第4話 逃げろ

 



 知り合ったばかりの女子生徒が死んだ。


 化物に握りつぶされて即死だった。


 ある意味でそれは幸せだと私は思う。


 仮にここが私にとっての楽園だとするのなら、その他大勢にとっては地獄に違いない。


 その中で苦しまずに死ねる人間は、選ばれた一部だけだから。


 化物は千切った体を口に運び、ぐっちゅぐっちゅと咀嚼しながら姿を消す。




「な、なにあれ。外に化物……ううん、外に見えるものが化物なの!?」




 困惑する令愛。


 私もさすがに戸惑っている。


 けど合点がいった、どうりで玄関周辺が静かなわけだ。


 化物が現れれば、誰もが校舎からの脱出を試みる。


 その感情を利用した、悪辣な罠がそこにあるのだから。




「どうしよう依里花!」


「とりあえずここを離れよう。外より中で安全な場所を探した方がいいかもしれない」


「もっ、もっ、もっ、もっ」


「でもそんな場所――ううん、や前に諦めたってしょうがないもんね」


「私だって完全に安全な場所があるとは思ってない。でも、ここにいるよりはマシだから」


「もっ、もっ、もっ、もっ」


「……うん、あたしも、そう思う」




 わかってる。


 私も令愛もとっくに気づいてる。




「あ、あのさ」


「なに?」


「さっきから聞こえるこの音って――」


「もっ、もっ、もっ、もっ」




 その“も”という独特な声は、私たちの背後から鳴っている。


 そこには本来、先ほどの男性生徒が立っているはずの場所だった。


 令愛は見たくはないようだ。


 だが、見なければ次に犠牲・・になるのは自分たちだ。


 だから振り向くしかない。




「もっ、もっ、もっ、もっ」




 天井に頭が付くほどの大きさの化物が、そこに立っている。


 手足はある、人型だ。


 だが皮膚は爛れ、肉は垂れ、だるだるのスライムのような体型になっている。


 目は無く、顔には大きな口があるだけ。


 その口は男子生徒の頭を咥え、大量の血を垂れ流しながら呑み込もうとしている。


 彼の体からは完全に力が抜け、体液を垂れ流す死体となっていた。




「もっ、もっ、もっ、もっ」




 要するにその声は、咀嚼音だったわけだ――




「い、いやあぁああああっ!」




 令愛の中の何かが限界を迎えたのか、化物を前に彼女は頭を抱え叫ぶ。


 すると、突如として周囲が暗くなった。


 私はとっさに令愛に手を差し伸べる。


 彼女は私の手を握ると、身を寄せて発生した異変に怯えた。




「まだ何か起きるの……?」




 今ばかりは令愛と同感だった。


 こんなに立て続けにイベントを起こすなんて、いささか急ぎすぎではないだろうか。


 するとガシャンッ、という音と共に一斉に靴箱の蓋が開く。


 そしてバタバタと開閉しながら、その内側からウォォォォンというサイレン音を鳴らした。


 まるで数百個のスピーカーが一斉に鳴らしたような騒音に、私たち二人は思わず耳をふさぐ。




「耳いった……」


「もうやだぁっ、何なのこれぇ!」




 天井のライトが再び点灯し、あたりを照らす。


 だがその色は先ほどまでの白ではなく、赤だ。


 気づけば外も夕暮れに染まっており、校内は一瞬にして警戒色に染まった。


 その間も化物は「もっ、もっ」と男子生徒を食べ続け、すでに体の半分を捕食している。


 全て呑み込めば、次のターゲットは私たちになることは必至。


 その前にどうせ逃げなければならない。


 だったら、事が起きて対処するより、先に動いたほうがいいかもしれない。




「令愛、行こう」


「どこにっ!?」


「どこでも。ここよりマシな場所に!」




 そんなものがあるかはわからない。


 でも、たぶん学校内で一番危険なのはこの場所だ。


 私の勘がそう囁いていた。


 経験上、私のこういう勘は99%外れるけど、今の私は違う。


 この判断は正しいという確信めいた予感があった。


 令愛も、ここにうずくまっていても助からないことは分かっている。


 私の手を取り、化物の横を通り抜けて玄関を去る。


