第19話 私の救済
1年E組の教室に到着した私は、島川優也について真恋と日屋見さんに話すことにした。
真恋は時間を空けたおかげか随分と調子を戻したようで、いつも通りの生意気なまでにクールな顔をしている。
「壁にされていたのは三年生の生徒。しかも埋まっていた七瀬という女子生徒と関係があるのか……」
「生贄説が正しいなら、無関係じゃないと思うんだよね」
「こうなってくると、依里花先輩のほうにいる生存者が関係者だらけなことも怪しくなってくるねえ」
「かといって、これらの情報が脱出の手がかりになるわけでもあるまい」
「でも私、島川優也らしき声を聞いたよ。声っていうか、頭に直に響いてくるみたいな感じだったけど――他の人たちはそんなの聞いたって話してなかったし」
仮に聞いていたら、翌朝にでも誰かしら話しているはずだ。
話題にすら出ていなかったということは、あれは私だけが聞いた、幻聴とは異なる現象ということだろう。
「しかしそんな声、私と真恋は聞いていない」
「島川優也の存在は頭には入れておこう。そしてネムシア・アドラークという少女、さらに依里花が迷い込んだという赤い廊下。これらの手がかりが脱出に繋がるといいのだが」
赤い廊下の件は、保健室に到着する前に二人に話した。
けど正直、あれが何なのかは私もまだ推理すらできていない。
「あの赤い廊下では、急に大量の化物に襲われたけど、逆に進んでたらどうなってたのかな」
「大群を退けた先、か」
「そういうところに親玉は隠れているのかもしれないねえ」
「リスクはあるが、挑戦する価値はあるな。入る方法がわかれば、の話だが」
「そこなんだよねぇ。あのときは玄関にいて、化物に襲われてるうちにいつの間にか入り込んでたって感じだったけど」
まだ手がかりは孤立した点と点の状態。
そもそも繋がるかもわからないけど、何か一つでも手がかりが見つかれば、一気に前に進めそうな予感はあった。
「ネムシア・アドラークは、郁成夢実という生徒に似ているという話もしていたが――」
「ああ、うん。そっくりだね」
「郁成夢実は、本当にこの学校にいないのか?」
「そんなの今さらだよ。失踪したのはもう何ヶ月も前だし、その間に何度も画像が送られてきてる。県内に居るかも怪しいぐらい」
「しかし妙な話だよねえ。16歳の高校生にいかがわしい仕事をさせる? そんな仕事を斡旋できる人間と、一生徒がどこで繋がっていうんだろうか」
「半グレの知り合いがいるって集堂くんとかはよくイキってたけど……まあ、あれにも教師が関係してる可能性はゼロじゃないかもね」
「依里花の担任は大木先生か。悪い噂は聞いたことがないが」
「外っ面だけはいいんだよ。生徒に優しくするときと、私を見下して馬鹿にするとき――どっちも表情一つ変えずにこなせる、イカれた先生だった」
令愛も言ってたけど、どうも大木先生って授業を受けた生徒からの評判は悪くないみたいなんだよね。
どんな心理をしてたら、そんな人間を演じつつ、私の心を容赦なくめった刺しにできるんだろう。
「今になって思えば、警察があの一件をまともに調べてくれなかったのも、裏に戒世教がいたからなのかな」
「生贄に適した人間を育て、曦儡宮に捧げる街――はは、嫌な陰謀論だねえ」
「しかし、まさにその陰謀に巻き込まれて、私たちは命の危機に瀕している。笑える話ではなかろう」
「確かに笑えないのだけれど、そんなことが現実に起きてると思うとどうしてもね。笑ってないとやっていられないのさ」
学校が異世界と繋がって、ゾンビで溢れて、私たちは魔法を使えるようになって、実はそれは学校にはびこっていた邪教の儀式によるもので――日屋見さんの言う通り、笑いたくもなるというものだ。
しかもこれでもまだ、ピースは足りない。
もっと笑うしかなくなるような何かが、潜んでいるというのだから。
◇◇◇
私は二人と連絡先を交換すると、1年E組を出た。
スマホに人の名前が並んでいるのは不思議な感覚だ。
ただ夢実ちゃんと日屋見さんと真恋だけというのも気持ち悪いので、保健室に戻ったら令愛とも交換しようと思う。
ああ、でも……交換しようと思えてる時点で、私にとっては大きな進歩なのかもしれない。
夢実ちゃんのときだって、半ば強引に向こうから連絡先を押し付けられたんだし。
「……もし夢実ちゃんが私を裏切ってなかったら、かぁ」
遠くからゾンビの声が聞こえるだけの静かな廊下を歩きながら、私は思いふける。
私は裏切られていない。
何か事情があった。
そんなふうに、私だって何度も考えた。
だって裏切られたかったわけじゃなかったから。
できることなら、永遠に信じ続けられるような関係でいたかった。
そう思っていたからこそ――あの日、大勢の悪意に囲まれながら、私は嘆き怒り狂ったのだ。
それに仮に裏切られておらず、強制的に集堂くんたちや大木先生に連れられ、あんなことをさせられているのなら、もっと私は苦しんでいたかもしれない。
いや、でもそのときは夢実ちゃんの両親だって動くはず。
そもそも何で私が責められたんだろう。
私と仲良くしたせいでいなくなった、なんて。
あの両親も信者だった?
