第6話 感情乖離

 



 光が晴れると、私は冷たい床に横たわっていた。


 隣に――令愛はいる。


 まだぼんやりして見えないけど、手を握っている感触がある。


 それと、人型の何かが私たちを取り囲んでいた。




「待って、あたしたちは化物じゃない! 逃げてきたらここに飛ばされたのっ!」


「信じがたいですね、人間の姿をした化物だっていたのですから。何より明らかに怪しげな刃物まで持っています。急に現れた君たちを信用はできません」




 誰かの話し声が聞こえる。


 令愛と……相手は男? たぶん眼鏡を付けた、細身の男性だ。




「あたしは2年C組の仰木令愛。ほら、学生証だってあるし」




 令愛、同い年だったんだ。


 その割に知らない――って、基本的に他人と話さないんだから当然か。




「ねえお願い、依里花が怪我してるの。休ませてあげて」


「確かにこの顔、会衣あいは見たことある。同じ二年だから」




 今度はか細い上品そうな女の子の声。


 肌の色は白く、身長も小さい。




「確かにオレも。1年やけど仰木って人の顔は見たことがあるな。倒れてるほうは知らんけど」




 また別の男――後輩みたいだけど、ちょっと口調が怖いな。


 軽薄そうで、身長も大きくて、正直近づきたくないタイプ。


 でも一体ここはどこ? 何人いるの?


 どうやら、会話が成立してる時点で相手は普通の人間みたいだけど。




「私は信用しないほうがいいと思う。目を覚ましたらその刃物で刺されるかもしれないわ」




 また聞こえてきた、別の女の声――待って、この声ってもしかして。




「2対2ですか。安全を取るなら僕たちのほうが正しいと思いますが」


「だからって追い出すのはよくないと会衣は思う。怪我人もいる」




 重たい腕を持ち上げて目を擦ると、少し視界がクリアになる。


 真っ先に目があったのは、先ほど私に“信用できない”と言ったクラスメイト・・・・・・だった。


 あは、生きてたんだ。


 喜びが胸に湧き上がる。


 だが彼女は私の視線に気づくと、さっと目をそらした。




「どうして……気まずそうにするの、巳剣みつるぎさん」




 巳剣ふゆ、それが彼女の名前だ。


 私と同じ二年B組のクラスメイト。


 積極的に私へのいじめ・・・に参加するタイプではないけど、誘われればやるし、私が苦しんでいるのを遠巻きに見て笑ったりもするタイプだ。


 私が呼んでも巳剣さんは目を合わせようとしない一方で、他の面々の視線は彼女に集中する。


 令愛は少し怒り気味に言った。




「知り合い? 知ってたのに追い出そうとしたの!?」


「……知ってるからよ。倉金のことが信用できないわ」


「不思議だなぁ、私から巳剣さんに危害を加えたことは無いはずだけど……巳剣さんに教科書を踏みつけられたことはあっても」


「っ……」




 何でここで言うんだ、とでも言いたげに私を睨む巳剣さん。


 どうして怒るんだろう。


 私は事実を口にしただけなのに。


 それで周囲の人から冷たい目を向けられたとしても、それは巳剣さんの責任だもん。


 と、ここで私はこの部屋が保健室であることに気づいた。


 どうもあの謎の廊下から脱出した私たちは、ここに飛ばされてきたらしい。


 いきなり何もない場所から現れたら、そりゃあ警戒もするはずだ。




「……そういう関係か」


「待ってよ、なんで倉金の言葉だけ信じるのよ! こいつだって碌な女じゃないわ!」


「こいつだって・・・? 自分が悪いことも自覚してんのかよ」


「あ……」



 

