第22話 止まらない腐蝕

 



 翌朝、私は予定よりも少し早く目を覚ました。


 といっても外の色は変わらないので、時計と体の気だるさで判断しただけだ。


 体を起こすと、保健室の入り口付近に牛沢さんと巳剣さんが立っているのが見える。




「どうしたの、二人とも……」




 目をこすりながら彼女たちに尋ねると、牛沢さんは怯えた様子で私の服をきゅっとつかむ。




「こ、これ、見てよ」




 そして巳剣さんが震えた声で外を指さした。




「あれって――」




 ぼやけていた視界がクリアになるにつれて、保健室の外の風景がはっきり見えてくる。


 そこには、部屋の目の前でたむろする十体を越えるゾンビの姿があった。


 いや、それだけじゃない。


 廊下にも、びっしりとゾンビたちがひしめいている。




「なにこれ……一晩でこんなに増えたっていうの?」


「会衣、ゾンビの声がして目を覚ましたの。そしたらこんな風になってて」


「ここには入ってきてないけど、この量……倉金さん、外に出られるの?」




 相手はザコのゾンビだ、問題はない――と言っても、さすがにこの量は多すぎる。


 すると、急にスマホが振動した。




「真恋からメッセージだ」




 画面を開くと、牛川さんと巳剣さんも一緒に覗き込む。




『起きているか? こっちの廊下の外はゾンビだらけだ、そちらはどうなっている』




 私はすぐに返事をした。




『こっちも同じ。見える限りゾンビまみれになってる』


『他に何か見えないか? たとえば新しい化物がいるとか』


『保健室からは何も。ところどころケルベロスやグールは見えるけど』


『そうか。今は麗花が教室の前のゾンビを一掃している。それが終わったら、保健室までの経路を確保するつもりだ』


『了解、こっちも1年E組に向かってみる』




 会話を終えると、私は「ふぅ」と息を吐き出した。


 声よりも文章の方が楽だけど、真恋とする“日常会話”って違和感があって肩がこる。




「外に出るつもりなのね」


「このまま放っておいたら、こいつら全員が強力な化物に変わるから。時間が経つほど私たちが不利になる」


「会衣、応援してるから。がんばれ!」




 ぎゅっと両拳を握って応援してくれる牛川さん。


 するとその声に気づいたのか、他の面々も次々と目を覚ました。


 令愛は隣に私がいないことに気づくと、すぐにこちらに駆け寄ってくる。




「何かあった……うわ、ゾンビがいっぱい!?」




 外の光景を見て驚く令愛。


 続けて、犬塚さんも違う角度からその様子を見たようで――




「うわきっも。汚いし声も不快だし、とっとと出て倒してきなさいよ倉金!」




 なにやら面倒くさいことを言っているが無視する。




「軽くパンを食べたら私はもう行くから。今日は大丈夫だと思うけど、何かあったら……ね?」


「うん、気にかけてくれてありがと。いってらっしゃい」




 令愛に背中を押されると、力が湧いてくる気がした。


 そして保健室から一歩踏み出した瞬間――ゾンビたちの視線が一気にこちらに向けられる。




「うあぁぁぁあうっ!」


「おぉぉおお……」




 腐った声をあげながら、襲いかかってくるゾンビたち。




倉金くらがね 依里花えりか

【レベル:24】

【HP:30/30】

【MP:30/30】

【筋力:18】

【魔力:10】

【体力:10】

【素早さ:12】

【残りステータスP:18】

【残りスキルP:7】


【習得スキル】

 ヒーリングLv.3

 キュアLv.1

 ファイアLv.1

 ウォーターLv.1

 聖域展開Lv.1

 デュアルスラッシュLv.3

 ソードダンスLv.1

 パワースタブLv.1

 イリュージョンダガーLv.3

 スプレッドダガーLv.1

 武器強化Lv.1




 レベル24まで上がった今となっては、もはや雑魚と呼ぶのももったいないほど脆弱な存在。


 振り払ったドリーマーの先端が触れればその頭は吹き飛び、蹴飛ばしても壁に激突して絶命する。


 保健室前にいた十体を越える群れはあっという間に片付いたが、いかんせん数が多すぎるため、その程度では気休めにもならない。