ううん、そんなはずはない。
だって私と夢実ちゃんが出会ったのは偶然で、誰かに操られたわけじゃなくて、でも私は生贄になるためにこの学校に入れられたんだよね。
ひょっとすると最初から夢実ちゃんは裏切るために、私をこうして憎しみに支配させるために近づいてきた人間だったりして――
「そんなわけないッ!」
私はドリーマーを壁に叩きつけた。
壁が砕ける。
中に少しだけ骨が見えた。
「落ち着け、落ち着け私。真実がどうだったところで結果は変わらない。私がやることも。クラスメイトや教師を死すら生ぬるいと感じられるぐらい苦しめて、痛めつけて、そして私はここから脱出する! 令愛も一緒に! それだけだ。私がやるべきことは、妄想をこじらせて自滅することじゃない……ッ!」
でも妄想って、どこからどこまでが妄想なんだろう。
こんな妄想めいた壊れた世界で。
区別を付けることに、どこまで意味があるんだろうか。
「はぁ……良くない、良くないよ私。早く保健室に帰って……そうだ、令愛に会おう。そうすれば、少しは落ち着くかも……」
信じられるかどうかなんて細かいことを考えるのはやめよう。
令愛は必要だ。
だから、今は寄りかかるしかない。
彼女もそれを望んでいるのだから。
ああ……でもこんなときに、誰かいてくれたなあ。
私を元気づけるクラスメイトとか、その辺に転がってたら。
もういっそゾンビでもいいから、死んだら嬉しい人間が、どこかに。
「……ん?」
ふと、私はトイレの前で足を止めた。
いや――トイレと言っても、元々ここには存在しないもので、壁に貼られた標識は男でも女でもなく、緑色で六本足のよくわからない生き物なんだけど。
扉は無いから、開いて異世界につながっている心配もない。
けど中には、誰なら使えるのかわからない歪んだ便器や、どす黒い水を下から吸い上げるギザギザの蛇口が並んでいた。
でも問題はそこじゃない。
声が聞こえたんだ。
奥にある丸い扉の個室の中から、女がすすり泣くような声が。
トイレに足を踏み入れる。
床が歪曲しており、かつ柔らかいので慎重に進む。
そして、奥のドアをノックした。
「ひいぃぃっ! 誰えぇっ!?」
ああ。
あああ。
ああああ!
嬉しいなあ、こんなに嬉しいことはない!
私は自分の表情筋が感情と連動して歓喜しているのを感じた。
この声は! まさか! 同じクラスのっ!
「
犬塚
私の髪を何度も斬りつけて、ついでに耳も切って爪を剥がしてくれた犬塚さん!
あの夜、私を何度も踏みつけて、笑って、ライターで火傷させて、水に沈めて窒息しそうにさせてくれた犬塚さん!
犬塚さん! 犬塚さん! 犬塚さぁんっ!
「そ、その声……その声って、まさか――」
鍵が開く。
中から顔を見せる。
それは髪はボサボサ、肌はガサガサ、汚くて臭くて、いつもの高飛車で私をゴミのような目で見下す姿は見る影もない、弱りきった野良犬塚さんだった。
トイレを覗き込むと、中は辛うじてまともな形をしていた。
水も透明に近い色をしている。
ここに閉じこもって、あの水を飲んでたから生き延びたんだ。
「倉金えぇぇぇ……! あんた生きてたのね。助けなさいよ、早く私をぉっ!」
私を見るなり、掴みかかって上から目線で命令してくる。
これこれ、これこそ犬塚さんだよぉ!
