第7話 セーフゾーン

 



 私はベッドから立ち上がると、ぴょんぴょんと飛び跳ねてみた。


 体の調子はすっかり元に戻ったらしい。


 そんな私を見て嬉しそうな令愛とは裏腹に、巳剣さんは恨めしそうにこちらを睨んでいる。




「巳剣さん、何か嫌なことでもあったの?」


「……調子に乗って」


「何の話? 私はごく普通に振る舞ってるつもりだけど」


「それがあんたのごく普通? 冗談言わないでよ」


「私が普通にやってることが気に食わない? 呼吸しているだけで憎たらしい? まともに話したことすらないのに、そんなに憎まれる理由があった?」


「く……」


「ま、まあ依里花、そこまでにしておこうよ。まだ病み上がりなんだから」


「令愛がそう言うなら。ところで、どうしてみんなは保健室に逃げ込んだの? 外の様子はどんな感じか教えて欲しいな」




 私の問いに答えたのは、牛沢さんと島川くんだった。




「たぶん倉金さんが見てきたのとほぼ同じ。急に化物が現れて、会衣は慌てて安全そうな保健室に逃げ込んだ。友達とははぐれてしまったけど……」


「オレもそうやな。玄関に向かった後、外に逃げるのは無理やと気づいて、必死こいて校内を逃げ回ってたんや。でも学校の形が変わってて迷ってもうて。どうにかここに駆け込んで、死なずに済んだっちゅうわけや」


