第26話 愚者の選択

 



 人質にされた令愛を見て、私はふと思う。


 ああ、そっか、周囲から見ても彼女はそんな存在に見えてたんだな、と。




「嘘だと思う? 残念ね、人間未満とつるんでるんだもの、私はこの女のことを人間だとは思わない。いくらでも殺せるわ!」




 龍岡先輩と違って、犬塚さんが刃物を持つ手は震えていない。


 彼女は見下した人間を簡単に殺せる。


 それは口だけではなく、行動にも現れていた。




「犬塚さん、大きな勘違いをしてる」


「何よ」


「令愛が人間未満に見えるとしたら、それは逆に犬塚さんが人間未満なだけだよ。令愛は立派な人だから」


「倉金ェェェエエッ!」




 犬塚さんは、私が喋ると倉金って叫ぶおもちゃみたいだ。


 でもこれで、彼女の怒りは完全に私に向いたはず。




「龍岡、足か手でも刺しなさいッ!」




 よしよし、それでいい。




「痛い目を見れば減らず口を叩く余裕も無くなるわ!」


「し、しかし……」


「やれっつったらやれよぉッ!」




 クラスメイト仕込みの恫喝に、龍岡先輩は冷や汗を垂らしながら従うしかない。


 彼は震えた手でナイフを振り上げ――逃げようと思えばここで逃げられるんだけど――そのまま二の腕に向かって振り下ろした。


 刃は皮膚に沈むことなく、ぐにゃんと曲がってパキっと折れる。




「あっ」




 あはは、刺さるわけないよね。




「“あ”じゃないわよ、“あ”じゃ! ちゃんと刺せよ役立たずッ!」




 犬塚さんがパワハラ上司に見えてきた。


 そういうの似合いそう。




「まあいいわ、どうせこの女が人質になってれば、あんたは身動き取れないでしょう?」


「力を渡せば令愛を解放してくれるの?」


「ええ、ホントは罪の無い子を殺したくなんて無いもの」


「依里花、それはダメっ!」


「黙りなさいよ八方美人の偽善者が!」


「う、ぐ……っ」




 拘束する腕に力を込める犬塚さん。


 それはムカつくなぁ。




「どうせあんただって、倉金みたいに恵まれない子に優しくして、いい子ちゃんに見せたいだけなんでしょうが!」


「……かわいそうに」




 令愛は、心底憐れむように言った。




「は?」




 犬塚さんはわかりやすくキレて、ナイフを押し付ける手に力を込める。


 ……令愛、気持ちは嬉しいけど、それはちょっとまずいかも。


 いつでもスキルで犬塚さんの頭を吹っ飛ばせはするけどね。


 仮に本気で令愛を殺すようなことがあれば、その時は仕方ない――彼女は私の手で殺す。




「そんな……打算だけでしか、他人と一緒に生きていけないの? あたしは、依里花のことが好きだから一緒にいるだけだよ」


「は――はははははっ! 好きぃ? あの倉金をぉ!? あんたゾンビより脳みそ腐ってるわ、ゴミ! 生きてる価値無し! 終わってるぅ!」




 令愛はさらに視線の温度を下げ、軽蔑するような目で彼女を睨む。


 私もさすがにここまで醜いと、直視するのがちょっと辛くなってきた。




「目を背けるな倉金ぇ! とっとと私に力をよこしなさいって言ってるの。できるって言ってたわよね?」


「できるけど、そのスマホが無いと無理」


「お、おい倉金先輩、ほんまに渡すつもりなんか!?」




 慌てた様子で口を挟む島川くん。


 そりゃあ彼らにとっても命に関わることなんだから、文句の一つぐらい出てくるだろう。




「そんなやつに力を渡してもうたら、あんた殺されてまうで!」


「逆らったって誰かが死ぬのに変わりは無いから」


「せやかて、そんな……」


「会衣、死にたくない……まだ死ねない……」


「死にたくないなら私に従うことね。今日から私があなたたちを管理し、支配してあげるわ。安心して、逆らわなければ命は奪わないから!」