「いいよ、助けてあげる」
私がそう言うと、彼女はノータイムで頬を叩いてきた。
ビンタじゃない。
握った拳による殴打だ。
全然痛くないけど、弱っても変わらない犬塚さんが見れて私は嬉しかった。
「倉金の分際で何よ助けて“あげる”って。当たり前でしょうが、ゴミが人間を助けるのは当然なのよ! いいからとっとと安全な場所まで連れていきなさいッ!」
「うん、わかったこっち来て」
「待ちなさいよ。なんでニヤニヤして――」
犬塚さんの声は、ドリーマーを見て止まった。
頬がひきつり、わずかに表情に恐怖が浮かぶ。
「あんた、まさかそのナイフで」
表情が豊かで楽しいなあ。
やっぱり犬塚さんも自覚はあったんだね、私に恨まれてるって。
「は、はは……まさかそんなことしないわよねぇ? ゴミが人間様にそんなことしていいわけないって、わかってるわよね?」
強がってるけど、声が少し震えてる。
ここで脅してやったらどうなるだろう。
漏らしながら謝るかな。
それとも最後まで強がって、私を見下し続けるのかな。
でも我慢我慢。
私は犬塚さんを殺しにきたわけじゃないんだから。
それに今は、この薄汚れた姿を見れただけでも割と満足だ。
「答えなさいよクズ金ッ! 黙ってたらあの動画をネットに流すわよ、わかってんでしょうね!?」
「わかってるよ犬塚さん。安全な場所に他の生存者もいるから、一緒に行こう」
「……ま、待ちなさい。他にも生き残りがいるわけ?」
「もちろん」
彼女は不安そうに自分の姿を見た。
とてもではないが、人前に出られるような状態ではないが――命がかかっているのだ、本来はそんなことを気にしている場合ではない。
おそらく私以外の人間が助けに来たのなら、変に強がったりはしなかっただろう。
けど犬塚さんには私の前で“強がらなければならない”、“相手を見下す支配者でなければならない”という呪いがかかっている。
「こんな格好で人前に出られるわけないじゃない、本当に気が利かないわねあんたは! 死んじまえよ!」
そう言って、足裏で蹴りつけてくる犬塚さん。
普通に汚いので避けたら、めちゃくちゃ睨まれた。
「生意気ぃ……! 大体なんであんたが生きてて、他の人間が死ななきゃなんないのよ。何なのよこれっ、何でゾンビなんて徘徊してんのよこの学校に!」
周回遅れの疑問だった。
そんな犬塚さんを見ながら、私はニコニコと微笑む。
「笑ってんなよ倉金えぇェ! わかったわ、あんたがそんな態度取るならこっちにも考えがある。そのナイフ貸しなさい」
「嫌だよ」
「躾けてやるっつってんのよ! ゴミは痛い目見ないとわかんねえだろうがッ!」
自分の立場がわかってないあたりも愛おしい。
私は笑ったまま、彼女の目の前でウォーターを発動、綺麗な水を手のひらから垂れ流す。
「な、なによ、それ……」
「魔法。水も出せるから、体を洗うなら使っていいよ」
「魔法? あんた、頭おかしくなって……いや、いいわ。使ってあげる。あと制服もあんたのと取り替えるから、ここで脱ぎなさいよ」
「なんで?」
「当たり前でしょうが! 何で私が汚い制服を着て、あんただけ綺麗なのよ!」
「私だってそんな臭い制服着るの嫌だよ」
「臭いのはお前のほうだろうが倉金ぇぇぇぇッ!」
臭いって言われて条件反射でキレちゃった。
私は掴みかかってきた相手の手首をつかむと、その体を壁に押し付け、顔の真横にドリーマーを突き刺した。
「ひううぅぅっ!?」
かーわいー。
涙目になって、ビビっちゃってさあ。
あの犬塚さんが! 犬塚海珠が! 無様ったらありゃしない! あはははははっ!!!
「こ、殺すつもり……なの……?」
「近くの教室から綺麗な制服取ってくるから、それまで待ってて」
「私をここに置いていくつもりッ!?」
「この辺のはもう倒されてる。あのトイレの中にいたら見つからないよ」
「嫌ぁあっ! 置いていかないで! 一人は嫌あぁぁっ!」
「声だしたら化物が寄ってくるよ?」
「……っ!?」
目を見開いたまま、口を押さえて黙り込む犬塚さん。
死ぬほどキュート。殺したいほどラブリー。
今日はとてもハッピーな日だ。
私は鼻歌を歌いながら、近くの教室まで制服を取りに行く。
そして彼女の身なりを整えたあと、一緒に保健室へと戻ることにした。
わくわくする。どきどきする。
まるで大好きな漫画の新刊が出た日のような気分。
差し込む作られた陽の光すら、流れる腐臭混じりの空気すら爽やかに感じられる。
さて、どうやって犬塚さんを追い込もうか。
どうやって彼女には自滅してもらおうか。
犬塚さんは単純で感情的で性格も終わってるから、驚くほど多彩なプランが頭に浮かぶ。
まるで遊園地にでも来たみたいなふわふわとした気分で、私は彼女と一緒に歩いた。
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