第9話 正常な脳内麻薬の異常分泌

 



 妙に体が綺麗なゾンビと遭遇することがあったから、不思議に思ってたんだ。


 だってゾンビに食い殺されたなら、もっと体がぐちゃぐちゃになってるはずだから。


 要は彼らは死んだんじゃない。


 菌か、はたまた呪いか、そういうものを注がれて、生きたまま・・・・・ゾンビになってしまったんだ。


 浅沼くんと同じように。




「怖がらないで浅沼くん。さっき笑ったのはちょっとした出来心。傷を癒やす魔法を使えるのは本当だから、治してあげる」




 彼から見た私は、どんな風に見えているんだろう。


 まるで化物でも見るみたいに震えながら、首を振って私から逃げようとしてるけど、そんなに恐ろしいのかな。


 だとしたら嬉しいな。


 私、浅沼くんに殴られたこともあるし、ライターで髪を焼かれたり、火傷させられたこともあったよね。


 それに彼はあの夜だって現場にいた。


 いつも悪魔みたいな顔をして私を見下し、一切の罪悪感を見せずに悪意を振りかざしてきた浅沼くん。


 そんな彼が、こんな怯えてる。


 みじめで無様でかわいいね。




「そのままだと死んじゃうよ。ほら、噛み傷だからばい菌も入ってるだろうし、ちゃんと治療しないと」


「違う……お前は違う……治療する気なんて無いんだ……ッ! 俺を殺すつもりなんだろうッ!」


「人聞き悪いなあ。たしかに私は集堂くんを殺したよ」


「は……? 倉金、今、なんて……」


「でもそのときに気づいたんだ。簡単に人の命を奪うのはよくない、って。確かに刹那的な喜びはあった。今までの私の人生の下らなさを思えば、十分すぎるほどの幸せが胸を包みこんだ。けど冷めたあとに気づくの、“足りない”って。罪の裁きは、生きてこそ果たせるものなんだよ浅沼くん!」




 私はそれを罪の告白や懺悔だと思っていないから、簡単に話せる。


 少なくとも彼らに対しては、私は相応の“報復”をしただけで、悪いことなんて何もしていないからだ。




「やったのか……たけるを殺しやがったのか、倉金えぇぇぇッ!」




 浅沼くんは面白ぐらいに怒った。


 怒って、私に飛びかかり、首を絞めようとしてくる。


 彼と集堂くんの関係を思い出したのはそのときだった。




「すごいすごい、さっきまであんなに怯えてたのに急に襲いかかってくるなんて。そういえば集堂くんと仲良かったんだっけ」


「親友なんだよ、あいつは!」


「そっか、私も彼が死んだのはとても残念だと思ってる」


「お前がやったんだろうが!」


「だからこそ誰よりも悲しんでる」


「クソ女が、もっと早く殺しておくべきだったんだ! 郁成と一緒に二人まとめて死んでおけば! 今からでも遅くねえ、死んじまえぇえ!」




 力いっぱい両腕に力を込めるけど、全然苦しくない。


 まるで抵抗しても無駄だったあの日の私みたい。




「あっははははははははは、あははははははははは!」




 面白かった。


 面白かった。


 面白い。


 面白い!!


 こんなにおもしろいこと人生で初めてで、私はたぶん人生で一番気持ちよく笑った。


 そして軽く浅沼くんの体を押しのけると、彼は尻餅をついて倒れた。


 彼は力の差を理解し、再び恐怖する。




「何その顔。なんでびっくりしてるの? 二回目だよ? こうなるってわかってたよね? 頭に血が上ってわすれちゃってた?」




 私は浅沼くんに歩み寄ると、しゃがんで傷口に手をかざした。




「ヒーリング」




 温かな光が患部を包み込み、傷を癒やしていく。




「はい浅沼くん、傷は治したよ。ほら見て、綺麗さっぱりに埋まってる。もう血も出てない」


「はっ……はっ……はっ……」


「どうしたの、何か怖いことでもある?」




 わざとらしく私は聞いた。


 浅沼くんは期待通りの反応を見せた。




「こ、これは何だよ……何で、アザみたいなのは消えないんだ……」


「傷じゃないから」


「じゃあなんなんだよぉッ!」


「ごめんね浅沼くん、この魔法じゃゾンビ化は止められないみたい」


「ゾンビ……化……?」


「この青黒いアザが、体の中でうぞうぞ動いて少しずつ上に上っていってるよね。ほら見て、ちょうどお腹まで来たよ」




 アザはリアルタイムで拡大し、肉体を侵食していく。


 こうなるともうアザというよりは、寄生虫が体内に巣食っているようだ。




「たぶんね、これが心臓か脳まで達するとゾンビになってあの化物の仲間入りをしちゃうんだと思う」


「嘘だろ……」


「嘘だよ」


「は?」


「なんてね。期待しちゃった? ぜーんぶ本当の話でしたー」


「倉金、お前えぇぇ……!」




 こんなことをしても、もう怒鳴ることも出来ずに、涙目で抗議するだけ。


 笑っちゃうよ、こんなの。




「やっぱり間違ってなかったんだ。お前は、人間以下の存在だったんだッ!」


「浅沼くん、私の気持ちをわかってくれた?」


「わかるかよ!」


「わかってるよ。だって私のこと、人間じゃなくて化物だって思ってるんでしょう? 私も一緒。私で遊ぶ・・浅沼くんたちの姿はとても醜くて、とてもじゃないけど人間には見えなかったよ」




 ここから先は、言わなくてもわかると思う。


 だから・・・、楽しいんだよ。


 だから・・・、笑ってるんだよ。




「でも私の方が健全だよね。私から見た集堂くんや浅沼くんは人間じゃなかった、化物だった。だからこんなことしても平気。けど浅沼くんたちは、少なくとも私を最下層の“人間”だと認識した上で、殴ったり、殺そうとしたりしてたんでしょ? そっちの方が遥かに狂ってるよ」


「何、言ってんだよ……人が死にそうなってんだ、誰だろうと助けろよぉおおお!」


「だから浅沼くんは人間じゃないって言ってるじゃん」


「倉金えぇぇえッ!」




 最後のあがきか、再び私に飛びかかる浅沼くん。


 私はそんな彼の顔を掴んで、床に押し付けた。


 もうそれだけで彼は身動きが取れない。


 その間にもアザはうぞうぞと体を這い上がっていく。




「は、あ、あがっ、冷たい……なんだよ、これっ、寒いのが、こみ上げて……!」


「いいねえ、その調子で後学のために教えてよ。ゾンビになるってどういうことなのか」


「いやだああぁああっ! 死にたくない、死にたくないいぃぃい!」


「安心して、その先には親友の集堂くんが待ってるよ。ああ、でもゾンビになっても死ねるかわからないよね。そうだ、浅沼くんで試せばいいんだ、化物になっても意識が残るかどうか!」


「離せよぉおお! なんで、なんでよりにもよってこんなやつにいいいぃぃッ!」




 そう嘆きたくなる気持ちはわかる。


 これだけ広くなった校舎の中で、君の末路を看取る人間が私であることは、神様のいたずらとしか言えない偶然だね。




「クソ、頭が……ぼーっと、して……いやだ……なりたくない、ばけ、も……お、ぅ、おぉおお……あ、こんなこと、なら……あの動画……とっとと、ネットに流して、おけば……」




 そのとき、浅沼くんの体がビクンッ! と震えた。


 白目をむいて、体をのけぞらせ、何らかが“切り替わった”のを感じる。


 そして次に目がもとに戻ったとき、そこには光がなかった。


 彼の頭を押さえる手には、冷たい感触が広がっている。




「ぅ、あ゛あぁぁ……」




 ついにはゾンビのような声を出して、起き上がろうとする。


 その力は明らかに、人間であった頃よりも強くなっていた。


 一方で、体に広がっていたアザは消えている。


 そういや、ゾンビの体は腐ってたけど、アザが全身を覆ってるなんてことなかった。


 馴染んだ・・・・ってことなのかな。




「おーい、浅沼くーん」


「ああぁぁ……うああぁああぅ……っ!」




 あー、やっぱり意識はないんだ。


 ゾンビになった瞬間に死ぬのと同じ……。




「うあぁぁあ……うあ、うあああ……っ!」




 でも気のせいかな、発音できてないだけで、口の形は倉金って言ってる気がする。




「浅沼くん、集堂くんを殺した倉金依里花はここにいるよー?」


「ゔあぁぁぁぁあああッ!」




 それに明らかに怒って――あ、涙が出てきた。


 泣いてるの? ゾンビになってもまだ、悲しくて、苦しくて。




「浅沼くん……浅沼くんは、ゾンビになっても浅沼くんなんだ! ゾンビ浅沼くんなんだぁ!」


「うああぁぁあうっ!」




 返事をしてくれた! そっか、これも浅沼くんなんだ!


 私はウキウキで床に置いていたドリーマーを手に取ると、彼の肩にそれを突き立てた。




「よかった、ゾンビ浅沼くんッ! ということはあのゾンビ吉岡さんも意識はあったのかも! よりにもよって倉金に殺されるなんてって悔しがってたのかもぉぉおおおおお!」




 何度か突き刺して、右腕を落とした。


 次は左腕。


 両腕を失った浅沼くんが地面でばたばたするのを見てゲラゲラ笑ってから次は脚へ。


 太ももは太くて切り応えがあってとってもアミューズメント!


 切断にちょっと時間がかかったけど、浅沼くんの喉から流れるBGMが心地よいので飽きはこない。


 よし、四肢を落とせた!




「完成ー! あれを再現・・するには、あとはロープを探してこないと。ただのゾンビだし再生はしないよね……ちょっとまっててね、浅沼くん!」


「うああぁぁああ……」




 私は手を振って部屋から出ると、別の教室を探索すべく廊下を走る。


 すると、そこで偶然にもちょうどいいロープを見つけた。


 窓の外に垂れ下がっているのを見るに、おそらくここから脱出しようとしたのかな。


 ロープを引き上げると、途中でべっとりと血が付いていた。


 たぶんここまで降りたところであいつに食べられたんだろう。


 私はあまりに理不尽な犠牲に胸を痛めつつ、ロープを抱いて応接室に戻った。




「ただいま浅沼くん!」


「うあぁぁ、ああぁあっ!」


「あはは、寂しかったのはわかるけど落ち着いて」




 四肢を切り落とされた浅沼くんはまだそこにいた。


 芋虫みたいに体をよじることしかできないみたいだ。


 私は椅子を使ってロープの天井の頑丈な部分にくくりつけながら、思い出話をはじめた。




「去年のことだけど、浅沼くんは覚えてる? 使われてない教室で私が殺されかけたときのこと」




 彼らは覚えていないかもしれない。


 だってありふれた日常の一場面に過ぎないから。


 でも私は鮮明に覚えてるよ。


 あのあと、しばらく喉と頭が痛くて結構しんどかったからね。




「みんなでふざけて私の手足を縛って蹴って遊んでたでしょ? そして最後、天井にこんな感じでロープをくくって、私に首を吊らせようとしたよね。私は抵抗できないから、されるがまま待つしかなかった。いつもなら誰かがマズいと思って途中で止めるのに、あのときはみんなが不思議な熱気と共感に包まれて、楽しそうに私を殺そうとしてた」




 見つかってもどうせ自殺で処理される。


 そんな確信があったのか、人を殺すという危険な所業であるにも関わらず、そこに集まった十人弱の生徒は誰一人として止めようとしなかった。




「そして実際に私は首を吊らされた。苦しむ暇もなく、あっという間に意識が朦朧としてふわっと飛んでいっちゃったから、あのときばっかりは本当に死んだなって思ったよ。でも次に目を覚ました時、私の前にいたのは夢実ちゃんだったんだ。夢実ちゃんが助けてくれなかったら、私は絶対に死んでたと思うな」




 命を落とすギリギリのところで、夢実ちゃんが私を助けに来てくれたのだ。


 いつもなら夢実ちゃんも巻き添えになるところだけど、先生も一緒に来たから無事に生き延びることができた。




「浅沼くんは誰に助けに来てほしい? 集堂くん? あはは、私が殺したからもういないけどね。あ、でももしかしたらゾンビになって徘徊してるかも。再会できるといいねっ」


「うああぁぁ……あああ……!」




 私は腐り始めた浅沼くんの体を「よいしょ」と持ち上げると、その首をロープで作った輪っかにかけた。




「うあ……あ゛、ぁ……」




 喉が絞まる。


 うめき声すらうまく出せなくなる。


 光のない目が、ぎょろりと私を睨んだ。


 一方で私はそんな彼の姿を正面で見て、両手で全力の拍手をした。




「完成ー! んふっ、ふふふっ、あははははははっ! よく似合ってるよ浅沼くん! あの時の浅沼くんも私を見てこんな気持ちになってたんだね! よくわかるよ! わかる、わかる! あははははははっ! あのときの浅沼くんたちみたいに私も笑っちゃぁう! あはははははは!」




 私は手が腫れそうなぐらい繰り返し拍手をした。


 静かな校舎に、一人分の手の音と笑い声が響き渡る。


 ふと、私は鼻のあたりにこそばゆさを感じて、手の甲で拭った。




「興奮しすぎて鼻血出ちゃった。はぁ……もういっか。汚いし臭いしめんどくさくなっちゃった。これぐらいにしとこ」




 血を見て急に気分が冷めた私は、浅沼くんに背を向ける。


 彼は空中から吊り下げられたまま、左右にぶらんぶらんと揺れていた。


 ゾンビとなったその肉体は、酸素の供給が止まったところで活動を停止することはなかった。


 これは実験の意味合いもある。


 どれぐらい放置して、どういった変化があれば、ゾンビは次の姿に進化するのか。




「あれ、浅沼くんちょっと怒ってる? 確かに私は残酷で非道な行いをしているかもしれない。でもね、そんな私にしたのは浅沼くんたちだよ。どうやったら他人を苦しめるか、実践して教えてくれたんだから! 私の行為は鏡。もし今、苦しくて辛いと思ってるのなら、それはぜーんぶ――過去の自分がやったこと、だよ」




 私の言葉に反応したのか、はたまた食欲がそうさせているのか、浅沼くんは激しく体を揺らした。


 まるで赤ちゃん向けのおもちゃみたいに、ゆらゆらと空中で回る。




「じゃあね、またあした」




 私が部屋を出たあとも、彼は吼え続けていた。


 ああ、廊下に満ちる淀んだ空気すらも澄んでいるように感じる。


 世界はこんなにも美しかったんだ。




「次は誰と会えるのかな、楽しみっ」




 思わず鼻歌なんて歌いながら、私は軽い足取りで購買へと向かう。


 頭がくらくらする。


 心がぽわぽわする。


 なんだろう、この気持ち。


 空を覆う膜を突き破って、ようやく光の指す世界にやってきたような、そんな気分。


 人を殺めて、暴力を振るって、奈落に落ちている。


 そんな気でいた。


 けどひょっとすると、私は少しずつ正常になっているだけなのかもしれない。


 私の生きるくそったれた世界の、標準的な一般市民に。



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