 偶然にもスタンスは私と一緒らしい。


 “逆らう”の範囲がめちゃくちゃ広そうだけど。




「スマホが無いと渡せないって言うんなら仕方ないわね、返してあげる。ただし、少しでも妙な素振りを見せたら――わかってるでしょうね」


「う……うぅ……依里花ぁ……」


「令愛、泣きそうな顔しないで。犬塚さんの性格の悪さは十分わかってるから私は平気」


「もう負け惜しみにしか聞こえなくなってきたわ。ほら、受け取りなさい」




 犬塚さんは私の顔めがけて、乱暴にスマホを投げつける。


 それを掴み取った私は、パーティ画面を開いた。


 そして犬塚さんをパーティに加入させる。




「……何か頭に響いてきたけど?」


「力を渡すか渡さないかの確認。はいって答えて」


「本当でしょうね」


「これが信用できないなら何も進まない」


「私は仰木令愛を本気で殺すわよ。できないと思わないことね」


「無実の他人を殺せるぐらい頭が腐ってることは知ってるって。いいから早くやって」


「ゲロ以下のカスが……はい、承諾するわ。これでいいの?」




 パーティメンバーに犬塚さんが加わる。


 これで、彼女にもステータスの概念が加わり、肉体が強化されるはずだ。




「――ん? 体が急に軽くなったような。ははっ、あはははっ、すごいじゃない倉金! 本当に渡してくれたのね! じゃあそのスマホも返しなさい、私がありがたく使ってあげるから」




 スマホを犬塚さんに投げ渡す。


 彼女は向上した身体能力を見せつけるように、それを顔の目の前でカッコつけて受け取った。




「すごい、すごいわこれ。あのゾンビも簡単に倒せるだけの力があるってわかるもの!」




 犬塚さんは、令愛を突き飛ばすように解放した。


「きゃっ」と倒れ込む彼女を、私は受け止める。




「依里花、本当に……」


「大丈夫」




 私は抱きしめたまま、ぽんぽんと令愛の背中を叩いた。


 すると犬塚さんが私の前に歩み寄ってくる。


 嫌な予感がして、私は令愛と離れた。




「くーらがーねちゃーん、あーそびーましょー」




 気持ち悪い声でそう言うと、直後に犬塚さんの蹴りが顔に飛んでくる。


 私は特にガードせずに大げさに吹っ飛んで、床を転がった。


 さらに、犬塚さんは倒れた私の顔を何度も強く踏みつける。




「よくもっ! 私にっ! あんなことができたわねクソ金ッ! ちょっと力があるからって調子に乗りやがって! 身の程を知れ! 這いつくばって床でも舐めてろ! ナメクジ以下の汚物女があぁぁぁああッ!」




 そして人が変わったように叫びながら、ひたすらに私を蹴りつける。


 よっぽどストレスが溜まっていたんだろう。


 ほんのあれだけで、ここまで怒り狂えるというのは才能だとおもう。


 どれだけぬるま湯で生きてきたんだろう。




「ふうぅぅ……まだ足りないわ。足りないけど、残りは化物たちに頼みましょう。大事なのは私たちが生き残ることだものねぇ。そうよね、龍岡」


「その通りです……」


「龍岡先輩、あんた犬塚に付いたんか。こないな女に、しかも後輩の足を舐めて生きてくつもりなんか!」


「仕方ないでしょう、これが正しい道なんです! 倉金くんのように狂った女についていくことはできません!」


「狂ってるのは龍岡くんたちの方じゃなぁい? 自分の罪から目を背けるために他人を利用してるわよねぇ」


「戒世教だの生贄だの、明治先生の荒唐無稽な話にはもう付き合えないのですよ!」




 龍岡先輩は必死で言い訳をまくしたてる。


 荒唐無稽って言うんなら、この世界自体の方がよほどそうだと思うけど。


 っていうか龍岡先輩が犬塚さんに付いてくのを決めたのって、単純に“気が合いそう”だからでしょ?