「そして僕の発案であのバリケードを作り、今のところ生き延びているというわけです」




 龍岡先輩はどこか誇らしげに、眼鏡をクイっと上げながら言った。


 保健室の入り口は、棚や椅子などで閉じられている。


 あれのことを言ってるんだろう。




「あの赤い廊下以外は、私たちが見たのと同じ、か」


「廊下を抜けたら全部元通りになってたらよかったのにね……」


「倉金君、今度はこっちが聞く番です。さきほどの魔法のような力の正体を話してください。なぜ君にだけそんな力があるのです?」




 龍岡先輩はなぜか不機嫌そうに、高圧的に問いただす。


 私がこの力を持ってることが不満みたいだ。




「なぜかはこっちが聞きたいぐらい。何かって言われれば、たぶんそのまま魔法なんじゃないかな、使ったらMP減ってるし」


「そんな曖昧な答えで!」


「そう怒ることあらへんやろ、先輩。わからんもんはわからんのや」


「この女を信用するんですか?」


「生き残るためにはそうするしかあらへん。オレらには化物と戦う力が無い以上はな。信じる信じない以前に、頼るしかあらへんのや」


「く……それはそうですが……」




 どうも私と同様の能力を手に入れた人間はここにはいないらしい。


 私は圧倒的優位にある。


 巳剣さえも、最終的には私を頼るしかない。




「ねえ依里花、あのバリケードでいつまで保つかな……」




 令愛は保健室の入り口を見ながら、私に耳打ちした。




「私がやりあったゾンビリーダーとやらが来たら、一発で壊されると思う」




 それは紛れもない現実だ。


 強化された私の肉体ですら、ステータスを上げなければあのパンチを受け止めることはできなかった。


 バリケードなんて気休めにもならない。





「やっぱりあれだけじゃ不安なのねぇ」




 さすがに明治先生もこの部屋の安全性には思うところがあるらしい。


 顎に手を当て、少し不安そうに同じ方向を見つめる。




「それにこの部屋、食べ物も水もないのよねぇ」


「水道はあるんじゃないですか?」




 令愛がそう言うと、明治先生は困った顔をして蛇口に近づく。


 そこから出てきたのは、赤黒い水だった。




「これ、飲めると思うぅ?」


「無理ですね……」




 仮にこの部屋が安全地帯だったとしても、水道管が外に出ている以上、水は何らかの異常に晒されてしまっている。


 しかし飲料水すら無いとなると、今日生き延びることすら危うい。




「あまり頼りすぎるのもよくないと会衣は思うけど……倉金さん、魔法で水を出したりできない?」




 私としても水は無いと困る。


 そういう魔法が都合よくあるなら、真っ先に覚えるべきだろうけど――




「できるみたい」


「できるんだ……」




 ちゃんと用意されてる、都合いいなあ。


 スキルの名前はそのままウォーター。


 レベル1の段階で消費MPは2。


 水球を相手にぶつけて攻撃するスキル、と書いてある。


 私は窓を開けると、手のひらをかざしてスキルを発動させた。




「ウォーター」




 手のひらの前に水球が生成される。


 直径50センチぐらいはある、結構な大きさだ。


 そして発動したからといってすぐに発射されるわけではないらしい。


 私が発射されるよう念じてみると、水球は外に向かって勢いよく射出された。


 そしてすぐに“風景”そのものにぶつかり、弾ける。


 衝撃を受けると風景はぐにゃんと歪んだ。




「……やっぱり外には壁があるのねぇ」




 明治先生が悲しげに呟いた。


 次は保健室に置いてあったバケツを手に取り、手洗い場でウォーターを発動。


 発射せずに、そのまま発射準備体勢を解いてみる。


 すると途端に水球は形を失い、ばしゃんと流れ落ちた。


 バケツの中にはなみなみと水が満たされる。




「はい、水」


「おお……すごいやんけ」


「ちゃんと飲めるんですか?」


「先輩、疑いすぎ」


「仕方ないでしょう、魔法で作られた水なのですから」


「貴方がそう言うなら、あたしが飲みます」


「待って令愛、飲めるかどうか私にもわからないから、先に自分でやる」


「ふん、本人もそう言っているようですが」


「先輩、うるさい」


「口が過ぎますよ牛沢君」


「うるさいものはうるさい」


「依里花が作った水なら大丈夫だと思うけどな」


「あはは……信用してくれてありがと」




 私はバケツの水を掬い、口に運び飲み込んだ。


 何の変哲もない冷たい水だ。


 体に異変が起きる予感もない。




「ん、おいしい。大丈夫みたい」


「ほらやっぱり」




 令愛は私の顔を見てにこりと笑った。


 他の面々も、無事に水の確保ができたことに安堵する。




「これで水に関しては一安心っちゅうわけやな。さすがに宙に浮かんだ光から出てたときはビビり散らしたけど、あんたら来てくれて助かったわ」


「私は最初から飲めると思ってたわよぉ」




 都合いいなこの先生。




「水はできるだけ沢山確保しておきたいものねぇ」