「何でこんなことに……」




 学校の生徒がこんな大量にいるはずはないし、アドラシア王国の民とも見た目が違う。


 そもそも、新たに現れたゾンビたちはどれも衣服を纏っておらず、髪の毛も抜け落ちている。


 そして全身が均一に腐敗しているという特徴があった。




「今までのゾンビとは明らかに違――っ!? ケルベロスの首っ!」




 ゾンビたちの隙間を縫うようにして、ケルベロスの首が伸びて噛みついてくる。


 とっさに飛び退くことができたけれど、数もさることながら、視界を遮っているのも厄介なのだ。


 ひとまずケルベロスがいそうな方向にイリュージョンダガーとスプレッドダガーを続けて投げる。


 ダガーは複数体のゾンビを貫通したが、すぐに別のゾンビが道を塞いでしまい、なかなか前に進めない。


 何より保健室の前には前方に伸びる廊下と右への曲がり角があり、ちょうど二つの道の合流地点になってしまっているのだ。


 そのせいで、明らかにゾンビの密度が高い。


 さらには天井をスパイダーが這い、こちらに粘液を吐き出そうとしていた。


 私はそいつに向かってファイアを放った。


 火だるまになって地上に落ちたスパイダー。


 するとその炎は、人間の脂に引火して他のゾンビに燃え移る。




「あれだ……!」




 私は後退し、スマホを取り出した。


 相変わらずその場しのぎだけど、その場もしのげなきゃポイントを貯めてたって宝の持ち腐れだ。


 持っているポイントをつぎ込んで、私は一気に魔法を強化する。




【ファイアLv.3 消費MP:3】


【火球を射出し攻撃する】




【バーニングLv.3 消費MP:6】


【指定した地点を激しく燃え上がらせる】




【ファイアウォールLv.1 消費MP:6】


【指定した地点に激しく燃え上がる炎の壁を生成し、相手の行動を制限する】




【残りスキルP:1】




 さすがに上位魔法はMP消費が多い。


 どうせ魔法を多様するんだし、今のうちに魔力も上げておくか。




【MP:58/60】


【魔力:20】


【残りステータスP:8】




 よし、これだけあれば当分はもつはず。


 それにMPの上限量が増えると、体感としてMPの自然回復量も増加してるから、使い果たしても真恋たちに合流するまでにはある程度回復できる。




「ファイアウォールッ!」




 私は前方に伸びる廊下を塞ぐように、炎の壁を生み出した。


 Lv.1とは言え、ファイアと比べると二つも上の段階の魔法だ。


 しかも魔力も強化している。


 その威力はゾンビ程度の化物なら一瞬で灰になるほどで、強引にこちらに迫ろうとしたスパイダーも、あえなく燃え尽きていった。


 視界も塞がるので、ケルベロスもうかつに攻撃できない。


 完全に廊下を封鎖できてるから、これで二つの通路からの合流は防げた。


 いつまでもつかわからないけど、今のうちに1年E組に少しでも近づく!




「バーニングッ!」




 そして続けて次の試し打ち。


 ファイアの上位魔法、“バーニング”は火球を飛ばすのではなく、前方の意識を向けた空間を突如として大炎上させる魔法だ。


 使った私が顔をしかめるぐらいの豪炎が、ゴォオッ! と音を鳴らしながら廊下をオレンジ色に染める。


 壁や天井は一瞬で黒く焦げ、中心にいたゾンビは跡形もなく燃え尽き、そして周りにいたゾンビたちは体に火を付けられ悶え苦しむ。


 そうやって動き回るうちに他のゾンビにも火が移り、またたくまに燃え移っていった。




「ごほっ、ごほっ……うえ、匂いが無理……」




 腐乱死体が焼ける匂いがあたりに充満する。


 さすがにここで呼吸するのは無理だ。


 私は一旦、その場を離れて保健室に戻ろうとした。


 だがその途中で何かに引っかかって転びそうになる。


 柔らかかったので死体でも踏んだのかと思ったけど、どんどん沈んでいくことに気づいてすぐに違うとわかった。




「床が黒くなって……あっづ! これっ、沈んだ部分が……ああぁぁああっ!」




 言葉も発せないほどの熱と痛みが襲ってくる。


 私の体は黒い沼と化した床に沈んでいた。


 HPは――【22/30】。


 ほんの数秒で8も減ってる、まだ減り続けてる!


