第21話 あなたとの距離

 



 巳剣さんとの話を終えて令愛の元に戻ってくると、彼女はほっとしたような表情を浮かべた。


 私の存在が誰かに安心を与えていると思うと変な気分だ。




「後回しになっちゃってごめんね」


「ううん、気にかけてくれてありがと。それにさっきは犬塚さんから守ってくれたし」


「あんなに怒ってくれるとは思わなかったからびっくりしたよ」


「あたしもびっくりしたの。あんな風にかっとなるの始めてで……復讐に支配されないでとか、偉そうなこと言ってたのあたしなのにね」




 ひょっとすると、令愛はあの時の私が怖かったのかもしれない。


 犬塚さんを見れば、どうして私がそこまで復讐にこだわるのかすぐにわかるはずだから。




「迷惑、だったと思う。ごめん」




 令愛はこうして謝るけど、私は感謝してるよ。


 私の憎しみを肩代わりしてくれたから。


 高ぶる気持ちを少しだけ落ち着けることができた。




「ぜんぜん。令愛がやってなかったら私がやってたかも」




 今のところは好きなだけ調子に乗っておけ、って感じではあるけど――さすがにあのときは、犬塚さんも理性を失いすぎてたからね。


 正気を取り戻せてちょうどよかったかもしれない。




「あんなやつの話はいいからさ、令愛の相談のほうを聞かせて」


「うん……これ、見てほしいんだけど」




 そう言って令愛は私の前にスマホを差し出す。


 充電ができないので、電池残量は50%を切っており心もとない。


 その貴重な残量を使ってでも見せたいものは――メールの画面にあった。




「母? お母さんからのメールってこと?」




 その文字を読み上げると、令愛は不安そうな顔でうなずいた。


 彼女の母親は戒世教にはまりこみ、令愛を連れ去ろうとしたこともあったという。


 幼い頃に離婚しており、それからは一度も会っていないというが――




「これ、今朝のメールだよね」


「電池が無くなるからできるだけ使わないようにしてたんだけど、今朝依里花が出ていったあと、気になって通知だけ確認したの。そしたらメールが届いてて」


「内容は……『あなたが無事でよかった。すぐに会いに行くわ、待ってて』。まるで監視でもしてるような文面だね」




 あるいは、本当にどこかから見ているんだろうか。


 外との連絡はつかない。


 だがどういう仕組みか、校内の端末同士なら連絡が取れる。




「令愛の母親――いや、このメールを送った何者かは校内にいる」


「この中に!?」


「ところで、母って表示されるってことは、令愛のスマホに連絡先が登録されてるってことかな?」


「ううん、それは違って……いや、その、登録はされてるんだけど、それ知ったのついさっきで。私、お母さんの連絡先なんて知らないはずなの」


「勝手に誰かが登録したってこと?」


「学校がおかしくなる前か後かもわからない。でもここに来てから、ずっと持ってるから他の人ができるとは思えないし……怪しいと思うかもしれないけどっ、本当なの」


「そんなとこ疑ってないから大丈夫」


「依里花ぁ……」




 令愛の青ざめた顔――それは演技で作れるものではない。


 というか、戒世教の方がよっぽど胡散臭いから、それぐらいやりそうだ。


 私は彼女の言葉が事実だという前提で思考する。




「令愛の母親は戒世教の関係者だった、だよね」


「どれぐらいの地位かはわからないけど、熱心な信者だったと思う」


「そしてこの学校の教師たちはみんな戒世教の信者の可能性がある」


「学校に……潜んでるってこと?」


「教師なら、体育の授業とかで離れてる間に、令愛のスマホを触ることぐらいできるよね」


「何でそんなこと……ううん、そもそもこの学校で、お母さんに似た人なんて見たことないよ」


「同じ宗教団体の別の人が令愛に脅しをかけるために――うーん、それも令愛をターゲットにする必要無いよね。私とか真恋ならわかるけど」


「そう、そうなの。だからますます、お母さんぐらいしかこんなことする人いないんじゃないか、って」




 これは……難しいなあ。


 解決なんて当然無理だけど、令愛に『大丈夫』と言ったところで、具体的にどう守れるのか方法が見当たらない。


 でも、仮に教師が敵だとするのなら、彼らは人間だから聖域の結界を突破できる。


 私が離れている間に、襲撃してこないとも限らないわけだ。


 何せ戒世教の教義は、邪神曦儡宮の手により世界を破壊し、真なる世界へとたどり着くこと。


 そのままの意味で受け取るのなら、世界が腐敗していく中、それでも生にしがみつく私たちの存在は邪魔になる。




「お母さん、本当に会いに来るのかな。そのときあたしはどうしたら……」


「情けないけど、そのときは私が守る、ぐらいの月並みなことしか言えないな」




 もっと気の利いた言葉が言いたかった。


 悔しい。


 けど令愛は、それでも私に微笑んでくれる。




「そう言ってくれるだけで、普通なんかじゃないよ。それに依里花は本当にあたしのこと守ってくれる」


「でもそれだけじゃ令愛の不安を払拭できない。かといって、ずっと保健室に残ってるわけにもいかないし」




 武器を作ってここに置いておく?


 いや、相手が私と同じような力を持っていたら普通の人間じゃ太刀打ちできない。


 いっそパーティに令愛を入れるのが一番なんだろうけど、あの胡散臭い機能を彼女に使って、命の危険が伴う戦いに連れていくの?


 きっと頼めば令愛は快諾するだろうけど、今はまだ――例のスキルのこともあるし、気分は乗らない。


 私が頭を悩ませていると、隣に座る令愛の視線を感じた。


 彼女はぱっちりとした目で、じっと私を見つめている。




「……何?」




 目を合わせて首をかしげると、彼女ははにかみながら言った。




「真剣にあたしのこと守ること考えてくれてるんだなと思って」


「そりゃ真剣にもなるよ。こんな状況なんだから」


「それだけで十分だよ。ありがとう、相談して良かった」




 そう言って、令愛は私に寄りかかる。


 その重みを感じて私は――心の中の、復讐とは違う部分が痛むのを感じた。


 さっきも感じた、悔しさだ。


 不甲斐なさなんて感じずに済むぐらい、もっと強くなりたいと思った。




「あたしさ、お母さんがいなくなってから、なんとなく心のどこかで、他人に甘えちゃいけないみたいな考え方してたんだ」




 令愛は囁くように、小さな声でぽつりぽつりと語りだす。


 私は「うん」と控えめの相槌を打って、今は悔しさを飲み込み、彼女の話に耳を傾けることにした。




「お父さんは苦労してあたしを育ててくれて、そんなお父さんに少しでも迷惑かけないようにって」




 父一人と娘一人。


 私の家とは違う苦労があったことは、想像には難くない。


 父親なんて年頃の娘の心はわかんないだろうし、お互いに個々で解決するしかない問題は多くあったはずだ。


 だから令愛がそういう考えに至るのは、自然なことだったのかもしれない。




「けど――さすがにゾンビなんて出てきたら、守られるしかないじゃん?」




 そう、人を変えるのは環境だ。


 世界が変われば、人も変わらずにはいられない。




「良くないことってわかってるんだけど、こうして依里花に寄りかかってると、すごく心が軽くなるんだ。依里花に甘えてると、こんなに怖い場所でも落ち着ける。それが心地良いからって今も続けちゃってるの」




 それがとろけるように甘くて、なかなか抜け出せない沼だということは、私もよく知っている。


 だからこそ、失うのが怖くて、失ったときは痛くて。


 けど――もしそれを永遠に守り続けることができるのなら、それ以上に幸せな人生なんて無いと思う。




「いいのかな、これで。あたしだけ気持ちよくなっちゃってないかな」




 令愛の懺悔が終わる。


 駄目だって言えば、彼女は身を引くだろう。


 もっとも、私がそんなこと望むわけないんだけど。




「私、こんな風に誰かから甘えられるなんて始めてだった」


「夢実ちゃん、って人は?」


「夢実ちゃんは私を守ってくれたから。私が甘える側だった」


「ああ、そうだったんだ……」


「誰かから甘えられるだけで、誰かを守りたいと思うだけで、こんなにも自分の存在を肯定的に思えるなんて想像もしてなかったよ」




 心地いいのは私も同じだ。


 これは決して一方通行の搾取なんかじゃない。


 私が与えるよりも多くのものを、私は令愛から貰っている。


 たぶん彼女はそうは思ってないんだろうけど。




「そんなこと言うなら、もっと甘えちゃおっかな」




 令愛は茶化すようにそう言うと、さらに体を傾けて私の足の上に頭を置いた。


 私はされるがままに、曲げていた膝を伸ばすと、暖かな重みが太ももの上に乗っかる。




「うあー、こうして誰かを見上げることなんてなかなか無いけど、実際にやると恥ずかしいねえ」


「膝枕も人生ではじめて」


「実はあたしも」




 正直に言うと、ちょっとだけ視線を感じる。


 空気を読まずに浮かれてるなとは思うけど、視線の痛さよりもこのやり取りの喜びのほうが勝っていた。


 私は令愛を見下ろし、手で髪をすく。


 彼女は気持ちよさそうに目を細めた。




「後で真恋と日屋見さんの連絡先も教えるから」




 少し声のトーンを落とし、令愛に告げる。




「え? そこにあたしが参加して大丈夫?」


「私が頼んでみる。正直、何もかも話せるほど信用はしてないけど、母親のことは話しておいたほうがいいと思う。何か起きたとき、二人の方が近いならあっちに助けを求めた方が早いから」


「依里花って……妹さんと、あんまり仲は良くない、みたいなこと言ってたよね。この部屋に来たときも少しぎこちなかったし」


「っていうか仲は悪いかな。こんな状況になって腹を割って話して、ようやく少し和解できたってところ」


「なのに頼んでくれるの?」


「……共闘するって決めたから。頼めば向こうも承諾してくれると思う。たぶんあの二人、私以外の人間なら喜んで救ってくれるヒーロー気質だからさ」




 頼む……かあ。


 簡単に言ってはみたけど、正直真恋に頼み事するなんてめっちゃムカつく。


 けど、それぐらいしか令愛の不安を払拭する方法は見当たらなかった。


 すると、令愛は無言でじっと私の目を見つめた。


 瞬きもせずに、少し潤んだ瞳をして。




「何?」


「誰かがあたしのことを真剣に考えてくれる顔を見るの、好きだなって」


「いきなりなにそれ……」




 何を言うかと思えば、またそんな恥ずかしいことを。


 なまじ本気で考え込んでただけに、余計に恥ずかしさが強い。


 あっという間に耳が熱くなって、思わず令愛から目をそらす。




「依里花、ちょっとかっこよすぎるよ」


「かっこいいとか、言われたことないし……私に限ってありえないと思うけど」


「自分だって生き残るのに必死なのに、あたしのこともちゃんと考えてくれてる」


「それは、誰だって助けたいとは思うから」




 当たり前のことだ。


 たぶん令愛が相手なら、私じゃなくたってそうなる。


 そうなんだよね、それぐらいの魅力が令愛にあるってだけで、別に私が特別ってわけじゃない。


 令愛は自分のかわいさをわかってないんだ。


 本当は私なんかとは住む世界も違って、触れ合うどころか、言葉を交わすことも、目を合わすこともなく人生を終えるはずだったのに――




「好きになっちゃうかも」


「うひえぇっ!?」




 ……お、おおう……う、あ。


 どうしよ、脳みその限界越えて、沸騰したヤカンみたいな声でちゃった。


 やば、めちゃくちゃみんなこっち見てるし!


 ひいいぃぃ、恥ずかしいぃぃぃ!




「あ、いや、なんでもない、です……」




 しどろもどろになりながら弁明すると、みんなは視線をそらす。


 けどチラチラとこっちを見ている人はいて……そりゃそうだよね、膝枕してこんなやり取りしてたら、嫌でも見ちゃうよねえ。




「えへへ、びっくりした?」


「もう……からかわないでよ」


「からかってないかもよ」


「ふぇ?」




 視線を落とす。


 令愛は笑みを浮かべてじっと私を見ていて――その瞳には、とても強い感情が宿っているように見えた。


 いつか――どこかで見たことがあるような――そんな瞳。


 心臓が高鳴る。


 呼吸にも影響が出てくる。


 顔どころか全身が熱くなって、頭を冷ましたいはずなのに、私はそんな令愛から目を離すことができなかった。



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