「いくらでも出せるわけじゃないよ。魔法を使える回数は限られてるから」


「魔法を使うと依里花のポイントが減ってくんだよね」


「たぶん休めば回復するとは思うし、ステータスを割り振れば上限も増えると思うんだけどね。今はあと1回使う分しか残ってないから、大量確保は無理」


「そう都合のいいことばかりではありませんか……あわよくば、その魔法で食料も用意できないかと期待していたのですが」


「先輩、夢を見すぎ。さすがに食べ物を作る魔法なんてものは、会衣も無いと思う……無いよね?」




 申し訳無さそうに確認する牛沢さん。


 しかしその視線には、微量の期待が混ざっていた。


 私も食べ物は必要だと思うけど、無い袖は振れない。




「見た感じ無いかな」


「やっぱり……」


「生産スキルのほうに農業とか料理はあるけど、土も種も無いんじゃ栽培なんてできないだろうし」


「あたしたちにはそんな時間もないもんね」


「食料はぁ、購買とかに行けば残ってるんじゃないかしらぁ」


「誰かが外に取りに行くしかないんやな」


「……僕たちには無理ですね」


「これも会衣たちは倉金さんに頼るしかない」




 まあ、戦う力は私しか持ってないんだからこうなる。


 頼られてる。


 私がいなきゃみんな生きていけない。


 うん、気持ちいいね。




「いいよ、脱出の手がかりを探すためにも、ここに留まっておくわけにはいかないから」


「何か力になれることがあったら言ってね。あたし、本当になんでもするから!」




 また手をぎゅっと握る令愛。


 だから距離近いって……光属性すぎる……。




「……ふん」




 一方で巳剣さんは、部屋の端っこで不機嫌そうにしている。


 あの態度、いつまでもつのかなあ。




「話もいい感じで一区切りしたしぃ、甘いものでも食べなぁい? 気が滅入ることばかりでわたし疲れちゃったわぁ」


「甘いものなんてあるの?」




 私がそう聞くと、明治先生は得意げに冷蔵庫に近づいた。


 そして中を開くと、前に置かれた経口補水液をどかす。


 すると奥からお菓子の箱が現れた。




「じゃーん! こんなこともあろうかとぉ、先生準備しておいたのよぉ」


「隠し持ってただけじゃ……」


「まあまあ、そう言わないの倉金さぁん。結果オーライでしょお? あ、ちなみに食事代わりにできるほど沢山はないわよぉ? おやつの分だけ」


「おやつだと自白したように会衣には聞こえる」


「はぁ、まったく不真面目な教師です」




 龍岡先輩がため息をつき呆れる。


 それでも明治先生はニコニコと笑ってるけど――目が笑ってないように見えた。


 先生は全員に、箱に入っていた一口サイズのスティックケーキを配る。


 私たちは各々思い思いの場所に腰掛け、糖分を補給して一時の安らぎを得た。


 私はベッドの縁に座り、依里花はそんな私にべったりとくっつくように隣に座っている。


 ……もう何も言うまい。




「あぁー……糖分が頭に染み渡るぅ……」




 令愛は幸せそうだった。


 続いて私もケーキを食べると、恥ずかしながら、思ったよりもおいしくて驚いた。


 そういやケーキなんて食べたのいつぶりだっけ。


 私の分の誕生日ケーキなんて用意してもらったことないからな。


 妹が誕生日を祝ってても、私はそこにいなかったし。


 お菓子はあっという間に胃袋に収まって、私は虚空を見上げ「ふぅ」と大きく息を吐いた。


 集堂くんを殺してから、まだ二時間ぐらいしか経ってないんだよね。


 あまりに予想の付かないことばかり起きすぎて、一ヶ月分ぐらい年をとった気分。




「これからどうなるんだろうね、あたしたち」




 糖分が脳に補充されてしまったせいか、令愛はこれからのことを考えてしまったようだ。


 保健室を一歩出れば、外は人間を食う化物だらけ。


 外にも逃げられず、外からの助けも期待できそうにない。


 お先は真っ暗。


 けど先が真っ暗なのは、私にとってはいつものことなので、さほど悲壮感はない。




「まずは今を生き延びないと。先のことなんて考えたって何もいいことないんだから」


「……そうだね。何もわからないのに後ろ向きになったって仕方ないか」




 さすが令愛、立ち直るのが早い。


 私が言いたかったことの真意は伝わって無さそうだけど。




「改めて言うけど、本当にありがとうね。依里花がいなかったら、私本当に、とっくに死んでたと思うから」


「あの場に居合わせたのはたまたまだよ、力を手に入れたのも」


「それでも助けてくれたことに変わりはないもん。力があっても、助けるかどうか選ぶのは本人でしょう? 依里花は優しいんだよ」


「……そうでもないと思うけどな」


「またまた謙遜してぇ」




 謙遜なんかじゃない。


 別に私は正義心から令愛を助けたわけではないから。


 人を疑うことを知らないような目をしてる彼女にはわからないだろうけど、もっと打算と欲望に塗れたどろどろとした理由で――それを知れば、きっと令愛だって私を軽蔑するだろう。


 他の人がそうしてきたように。


 夢実を除く他の全ての人・・・・がそうしてきたように。


 幸か不幸か、それを知っている巳剣さんもここにいるわけだしね。


 外に食料を取りに行くってことは、私だけがここにいない状況が発生する。


 その間にどれだけ沢山の悪意を彼女は伝搬させるだろう。


 野菜なんかよりよっぽど簡単に悪意は育つ。


 こうして心地よい時間を過ごせるのも、たぶん今だけだ。




「ふあ……落ち着いたら眠くなってきちゃった。依里花も一緒に休まない?」




 令愛はリラックスした様子だ。


 他の面々も、私という“戦える人間”がいるからか、目を閉じて体を休めている。


 そんな穏やかな静寂を破るように、ガンッ! と何かがぶつかる音がした。


 全員がびくっと体を震わせ、一斉に視線が入り口のほうに集中する。




「何の音……?」




 令愛が私の袖をぎゅっと掴んだ。


 続けて、ガンッ、ガンッとバリケードを何者かが叩く。




「会衣が思うに、生き残った人が逃げてきたわけではなさそう」




 牛沢さんの期待を裏切るように、「うあぁぁあ……」とかすれた声が聞こえた。


 さらに音が鳴る回数が増えた。


 間隔が狭まったのではなく、どうやらバリケードを叩く化物の数が増えたらしい。




「見つかってしもうたか」


「倉金君、あなたは戦えるんでしょう? 今すぐあいつを排除してください!」




 やろうと思えばできる。


 だけどそれじゃ、根本的な解決・・・・・・にならない。


 どうせ私は外に出る間はここは無防備になるんだ。


 先に手を打っておこう。




「排除の必要もないよ。それよりいい方法があるから」


「何をするつもりです?」


「聖域展開」




 覚えたてのスキルの発動と共に、部屋の周囲が一瞬だけ明るくなる。


 空気も少し澄んだ気がした。


 そして、聞こえていた打撃音も消える。




「説明をしてください、何が起きたんですか」




 龍岡先輩の言葉に特に返事はせずに、私は部屋の入り口に移動すると、扉を塞いでいたバリケードを退かした。




「片手であの棚を動かしよった……オレらは三人がかりでやっとだったのになあ」


「化物が入ってきますよ!」


「大丈夫、もう入ってこないようになってる・・・・から」




 うまくいってれば、だけど。


 遮蔽物が無くなり、扉が現れる。


 目の前にゾンビが立っていて、少し驚く。


 ゾンビは私を見ると手を前に突き出して襲いかかってきたが、見えない壁に弾かれ吹き飛ばされた。




「会衣には電気みたいなのがバチバチしているように見える」


「結界みたいなものだよ、これで私がいなくても化物が侵入することは無いと思う」


「じゃあこの部屋は安全ってこと?」


「スキルの説明を見る限りそうだと思うよ、たぶん」




 龍岡先輩は「頼りない言葉ですね……」と呆れ顔だったが、私も確実なことは言えない。


 スマホに表示された内容を信じるしかないのだから。




「どないな説明が書いてあるんや?」


「口で言うより実際に見た方が早いと思う」




 私がスマホを見せると、みんなは集まって画面を覗き込む。


 巳剣さんも気になってはいるのか、遠巻きに様子を眺めていた。


 そして令愛がその内容を口に出して読み上げる。




「【聖域展開 Lv.1】、【カイギョの壊疽えその侵入を拒む結果を展開し、拠点を1箇所作成する】……カイギョの壊疽?」


「カイギョなんて言葉、会衣は聞いたことが無い」


「あの化物たちがそうなんじゃないかな」




 カイギョが何を意味するのか、解説が無いのは不自然だと思う。


 そもそもこのアプリ、ゲームを模してるくせにチュートリアルとか無いんだよね。


 自分で機能を探して試さないといけないから不便極まりない。




「壊疽ねえ……物知りの龍岡先輩なら知ってるんやないか?」


「知るわけないでしょう、オカルトは専門外です。こういうときは僕より教師を頼ってみるべきだと思いますよ。どうです、明治先生」


「……」


「先生?」


「……みんな気づかなかったのぉ?」


「何に気づくと言うんです?」


「さっきのゾンビ、制服着てたじゃない。要はうちの生徒ってことよねぇ」


「つまり……生徒がゾンビになってしまったと」




 さすがに驚きを隠せない龍岡先輩。


 令愛も口を半開きにした固まっている。


 他の面々も似たようなものだった。




「わたしたちも殺されたら、ああなっちゃうのねぇ」




 明治先生の声が、部屋にやけに響いた。


 よく知るゾンビ同様に、肉体の腐敗は伝染するということだ。


 そして私は一つの疑問を抱く。


 だったら突如現れたゾンビたちは、どこでゾンビになってしまったのだろう。


 服装は制服でもなく、洋服っぽくもなかった。


 顔立ちも日本人とは違うように思えたし、海外から飛ばされてきたってこと?




「僕はあのような醜い姿になるつもりはありません」


「映画だとそういう人、最初に死ぬわよぉ」


「明治先生、今の発言はさすがに問題ですよ?」


「口が滑っちゃったわぁ」




 明治先生、さっき先輩に言われたことを根に持ってる?