 やっぱりそうだ、これ、沈んだ部分が溶けてるんだ!


 床についた手で引き上がろうとするけど、引き込む力の方が強くて前に進めない。




「ぎ、ぐ……何でぇっ、これなにが……ッ!」




 爪を立てると、その爪も剥がれてしまう。


 痛みに歯を食いしばりながら、私はとっさに背後を振り返る。


 燃え上がり苦しむゾンビたち。


 蔓延する煙。


 その中に、紫色に光る球体が見えた。




「そこぉっ! バーニング!」




 私はその球体に狙いを定め、バーニングを発動。


 ゴォォッ! と激しく炎が燃え上がると同時に、「アァァァアアッ!」という叫び声が聞こえた。


 そして沼が消えて、ようやく私の体は自由を取り戻す。


 しかし私の太ももから下は半分溶けた骨を残して、何も残っていなかった。


 現在のHP、【8/30】。


 結構ギリギリだったかもしれない。


 ヒーリングで治療すると、そんな状態でも体はみるみるうちに元に戻っていく。


 パーティ組んでスレイブにならなくても、十分に今の私の体も異常だと思う。


 HPは【28/30】、ヒーリングLv.3でどうやら20ほど回復するらしい。


 全回復ではないけど傷らしい傷はほとんど残っていなかった。


 立ち上がると、煙の向こうに紫の光が見え、そこから何かが飛んできた。




「バーニングの直撃を受けて死んでないっ!?」




 私は横に転がって初撃を回避する。


 だが飛んできた黒い球体はただ真っ直ぐ飛ぶだけでなく、わずかだが私を追尾しており、肩をかすめる。


 次、低めを狙ってきた弾を真上に飛んで避けると、やはり床に当たる直前にくいっとわずかに上に方向転換した。


 どうやらそういう魔法らしい。


 さっきの叫び声から察するに、魔法を使っているのは、昨日戦ったスケルトンと同じ系統の化物。


 あいつは剣で戦ってたはずだから、さらに進化して魔法を使えるようになったんだろう。


 考察をしているうちに、少しだけ煙が晴れる。


 そしてゾンビの向こう側に、体が若干焼け焦げた骨の化物が立っているのが見えた。


 ぼろぼろのローブを身にまとい、手には紫の宝石がはめ込まれた杖を握っている。


 さっきの光はあの宝石から放たれたものか。


 そう考えていると、再び紫に発光――私の足元が黒く染まる。


 またあの床を沼に変える魔法だ。


 けど今度は不意打ちじゃない。




「ソードダンスで距離を詰める――!」




 完全に床に沈む前に、スキルを使いながら前に飛び出し、敵に接近。


 まずは魔法を使った直後で無防備な頭蓋骨に一撃。


 ガゴンッ! と鈍い音とともに頭蓋骨にヒビが入る。


 すかさず背後に回って背骨を斬りつける!


 バーニングの直撃を食らってるのにまだ倒れない。


 それどころか、相手は私の次の一撃に反応するようにこちらに振り返る。


 そして3撃目を、手にした杖で受け止めた。


 再び私はスケルトンの背後に回って攻撃を仕掛けるけれど、それにも相手は反応してくる。


 こいつ――魔法を使えるようになってるのに、近接戦闘の腕も落ちてない!


 普通こういうのって、魔法使いになったら貧弱になるもんじゃないの!?


