美容院

キコリ

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「すみません、この髪をバッサリ切ってくださいませんか?」


僕は、お客さん―—―彼女からの予想外のリクエストに驚き、作業の手を止めた。

「え、いいんですか?」

僕は、目の前にある艶やかな黒髪を前に、聞いてしまった。今まさに僕にリクエストした彼女は、僕が初めて美容師として独り立ちした時からの常連のお客さんで、半年に一度は必ず美容院に来てくれている人だった。決まってオーダーは「カット、縮毛矯正、トリートメント」の3つ混合メニューで、髪の長さも「顎下3cmボブ」だった。そんな彼女が、髪の毛をバッサリしたいと言ってきたのは、初めてのことだ。

「いいんです・・・・どうしても、切りたくて。」

彼女は、スマホの中からここぞとばかりに何枚かの写真を見せてくれた。どれもネットからスクショした画像だ。

「こんな感じに・・・・丸みのあるショートにお願いしたいです。あ、ただ、縮毛矯正をしているので、丸みが出るかが心配なんですけど、どうでしょうか。」

「なるほど。縮毛矯正後でも、カットでなんとか丸みを作ることはできると思います。ただ・・・・」

僕は、もう一度彼女の艶やかな黒髪を前に、たじろいだ。「いいんですか?」

それを聞いた彼女は、ニコッと毎回来るたびに見せてくれる笑顔を向けた。「いいんです。少し、理由があって、切りたいと思ったんです。」

彼女の声は、笑い声と混じって柔らかく聞こえたが、その声にはどこか決意のようなものが感じられた。

僕は、そんな彼女を目の前にして、いつものように「分かりました。」と言い、軽く頷いた。



初めて僕の店に来てくれたのは、彼女が大学生の時だった。当時、僕は独り立ちをしたばかりの美容師で、中々お客さんを呼び込むことができていなかった。もちろん、その日もオープンしてからお客さんが来ることはなく、おまけに雨も降っていたため、何もすることがなく困っていた。

「こんにちは、空いてますか?」

彼女は、最初に来た時からずっと、来るたびにそう言ってきた。決まって彼女が来るのは半年に一度なので、ちょうど待ち構えている時に来ることも多かった。次第に彼女は常連として来るようになり、僕は彼女が来るたびに決まった席に誘導し、いつものメニューを行い、ほんの少しの近況報告を交えた話をした。そして、帰る時には、綺麗なボブになった髪の彼女に「ありがとうございました」と言うのがいつもだった。



ただ、今回の彼女は、なんとなくいつもとは違った気がする。どこか悲し気で、話の口調には持ち前の明るさが少なかった。ただ疲れているとも考えられるが、いつもの彼女ではないリクエストが、その考えを矛盾へと追い込んだ。

僕は、そんないつもと違う彼女を前に、いつものように丁寧にカットを進めていく。

「最近はどうなんですか?」

「仕事ですか? いやぁ、実はこの前プレゼンがあってバタバタしていました。」

「そうなんですね。それでも、髪のメンテナンスが素晴らしくて、まだ癖が伸びていますよ。」

「そうですか! よかったです。なるべく早く乾かしてオイルを欠かさなかったので、その効果ですかね。」

彼女は、僕といつものように会話を楽しんでくれた。決まって会話の時にはスマホを机に置いてくれるところを見ると、彼女がとても礼儀正しいことが分かる。

僕は、つい先ほどまで彼女が見せてくれていたサンプル画像を横目で見ながら、頭の中でイメージした通りにカットを進める。「多分、ショートカットもよく似合うと思います。最初のリクエストは、少し驚きました。」

「え、似合うと言ってくれるのは心強いです! 先ほどは急にすみませんでした。」

「いえいえ、そんな。」

彼女は、鏡を向きながらニコニコして続ける。「実は・・・・とある動画を見たんです。」

「動画?」 僕は、おもむろに聞き返してしまった。

「はい、美容師さんが運営している髪の毛専門のチャンネルなんですけど・・・・」

彼女はそう言うと、すかさずスマホでチャンネルを表示し、僕に見せてくれた。そのチャンネルは、美容師の中でも有名で、ファンの中には全ての動画の内容を理解しているコアな人もいた。髪の悩みが解決し、希望通りのカットとなることから、予約が取れないことも知っている。

「このチャンネルの動画で、とあるうつ病のお客さんがいたんです。」

僕は、後ろから彼女の肩が若干こわばったのを見逃さなかった。そして、僕自身の手にも、若干力が入るのが分かった。”うつ病”―—―その言葉の響きを直接聞いたのは随分久しぶりだった。

「そのお客さんが、今まで伸ばしていた髪の毛を、バッサリショートにしたいって依頼していて。美容師さんがその理由を聞いたら、『髪には色んな魂が宿ることを知って、もしかしたら自分も髪の毛を切れば、また前を向いて生活することができるのではないかと思ったんです』と言ってたんです。」

「・・・・」

「だから、私も変わりたいなって。」

彼女は、少しはにかむように、そして寂しそうにそう言った。

その間、彼女の話に聞き入ってしまった僕は、何も言わなかった。いや、何も言えなかった。今何かを話せば、自分の感情がどこかで爆発してしまう気がしたのだ。

「・・・・とてもいいと思います。動画のお客様もそうですが、変わりたいと思って、行動できているお客様も、素晴らしいと思います。」

「えへへ、ありがとうございます。」

彼女は、先ほどまでの寂しげな表情のまま、やや口角を挙げて笑った。



そこから僕は、今まで知ることのなかった彼女の話を聞いた。

―—―元々気が弱い性格をしていたこと。

―—―高校生活で心に傷を負い、そこから自律神経が乱れてしまったこと。

―—―大学で回復しようとしても中々できずにいたこと。

―—―社会人になり、会社に勤め上司の指示に動かされる日々を過ごしていること。

―—―体調不良になってしまい、会社に長期休暇を申請していること。



もちろん、僕はずっと彼女が幸せそうに日々を過ごしているとばかり思っていたため、少々驚いた。そして、その彼女のために、自分は今までの美容師人生を懸けて、最高のショートヘアにしようと誓った。

そろそろ長い施術が幕を下ろしそうな時、最後の仕上げで、彼女は鏡を見てフフッと笑った。

「ここの美容院に来て、また新しい自分になった気がすると自信がつくんです。今日も最高の自分に出会えた気がします。」

「それはよかったです。」僕は、両手に付いているオイルを温めながら伸ばし、ゆっくりと、そして所々でクルクルと毛束を作り、柔らかい印象を作り始めた。

「はい、これでどうでしょうか?」

最高の仕上がりだ。僕は近くにある両開きの鏡を手に取ると、まるでビックリ箱を開けるように勢いよく広げた。

その途端、彼女の表情が、今までのような、晴れ晴れとして可愛い表情に変わった。

「凄く・・・・素敵です、本当に変わったみたい!」

「ありがとうございます!」

僕は、彼女の表情を見ただけで、心がホッと温かくなるのを感じた。



「—―—さん、ありがとうございます。」

最後、お会計を終え玄関まで見送ると、彼女は振り返って僕にそう言った。

「またよろしくお願いします。」

そう言って、また外の方に視線を向け、歩き出した。

僕は、その表情が、とてもさわやかで、明るくて、今までよりもずっといいと思った。

「またのご来店、お待ちしています!」

僕は、小さくなり始めている彼女の背中に、そう言った。



今日も、僕は人の人生を変える仕事をする。




                  終

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美容院 キコリ @liberty_kikori

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