 墓穴を掘った巳剣さんは、なぜか私を睨みつけた。


 その行為がさらに信頼を損なうとも知らずに。




「化物にこんなやり取りはできないと会衣は思う」


「それすらも演技ならどうするつもりです?」


「諦めるしかない。仮にそんな化物がいるなら、どうせ会衣たちには手も足も出ない」


「……なるほど、確かに諦めも必要ですね。ここは僕が折れるしかないようです」




 話はまとまったみたいだ。


 相変わらずHPは2のままで、自然回復する様子はない。


 肺にダメージがあるからか、痛みというより、呼吸が苦しくなってきた。


 さすがい硬い床じゃなくてベッドで休みたいや。




「ところで、本来こういうのを決めるべきは僕たちではなく、教師であるべきだと思うんですが。そのあたりどうなんです、明治先生」




 そっか、ここ保健室だから先生いるんだ。




「んー、決まったならそれでいいんじゃなぁい?」


「無責任ですね」


「あと先生って言われてもぉ、わたしは別に担任とか持ってるわけじゃないから。そういうの期待しないでねぇ」


「教師がそれでええんか?」


「これも諦めが肝心。会衣が知ってる明治先生はいつもあんな感じだから」




 養護教諭の明治先生……頼めば怪我の治療はしてくれるんだけど、いつもやる気ないもんなあ。


 よく胸元が開いた服を着ているからか男子生徒の人気は高いらしいんだけど。




「決まったなら依里花を運ぶの手伝って。ベッドに寝かせてあげたいの」




 私は令愛を含む四人の生徒に運ばれ、ベッドの上に移動した。


 背中が柔らかいだけで、いくらか呼吸はしやすくなる。


 相変わらず、空気を吸い込んでもどこかに抜けてうまく体内に取り込めてない感じがするけど。


 そして生徒たちはベッドの横に立ち、私を見下ろしながら言葉を交わす。




「一体、何があってこんな怪我を負ったというんです」


「化物に襲われたの。他のより強くて、早くて、体つきも大きなゾンビだった」


「そんなものまでいるんですか」


「外の景色だと思ったものが化物だったり、もうわけがわかんないよ!」


「仰木先輩もあれを見たんか」




 令愛がうなずくと、なぜか眼鏡の男は驚いた様子だった。




「景色に喰われたという話ですか。本当に存在したのですね」


「だから言うたやろ」


「龍岡先輩、自分の話は信じろって言う割に、会衣たちの話を信じなさすぎ」




 龍岡――それが眼鏡男の名前。


 三年生なら、龍岡先輩って言っておいたほうがいいのかな。




「牛沢君でしたか。君が簡単に信じすぎるだけだと思いますが」




 そしてこっちの小柄な女の子が牛沢さん、と。


 一人称が名前だとするなら、フルネームは牛沢会衣になるのかな。


 自然と名前を教えてくれて助かる。




「教師があの様子で役に立たない以上、僕たちは自分自身の判断で生き残る必要がありますからね」


「言うてあんたの判断が正しいとは限らへんやろ」


「島川君と言いましたね。後輩なら大人しく先輩の判断に従うべきではないかと思いますが」


「こんな時に先輩だの後輩だの言うて面倒くさいやっちゃのう。人が大勢死んどるっちゅうのに」


「こういう時だからこそ意思の統一が必要なんです、理解しなさい」




 それであっちの後輩が島川くん。


 うん、名前がわかったらもう会話は聞かなくていいや、頭痛くなってきた。




「オレらはたまたま顔を合わせただけの赤の他人同士や。意思の統一なんてできるわけあらへん」


「ですがやらなければ――」


「会衣たちが言い争っても意味がない」


「そうだよ! まずは依里花の傷をなんとかしないと」




 令愛の言葉に、龍岡先輩と島川くんの頭が冷えたのか、言い争いが止まる。


 もっとも一時的なもので、根本的な性格の相性の悪さは解決しようもないが。




「確かにひどい出血ですね……吐血までしているとなると、内臓にまで傷が及んでいる可能性があります」


「そんなもん、保健室の設備でどうにかできるんか?」


「無理に決まってるじゃなぁい。救急車でも呼ぶしかないわぁ」


「そんな……警察だって来ないのに……」




 令愛の声が震えている。


 泣いてるの? 私なんかのために。


 涙の無駄遣いだなあ、まったく。




「私を守るために負った傷なのに……また私、何もできないの……」


「化物に捕まった時点で誰かの命が失われる運命だったと思うしかありませんね」


「そんな冷たい考えはできないよ! あたしが生き残れたのは依里花のおかげだし、ここから先も依里花がいないと生き残れないと思う!」


「非力な女性一人が生き延びたところで何ができるというんです?」


「依里花は戦える。その……できれば戦ってほしくないけど、でも化物を倒せるのは、たぶん依里花だけだと思う」