 さらに相手は、杖を手にこの近距離であの黒い弾を飛ばそうとしている。


 あの杖をどうにかしたら魔法は止められる?


 だったらここで、パワースタブを――ッ!




「づっ、おぉぉおおおッ!」




 雄叫びめいたまったく可愛くない声をあげ、杖を握る手に向かってパワースタブが放たれる。


 今――私、スキルの発動宣言をしてない。


 真恋がやってたやつ、使い方を聞きそびれてたけど、やっぱり言わなくてもできるときはできるんだ。


 具体的な方法はわかんない。


 たぶん、かなり集中してないと無理なんだと思うけど。


 こればっかりは慣れていくしかない。


 今は発動してラッキーだと思っておこう。


 おかげでスケルトンの手から杖は離れた。


 相手はよほどそれが重要な装備だったのか、私に背中を向けてまで取りに行こうとしている。


 ここで一気に畳み掛ける!




「ぶち砕けろォッ!」




 ドリーマーを両手で握り、頭蓋骨にできたヒビに向かって思い切り振り下ろす。


 すると刃はついに骨をうがった。


 私はそのまま手首をひねり、引っ掛けるようにして頭部を引き抜く。




「ふんぬうぅぅぅうっ! そりゃあっ!」




 ガコッ、と何かが外れた感覚が手に伝わってくる。


 スケルトンの頭蓋骨は引っこ抜けて、勢い余って背後に飛んでいった。


 頭が取れただけで死ぬのか――そう心配する私だったけど、




『モンスター『スケルトンメイジ』を殺害しました。おめでとうございます、レベルが25に上がりました!』




 どうやら無事に討伐できたみたいだ。


 たぶん、その前のダメージの積み重ねが効いてたんだろう。


 何とか一匹――ゾンビが初期状態の1段階目だとすると、さっきのスケルトンメイジは進化4段階目。


 そりゃあんだけ強力にもなるというものだ。


 残りMPは【36/60】。


 真恋たちと遭遇するまでに、できるだけ4段階目の化物とは遭遇したくないものだけど――




 ◇◇◇




 その後も私は、火属性の魔法を駆使して、ゾンビたちを効率的に焼き払った。


 相変わらず匂いには慣れないけれど、四の五の文句は言っていられない。


 正直に言うと、校舎まで一緒に燃えてしまわないか心配だった。


 でもそこに関しては心配はいらないようで、今のところ壁は焼け焦げるだけで済んでいる。


 そうこうして前進するうちに、さすがに雑魚でもあれだけ多いとそこそこの経験値をくれるらしく、いつの間にかレベルは27まで上がっていた。


 しかし進めど進めどゾンビは減らない。


 いや、それどころかさらに密度を増し――私はついに、その原因を探し当てる。




「やっぱり……進化した化物が原因だったんだ」




 そいつは、廊下の壁に根を張るようにくっ付いていた。


 見た目は昨日戦ったあの太った化物“グール”に近い。


 顔はある、手足も辛うじて残っている、だがその醜く膨らんだ腹は左右に大きく裂けている。


 その裂け目の中から、ずるりとゾンビが生み出されていた。


 道理で“無個性”なわけだ。


 こいつらは生徒やアドラシア王国の民がゾンビ化したものじゃない。


 この――グールマザーとか、グールプラントとか、そういう名前っぽい化物に産み落とされていたんだから。


 ただ、どうやらこの化物自体に攻撃能力は無いようで、近づいても生まれた無数のゾンビたちが襲ってくるだけ。


 でも大きな問題があって――




「この数を全部倒すのが骨が折れそうだなあ」




 こいつらが、先の廊下の壁にびっしりと張り付いているのだ。


 さらに道中には先ほどのスケルトンメイジや、見たことのない化物の姿もあり。


 一方、私の残りMPは【12/60】。




「あんま頼りたくないけど、真恋か日屋見さんが合流してくれると楽なんだけどなぁ」




 向こうも向こうで戦ってるんだろうし、期待できないけどね。


 私はため息を一つ挟んで、敵の排除を開始した。



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