第10話 イベント-3
次の日から農は源助や洞爺から仕事を学ぶだけでなく、イベントに向けての料理の準備も始めることとなった。準備といっても、テーマとなる食材を可能な限り調べること、その食材の特徴をできるだけ把握することしかできなかった。
前日に食材が発表され、その中から必要な食材を発注するという仕組みになっていた。ただし、余った食材はエントリーした人が買取らないといけないルールになっているため、仕入れる量も適当にするわけにはいかない。
農がこの時代に来てから新たに得た情報といままで培った経験と技術で勝負するしかない。料理人としての高揚感と緊張感が感じられ、農は悪い気分はしなかった。
「やぎくんはホントに飲込みが早いね。これにやぎくんのオリジナリティが加われば、面白いものができそうだね。楽しみ、楽しみ」
洞爺はとてもうれしそうだった。農は洞爺から短い期間だが可能な限りのアドバイスと知識をもらうことができていた。
その日から賄いを作らせてもらうことになり、洞爺や源助からもアドバイスをもらうことができた。その中でも、ボロクソ・・・・・・いや一番厳しく的確かつ具体的な意見を農にしていたのは早生だった。
「不味くないし食べられるけど、どれも普通。『さとう』の食材の特徴を全然活かせてない。勉強不足。そのまま食べてもおいしいということをわかってない。いままで洞爺さんの仕事の何を見ていたのか。いままで何を感じてきたのか。いままで何を学んだのか不明。ホント不明」
農に言い返せることはなかった。が、『いままで』とはたった三日間のことだ。それにしても、相変わらず言い方がとても厳しく棘がある。
「ははは。やぎくんも早生ちゃんの合格はなかなかもらえないようだね。まだ三日しか経ってないし。ただ、そんなに凹むことはないよ。早生ちゃんの『普通』は他の人なら『おいしい』と言ってお金を払うレベルだと思っていいよ」
洞爺はまたうれしそうに語った。早生は料理の腕前はそこそこだが、舌は超一流なのだそうだ。
「ちなみに、僕が作った新メニューはすべて早生ちゃんの審査を受けて合格したものだよ」
「審査?合格?洞爺さんに不合格は出さないでしょう?」
「とんでもない。一発合格は一度もないし、十回くらいやり直したこともあるよ。今のお店の品質を維持できているのは早生ちゃんの功績も大きいのは間違いないよ」
洞爺にさえ忖度も容赦もない。これは素直に意見を頂戴するしかなさそうだ。早生にどんな経歴あるというのだろう。
農は先日、洞爺がローストビーフを二種作っていたことをふと思い出した。理由を訊くと『聞くより感じてもらったほうがいい』とできたローストビーフを試食させてもらった。
「どう?両方おいしい?」
農はすぐに返答できず、言葉に詰まってしまった。
「ごめんね。ちょっと意地悪な質問だったね。」
今度は、イマイチだと思った方を『さとう』の野菜に巻いて食べた瞬間に意図を理解した。源助の牛肉の仕入れ量が多いなと感じた理由にも納得することができた。食べ方により調理方法の異なる二種類を作るためだったのだろう。
「何を主役にしたいか活かしたいかによって調理方法も変えないとね」
そんなことを思い出しながら、早生から合格をもらい『おいしい』と言ってもらえることが農の目標に加わってしまった。
夜営業時間のお店が開店して空が暗くなってきた頃、急に街中の灯りが消え真っ暗になった。
「停電なんて珍しい。発電所か変電所で大きなトラブルでもあったかな?」
洞爺は冷静に状況を分析し始めた。レストラン『Sugar』の灯りは消えていなかった。街中のほとんどの建物の灯りは、停電により消えて真っ暗となっていた。よく見ると数件はここ『Sugar』と同様に灯りがついたままだった。
「ここは非常用発電機でもあるんですか?」