「ってなわけで、私たちはこの保健室を出て、拠点を別の場所に写すわ。死にたくない人間は付いてきなさい」


「会衣はあなたになんかついていかない。誰よりも信用できない!」


「あらそう、だったらここで死ねばいいわ。聖域展開、解除!」




 ――聖域展開、解除。


 保健室を守っていた結界が消え、化物たちがフリーパスになる。




「う、嘘やろ……本当に解除したんか?」


「もちろん」


「どうしてそんなことができるの!?」




 抗議の声をあげる令愛たちを、犬塚さんは嘲笑する。




「当たり前じゃない、私に従わない人間なんて死んで当然だもの。ほら、死ぬのは嫌なんでしょう? だったら私の下僕になりなさいよぉ! 今までの無礼な行いを心から謝罪して、土下座したら連れて行ってあげないこともないわ!」




 犬塚さんは、常に仲間を探したがる。


 要は自分だけでは弱いことを知っているのだ。


 成績も別にいいわけじゃないし、性格だって良くない、外見だってほどほど。


 そんな彼女がクラスカーストで上位を保てていたのは、その人脈のおかげなのだから。


 集堂くんや浅沼くん、その他の“強い”男子の存在をちらつかせつつ、他の女子をそのグループに巻き込んで取り巻きにする。


 そしていざというときは、取り巻きを切り捨てて壁として利用することで自分だけが生き延びる。


 今は集堂くんたちのような“後ろ盾”が無い。


 だから私の力を求めた。


 その力でみんなを脅して、仲間に引き入れようとする。


 けど付いていった人たちの運命は誰の目にも明らかだ。


 犠牲。生贄。人間の盾。


 そういうものに使われる定めなのだ。




「……そう、誰も私に従わないって言うのね。牛沢、島川、明治、仰木――それと巳剣まで。呆れた。もういいわ。自分たちの頭の悪さを嘆きながら、あの腐った死体どもに食われて後悔の中で死んでしまえ! あはははははっ!」




 捨て台詞を残して、結界を失った保健室を出ていく犬塚さん。


 一年生三人もその後ろをついていき、最後に龍岡先輩が私たちの身を案じるような気持ち悪い表情でこちらを一度見て、退室した。


 バタンと扉が閉められると、静寂が訪れる。


 へたり込んでいた令愛は、四つん這いで這いずるように私に駆け寄ってきた。




「依里花、顔は大丈夫? 痛くない?」


「平気平気」




 私は笑いながら、むくっと上半身を起こした。


 思ったよりもダメージの無さそうな姿を見て、首を傾げる令愛。


 というか私なんかより、彼女の首元に残った傷のほうが痛々しい。


 令愛の首元に手をかざし、ヒーリングで癒やす。




「あれっ? 今のって、魔法……?」


「痛い思いさせてごめんね」




 一方、島川くんは立ち上がると、部屋にある棚を押して動かしはじめた。




「何してるの、島川くん」


「バリケードを作るんや。結界が無くても、姿さえ見つからなければ少しぐらいは生き残れるやろ。倉金先輩も手伝ってくれへんか」


「会衣もやる」


「必要ないよ二人とも」


「はぁ? 何を言っとるんや。このまま死んでもうたらあいつらの思う壺やんけ!」




 どんなに絶望的な状況でも、島川くんは諦めようとしない。


 尊敬に値する人物だと思う。


 そんな彼が兄貴と慕う島川優也も、さぞ優れた人物だったんだろう。


 島川くんが犬塚さんについていかなくてよかった、と心から思う。




「俺は生き残るんや。兄貴だって――まだ助ける方法があるかもしれへんからな!」


「会衣も……会衣も、緋芦ひいろに生きて会いたいから」


「島川くんも牛沢さんもあんなに一生懸命なんだしぃ、倉金さん、そろそろネタバラシしていんじゃないかしらぁ」


「ネタバラシって何のことや?」




 あ、明治先生も気づいてたんだ。


 そうだよね、普通に考えたらあんな簡単に力を渡すわけないもんね。


 てかそもそも、人質を取られてたとしても、スキル使えば簡単に助けられるし。


 もう犬塚さんたちも離れた頃合いだし、言っちゃっていいか。


 そう思って私が口を開こうとしたら――




「……倉金さんは犬塚さんに力なんて渡してないのよ。そうなんでしょう?」




 先に巳剣さんに言われてしまった。


 彼女、もしかしたら犬塚さんについていくかもって思ってたんだけど――そっか、気づいてたから黙ってたんだ。




「ど、どういうこっちゃ」


「手に入れた力の中に、パーティシステムってのがあってね。簡単に言うと、私と同じ力を他の人に分け与えることができるの」




 軽く念じると、私の手元に光の粒子が集まり、スマホを形作る。


 もしこのスマホを捨てたらどうなるのか――すでに外で実験済みだ。




「じゃあ犬塚さんは依里花から力を奪ったわけじゃなくて、そのパーティに入っただけだったの?」


「そういうこと。よくわかんないのに私の口車に乗っちゃうんだから、犬塚さんも浅はかだよねえ。肉体の強化も、パーティから脱退させるのも、ぜーんぶ私次第だし、パーティメンバーの居場所も全部把握できる優れものなんだ」


