第27話 倫理無き追撃
龍岡先輩の姿は見えなくなったが、断末魔はそのあとしばらく聞こえていた。
だがそれすら消えると、あとはぐちゃぐちゃと何かが咀嚼する音だけが響く。
令愛は思わず口で手を覆ってえづいた。
私が隣に寄り添うと、彼女は胸に顔を埋める。
龍岡先輩は気に食わないけど、あの音を聞いて気分を害す理由はわかる。
死んでも構わないと切り捨てる感情と、そのグロテスクな死に様を楽しめるかどうかは別の問題だ。
「先生……あんたそこまで……」
明治先生は、自らの手で龍岡先輩を殺した。
島川くんは少なからずショックを受けたようで、呆然と彼女の背中を見つめている。
先生は振り向くことなく、龍岡先輩の消えた廊下をじっと見つめながら語った。
「わたし、最初から知ってたのよぉ。龍岡くんがぁ、七瀬さんや優也くんをいじめた首謀者の一人だったって」
それでも命を見捨てるほどではない。
そう考えるだけの常識が明治先生にあったのだろう。
彼女は、一見すると無責任で雑な教師に見えなくもない。
しかし実際はいじめられた生徒たちを保健室に匿って、その世話をしていた献身的な教師だった。
そんな人間だからこそ、こんな異常な学校の中では、“諦めた”ように振る舞うしかなかったのかもしれない。
「なんでそれを言わへんかったんや」
「言ったところで殺すわけにもいかないでしょう? 結果的にはこうなったけどぉ」
「せやけど……」
「島川くんは優しすぎるわぁ。でも優也くんもそうだった。あんなケダモノたち相手に、言葉が通じるわけないのにねぇ」
明治先生は扉の前を離れると、デスクの前のチェアに深めに腰掛ける。
彼女の言っていることはよくわかる。
あいつらと対話しようなんて、やるだけ無駄なんだ。
彼らにとって私はすでに人間ではないのだから。
「七瀬さんが自殺する前にねぇ、わたしぃ、見ちゃったのよぉ。七瀬さんがあのクラスの生徒たちに襲われるとこぉ」
「襲われるって……先生、それは……」
令愛は顔をあげ、恐る恐る尋ねた。
明治先生ははっきりとは言わなかったが、その答え代わりと言わんばかりに苦笑いを浮かべた。
「しかも放課後とは言え、場所は校舎の玄関よぉ。あんな場所で堂々と七瀬さんは傷つけられてぇ、それを助けようとした優也くんもボコボコにされてぇ」
「それを……明治先生は見とったんか」
「ええ、見てることしかできなかったわぁ……怖かったのよ。助けないとって思っても、体が動かなかったのよねぇ……」
彼女は強い後悔を言葉ににじませる。
だが――いくら教師とはいえ、彼女は女性だ。
男子高校生の群れを一人で止められるほど強くはない。
「会衣が思うに、他の先生に助けを求めた方がよかったと思う」
「それができる学校だったらよかったんだけどねぇ」
「戒世教だね」
「そのとおりよ、倉金さぁん。結局、それがきっかけで七瀬さんは自殺しちゃってぇ、その変わりに優也くんがいじめられるようになってぇ……そして」
そこで言葉を止める明治先生。
島川くんはぎゅっと拳を握りしめ、彼女に問う。
「まさか……叔父さんと叔母さんが死んだことにも、関係しとるんか」
「証拠は何も無いわぁ。でも優也くん言ってたのよぉ、『火元は家の外だった』って。なのに最終的に家の中から燃えたことになってぇ、あの火事は事故として扱われたわぁ」
「それも情報操作されて、隠蔽したんか……人が二人も死んどるんやぞ!?」
「つまり龍岡先輩を含む同じクラスの人間が、島川優也の家に火をつけた、と」
私の言葉に、明治先生はゆっくりとうなずく。
そして島川くんはがくんと膝をついて倒れ込むと、廊下にまで響く声で嘆いた。
「兄貴は……そこまでされて、何で一人で苦しんでたんや。なんで俺に相談してくれなかったんやッ!」
「巻き込みたくなかったのよぉ」
「だったら、兄貴は誰に助けを求めればええんや! 永遠に……殺されるまで、一人で苦しむしかないやんか……!」
島川優也が頑なに一緒に暮らそうとしなかった理由も、そこにあったのだろう。
本当は、島川くんがこの学校に入ることも反対だったに違いない。
実際、こんなことに巻き込まれてるんだから、島川優也の判断は正しかった。
「もはやただの殺人ね。第一、七瀬って子が襲われた件も含めて、どうして誰も知らないのよ。大事件じゃない」
「
「何が?」
「光乃宮学園の権威を保つ――なんて理由にしてはやり過ぎだものぉ。儀式のためぇ、生贄を生み出すためにぃ、みたいな理由がないとここまでしないと思わなぁい? 龍岡くんは荒唐無稽だって言ってたけどねぇ」
「あいつも知ってたんかもしれへんな」
「どうかしらぁ。でも龍岡くんたちはぁ、担任の
「うちの担任の大木も、犬塚さんたちと仲良かったんだよね。私を傷つけるほど褒めてたよ」
「褒めるって……そうやって学校で起きてるいじめを悪化させてたっていうの? その、依里花たちを、生贄にするために……」
「他にも色々手段はあるんだろうけどね。そういうこともやってたんじゃないかな」
これまでは私だけが被害者だと思っていた。
でも学校全体となると話は変わってくる。
元から教師たちは敵である可能性が高いとは思ってたけど、これでほぼ確定したわけだ。
「要は兄貴も七瀬さんも倉金先輩もっ、みんなこの学校の被害者っちゅうことやないか。何なんやここは、何でこんな学校が存在してるんや! クソッタレがッ!」
島川くんは苛立ちをぶつけるように、近くにあった棚を蹴りつけた。
ガンッ、という音が虚しく静かな廊下に響く。
いつの間にか外からは咀嚼音も聞こえなくなっていた。
◇◇◇
それから誰も口を開くことのない、静かな時間が続いた。
島川くんは複雑な心境のようだが、明治先生は何かから解放されたかのような、穏やかな表情で天井を見上げていた。
当然、私は犬塚さんがいなくなって清々している。
まだ少し気分が悪そうな令愛を背後から抱きしめながら座り、ときおりスマホを眺めていた。
「犬塚さん……まだ生きてるの?」
「どっかの教室でぐるぐる動いてるね。逃げ込んだのかな」
「聖域を作れるなら生き延びるんじゃ……」
「それは無理。レベルが上がっても私のスマホがないとスキル覚えられないから」
あらゆる意味で詰んでるんだよね、犬塚さん。
あとは放っておいてもそのうち死ぬとは思うけど――私はベッドで横たわり、苦しげにあえぐギィを見つめる。
「ギィがどうかしたの?」
「最初と予定は違うけど、もう一段階犬塚さんを追い込んでもいいのかなって」
私は犬塚さんが苦しむ様を直に見たわけじゃない。
そろそろ観察しにいくつもりではあるけど、少し物足りなさを感じていた。
「依里花、嬉しそう」
「顔に出てた?」
「うん、ばっちり」
「はは、仕方ないよ。あれだけ見事に自滅してくれたんだから、笑わずにはいられないって。令愛はそういうの嫌だったかな」
「んーん……正直なことを言うと、あの人がいなくなって安心してる」
それでもまだ表情が少し暗いのは、人の死に対し、安堵という感情を抱く自分をまだ飲み込みきれていない――そんな感じだろう。
私は令愛の首に触れる。
「んひゃっ」
「ごめん、くすぐったかった?」
「う、うん……いきなりだったから」
「犬塚さんが令愛を人質に取る可能性があるのはわかってたんだ」
懺悔するように、彼女に告げる。
犬塚さんを破滅させられるなら、どんな方法でも使うつもりだった。
でも令愛が傷ついたとき、私は自分で思ってた以上にモヤモヤして――どうせ後で治せるとか、いつでも助けられるから絶対に殺せないとか、そんな免罪符を貫いて、罪悪感が湧いてくる。
すると彼女は、首に触れる私の手に、自らの手を重ねた。
「あれぐらいどうってことない。それに、依里花はあたしのこと守ってくれてたよ。それ以上やったら絶対に許さない、って顔してたもん」
「……そっちも顔に出てた?」
「うん、あたししか気づいてなかったみたいだけど。だから強気になっちゃって、無駄に犬塚さんを煽っちゃった。要するに、あの怪我は自業自得なの」
確かに、首にナイフを突きつけられているというのに、令愛は無謀にも犬塚さんに逆らった。
あれが無ければ無傷で解放されたかもしれない。
……と言っても、やっぱり納得できない部分はあるわけで。
「次にああいうことがあったら、今度はもっとうまくやるから。絶対に令愛は傷つけさせない」
「むしろあたしを使っていいんだよ?」
「これは私の復讐だから」
「私はもう、“犬塚さんが死んでよかった”って思っちゃうところまで依里花に踏み込んでる。いっそ共犯者として使ってもらったほうが吹っ切れるのに」