「ないよ。瞬停もなかったでしょ?」
「じゃあ、なんでここは電気が消えてないんですか?」
「うちには大容量の蓄電池があるから。数日間なら電力供給がなくなっても問題ないんだよ。他にも灯りがついている場所があるでしょ?飲食店が多いんだけど、そこにもうちと同じように蓄電池があるんだよ」
電力供給が止まって冷蔵庫などの家電が使えなくなり、飲食に困ったときに集まるために大容量の蓄電池を設置している飲食店もあるのだという。
『Sugar』含めて特に蓄電池が設置してある場所にはソーラーパネルなどの発電設備が付帯しているため、電力はあまり購入していないそうだ。電力の『地産地消』とでもいえる状況だろう。
「そんな便利なものがあるなら、なぜみんな使わないんですか?」
そんな当然とも思える質問を農が洞爺にすると、早生からいつもの口調で回答がされた。
「はあ?高くて買えないからに決まっているでしょ?そんなこと考えればわかるでしょ?」
大容量の蓄電池は高額でまだ普及していないようだ。ただし、停電や災害時などに避難所として提供することを条件に飲食店や病院、公共設備に補助金が出される仕組みのようだ。
補助金があり電気代はほとんど発生しないとはいえ、高額のため購入するのは大変のようだ。
そんな会話を洞爺と農がしている間にも、早生はできるだけ多くの人が座れるように店のテーブルや椅子の位置を変えていた。とても素早く慣れた動きだった。停電から数分して源助も手伝いに駆けつけた。
夕食の準備を中断もしくは準備をする前の人達だろうか、しばらくして店内の人も増え始めた。
厨房でも通常営業の内容とは明らかに変化していた。普段は見ることのない大鍋で大量の豚汁を作っていた。さらにおにぎりを作り、米を炊く準備をしていた。
豚汁は大根、玉葱、里芋、じゃがいもなど具沢山だ。洋食店ではあまり目することがないものばかりだ。
源助や早生が準備出来た豚汁やおにぎり、漬物をテーブルに運び、訪れた人々に振る舞った。すると、常連であろう人々と源助の会話が聞こえてきた。数人と同じ会話が繰り広げられていた。
「この源ちゃんの漬物、通常メニューで出してよ」
「うちは、洋食店だよ」
「じゃあ、持ち帰りでいいから売ってよ」
「うちは、洋食店だ」
口調は農や洞爺たちと話す時と変わらないが、常連からも慕われている存在のようだ。ここで、農は当然の質問を洞爺に投げかけた。
「源ちゃんの漬物?」
「源ちゃんは源助のことだよ」
「そこじゃないです」
「源助が趣味で漬けているんだよ。大根の漬物。常連さんとの会話の流れでつい漬物を出しちゃったことがあって。そうしたら、大好評で瞬く間に広まって。源助にはすごい怒られたよ」
「すごい趣味ですね。しかも大根だけ。そんなに人気なのに店では出さないんですか?」
「表向きの理由は『うちは洋食店だから』で、源助曰く『そんなに大量に漬けるのは大変、これは趣味だ』だそうだ」
源助らしい理由だと農は思った。『たくあん』『ぬか漬け』『粕漬け』『甘酢大根』『しぼり大根漬』など数種類があった。そして、その『源ちゃんの漬物』を食した。下処理や漬け方などとても丁寧に時間を掛けていることがわかった。 農も常連の立場なら同じことを言うだろう。『通常メニューで出してよ』と。
源助が厨房に顔を出した時に、農は源助に問いかけた。
「なんで、大根だけなの?」
「大根が好きだから」
この問いに対しての回答としては言い方が格好良すぎて、笑ってしまいそうなった。
「『源ちゃんの漬物』おいしかったよ。今度、漬け方教えてよ」
「『源ちゃんの漬物』私も好きだよ」
「うるせえ」
源助の後ろから早生の援護口撃も加わり、源助は赤面した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます