第4話
6限までの授業が終わり、HRをそわそわした気分で乗り切り、ゆかりちゃんと一緒にいそいそと音楽室へと向かう。
「おはよーございますぅ」
このクラブはいついかなる時も挨拶は「おはよう」なのだ。「ございます」つけるだけで上下関係がハッキリするからこれはこれで悪くない。
今日はめずらしく榊先輩たちが早く来ていた。なおちゃんにまとわりついていたので、そそそっと距離をおいたところにバッグを置いていると、なおちゃんに話しかけている声が聞こえた。
「吉田くーん、朝練あの子と一緒だったってほんとー?」
あの子って誰さ。私のことだとわかってるけど、内心ツッコミを入れる。なおちゃんはすごく曖昧な、笑顔とも取れる顔で、少し首を傾げた。
「一緒は一緒でしたけど、村崎もいましたよ」
ゆかりちゃんの顔がわかりやすく引きつった。まきこむなー!って心の声が聞こえてくる。それでも聞こえないふりを貫いて、ゆかりちゃんは楽器庫へ向かった。うんうん、それが正しいよね。
私もゆかりちゃんに倣って、そそくさと楽器庫へ向かう。背後の方でさらになにか聞こえるけど無視無視。
「吉田くんも大変だよねー。あの子がヘタだから朝練とかつきあわされてさー」
「いえ、オレも練習しなきゃなんで」
「すごーい、練習熱心だね〜。見習ってほしい〜」
いやだから、私も朝練してるでしょ……? もうどこから突っ込んでいいのかわからないよ。
合奏がない日は、楽器ごとに分かれて練習するので、これからの数時間はまさに苦行である。この先輩たちと、私の、3人で練習するのだ! まぁ、新しい譜面もらった今は、さすがに先輩たちも真面目に練習するから、それほどの気まずさはないんだけどね。
まずは、人数分の椅子と譜面台をいつも練習する場所まで運んでいく。もちろん、先輩方にはちゃんと確認済み。大体この場所ってのがあるけど、一応確認しておかないと、気まぐれで別のとこに行かれたりするからね。
譜面台と椅子を並べたあともう一度音楽室に戻って、今度は自分の楽器と譜面、メトロノームを持っていき、準備万端整えておく。
軽く音出しをしているうちに先輩たちもやってきて、基礎練から始まった。基礎練の長さは時期によって違うけど、今日はわりとみっちりやらされました。基礎の積み重ね大事だから、不満はないけどね。
そのあとは、各自楽譜の練習である。
夏のコンクールの課題曲と自由曲。しっかり練習しておかないとなぁ。
夏休み前は、野球部の甲子園の予選の応援にもいかないといけないらしくて、それなりに忙しいのだそうだ。予選を勝ち上がっちゃうとコンクールの練習時間減っちゃうんだよねー毎年すぐ負けるけど、とは先輩方の弁。
そんなことを考えているうちに、部活の時間は終わってしまった。後半、先輩たちは飽きたのかおしゃべりばっかりして、なんか私のことも言われてた気がしたけど、楽器の音でキコエナーイ。
合奏が始まるまでには間違えずに吹けるようになっておきたいもんね。余計なおしゃべりに耳を傾けている暇などないのだ。
そうしているうちに練習も終わり、片付けタイムである。先に楽器と譜面を持って音楽室に戻り、そのあと椅子と譜面台を取りに行く。もちろん先輩たちは手伝ってなどくれない。時々なおちゃんやゆかりちゃんたちが手伝ってくれるけど、それも嫌味を言われる一因になるだけなので、基本的にはひとりではこぶ。
全員揃って部活の締めの挨拶をして、とりあえずの解散。
私となおちゃんは居残り練習である。今日は三十分ほど、フルート吹きのぶきちゃんも付き合ってくれた。ぶきちゃんは伊吹美奈ちゃんといって、めっちゃ正統派の美少女!って感じの、すんごくかわいい子である。
ぶきちゃんが先に帰ったあとはなおちゃんと二人で、もう三十分くらい練習をした。曲の感じもつかめてきたし、これなら来週からの合奏でもついていけるのではないかな。
「そろそろ帰ろっか」
「りょうかーい」
私は家まで自転車通学だけど、なおちゃんは最寄り駅まで自転車でそこからは電車に乗るので、駅までは一緒に帰ることになっている。
音楽室の鍵を職員室に返して、自転車置き場まで歩いていると、不意に楽器の音が聞こえた。
正確には、まず音が聞こえて、聞こえた方角が音楽室のあるほうだったから、楽器の音ではないかと思った、という感じ。
「なななななに今の音」
私はそう考えたけど、やや暗くなりつつある校舎に響く音に、なおちゃんはわかりやすくビビっていた。
「楽器の音じゃない?」
「ええええ、そうかなぁ? だってもう、みんな帰ってただろ?」
そうだけど。
でも、私たちが音楽室を出て職員室に鍵を返して自転車置き場にくるまでに、実はそれなりの時間が経っている。なおちゃんが教室に忘れ物をしたから、そちらに寄り道をしていたのだ。
だから、まぁ、可能性としては、誰かが音楽室にいてもおかしくはない。
「でもオレたち、ちゃんとカギかけたよなぁ……? あれ、かけたっけ? あやちゃんどう思う?」
「かけた……と思うけど」
かけたような気はするけど、改めて聞かれるとちょっと自信がない。かけた……ような、かけてないような?