「聖域が消えて会衣たちがびっくりしたのは……」


「あれも犬塚さんに合わせて私が機能を消したの。すぐ戻せるからね」




 おかげで、犬塚さんはまんまと自分がやったと思いこんでたわけだ。




「要するに倉金先輩は、犬塚が裏切るってわかっとったんか?」


「ああいうタイプの人は行動が読みやすいから。一応、できるだけ早く裏切るようにストレスは溜めておいたけどね」


「じゃ、じゃあいきなり刺したあれも……そういうことなの?」


「あれは半分ぐらい個人的な恨み」




 あの時の犬塚さん、さすがに調子に乗りすぎてたし。




「復讐のためとはいえ、回りくどいことをするのね」


「裏切りそうな人を残しておいたら、後で厄介なことになると思って。巳剣さんは残っててよかったね」


「あなたのタチの悪さも、犬塚さんの性格の悪さも知ってたもの」




 仮に犬塚さんの作戦がうまくいったとしても、ついていった人に碌な未来は無いもんね。


 彼女が他人を守るために行動するとは思えないし。




「その感じだとぉ、龍岡くんがついていくことも計算済みだったのねぇ」


「あの人はそういうタイプの人間だから」


「自分で手をくださずに二人まとめて処分するなんてぇ、効率がいいわねぇ」


「処分なんて人聞きが悪いよ明治先生」


「もし、犬塚さんに会衣たちがついていってたら……?」


「見捨てるよ」




 びくっと体を震わせ怯える牛沢さん。




「でも付いていかないでしょ? あっちに行った人たちはみんな、以前から私に悪意を向けてる人だったし」




 一年生三人組も、第一印象が悪かったのかな……それとも元からの性分なのか、龍岡先輩のほうを信頼してたみたいだし。


 そのせいか、助けたのは私なのに、ほとんど話そうとしなかったもんね。




「一年生たちは残念だったけど、犬塚さんを選んだのは彼ら自身だから。もう後戻りはできない」


「依里花、出ていった人たち……どうするの?」




 令愛は心配そうに――だけど答えをわかった上で、そう聞いてきた。


 だから私も気兼ねなく答えられる。




「さっき言ったとおりだよ。見捨てる」




 ばっさりと切り捨てる。


 助ける義理なんて無い。


 いや、むしろ助けて調子に乗らせれば、あいつらはまた似たようなことを繰り返す。




「こうして生きてるからいいものの、もし犬塚さんの行為が成功してたら、私たちは殺されてたんだよ? そんな奴らに優しさなんて与える必要は無い。犬塚さんたちは、勝手に裏切って、勝手に破滅して、勝手に死ぬの。ちょっとかわいそうだとは思うけど」




 本当はかわいそうとすら思ってないけども。


 むしろ逆だ。


 滑稽だと思う。


 私の手のひらの上で踊った挙げ句、普通より何倍も苦しんで死ぬんだから。




「ああ、かわいそう、かわいそう。本当にかわいそう。ははっ、犬塚さんってばかわいそうっ!」




 しまった、つい笑ってしまった。


 でも仕方ないよ。


 だってあの犬塚さんの人生が詰んじゃったんだもん。


 あとは壊れていく様を見ていくだけだなんて、こんなに楽しいアトラクション他には無い。


 私はうきうきをおさえられず、スマホで地図を見た。


 犬塚さんの位置を示す光の点が、廊下のある地点を右往左往している。


 私はその画面をみんなに見せつける。




「みんな見て、さっそく犬塚さん動きが止まってる。きっと化物に襲われてるんだね!」




 頑張れ化物。


 犬塚さんを殺さない程度に苦しめてあげて。


 できるだけ恐怖を与えるやり方で噛みちぎってあげて!




「レベル1で外に出たところで、倒せるのはゾンビとゾンビウルフぐらいだもん。犬塚さん、どうするつもりなのかなぁ。あの程度の力じゃ複数人を守りながら戦うのは難しい。もう誰か死んじゃったのかなあ。犬塚さんも噛まれてゾンビ化が始まってたりして! かわいそうに、かわいそうに!」




 浮かれてるのは私だけ?