 幸い、化物は捕食している間は他の人間には危害を加えないらしい。


 あの皮の分厚さじゃ戦うにしても苦労しそうだから、今はスルーするのが正しい。


 廊下に戻ると、遠くから地鳴りのような音が聞こえた。




「何かが近づいてくる?」


「ね、ねえ依里花、うちの学校の廊下ってこんなに長かったっけ」


「いや……突き当りが見える程度の長さだったと思うけど」




 だが今は違う。


 果てしなく長く――どこまでも一直線に廊下が続いている。




「ここ、本当にあたしの知ってる学校なの?」


「生き残らないとその答えだってわかんない。走ろう、令愛!」


「へ? あ、え、あれって――」




 廊下の向こうに見えるのは、化物たちの大群。


 今まで戦ってきたゾンビやゾンビウルフ、ゴブリン、男子生徒を食らったぶよぶよの化物、他にも見たことのない化物まで一緒になって、オールスターの百鬼夜行だ。


 始まったばかりなのにクライマックスみたいでわくわくする。


 でも今ばっかりは、ニヤニヤして喜んでる場合じゃない。


 あれは、逃げるべき相手だ。


 呑み込まれれば間違いなく死ぬ!


 手をつないで私と令愛は走る。




「あ、あんなに沢山の化物が!? なんで急にっ、あたしが叫んだから!?」


「今は考えないでっ、とにかく逃げ込めそうな場所を探すしかないよ!」




 私の方が足が速いので、令愛を引っ張る形になる。


 でもある程度は彼女に合わせねばならず、最高速を出せない私たちと化物の群れとの距離は縮まるばかりだ。


 確かさっきまでは、このあたりに二階への階段があったはずなんだけど――




「階段がなくなってる……」




 それらしき場所は、白い壁で塞がれていた。




「なんで!? そんなことあるの!?」


「止まっちゃ駄目、走って令愛!」




 二階には逃げられない。


 曲がり角も見当たらない。


 ただひたすら続く一直線。


 左右には教室の扉が並んでるけど、本来存在しないはずの扉はいったいどこに繋がっているんだろう。


 そんな興味から、通り過ぎる瞬間に半分ほど開いた扉を覗き込んでみた。


 ぎょろりと開いた無数の瞳に、殺意を込めて睨まれた。


 うん、やっぱりロクでもない。




「はぁ、はぁ、はぁっ、待って依里花っ!」




 かれこれ数分走った頃、ついに令愛の脚に限界がやってくる。


 速度が落ちてきて薄々気づいてはいたけどね。




「ごめん……あたし、もう限界。先に行って!」




 私は彼女の前にしゃがみ込む。




「ここに乗って、背負っていくから」


「それは……」


「いいから乗って!」




 自分でもびっくりするぐらい大きな声が出た。


 私、いつになく強気になってる。


 正直言って、私は自分の力で人を助けられるこの状況が気持ちいいとすら感じている。


 だから何もためらうことは無いんだよ、令愛。




「ありがとう、依里花」




 そんなキレイなものじゃない。


 私は自分の自己肯定欲を満たすためにやってるだけなんだから。




「追いつかれそうになったら……気にせず見捨ててね」




 令愛は私の背中に抱きつきながら言った。


 ああ、この子はとてもいい子なんだな、と思った。


 たぶん私の人生で出会った中で、一番まともで善意に満ち溢れた子だ。


 けれど同時に、そんな人間でも、あの教室にいたら集堂くんたちに“染められて”いくんだろうなと思ってしまう、冷めた自分もいる。


 誰だってそうだ。


 善意だけで構成された人間なんていなくて、クズこそが人間の本質なんだから。




「本当にありがとう」




 今だって――たまたま令愛を助けられる私だったから、こんな風に良好な関係を築けているだけで、もし普段の私が出会っていたら、こうはならなかっただろう。


 依里花が善人寄りの人間だったとしても……たぶん、私のことを無視しただろう。


 だってそれが最も正しい選択だから。


 私に救う価値なんて無いから。


 だから期待しない。


 期待しすぎるな。


 本気にして体温を上げたりするな!




