第5話 光の先へ

 



 現れたゾンビたちは、一直線に私に向かって走ってくる。




「う゛あぁぁぁあ……!」


「ゾンビがあんなに速く走るなんておかしいよ!」




 もうとっくに見たことがあるはずなのに、変なところに怒る令愛。


 彼女を抱えてるから両手がふさがっててナイフは使えない。


 となると脚で相手をするしかない――!


 こちらに掴みかかろうとするゾンビの前で私は飛んだ。


 前に突き出した膝が下顎に直撃し、バキッと首をへし折る。


 腐った肉の感触に目をつぶれば割と爽快!




「画面にゾンビを倒しましたって出てきた!」




 今の状態でも武器を使わずとも一撃で仕留められるわけだ。


 そしてレベルが上がったとき以外は頭の中には響いてこない、と。


 でも、さっきのは当たりどころがよかっただけのようにも思える。


 左右から掴みかかってくるゾンビの腕を避け、立ちはだかる相手を今度は足の裏で蹴り飛ばす。


 吹き飛ばされたゾンビはバリケードに叩きつけられた。




「あれ、今度は出て来ない……」


「ちゃんと当てないと倒せないみたい」




 私の予想通り、ゾンビはすぐに立ち上がり、再び私のほうに向かってくる。


 ゾンビの弱点が頭ってのは古今東西で共通ってことか。


 まあ、とっくに横を通り抜けたから起き上がっても問題は無いけど。




「令愛、力を2ポイント上げて」


「わ、わかった!」




 ポイントが割り振られると、令愛の体が軽くなったように感じる。


 そして前方のゾンビに、再びの膝蹴り。


 今度は顔面のど真ん中に命中し――顔の上半分が弾け飛んだ。




「う、えぐ……」




 思わず引きつった声をあげる令愛。


 脳漿をスプラッシュする様は、さすがの私もちょっと引いた。


 でも威力は確実に上がってる。


 着地して、次は右足での蹴りを胸部にぶち当てた。


 足裏に感じる、肋骨をへし折り、中身をぐちゅりと潰す感触。


 ゾンビが吹き飛び、バリケードに叩きつけられるという結果は変わらなかったけど――




「今度は倒せてるよ、依里花!」


「オッケー、ゾンビ相手ならこれで行ける!」




 こうなったらゾンビみたいな雑魚はバリケードと同程度の障害にしかならない。


 速度を維持しながら、できるだけ戦いを避け前に進む。


 着実にゴールは近づいている。




「やっぱり扉だよね、あれ」


「でも保健室の入り口には見えないかな」




 本来、この方向の突き当りにあるのは保健室のはず。


 だがそこにあるのは、金属で出来た灰色の両開き扉。


 あんなドア、学校のどこでも見たことはない。




「あそこ通り抜けたら、元の学校に帰れるのかな……」


「あんまり期待しないほうがいいと思うよ」


「その先でも足手まといになったらどうしよう」




 まったく、まずは自分の身を心配したらいいのに。




「そんなこと気にしないでいいから!」


「依里花は優しいんだね」


「そんなんじゃ――」




 本当にそんなんじゃない。


 私は汚くて、醜くて、終わってて。


 どれぐらい終わってるかっていうと、実はこの状況を映画みたいだとか漫画みたいだとか楽しんでるぐらい終わってて!


 でも仕方ないよね、力があるんだもん。


 私が、自分の力で、薄汚い化物どもをぶち殺せてるんだもん。


 自分を欲望を満たし、それが誰かの救いになる。


 こんなの、楽しまないやつのほうがおかしい!




「ッ、退けえぇッ!」




 こうしてゾンビを蹴り殺す瞬間の高揚感が、




『モンスター『ゾンビ』を殺害しました。おめでとうございます、レベルが5に上がりました!』




 あらゆる行為が無駄にならず、報われ、自らの力へと変わっていくという今までの私の人生に存在しなかった概念が、この化物まみれの世界こそ私の居場所なんだって教えてくれる。




「あとちょっとだよ、頑張れ依里花っ!」




 さすがに足がしびれてきた。


 息も切れてきたし、体力あげたほうがいい?


