第9話 イベント-2

 そんな物騒な人の登場及び説明も終わり、シェハウスの住人がそれぞれ部屋に戻ろうとしていた。そんなとき早生が農の前に立ち、照れくさそうに目線を下げて言った。


「昨日は、あの・・・・・・ごめん。やぎが突然私の部屋の扉を開けたことは覚えているんだけど。その後の記憶が曖昧で・・・・・・。さっき、菜々さんに話聞いた。その・・・・・・時計、ありがとう。直してくれて。あっ・・・・・・でも・・・・・・私の着替えを覗いたことは許してないし、次はないから」


 相変わらず、言い方が素直でないし、鍵を掛けていなかったことはスルーなのかと思った。また怒らせる引き金になる可能性を秘めていたので、余計なことを言うのはやめた。


「こっちも、大事な時計を投げさせるような状況にしてしまって、ごめん」


「そうだよ。やっぱりあんたが全部悪い。おやすみ」


 早生は少し目線をあげ、相変わらず棘のある早口で言い、足早に自分の部屋へと戻っていった。


 農は改めて思う。素直じゃないし、かわいくない。そんな早生の後ろ姿を見た後、農と菜々の目が合った。菜々はクスッと笑いながら『おやすみ』と言って、それぞれが部屋へ戻った。


 次の日は仕入れや仕込みなどレストランの仕事を見せてもらったり手伝ったりすることになっていた。つまり、今日は初対面で強烈な印象が脳裏に焼き付いている守口 源助もりぐち げんすけと仕事をするということになる。農には不安しかなかった。


 今日の農はランチの時間はホールもすることになっていたので、メニューも覚えなければならない。早生の他にもう一人学生のアルバイトがいるということだが、今日は体調が悪くて急遽来られなくなったようだ。


「早生ちゃんもテストでバイトに出られなくて。やぎくんがいてくれて助かったよ」


「少しでも早く役に立てるようになりたいと思っていたので、いろいろ覚えられるので良かったです」


 朝から仕入れに行っていた源助が帰ってきた。


「源助、おかえり」


「今日は、いい牛肉が安く手に入ったからローストビーフにしよう。バーニャカウダだけじゃなく、薄いローストビーフに巻いて食べてもらおう。で、明日のランチはローストビーフ丼だな」


「了解、すぐに仕込みを始めよう」


 僅かな会話だけで二人はすぐに作業を開始した。


「あの、源助さん。今日からよろしくお願いします」


「源助でいい。あと、これが今日の仕入れのリスト。目を通しといて。基本的に仕入れの内容は俺が決めてるけど、何かほしいものがあったら言って」


「わかりました」


 源助はまた作業に戻った。昨日とは別人のような無駄のない会話と立振舞い、どちらが本当の姿なのだろう。


 農は仕入れの内容は洞爺が決めていると思っていた。特別に欲しいものがある場合は事前に源助に注文することもあるそうだが、それはほとんどないらしい。


 決まったメニューの食材は仕入れるし、どうしても源助の納得いく物が手に入らない場合は、その日のメニューを変えることもある。逆に今回みたく源助が気に入った物があった場合は、メニューを追加する。


 その場合は必要な食材は洞爺が言わなくても源助が一緒に仕入れてくる。よって、洞爺からの要望はほとんどないという。


 源助は売上げや店の維持費などお金関係も管理しているので総合的に判断して仕入れをしているという。


「オーナーの仕事はほとんどやってもらっている感じだね。ははは。」


『ははは』って、それでいいのかと農は思うのだった。ただ、これが信頼関係というものなのだろう。この中に入っていけるようになるには大変だということを農は思い知った。


 こうしてランチの洞爺の仕事のやり方を学びながらホールをやったことでこのレストランの仕事を少しずつ覚えていった。


 ランチ終了後、今日覚えたことを復習しているとすぐに夜と仕込みの時間がやってきた。昨日と今日で見たことを活かしながら農が仕込みの一部を行った。


「一流のところでやってた人は流石だね。やぎくんは覚えもいいし何よりセンスがいいね。気づいたことなんかあったらどんどん言ってね。メニューにも活かしたいし」


「まだまだ、洞爺さんから学ぶべきことが多いですよ。少しでも早くここの食材を活かせる自分のメニューを作りたいとも思っています」


「それは心強い。ますますこの店が繁盛するようにがんばろう」



 農と洞爺がそんなやりとりをしていると店の入り口の扉が開く音がした。

「ただいまー」


「早生ちゃん、おかえり」


 帰ってきてすぐに早生も開店の準備を始めた。


「そういえば、ここのレストランの名前なんだっけ?」


 農が何気なく早生に質問した。


「はぁ?今さら?なんで?それ最初に質問する内容でしょ?そもそも店の看板にちゃんと書いてあるし。今日ホールやったんでしょ?電話かかってこなかったの?よく困らなかったね」


 言い方は相変わらずキツいが、ぐうの音も出ないほどに早生が正しい。なぜ今まで疑問に思わなかったのか不思議なくらいだ。


 後ろから笑いながら洞爺が農に親切に教えてくれた。


「ははは。確かに今日は店の名前が必要なタイミングがなかったね。では、改めて『Sugar』へようこそ」


「洞爺さん、甘い。必要とかそういう問題じゃないですよ」


『さとう』に『Sugar』とはここの人たちが好きそうな発想だなと農は納得した。


『Sugar』では農作物の仕入れのほとんどを『さとう』からしているのだという。人気のあるレストランと農家が手を組んでいることで、互いの宣伝効果は抜群なのだろう。


 閉店作業まで無事に終了して、今日もいろいろ学びのある濃い一日だったと農は振り返っていた。店の名前とか。


 そんな振り返りをしていると、洞爺から農にある提案がされた。


「今度、『さとう』の食材を一般販売するイベントがあって、そのイベント会場で『さとう』の食材を使った屋台が出されるんだけど。やぎくん出店してみないかい?」


 農にとってうれしい提案だった。もちろん即答した。


「出たいです。そのイベントはいつですか?メニューも考えたいですし」


「三日後」


 イベントの発表は突然である。


「えっ、あんまり時間がないですね」


「どうする?やめとく?」


「いや、出ます」


「じゃあ、まだ間に合うと思うから明日にでもエントリーしておくよ」


『さとう』の農作物の出荷調整も兼ねているため、使用できる食材は前日までわからないらしい。事前情報も準備時間もない。農にとっては厳しい条件だった。


「『さとう』で扱ってる農作物は源助か菜々ちゃんに訊いてみるといいよ。あと来場者に一番おいしいと思った店に投票してもらって順位を発表するイベントが最後にあるから楽しみにしててね」


「わかりました」


 こうして、三日後にこの時代に来てから初めて客に料理を提供する機会が農に与えられた。まずは残り少ない時間で洞爺の技術をできるだけ学ぼうと改めて思うのだった。


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