビクッ、と今までで一番大きな痙攣を見せ、そしてぐったりと動かなくなる。


 どうやらようやく死んでくれたらしい。


 いや、生死で言えばとっくにHP0になって死んでたから、化物として活動停止したと言うべきか。


 静かになった教室で、私はスマホを操作した。




【調教Lv.3 消費MP:5】


【この魔法を付与した状態でカイギョの壊疽を殺害することで、対象をパーティメンバーとして支配下に置く】


【融合Lv.1 消費MP:10】


【指定したパーティメンバー2体を融合する】


【残りスキルP:0】




 私は犬塚さんの亡骸に手をかざす。




「リザレクション」




 ヒーリングよりも明るい光が手のひらから放たれ、死体の胸あたりで止まった。


 光は体内に沈み込むと、彼女の腐敗した肉体や潰れた頭部を再生させ、元の姿に戻していく。


 もっとも、スマホを確認すると犬塚さんのHPは1と表記されている。


 レベル1だとHP1の状態でしか蘇生できないんだろう。


 そのせいか体の傷は完全には治癒されず、呼吸音も微かにしか聞こえない。


 私はうつ伏せになった犬塚さんの体を、足でひっくり返した。


 開かれた瞳が私を捉える。




「くら……がね……」


「おはよう犬塚さん、いい夢は見れた?」


「あんたが……あんたの、せいで……」


「違うよ、何もかも犬塚さんがやったことだよ。龍岡先輩が死んだのも、一年生たちがゾンビになったのも、全部ね」


「倉金ぇっ! ぐっ……う……あんた、私の体に何を……っ」


「何をって、1回ゾンビ化して死んでたから生き返らせてあげたの」


「いきかえ……? そ、そんなこと……」




 自分が死んだときのことを思い出したのか、犬塚さんの顔が青ざめていく。




「そんなことが……できる、の……? は、ははっ……はへへへ……わ、わかったわ……」


「何が?」


「これは夢よ……こんな、私が倉金に見下されて、助けられるなんて……現実じゃ、ありえないもの……」




 確かに、私が犬塚さんを助けるわけがない。


 よくわかってるじゃん。




「安心して、理由もなく助けたわけじゃないから」


「……なにを、しようっていうの」




 私は背負っていたギィを、犬塚さんと並ぶように優しく床に寝かせた。


 彼女の呼吸は犬塚さんに負けないぐらい浅く、小さく、今にも息絶えてしまいそうで胸が痛む。




「今から犬塚さんとギィを一つにする」


「は……? 私と、この化物、が……?」


「そう、魔法で一つにして、ギィの命を救うの。そのとき二人の意識がどうなるかはわからないけどね」


「いやよっ! いやっ……ごほっ、ごほっ、絶対に、そんなの……!」


「拒否権があると思ってるの?」




 私が歯を見せて笑うと、犬塚さんはもう逃げ場が無いと気づいたのか、瞳に涙を浮かべた。


 首を左右に振ると、その溜まった涙が雫となって溢れ、床の血と混ざり合う。




「せめて……殺しなさいよ。それで満足でしょう? 復讐ならっ、それで十分じゃないのよぉっ……!」


「十分かどうかを決めるのは私だよ。それに犬塚さんもギィと一緒になって生きていけるんだから、よかったじゃん」


「あんた頭おかしいんじゃないのっ!? そんなの良いわけがっ!」


「そりゃあおかしいよ。だってとびきりイカれた犬塚さんたちに囲まれて生きてきたんだから、私が正常だと思う!? あはははははぁっ!」




 目を見開いて絶望する犬塚さん。


 そうだよね、わかるよね、自分たちがやってきたことがそのまま返ってきてるだけなんだから。




「さあ、はじめるよ!」


「いやだぁああっ! やだっ、誰かぁっ! 集堂っ! 浅沼ぁっ! 誰でもいいから助けに来なさいよぉおおお! うっぷ、ごほっ!」


「その二人なら私が殺したよ」


「――っ、倉金えぇぇえええええええええッ!」


「くきっ、ひひゃはははっ! 融っ! ごぉぉぉおおおうッ!」




 私は最高潮に気分が乗った指揮者みたいに両手を広げて、魔法を解き放った。


 床に魔法陣みたいな図式が浮かび上がったかと思うと、二人の体も浮き上がり、近づいていく。


 肩と肩が触れ合う。


 そしてそのまま、ギィの体がぬるりと犬塚さんの中に入り込んだ。