 意外と腹黒い人なのかもしれない。


 だからといって、態度に堂々とは出さないあたりは一応大人って感じ。


 龍岡先輩は周囲とギスギスしてるし、巳剣さんは相変わらず黙ってるけど、先生がいれば令愛に危害が及ぶようなことは起きないかな。




「安全も確保できたから、私は行くね」


「依里花、どこに行くの?」


「外」


「今から!?」


「購買で食べ物を探してくるにも早いほうがいいと思って。脱出の方法が近くにあったら、ここで引きこもってるのもバカバカしいし」


「それはそうだけど……」




 時間が経ったからといって状況が好転するものではない。


 いや、むしろ悪化する可能性の方が高い。


 ――というのは建前で、正直に言うと色々試してみたくなったんだよね。


 スキルとやらで、どれだけ私が強くなれるのか。




「迷わないように気をつけるんやで」


「会衣が思うに、今の校舎は完全に迷路」


「わかった、肝に銘じとく」


「無理しないでね。疲れたり怪我したらすぐに帰ってきてねっ」




 手を握って、ぶんぶんと上下に振りながら訴えかける令愛。


 子供みたいなその行動に、思わず頬が緩む。




「わかったわかった」


「本当に危ないんだから、気をつけてね」


「うん」


「いってらっしゃい」


「い、行ってきます」




 また慣れないやり取りだ。


 普通の家庭では家族が送り出してくれるっていうけど、うちじゃ私にはそういうことしてくれないからな。


 私みたいな、落ちこぼれのゴミクズには。


 令愛から見送られながら、保健室を出る。


 途端に冷たく淀んだ不快な空気が体にまとわりついた。


 あたりにゾンビがいる気配は無いけれど空気にはわずかに腐臭が混ざっている。


 目の前に広がる光景は、見慣れた景色に似ているけれど、まるでコピーアンドペーストされたようにその光景が延々と続く異様な風景。




「ふぅ……やっぱり一人が楽だな」




 空気は悪くても、心は軽い。


 元々私は人見知りなんだから、知らない人と集まって会話を成立させられただけで褒められてもいいぐらいだ。


 力を手に入れて、気持ちが大きくなってるのかな。




「今のうちに色々試しとかないと」




 もし脱出口が見つからなければ、何日もここに閉じ込められることになる。


 仮に食料を確保できたとしても、かなりのストレスがかかるはずだ。


 そうなったとき、おそらく龍岡先輩はヒステリーを起こすタイプの人間。


 あの何の接点もない保健室の集まりが、揉め事もなく継続するとは思えない。


 余裕があるのは今だけなんだから、この“能力”について一人でいられるうちに実験は済ませなければ。


 ひとまず保健室から見えないよう、目の前にある曲がり角を左へ。


 曲がり角が存在する時点で、やっぱさっきの廊下とは別の場所だ。


 けど、終わりが見えないほど長く廊下が続いているところは同じで、学校の内部は巨大化し、かつ数多くの曲がり角で構造が複雑化しているらしかった。


 まったく理解を超えている。


 一体誰が、どんな理由でこんな現象を引き起こしたのか。


 保健室から外らしきものが見えるということは、一応あの部屋が端っこではあるんだろう。


 つまりこの廊下にも、一応は終点が存在するんだろうけど。




「ゾンビリーダーを倒したおかげでステータスポイントが4残ってるけど……一撃で8削られたことを考えると体力も上げたいし、飲料水の確保目的のために魔力も上げたい。けどこういうのってバランスよく上げると弱くなっちゃうんだよね……」




 とりあえず、HPとMPが本当に増えるのか確かめるために、魔力と体力に1ポイントずつ振ってみる。




倉金くらがね 依里花えりか

【レベル:7】

【HP:12/12】

【MP:5/12】

【筋力:13】

【魔力:6】

【体力:6】

【素早さ:7】

【残りステータスP:2】




 あー、増えるの2ポイントなんだ。


 でも上限が増えた分、残量も増えるのは嬉しいところ。


 レベルアップしたら全回復なんておまけもないからね。




「うーん……レベル自体は割と上がりそうだから、とりあえずMP確保するか……いや、その前にスキル見とこうかな。見落としてる便利な魔法とかあるかもしれないし」




 スワイプしてスキル画面を表示。


 魔法が属性別にずらっと並んでいる。


 習得したウォーターの下にはアイススピアという魔法が書かれている。


 習得条件はウォーターLv.3。


 水と氷は同じ属性にまとめられているらしい。


 さらに上げていくとアクアプレッシャーとか、ウォーターフォールとか強そうな魔法が並んでるけど、水にこだわる必要あるのかな。


 生きて行くのに必要な水を確保するにはウォーターLv.1だけで十分な気がする。


 他の同レベルの攻撃魔法は、ファイア、スパーク、ウィンド、ロックシュート。


 ダークネスっていう闇属性みたいな魔法もあるけど、説明を見ると黒い靄で相手の視界を奪うって書いてあるから、いわゆるデバフってやつなんだろう。


 さらに別の画面に移すと、今度は生産スキルが。


 スキルポイントが魔法と共有なのが悩ましい。


 さっき覚えた聖域展開はこっちのカテゴリに分類されてている。


 さらにさらに、次の画面には武器にちなんだスキルまで。


 こっちはドリーマーを使った攻撃スキルらしきものや、武器自体の性能を上げるものもある。


 もちろんスキルポイントは共有。




「振り直し……は無さそうなんだよねえ。一度覚えたらそれきりかあ、悩むなぁ」




 こうして悩んでいる間が一番楽しかったりするんだけど。


 とはいえ、残るスキルPは――




【残りスキルP:3】

【習得スキル】

 デュアルスラッシュLv.1

 ヒーリングLv.1

 ウォーターLv.1

 聖域展開Lv.1




 3しかないから、無駄遣いはできないのは事実。


 いや、むしろ3もあるって思うべきなのか? 全部化物を倒すスキルに全振りして、手早くレベルを上げてまたポイントを稼げばいい。


 となると、今はMPが必要な魔法ではなく、ドリーマーの強化にポイントを注ぐべきだ。


 どうやらこの武器を用いた攻撃スキルは、HPもMPも消費せずに発動できるらしい。


 そのかわり、次の使用までに数十秒のクールダウンが必要になる。


 要するに、多くの種類を覚えるほどに、連続して強力な攻撃を放てるということ。


 1つのスキルを集中して上げるのではなく、まずは『パワースタブ』、『イリュージョンダガー』の2種類の攻撃スキルをLv.1で習得する。


 これで『デュアルスラッシュ』と合わせて3種類の攻撃スキルを得た。


 それぞれ強化版のスキルもあるみたいで――要は一撃の威力に特化したもの、連撃に特化したもの、投擲に特化したものに分かれてるのかな。


 そして『武器強化Lv.1』を覚え、ドリーマーの攻撃力を5上昇。


 ……何となく取っちゃったけど、攻撃力って何だろ?


 ナイフの見た目が変わるわけでもないし、特別私自身の力が向上したような気もしない。


 たぶん、切れ味が良くなるとかそういう効果なんだろう。そういうことにしておこう。


 何にせよ、実際に使ってみればわかるというもの。


 お誂え向きに、奥の角からゾンビの声が聞こえてきた。


 私はドリーマーを握り、構えを取る。


 そして角から敵が頭を出した瞬間、スキルを放った。




「イリュージョンダガー、行けっ!」




 その場で空に斬撃を放つと、半透明のナイフが一本生み出され、敵に向かって一直線で飛んでいく。


 ナイフは見事にゾンビの眉間に命中すると、そのまま頭部を貫通してボッ、と大きな穴を開けた。


 顔面を空洞にされた敵はそのまま前のめりになって倒れる。




「思ったより……つ、強いなあ」




 ただの投げナイフ程度の威力だと思ってたのに、実際は銃弾をぶっ放すようなものだった。


 さすがにちょっとビビる。


 これが“スキル”か。


 残るデュアルスラッシュとパワースタブは、イリュージョンダガーと異なり近接で使用する必要がある。


 デュアルスラッシュの便利さはすでに知ってるけど、追い詰められて急に使ったから、まだ使い方をよく把握できていない。


 まずは試し切りをしておきたい。


 その生贄は、倒したゾンビの倒れる音に引き寄せられるように、同じ角から姿を表した。


 制服姿の女のゾンビ。


 体は腐りかけているものの、まだ人間の面影を残している。


 だからすぐに誰なのかわかった。




「吉岡さん……」




 同じクラスの女子だ。


 そんな、まさかすでにゾンビになって死んでしまっていただなんて。




「どうして……せめて私に殺されるまで待ってくれなかったの……」




 ほろりと涙がこぼれた。


 吉岡さんにはそう大きな恨みはない。


 せいぜい巳剣さんと同じレベルで、生かそうと思えば別に死ぬ必要もなかった。


 けど、どうせ死ぬなら、その生命の尊さを無駄にせず――ちゃんと苦しむ姿を、自分の目に焼き付けたかったな。




「うあああ……」




 絞り出される声も、喉が新鮮だからか他より澄んでいた。


 直前まで生きてたんだろう。


 ところであのゾンビ、意識は残ってるのかな。


 完全に死んで人格は消えているのか、はたまた腐りゆく自分を中から見ているのか。


 後者なら希望がある。




「ああぁぁああああっ!」




 私を見つけた途端に、目を見開き叫びながら駆け寄ってくる吉岡さん。


 