 いや、走り抜けるだけなら問題はないはず。


 その先にも化物がいたら、そのときに考えよう。


 ゴールが近づくにつれ、増える一方だったバリケードの密度やゾンビの数も減ってきた。


 そう、減ってきて――




「おかしい」


「え?」


「最後だけ楽にゴールできます、なんてそんな都合いいことあるとは思えない」


「油断させる罠ってこと?」




 令愛の言葉は、悲しいかな直後に的中した。


 前方にあるドアから、ぬるりと現れる巨大な男の影。


 元が人間だったのか、はたまた人型の別の生物だったのかはわからない。


 身長は屈まなければ扉をくぐれないほど大きい。


 そして身にまとう筋肉の鎧は、ボディービルダーも真っ青になるぐらい分厚く、硬く。


 ゾンビとなって肌が紫に腐り、皮膚が爛れて筋肉がむき出しになってもなお、圧倒的な迫力を誇っていた。




「でっかいのが出てきた……ボスってことなの?」


「たぶんね。見た目からして強そうだもん」




 令愛と考えが一致したところで、「グオォォォオオオッ!」と敵が吠え、こちらに突っ込んできた。


 もう出口は目の前だ。




「令愛、降ろすから扉開けといて」


「そんなっ!」




 反論を聞いてる暇は無い。


 私はナイフを構えた。


 あれだけの大きな体なのに、スピードは他のゾンビウルフと比べ物にならないほど速い。


 避けて斬りつける? いや、私の反応速度じゃたぶん無理だ。


 まず一撃目は防いで、次に繋げる。


 ナイフを横に倒し、待ち受ける私に、巨大なゾンビは拳を叩きつけた。


 ブオォンッ!


 拳が空を切る音が聞こえた。


 瞬間、私の全身に鳥肌が立つ。




「ぐ、重っ……!」





 これは、まずい。


 その拳はさながら、2トントラックが衝突したかのような重さだった。


 前に突き出した腕は簡単に押し返され、パンチの衝撃が胸に突き刺さる。




「がふっ!」




 宙に浮く体。


 肺の空気が一気に吐き出され、その勢いのまま私は血を吐き出した。


 鮮血を散らしながら、放物線を描いて飛翔する。




「依里花ぁっ!」




 令愛の悲痛な叫び声が響く。


 胸のあたりで嫌な感触があった。


 ちょうど、私がゾンビを蹴飛ばしたときに足裏で感じたような――ああ、これが肋骨が折れるってやつ?


 死んではいないけど、これもう危ないんじゃ――残りHPはどうなってるんだろ。




【HP:2/10】




 あ、聞いたら脳内に教えてくれるんだ。


 防いで残り2かぁ。


 んで、地面に叩きつけられて、後ろからは化物の大群の足音が近づいてきて、そして前からはさっきのゾンビが次の攻撃を繰り出そうと動き出している。


 仮にこれを避けられたとして、どうせ残された猶予は数十秒ぐらいしかない。


 しかも残りHPは2。


 次の攻撃を受けたら、ガードしたとしてもたぶん死ぬ。


 うーん、レベルを上げてもHP上がらなかったし、体力を上げたら増えるタイプかな。


 でも次を防いだところで、たぶんこいつを倒さないと脱出もできない気がする。


 増やすのはHPじゃなく、相手を倒し切るための力だ。




「ど、どうしたらいいのあたしっ! あたしになにかできることっ、助けるためにできることっ」




 っていうか、なんで令愛はまだそこにいるの?


 せっかく無事なんだから、私のことなんて気にせずにさっさとドアの方に逃げればいいのに。


 ほぼ初対面なんだからさ、いくらコミュ力高いからって、そこまで優しい人間を装うことないじゃん。


 まあ……おかげで助かるんだけど。




「ごふっ、ごほっ、れ、れあ……」


「依里花っ、危ない!」




 ゾンビの拳が頭上から降り注ぐ。


 大丈夫、これは読めてる。


 私は横に転がってそれを避ける。


 ああ、でも衝撃波でふっとばされて体が浮かぶのは予想外だったかも。


 地面に落ちると痛いんだよね、折れた骨がどっかに突き刺さってるんだろうけど。




「づぅっ……れあ、スマホを……」


「スマホ? どうしたらいいの!?」


「全部、力に……!」




 私は立ち上がりながら令愛に声をかける。


 そう、痛みは大した問題じゃない。


 私はこれよりも辛い痛みを知っている。




『離してっ、私に触らないで! いやあぁぁああっ!』




 あの瞬間に比べれば、骨が折れた痛みなんて。




『やめて……お願いだから、もうやめて……』




 肺に穴が空いた痛みなんて。




『私が生まれてきたことが間違いでした。ここに存在して申し訳ありません。私の立場をわからせるために暴力を振るっていただいてありがとうございます。みなさまに心から感謝しています。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます』