もしかけ忘れてたら大変だ。居残り練習禁止されちゃうかもしれない。
私は、なおちゃんをちらり見る。なおちゃんも同じ考えらしく、私と目が合うと大きくうなずいた。
「確認しに行こーぜ」
「だねぇ」
鍵をかけ忘れてたらまずいもんね。
私たちは校舎のほうに引き返し、四階まで階段を登り始めた。その間も、楽器の音は断続的に聞こえてくる。この音の出し方って……。
音楽室には、小さな明かりがついていた。ここまでくると楽器の音もはっきりと聞こえて、何の楽器かまでわかる。
楽器の種類が特定できるということは、それを吹いている人まで予想できるということで。
そっと音楽室をのぞき込んでみると、教卓のところだけ明かりをつけて、予想通りの人が楽器を吹いていた。
「な」
なおちゃんが、開けたドアによろよろとすがりついた。
「七尾先輩じゃん……」
楽器を吹いていたのは、三年生のバリトンサックス吹きの七尾先輩だった。そうなんだよね。聞こえてきた音がバリトンサックスのものだとわかってから、七尾先輩の顔が思い浮かんでいたんだけど、でもまさかこんな時間にいると思わないし。
七尾先輩も私たちに気がついて、ちょっと驚いた顔をした。
「どうしたの、二人揃って」
「それはこっちのセリフっすよ先輩! なんでこんな時間に楽器吹いてるんですか?」
ズバッと聞くなんてなおちゃんすごい。
「塾とか行ってると、のんびり部活に出る暇もないだろ? だから特別に許可をもらっているんだよ」
ほら、と言って七尾先輩は音楽室の鍵を見せてくれた。さっき私達が職員室に返却したのとは別の鍵のようだ。
「ぼくはもう少し練習していくから、二人はもう帰ったほうがいいよ」
「……帰りますけど、先輩、また部活にも顔だしてくださいね! 約束ですよ!」
「あーはいはい、また今度な」
なおちゃんはめったに会えない七尾先輩ともう少し話したかったようだけど、こう言われてしまっては帰らざるを得ない。しかし、次の約束をねじこむあたり、さすがである。
なおちゃんと二人で自転車置き場に向かっている間も、七尾先輩の練習の音が聞こえてきた。
それを聞きながら、私はふと呟いた。
「この音が聞こえてきたとき、七不思議的な何かかと思っちゃったけど、そんなことあるはずないよね」
「七不思議?」
「ほら、よくあるじゃない? 音楽室の怪、とかなんとか」
「あー」
まぁ、あるにしてもあんなに目立つのはないだろうけど。せいぜいがシューベルトが笑うとかそのくらいだよね。
「音楽室とかって、たしかに七不思議の定番だよなぁ」
「なおちゃん、まさかホラー好きなの?」
さっきまであんなに怖がってたくせに。
私の心の声が聞こえたのか、なおちゃんは少しだけバツが悪そうな顔をした。
「オハナシとしては楽しいじゃん? かるぅいホラーなら映画とかも見るよ」
「まぁ、作り物なら楽しいよね」
ちょっとわかる。現実ではないからこその楽しさとかあるよね。
「オレが通ってた小学校、二宮金次郎が校庭爆走してるってのがあったけど、あやちゃんとこはどんなのあった?」
「七不思議? ありきたりだけど、3階一番奥のトイレは入っちゃダメって云われてたよ」
「トイレかぁ! あるあるだなぁ」
うんうんと頷いたあと、なおちゃんはピコンとなにかひらめいたような顔をした。
「この学校の七不思議も、ちょっと調べてみない?」
「調べるって」
「どんなのがあるか、それはほんとなのかって検証したら楽しそうじゃない?」
「えー」
「ヤなの?」
「なんかなおちゃんって、いざってときに私置いて逃げそうな気がする……」
なおちゃんはぐっと言葉に詰まったようだったけど、否定できないものを感じたのか、ぼそぼそと呟いた。
「あやちゃんって、オレより肝がすわってそうなんだよなぁ……」
正直な感想に、思わず吹き出してしまった。
肝がすわっているというより、ビビっていてもしょうがないと思ってるだけだけど、いざってときにその度胸が発揮できるかはわからないよね。
「じゃあさ、村崎も巻き込もうぜ。あいつなら、オレたちを守ってくれる!」
「オレが守ってあげるよ!じゃないんだね……」
まぁ、七不思議なんて噂だけだろうし、気分転換にはいいかも。
そう思った私は、なおちゃんと七不思議の調査をすることにしたのだった。
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