「はっ、馬鹿げた話です」


「実際に私の目の前で何体も化物を倒してるんだからっ!」


「さすがに倒したってのは、会衣でも信じきれない」


「依里花には特別な力があるの。その、魔法みたいなっていうか……」


「そんな漫画みたいな話があるっちゅうんか」




 まあ、話したところで誰も信用しないのは当たり前だ。


 私だって胡散臭いと思っているんだから。




「……令愛」


「大丈夫、依里花? 体が痛むの?」


「スマホちょうだい」


「言ってくれたらあたしが操作するよ」


「自分で確認したいことがあるの」




 少ししょんぼりとした様子でスマホを渡す令愛。


 私は自分の“ステータス”が表示された画面をまじまじと見つめた。




「こんなときにスマホとは、何のつもりです?」


「あれを操作すると、依里花は強くなれるみたい」


「はっ、まるでゲームですね。到底信じられません」


「……私だって信じられないことが起きてるとはわかってる。でも役に立ってる以上、使わない手は、ないから」




 喋るのもちょっときついな。


 でも仮にこれがゲームだって言うんなら、回復手段が用意されてないなんてこと無いと思うんだよね。


 例えばこの画面。


 今はステータスだけだけど、横にすべらせると――ほら来た、別の画面が出てくる。


 ここはスキル習得画面ってやつかな? さっき令愛が間違って押しちゃったとこ。


 仮にこれが本当にゲームだって言うんなら、誰がこんな悪趣味なもの作ったんだか。


 スキルの種類は、攻撃魔法に、回復魔法、生産スキルまである。


 他には武器スキル……。




「あ、依里花の武器が写ってる。その画面、あのとき私も見たよ」




 いつの間にか、令愛が横から覗き込んでいた。


 顔近いなぁ。


 かわいいから別に嫌じゃないけど。




「私が使ってる武器に応じたスキルを覚えられる画面みたい。この武器、ドリーマーって言うんだ」


「依里花が付けたの?」


「ううん、勝手に付いてる」




 でも――ドリーマー、夢見人、か。


 最初から本名が入ってたところもそうだけど、どっかの誰かに私の頭の中を覗かれてるみたいで気持ち悪いな。


 まあ今はどうでもいいや。


 私は回復スキルの画面を表示して、一番上にある『ヒーリング』を習得することにした。


 スキルポイントは5ポイントある。


 デュアルスラッシュの習得で1ポイント減っていることを考えると、どうも1レベルにつき1ポイントもらえるらしい。


 とはいえ、スキルの数は膨大だし、前提スキルも存在するみたいだし、ヒーリングをレベル2以上にもできるみたいで――うん、やっぱこれポイントを無駄にできないタイプのやつだ。


 さて、プラスボタンを押してヒーリングを覚えたのはいいけど……ここでスキル名を叫ぶのは恥ずかしいな。


 とりあえず手のひらを胸にかざして、目を閉じて祈ってみる。


 ……無反応。


 願ってみる。


 やはり無反応。


 じゃあ、やっぱり技名を言わないと発動しないんだ。




「ヒーリング」




 手のひらから白い光が放たれ、傷口を暖かく包み込んだ。


 痛みが和らぎ、呼吸も楽になっていく。


 HPは……っと。




【HP10/10】

【MP7/10】




 お、回復してる。


 MPの量が少ないから3回しか使えないけど、魔力を上げればこれも増えるのかな。




「その光は……馬鹿な、傷が癒えている? 何をしたんです!?」




 龍岡先輩は、私が危害を加えるんじゃないかってピリピリしている。




「今の、本当に魔法みたいな光に見えた」


「ほんまに魔法なんか……」




 牛沢さんと島川くんは結構な驚きようだ。


 注目を受けててちょっと優越感。


 そして――




「依里花の傷が治ってる……よかった、よかったあぁ……!」




 令愛は涙を流して喜んだ。


 その姿は、やっぱり夢実ちゃんと重なる。


 私のために泣いてくれる人なんて、あの子ぐらいしかいなかったから。


 ああ……でも駄目だ。


 重ねるたびに、裏切りの不安が湧き上がってくる。


 集堂くんを突発的に殺してしまったことといい、私の心はどうにも私の言うことを聞きたくないらしい。


 自分自身にうんざりする。


 けど一方で、私は自然と令愛の頭に手を置いていた。


 かつてそうしたことがあるように。


 そして、勝手に頬が緩む。


 周囲から見れば、さぞ穏やかな表情をしていただろう。


 気色が悪い。


 私は私に向かって心の中でそう吐き捨てた。



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