令愛は重ねた手の指を絡め、きゅっと握る。
手のひらの薄い皮膚に彼女の指の感触を感じ、甘いこそばゆさにゾクリと背筋が震えた。
ああ、確かに――私たちは互いに沈み込んでいるのかもしれない。
あと少しで、抜け出せなくなるところまで。
「そういえば依里花、さっきパーティがどうこうって言ってたけど……あれって要は、ゲームとかで聞くパーティと同じだよね?」
これ以上、体温だけを感じる沈黙が続くと、加速する鼓動で心臓が破裂してしまいそうだった。
話題が変えてくれるのは助かる。
「たぶん。それを模して作ったんだろうね」
「じゃああたしも依里花と一緒に戦えるってことなの?」
「んー……まあ。真恋と一緒にいた日屋見さんが、それで力を手に入れたみたいだから」
「あたしも戦いたい――って言おうと思ったけど、もしかして乗り気じゃない?」
「まあね。このシステムを完全に信用しきってないっていうか……」
ふと、牛沢さんがこちらを向いていることに気づいた。
そういや彼女も誰かと会うために生き延びたい、とか言ってたっけ。
確か
「たとえば、ここにリザレクションってスキルがあるでしょ?」
私は令愛にスマホの画面を見せながら説明をする。
「うんうん」
「これパーティのメンバーを生き返らせるっていうスキルなんだけど……」
「死んだ人が生き返るの?」
「パーティに入ってたらね。でもそれって――胡散臭くない?」
「うーん」と顎に手を当て考え込む令愛。
「確かに、代償とかありそうだよね」
「他にもこういうスキルがあるんだけど」
私は別の、少し前から目をつけているとあるスキルを令愛に見せる。
その説明文を呼んで、彼女は「え……」と困惑する。
「え、えっと、これって……その、一つ前のスキルで捕まえた化物のことなんじゃ」
「でも文章にはパーティのメンバーって書いてある」
「……それを人間に使ったらどうなるの?」
「さあ? でもひょっとすると、これでギィを助けられるかもしれない」
「ギィを? でも、ギィが元気にならない原因はこの世界に食べ物がないからだよね」
「食べられるようにしたらいい」
「で、でも一体誰を――あ」
「おあつらえ向きにいるんだよ。ちょうどいい
ごくりと、令愛は喉を鳴らし唾を飲み込んだ。
そして振り返り、私の顔を見つめる。
『本当にやるの?』と、眼差しには恐れが混ざっていた。
私が笑顔で『やるよ』と返す。
きっとそこまですれば、私はお腹いっぱいになれるから。
何よりも、それでギィが助けられるのなら一石二鳥だ。
私は立ち上がり、令愛の元を離れると、ベッドに横たわるギィに声をかけた。
そして今からやることを全て彼女に話す。
確実性はない。
リスクだってある。
しかしギィはその話を聞くと、またあのときの悪そうな笑みを浮かべ、大きくうなずいた。
どうやら
ならば心配は必要ないだろう。
彼女の体を背負うと、保健室の入り口に向かう。
「どこに行くのよ」
巳剣さんが私を呼び止める。
「犬塚さんに会いにいこうと思って」
「……また何か企んでるのね」
「そうだよ。さっきも言ったように、私はパーティシステムを使って仲間を増やすことができる。っていうか、少しでも戦力がほしいから本当は増やしたいんだよね」
「だったら仰木さんと組めばいいじゃない」
「そうできない理由があるの。令愛だけじゃなくて、他の人にもパーティに入ってほしいと思ってる。ここに残ってる人から裏切る心配も無いだろうから。みんなだって戦う力があったほうが安心でしょ?」
「それはそうでしょうけど……」
「会衣も戦いたい。そっちの方が、生き残る確率も上がると思う」
「でもこの仕組みって、ただ力を貰えるだけの都合のいいものじゃないみたいでさ――」
彼らは裏切らなかった。
その選択に敬意を表し、騙すような真似はしたくない。
日屋見さんが真恋の“スレイブ”になったのは、二人に信頼関係があったからだ。
ここにいる人たちとの間に、あの二人ほどの繋がりがあるかというと、答えは明確に“ノー”だから。
「今から私がやることをちゃんと見た上で判断してほしい、本当にパーティに入るかどうか」
そう言い残して、私は保健室を出た。
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