「ちっ……完全には振り切れてない」




 振り返って後ろを見ると、化物どもの群れは確実に距離を縮めていた。


 思わず舌打ちが出る。


 前方には果ての見えない廊下が続く。


 このままではいつか必ず追いつかれて、食い散らかされてしまう。


 ああ、やだなあ。


 私、死ぬのが嫌だって思ってる。


 死ぬのなんか怖くない、全然平気、だって私は無価値だから――なんてかっこつけてた私はもういないの?


 でも、せっかく集堂くんを殺したこともバレずに、こうして何かを為せる力も手に入れたんだもん。


 もうちょっと生きてみたくない? そう思ったっていいよね?


 私の日常は以前から化物に囲まれた地獄みたいなものだった。


 だから、この化物だらけの学校だって言うほど辛くない。


 むしろ力がある分、希望すら感じる。


 ああ……生きのびて、やりたいこといっぱいあるなあ。


 ヒーローになりたいなあ。


 人を助けて褒められたいなあ。


 殺したい人間、苦しめたい人間、いっぱいいるなあ!




「令愛、お願いがある」


「私にできることなら!」


「今から片手を外してスマホを出すから、令愛にはその操作をしてほしい」


「スマホ? 何で?」


「とにかくやって!」


「わ、わかった……」




 私が片手をポケットに突っ込むと、令愛は落ちないように強く私に抱きつく。


 取り出したスマホを彼女に渡した。




「変な数字が書いてあるよ!?」




 さて、あのステータスっぽい表示に本当に意味があるのか。




「素早さの横にあるプラスボタンを一回押して」


「こ、これでいいの?」




倉金くらがね 依里花えりか

【レベル:4】

【HP:10/10】

【MP:10/10】

【筋力:5】

【魔力:5】

【体力:5】

【素早さ:6】

【残りステータスP:7】




「素早さが6に増えたけど……」




 途端に私の体が軽くなる。


 単純計算で今までの1.2倍の速さになってる――はず。




「え、ええっ、依里花がさっきより速くなってる!? スマホを操作したから?」


「そういうこと! 化物たちとの距離はどう?」


「少しずつ離れてるよ。うん、撒けてる!」




 うまくいった。


 やっぱり表示されてる数字が私の身体能力に直結してるんだ。


 とりあえず今は1ポイントだけで乗り切って、後で落ち着いたら他にもポイントを振ろう。




「依里花、廊下の一番奥……扉みたいなのが見えない?」




 令愛の言う通り、サイレン鳴り響く赤い廊下の奥に、行き止まりらしき場所が見えてきた。


 といっても、まだまだはるか彼方だけど。




「あそこまで行けば助かるかもね」


「助かる、のかなぁ」


「そう信じるしかないよ」




 道はどこまで行っても一方通行の一直線。


 それ以外に私たちに選択肢はなかった。


 もっとも、このまま何事もなく進めたら――の話だけど。




「あそこ、床が歪んでる?」




 ああ、ほら、さっそく令愛が見つけてしまった。


 やっぱり“何事か”が起きるんだ。




「いや、何かせり出してきた!」




 現れたのは、学校の机や椅子、箒や棚などで作られたバリケードだ。




「障害物競走のつもり? 飛ぶからしっかり掴まっててね」


「わかった、がんばってみる」




 現れた障害の前で、私は軽く腰を落として飛び上がる。


 高さは数十センチから、高いもので1メートルを越えるものまであり、どうしても進行速度は落ちてしまう。




「でもこれで化物の速度も落ちて――」




 期待しながら振り返る依里花。


 でもどうやら、そこで見たのはバリケードに手こずる化物ではなく――




「そのまま吹き飛ばしながら進んでる……」




 バリケードを完全に無視して進む姿だったらしい。


 まあ、それも予想の範疇だ。




「依里花、素早さにもう1ポイント」


「了解! 素早さ7にしたよっ」




 さらに加速する私の体。


 背後の群れとの距離はこれで保てる。


 だけどこれで終わりではないと、私の悪意センサーが告げていた。


 すると、ガララッ! と一斉に左右の扉と窓が開く。




「ひいぃぃっ、ゾンビの大群っ!? 気持ち悪いっ!」




 そこから這いずるように姿を表したのは、腐った死体ども。


 彼らはバリケードと共に、私の進行方向にも立ちふさがる。



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