 ううん、違う。


 だってここにいるみんな、犬塚さんのことが嫌いだったはずだから。


 だから誰も『助けにいくべき』って言葉に出さないんだ。




「あっ、ついに犬塚さん走りだしちゃった。このスピードじゃ他の人は追いつけないだろうし、もしかして見捨てられたのかな」


「倉金先輩」


「だから付いていかないほうがよかったのに。犬塚さん、どんなに親しい相手でも簡単に見捨てて自分の身代わりにしちゃうんだよ? 見る目ないなぁ、ついていった人たち」


「倉金先輩、もうそれぐらいでええやろ!」


「よくない」




 島川くんの叫びに、私は淡々と答える。




「何もよくない。ぜんぜん足りない。犬塚さんはもっと苦しむべきだし、龍岡先輩だってそう。島川くんだって勘づいてるんじゃないの? 優也先輩のこと」


「……龍岡先輩が、兄貴をいじめてた当人って言いたいんか」




 本人の反応からして、たぶんそこは間違いない。


 でも私が気になってるのは、それとは別の部分だ。




「それだけで済むのかな」


「どういうことや」


「私は当事者じゃないから詳しくないけど、明治先生なら何か知ってるんじゃない?」




 明治先生は、明らかに何かを知っている顔をして黙り込んでいだ。


 しかし私が話を振って数秒間を置いてから、口を開く。




「私だって証拠とか持ってるわけじゃないわよぉ。でも……」




 細めた瞳に憎悪を宿し、心の淀みを吐き出すように。




「龍岡くんは死んだほうがいい人間だと思うわぁ」




 たぶんそれは、大人の事情なんて気にしない、正真正銘の本音だった。


 一体彼女は何を見てきたのか――その言葉に込められた憎しみの強さに、保健室の温度が一気に下がったように感じた。


 島川くんも、何も言えずに見開いた瞳で先生を見つめることしかできない。


 そのときだった。


 急に保健室の扉が開き、誰かが駆け込んでくる。


 部屋に入るなり床に倒れ込んだ彼のすぐ後ろには、ゾンビやゾンビウルフの姿があり、バチッと結界に弾かれていた。




「はっ、はっ、はっ、はっ――危なかった……い、生きてる……僕、生きてるぅぅっ!」




 命のありがたみに涙を流しているのは、さっき私たちを裏切ったはずの龍岡先輩だった。


 私は面の皮が厚すぎる彼の前に向かい、胸ぐらを掴んで立ち上がらせる。




「どの面さげて戻ってきたんですか、龍岡先輩?」


「待ってくださぁあいっ! 謝ります、何でもしますっ、奴隷として扱ってもらって構いません! ですから、ですからお願いです、どうかここにいさせてください! お願いしますぅぅ、お願いしますうぅぅっ!」




 ぼろぼろと涙を流しながらそう懇願する姿は、プライドもへったくれもない、無様の極みだった。


 今ならここにいる全員が共有できるだろう。


 明治先生の言った、『龍岡くんは死んだほうがいい』という言葉を。




「犬塚さんは?」


「急に現れた大きな化物に襲われて、全然歯が立たなくて、それで……一年生たちを囮にして……」


「逃げたんだ」




 ほら、予想通り。


 あいつはそういう人間なんだって。


 そうやって、私に助けられる前も、親しかったクラスメイトを見捨てて一人でトイレに逃げ込んだんだ。




「僕が間違ってました。何もかも、僕が悪いんです。ですからぁ、どうか命だけはあぁ……!」


「どうするの、先生」




 私は龍岡先輩を解放し、彼の身柄を明治先生に引き渡す。


 彼女は先輩の両肩に手を置くと、そのままドンッ! と強く突き飛ばした。




「あ――」




 体力の限界を迎えていた彼の体は、無情にもバランスを崩して部屋の外へ。


 そこに待ち受けていたのは、飢えた腐乱死体ども。




「いやだあぁっ、死にたくない! 来るなっ、来るな来るな来るなあぁぁああっ! うわあぁぁあああああああっ!」




 ゾンビウルフに噛まれ、どこかに引きずられていく龍岡先輩。


 その姿を、明治先生は感情のない顔でじっと見つめていた。



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