「ひいぃぃっ!」


「ギィ、ギィ」




 ギィは心なしか嬉しそうな表情をしている気がする。


 もはや引きつった声をあげることしかできない犬塚さんの中に、ギィは容赦なく沈んでいく。


 ぼこぼこと脈打つ犬塚さんの腕――その皮膚の内側で、ギィの青い体が動いているのが見えた。


 やがてそれは全身に及び、一人分の器の中に二人分の肉が詰め込まれ、彼女の肉体は脈打ちながら醜く膨れ上がった。




「おごっ、う、ぐっ、がひいぃぃいいっ!」




 のたうち回る犬塚さん。


 しかし少しずつ少しずつ膨張は収まっており、“融合”が進んでいることが見て取れた。


 右足がにゅるりと青いスライム状に溶けたかと思えば、次の瞬間は肌色の人間のものに戻っている。


 続けて腕、体、顔と、まるで機能を確かめるように、スライムと人のパーツが入れ替わる。




「あ、頭……わらひの、あたまぁ……あがっ、く、くる、な……わたしをっ、盗らないでえぇぇえええっ――ぎゃっ」




 犬塚さんの体が大きく跳ねた。


 同時に、わずかに頭の上半分がぶくっと膨れ、そして元に戻る。


 見開かれた目は痙攣が収まると同時に閉じられ、次に開かれたとき――その瞳は深い青色に変わっていた。


 彼女は下半身をスライム状に変え、ぐにゃんと飛び上がるように起き上がる。


 その後、脚を人間の形に戻して着地すると、私を見つめて口角を吊り上げギザギザの歯を見せつける。




「ギィ、ギィ! ギシシシシッ」




 そして特徴的な笑い声を響かせたまま、私に突進するように抱きついた。




「ギィ生きてる! ギィ話せてる! エリカのおかげっ、エリカのおかげっ!」




 一瞬だけ襲われたかと思ったけど、どうやら感謝の表現だったらしい。


 私が抱き返すと、ギィはさらに私に抱きつく力をさらに強めた。


 体温は人間のものだ。


 けれど絡みつく両腕や両足に、若干のスライムっぽい柔らかさを感じる。




「ギシシシィ……!」




 まるで懐いたペットのように、私の頬ずりをするギィ。


 見た目は犬塚さんそのものだから、何だか変な気分だ。




「まず確かめたいんだけど、あなたはギィなの、犬塚さんなの?」




 ギィは私を解放すると、目の前に立って人差し指を唇に当て考え込む。




「ンー……イヌヅカギィ?」


「混ざってるじゃん」




 混ざってるんだけどね。




「イヌヅカも中にいる。でもニンゲンの魂、ちっちゃいから。イヌヅカが1なら、ギィは100ぐらい」


「そんなに差があるんだ……」


「それにエリカを傷つけるイヌヅカ、いらない。このまま食べる? イヌヅカの魂は黒いから、きっといい味がする」


「残してても影響ないんでしょ? じゃあそのままにしとこうよ。そっちの方が苦しいだろうし」


「そっか、イヌヅカは苦しんだほうがいい。エリカを傷つけたから!」


「よくわかってるね、ギィは」


「ギシシシッ」




 頭を撫でると、ギィは気持ちよさそうに目を細めた。


 本当に犬みたいだ。


 ちょっと凶暴そうだけど。




「ちなみに犬塚さんが何を言ってるかとかわかる?」


「イヌヅカ、泣いてる。体を返して、家に返してって言いながら泣き叫んでる」


「ふふっ、らしくないね。まるで普通の女の子みたい」


「でもイヌヅカはおかしい。この体はアタシのもの、人間に扱えるものじゃない」




 そう言って、ギィはでろんと青い舌を伸ばし、さらに手足をスライム状に変化させた。




「いいなあ、その体。便利そう」


「アタシ、この体でエリカの役に立つ。エリカに恩返しする」


「ありがと。でも犬塚さんの声が常に聞こえるってうるさくない?」


「問題ない」




 人の顔になったことで、ギィの表情はさらにわかりやすくなった。


 人間でいうところの“正気”を宿していない瞳。


 捕食者の欲望を隠しもしない口元。


 まさにお手本のような“悪い笑顔”だ。




「人間の悲鳴はおいしい。黒い魂だから余計に。生きた餌箱が体の中にあるようなもの。ギシシシッ」




 ギィのあまりの頼もしさに、私は思わず頬を緩めた。



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