 無痛に等しい――




「わかった、残ったポイントを力に使うね!」




倉金くらがね 依里花えりか

【レベル:5】

【HP:2/10】

【MP:10/10】

【筋力:13】

【魔力:5】

【体力:5】

【素早さ:7】




 体に力が湧いてくる。


 眼前に迫る拳――私はそこに向けてナイフを突き出した。


 もう防ぐ必要もない。


 刃は拳を刺し貫いた。




「グオォォオオッ!」




 相手は一瞬だけ動きを緩めた。


 だがその痛みはすぐさま私への怒りへと転化されたのか、もう一方の拳をハンマーのように振り下ろしてくる。


 一方、私のほうはどうにも体の動きが鈍い。


 瀕死状態だとパワーアップするなんて漫画の中だけみたい。


 もう一本の腕を切り落せばかなり相手の力を削げるけど、脚と頭がまだ残ってる。攻撃が止まるわけじゃない。


 ならば、首を落とすしかない。


 でも掠っただけで死にそうな瀕死状態の今、パンチを無視するのはリスクが高すぎる。


 首と腕――二箇所を同時に攻撃する手段でもあれば別だけど。


 あーあ、どっかから神様が私に不思議なパワーをくれたりしないかな。


 これまでさんざん都合の悪い人生だったんだしさ、今回ぐらい――




『最初だから仕方ないか。今回だけは私が頑張ってあげるよ、依里花ちゃん』




 なんてね。


 ははっ、欲張りすぎ?




『スキル【デュアルスラッシュLv.1】を習得しました』




 ……。


 ――は?


 本当に降ってきたの? 神様が、私に力を――




「何でっ、画面が勝手に変わって、勝手に操作を――ごめん、ごめん依里花ぁっ」




 令愛が何か操作したの?


 それとも不具合?


 わかんない、わかんないけど取得できたんだから使うしかない。


 スキルが何なのか知らないし、使い方もわかんないけど、たぶん適当に叫んどきゃどうにかなるッ!




「デュアルスラッシュッ! これで死ねえぇぇええッ!」




 私の殺意は標的として相手の腕と首を指定する。


 ナイフを振ったのは一度だけ。


 だが斬撃は二つに分かれてゾンビリーダーに襲いかかり、指定した部位を同時に切断した。


 振り下ろされた拳は私の眼の前で動きを止め、その体は膝をついて床に倒れる。




『モンスター『ゾンビリーダー』を殺害しました。おめでとうございます、レベルが7に上がりました!』




 それと同時に、ガチャンッと鍵が開く音がした。


 こいつを倒さないと開かない扉だったんだ。




「は……ごふっ……」


「依里花、口から血が……でも急いで! もうすぐそこまで来てる!」




 令愛は私の手を取る。


 私は彼女の肩を借りて、息も絶え絶えに扉にたどり着いた。


 だが扉自体が重いのか、非力な令愛ではなかなか開くことができない。


 化物たちの群れは、令愛の言う通りもうすぐそこまで迫っており、余韻に浸っている暇はなかった。


 私はあまり力の入らない腕で、扉を押し開く。


 その先にあるのは、真っ白な空間だった。


 どこに繋がっているのか、そもそも安全なのかもわからない、ただただ白いだけの場所。


 脳裏に浮かぶのは、玄関で喰われた女子生徒の姿。


 あれと似たような罠だったらどうしよう――と、令愛も同じことを考えているのから、逡巡しているのだろう。


 しかし私たちに選択の余地はない。




「はぁ……はぁ……行こう、令愛」


「……うん」




 令愛は私の手を握った。


 ぼんやりとする意識の中で、私はかつて同じように手を繋いだ少女のことを思い出す。


 口内に広がる血の味は、私にとっては裏切りの味に等しい。


 どうせこいつも夢実ちゃんみたいにいずれ私を裏切る。


 でも、私が変わったというのなら、世界が変わったというのなら。


 悪夢は繰り返されないのだろうか。


 今度こそ裏切られない未来があるのだろうか。


 白い空間に向かってダイヴしながら、私は変わった自分と変われない自分の狭間で迷っている。


 背中を化物たちの伸ばした腕がかすめた。


 やがて完全に視界は白で染まり、令愛の姿すら見えなくなる。


 意識も遠のき、私は眠りに似た心地よいまどろみに身を任せた。



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