第11話 狂信

 



 かれこれ一年以上前のことになる。


 家の廊下に落ちていた、一枚のチラシ。


 そこに書かれたのは戒世教という文字と、『人類を救う』『真なる世界へ導かれるために』『肉を贄とし命を解き放て』という胡散臭い言葉の数々だった。


 どうしてこんなものが落ちているのか不思議に思っていると、前から慌てた様子の妹が歩いてきた。


 倉金真恋まりん


 私と違って一切の痛みが無い、サラサラの黒いロングヘアがよく似合う、誰もが“美人”と称する少女。


 目つきはちょっとキツいけど、それは私を見ているからなのかな。


 年齢は一つ下で、同じ高校に通う一年生だけど、当時はまだ中学三年生だった。


 真恋と私の仲は非常に険悪で、目があっただけでゴミを見るように睨まれた。


 そして彼女は誰かが盗るわけでもないのに、握りつぶすようにそのチラシを拾い上げて、去っていった。


 当時は変な宗教にでもハマって破滅しちゃえばいいのにとか思ってたけど、以降どうなったのかはよく知らない。




「お母さんのことはおぼろげに覚えてるんだけど、何かに取り憑かれたような、そんな恐ろしい目をしてた」




 少なくとも令愛が語るような状態にはなっていなかった、ということは入信しなかったんだろうか。




「私がそんな目してたって言いたいの?」


「……うん」




 令愛は心から申し訳無さそうに言った。


 確かにとても失礼な言葉ではある。


 だが、それでも言わなければならないと思うぐらい、私は異常に見えたんだろう。




「まったく同じじゃない。けど、何かに執着しすぎて、他のものが見えなくなるっていうか――お父さんが言うには、そうなると、愛する人がどんなに必死に声をかけても届かなくなっちゃうんだって」




 私は不謹慎だと思いながらも、「ふふっ」と思わず鼻で笑ってしまった。




「依里花……?」


「大丈夫だよ令愛、安心して。私にはそんな人、誰もいない。私を愛してくれる人なんて世界に一人もいないの」


「そんなことはっ!」




 正直、私は少しイラっとした。


 話していてわかる、令愛は誰かに愛される人間だ。


 そんな人間の言う否定の言葉に、どれほどの意味があるというのか――




「じゃあ令愛が私のことを愛してくれる?」




 私は煽るように、脊髄反射的にそう言った。


 その言葉を受けた令愛は、




「え? あ、えっと……それは……っ」




 困惑し、言葉に詰まる。


 ほら見たことか、やっぱり誰も私を愛してなんてくれないんだ。


 そうほくそ笑んでいると、令愛の顔は徐々に赤くなってきた。


 なんで?




「その……愛するとかそういうのは、よくわからないけど……えっと……」




 ……ああ。


 概念的な愛情の話であって、別に恋愛の方向性に持っていくつもりはなかったんだけど。


 確かにそう思われても仕方がない発言だったかもしれない。


 まずいな、顔が熱くなってきた。


 真面目な話をしてたはずなのに、なんで私まで恥ずかしい思いをしないといけないわけ!?




「わかった……あたしたち女の子同士だけどやるだけやってみる」


「いや、待って、そういう意味じゃなくって!」


「それで依里花が救われるなら、できるかぎりのことをしたいと思ってるし――」


「令愛、ストーップ!」


「ふぇ?」


「い、いいから止まって! たぶん、な、何か、勘違いしてるから!」


「そう……なの?」


「私が言いたいのはそういう意味じゃないの!」




 でも、だったらどういう意味だっていうんだろう。


 愛情ってなんだ。


 偽物しか向けられたことがない私は、その具体的な形を知らない。


 私が知っているのは黒く歪んだ、どす黒い感情だけだ。




「私が信仰者だって言われれば、その通りなのかもしれない。そう、私は復讐を信仰して、そこに希望を求めて生きてる。令愛から見たら、そんな憎しみのために生きるなんてよくないって思うのかもしれない」


「うん……」


「でも、復讐はいつか終わる。信じても信じても助けてくれない神様とは違って、“終わり”はあるんだよ。まあ、そうなったとして、令愛の思う“普通の私”がそこにいるとは限らないけどね。元から生きる価値のないクズなんだから」


「やめようよ、自分のことそんな風にいうの」


「無理でしょ。そうでも思ってないと耐えらんないって、あんな毎日」




 期待をするから裏切られるんだ。


 だったら最初から、自分が最底辺だと認めてしまえばいい。


 そうすることで、痛みは最小限になるのだから。




「もし私が普通に両親に育てられて、普通のクラスメイトたちと出会って、普通に育ってたら……ああ、この場合の“普通”っていうのは今よりマシって意味ね。そうなってたらさ、もうちょいまともな・・・・自分になれたんじゃないかって、そう思っちゃうことはあるんだ。要はそれが、令愛の言うところの“誰かに愛される”って状態なのかもね」


「今でも十分優しいもん」


「はは、ならもっと優しい私になれたのかもしれない」


「絶対にそう。今日だって、三人も命を救ってる」


「それは――吉岡さんと浅沼くんへの憎しみを昇華できて、気分が良かったから」


「不機嫌だったら助けなかった?」


「……」


「助けてたと思うよ、依里花なら」




 たぶん令愛の言う通りだろう。


 私は私を苦しめた人たちを恨むと同時に、見て見ぬふりをする大勢を憎んだ。


 巳剣さんはどちらかと言うと後者で、遠巻きにあざ笑うことで、私を直に痛めつける“彼ら”に対して『私はあなたたちの同類だよ、味方だよ』とアピールし、自己保身を図る彼らのその卑怯さが嫌いだったのだ。


 だから。


 できることなら、憎む必要ない人なら、助けたいと思っている。


 でも私はそれを善行だとは思わない。


 ただの欲望を満たすための薄汚い行為だ。




「一石二鳥だね。恩も売れて、自己肯定感も満たせる」


「自分のためでもいいよ、結果として誰かが救われてるんだから。だから、あんまり自分を悪いように言わないで」


「聞いてて嫌な気分になるから?」


「そういうの、自己暗示になっちゃうよ。依里花は必要以上に自分を無価値だと思い込もうとしてる、そんなこと無いのに」


「私に価値があるのは、“力”があるからだよ。きっとその前に出会ってたら――」


「そうは思わない」




 令愛は私の頬に手を当て、真っ直ぐにこちらを見ながら言った。


 反論の言葉は、そのあまりに純朴な眼差しに押し返されて、喉でつっかえて出てこなかった。




「あたしは本気でそう思ってるよ。ひょっとすると、身勝手で、迷惑だと思われてるかもしれないけど」


「うん、迷惑だよ」


「う……」


「でも、それぐらいしないといけないぐらい、私は面倒な人間なんだと思う」


「またそうやって自分を卑下するんだからっ」


「癖だからどうしようもないよ。でも、令愛と話してたら余計に感じちゃうな」


「何を?」


「依里花の父親はきっといい人なんだろうなってこと」


「お父さんが? ああ、うん、すごく優しくて立派なお父さんだよ!」




 令愛は嬉しそうにはにかんだ。


 自分の親に関してそう言えることが、羨ましいと思った。




「あたしが帰ってこなくて心配してるだろうな……」




 そして父のことを思い出し、胸を痛める。


 私には無い概念だけど、少なからず他の生徒たちはみなホームシックの症状を見せている。


 止められるものではない。


 だけど、帰る手段が無い今、そこに思考のリソースを注いで気分を落ち込ませたところで、無駄に時間を浪費するだけだ。


 私は多少強引に会話の流れを変えることにした。




「話は変わるけどさ、さっき言ってた戒世教ってどういう宗教なの?」


「え? 確か、世界を破滅させるとか、ここは真実の世界じゃないとか、そういう危ない宗教らしいよ。軽く調べたら、誘拐事件も起こしたことがあるんだって」




 私が見たチラシと同じだ。




「令愛が母親に連れ去られそうになったのって、10年以上前?」


「本当に小さい頃だったからそうなるね。お父さんが言うには、お母さんはあたしが生まれる前から信者だったらしいから、実際にはもっと前からこの町に根付いてたんじゃないかな」


「徐々にのめり込んでいったんだ。じゃあ、それから母親と連絡を取ったりはしてないの?」


「絶対に近づかないようにって言われてるらしいから、どこで何をしてるのかも知らないんだ。名前が藍子・・っていうことぐらい」


「仰木藍子……」




 そういえば、うちの担任が大木藍子だったっけ。


 名前似てるな、どうでもいいけど。




「あ、大木先生のこと思い浮かべたでしょ」


「知ってるの?」


「授業受けたことあるから。たしかに名前は似てるけど、仰木はお父さんの方の名字だから。それに顔もぜんぜん違うし」


「あはは、それもそっか」




 別に関係があると思ってたわけじゃないけど。


 それに、大木は生徒と一緒になって私を苦しめたクズだ。


 令愛とは似ても似つかない。




「この世界が偽物だとか、滅亡させるとか、どうしてそんな恐ろしいことを信じちゃうんだろう。そう思いたくなるぐらい、嫌な目に合ったのかな」


「誰かに愛されても、こんなにかわいい子供が生まれてもはまり込む人はいるんだから、素質と運としか言いようがないんじゃない?」




 私の言葉に、ほんのり令愛の頬が染まった。


 別に意識して言ったわけじゃないけど――さらっとかわいいとか出てきちゃった。


 照れくさい空気に私たちが二人してもじもじしていると、明治先生がこちらに近づいてくる。




「お邪魔するわねぇ。あ、本当に邪魔だったら追い返していいわよぉ」




 本当に空気を読まない――いや、この場合は読んで来たって言ったほうがいいのかも。


 っていうかこの人、なんで体操服着てるんだ……。




「どうしたんですか、先生」


「面白そうな会話が聞こえてきたから、わたしも混ざりたくなったのよぉ」


「そんな愉快な話はしてなかったと思うけど」


「またまたぁ、ばっちり聞いたわよぉ。戒世教の話」




 ……気になってたのって、そこ?




「二人して驚くようなことだったぁ? ほらぁ、女の子って占い好きでしょう? その延長線上みたいなものよぉ」


「ぜんぜん違うと思う」


「ふふ、細かいことは気にしないのぉ。ところで、仰木さんのお母さんが信者だったんですってぇ?」


「ええ、まあ。でももう連絡も取ってないですよ? 家の中で儀式をしてたってわけでもないですし」


「そうねぇ。でもさっきから様子を見てたけどぉ、倉金さんも何か知ってそうな感じじゃなかったぁ?」




 この人――意外と私たちのこと観察してるな。


 ぽわぽわしてるようで、よく見ればその目つきは厳しい。


 確かに、戒世教の話が出てきたときに、わかりやすい表情はしてたかもしれないけど――でも明治先生から悪意は感じない。


 純粋な興味、なんだろうか。




「家の中で戒世教のものらしきチラシを見かけたことがあるってだけ。妹の持ち物だったみたいだけど」


「依里花の妹さん?」


「倉金さんの妹――確か一年生の真恋ちゃんよねぇ」


「なんや、倉金先輩ってあの倉金真恋の姉貴やったんか!?」




 少し離れた場所で島川くんが大げさに反応した。


 他の生徒たちも、意外そうに私のほうを見ている。


 塞ぎ込んでいた巳剣さんですら顔をあげるほどだ。


 牛沢さんもカーテンの向こうから頭だけ出した。


 島川くんは、ファイルの並ぶ棚の前を離れると、こちらに近づき、顎に手を当てながら私の顔をまじまじと眺める。




「それにしては似てへんな……」


「よく言われる」


「あたしもその子のこと聞いたことあるかも。勉強も運動もできて、特に剣道は全国レベルだって」


「いかにもな大和撫子って感じよねぇ。少し目つきが怖いけどぉ」


「そう、私とは何から何まで正反対」




 吐き捨てるように私は言った。


 みんなの反応も仕方ない。


 これほどまでに似ていない姉妹などなかなかいないし、何よりお互いの口から私たちが姉妹であると話す機会は無いからだ。




「つまりその子が、戒世教に入ってるってこと……?」


「チラシを持ってただけだから、どうだろうね」


「なんや怪しげな宗教みたいやな」


「会衣が思うに、学校がこうなった原因もその宗教の儀式のせいかも」


「さすがにそれは飛躍しすぎだよ、牛沢さん」




 苦笑いする令愛。


 しかし明治先生は目を細めると、表情からいつもの笑みを消して、冷たく言い放った。




「それはどうかしらねぇ」


「先生、もしかして何か知ってる?」


「倉金さんはぁ、今年うちの学校で行方不明者が出てることは知ってるぅ? あなたと同じクラスのぉ、郁成いくな――」




 私が先生の言葉を遮るように、語気を強めてその名を口にする。




「郁成夢実でしょ?」




 忘れるものか。


 忘れるはずがない。


 世界の誰が忘れても、私だけは。




「あらぁ、知り合いだったのねぇ」


「私の誰より大切な親友で――そして、誰より私が憎んでる人間だから」




 忘れるはずがない。


 あの日のことを。


 裏切った、彼女のことを。




「依里花……その人って」


「どれだけ親しい相手でも、いつ裏切るかわからない。私にそれを教えてくれた人だよ、夢実ちゃんは」




 彼女の存在が私の中にあり続ける限り――たぶん、令愛のことを心から信用することはできない。


 しかも夢実ちゃんは私の手の届かない場所にいる。


 ああ、そういう意味では、私の復讐への信仰は永遠に終わらないのかもしれない。




「そんな繋がりがあるのは知らなかったわぁ。けど、他の人たちは知らないんじゃないかしらぁ」


「確かに……あたし、初めて聞きました」


「会衣も同じ。行方不明者が出たなら噂ぐらいになりそうなのに」




 私は知っている。


 もちろん巳剣さんを含むクラスメイトたちや、両親、そして警察も。


 でも――言われてみれば、話の広がりはそこ止まりだ。




「じゃあ続けて聞くけどぉ、毎年自殺者が出てることも知ってるぅ? 中には深夜に学校の屋上から飛び降りて死んだ子もいたんだけどぉ」


「……そっちは私も知らない」


「屋上から飛び降りたんなら学校中大騒ぎやろ。何でオレらは聞いたことないんや?」


「龍岡くんは知ってるわよねぇ、七瀬さんのこと。同じクラスだったものねぇ」




 龍岡先輩に視線が集中する。


 壁にもたれ、腕を組んでいた彼は、明治先生と目を合わせることなく答えた。




「名前を知っている程度ですよ。同じクラスですが、別に仲は良くなかったですからね」


「自殺したことはぁ?」


「もちろん知ってます」


「そうよねぇ、知らないわけないわよねぇ」




 相変わらず――明治先生は龍岡先輩と話す時、少し口調が強い。


 もしかして、その自殺者が何か関係してるの?




「でもこれってぇ、何だかおかしいと思わなぁい? 普通の学校なら自殺者一人だってあっという間に噂が広まるわぁ。飛び降りなら血痕も翌朝まで残ってそうだしぃ、綺麗さっぱり消すなんて難しいと思うのよねぇ」


「その話と戒世教に何の繋がりがあるっていうの?」


「わたしが思うにぃ、うちの学校、そういう都合の悪い情報を握りつぶしてると思うのよぉ。それが何のためかわからなくてぇ、ずっともやもやしてたんだけどぉ」




 先生はふいに壁際に移動すると、そこに置かれていた棚を「よいしょ」と横にずらした。


 壁に手を当てる。


 そこには壁の色と同化し、見えなくなった“紙”があった。


 それをべりっと剥がすと、中から現れたのは――




「ひっ……が、骸骨……?」




 令愛が息を呑むほど生々しい、壁に埋もれた頭蓋骨だった。


 なおかつ、頭部の一部が破損している。




「戒世教の神を呼び出すっていう馬鹿げた目的のためなんじゃないかって、これを見つけたときに思ったのよぉ。ちなみにこれ、たぶん七瀬さんの死体よ」




 真なる世界。


 生贄。


 狂信者たちの馬鹿げた戯言が実体を伴って、私たちに実害を与えている。


 そんな馬鹿げた仮説。


 きっと先生だって信じたくはなかったんだろう。


 だけど、令愛の母親が信者で、私の妹も無関係ではなくて――ただ“巻き込まれただけ”なんかじゃない。


 そんな気がしていた。



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