「吉岡さん、私だよ。あなたの大嫌いな倉金依里花だよ!」




 私は必死で呼びかけた、だけど反応はない。


 もはや殺意に支配された獣そのもの――




「そっか、ダメなんだ」




 でも、前向きに考えるべきなのかもしれない。


 ゾンビになりながら苦しむ姿は見られなかった。


 だけど、こうして私の前に現れて、恨みを晴らすチャンスをくれた。




「デュアルスラッシュ!」




 報いるためにも、徹底してその肉体を破壊する。


 横一文字に斬撃を放つと、それとちょうど交差するように、空に縦の斬撃が浮かんだ。


 ゾンビは四分割され、バラバラになって床に崩れ落ちる。


 ただ攻撃回数が増えるだけでなく、斬撃自体も強化されている。


 イリュージョンダガーと大きな差があるわけではないけれど、確実に相手にダメージを与えられそうだ。




「ありがとう、吉岡さん」




 私は彼女の亡骸の前で手を合わせた。


 そして最後――パワースタブ用のサンドバッグになるために、廊下の奥から薄汚れたゾンビがこちらに走ってくる。


 ゾンビ歴が長い人なのか、足元に倒れる少女とは明らかに腐敗の進行度合いが違う。


 走るだけで体から色の付いた汁が撒き散らされ、悪臭も放っている。


 さらには、私の前に到着する前に、その背中がボコボコと膨らみはじめた。


 いや、背中だけじゃない。


 顔を除く全身が肥大化し、まるであの廊下で遭遇したゾンビリーダーのような姿になっていく。


 ううん、“ような”ではなく、そのものなんだ。




「強力な個体として生まれてくるんじゃなくて、放っておくと勝手に強化される……体内で細胞的なものが増殖してるのかな。それとも空気中から取り込んでる? 吉岡さんも、もうちょっと待ったらあんな姿になってくれたのかな」




 だがこれで、脱出を急がなければならない理由が一つ増えた。


 しかし、今は焦る必要は無い。


 すでに私は一度、ゾンビリーダーを倒しているんだから。


 1対1なら負ける道理がない。




「ゔあああぁぁぁあああああッ!」




 筋肉の鎧を纏った異形は吠え、振り上げた拳を私に叩きつける。




「パワースタブ!」




 その拳に向かって、私はドリーマーを突き出す。


 ヒュボッ! という短い音が鳴り、ゾンビリーダーの腕は弾け飛んだ。


 いや、それどころか腕の付け根、さらには胴体の半分ほどが消し飛んで、ぐらりと体が傾く。




『モンスター『ゾンビリーダー』を殺害しました。おめでとうございます、レベルが8に上がりました!』


「う、あ゛……?」




 自分に何が起きたのかわからない――そんな顔をしながら、化物は倒れた。




「いいね、これ。気持ちいい。今なら何だってできる気がする!」




 力が増すたびに、私の取れる行動の選択肢は増えていく。


 力のない人間がセーフゾーンに引きこもるしかない一方で、自由にこうして動けるのは、間違いなくの力のおかげだ。


 生徒や先生たちには加担するか、助けるかという二択があった。


 彼らは前者を選んだ。


 家族や警察には無視するか、助けるかという二択があった。


 彼らは前者を選んだ。


 それが楽だからと、状況に流されるがままに、私を生贄にして彼らは平穏を手に入れた。


 けれど今はまったくもって真逆だ。


 私を頼るしかないんだ、みんな。


 私なんか・・・を。


 自分がひねくれたクズだってことぐらいわかってるよ。


 でも、ここは誰も咎めたりしない。


 だったら、この気持ちよさに身を委ねても、別にいいよね。



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