第零話 繧ゅ≧豸医∴縺溘> (Part.3)




▽ 13 ▽




 マッカートニー親子が私達の研究所に訪れたのは予定通り、メンゲレの報告から2日後だった。椎は打撲の熱でうなされており、例え博士から許可が下りたとしても、面会させることは出来なかっただろう。


 顔合わせは所長室で行われた。私が入室すると、すでに2人はソファーに腰掛けていた。驚いた事に、来客は親子だけでは無かった。ソファーの2人を取り囲む様にして、6人の屈強な兵隊が立っていた。


 私の姿を認めると、父親が立ち上がって、こちらに近付いてきた。


『はじめまして、春風さん。私の名前はジュード・アーサー・マッカートニー。今日は娘の事をよろしく頼むよ』


 父親のジュードは、服の上からでもわかるほど、とても筋肉質な体形だった。褐色の肌とパーマのかかった黒髪、そして深緑の軍服。両胸には勲章がたくさん付いていた。彼は軍人らしい厳かな歩き方をしたが、物腰は恐ろしいほど低い。私に挨拶する時は膝立ちをして、視線を合わせてくれた。


『はじめまして、マッカートニー中将。春風林檎です。今日はどうぞよろしくお願い致します』


『ははは、そんなに畏まらなくてもいいよ。私の事は、気軽に「ジュード」と呼んで欲しい』


『はい、わかりました。ジュード』


 返事を聞いたジュードは、私の頭を大きな右手で優しく撫でてくれた。触れられながら、私はこの男性に好意を抱いた。


 研究所の人間から、こんな風に愛情を込めて撫でて貰ったことがあっただろうか?


 父親が居たら……こんな風に暖かく接してくれるのだろうか?私はマーサに対して、少々嫉妬の念が湧いてきた。


『林檎、娘を紹介するよ。この子はマーサ。12歳だけど、どうも落ち着きが無くてね。色々と根掘り葉掘り聞かれるだろうけれども、答えたくない事は無視していいからね』


『なーにーがー、落ち着きが無いよ!失礼しちゃうわね!ちゃーんと、自慢の娘って紹介してよ、もう!』


 マーサは父親からの評価に納得が出来ないらしい。激しく両足を揺すりながら、父親に不満を告げた。


『そういう所だぞ、マーサ。ほら、君も林檎に挨拶しなさい』


『はぁ~い、よいしょっと』


 少女はソファから立ち上がると、床にしゃがむ父親の右隣に立った。身長は140cmぐらい。私よりも15cmほど高いが、この施設の研究員らと比べると、いささか小柄に思える。


 肌は父親同様に褐色で、肩まで伸びた黒髪をツーサイドアップの形に纏めていた。瞳の色は金色。かなり整った美しい顔立ちをしていた。


『はじめまして、林檎!あたしはマーサ・キャサリン・マッカートニー!誰もが羨むパパを持って、誰もが妬む頭脳を持ち、誰しもが嫉妬する美貌を持った完全無欠の完璧少女よ!どう?あたしと会えて感激した?』


 そう言うと、ニコニコしながら私に対して、小さな右手を差し出した。


『よ、よろしくお願いします、マーサ。お名前はかねがね伺っております。お会いできて……その……と、とっても感激しています』


 私は少女の勢いに気圧されつつ、自分も右手を出して握手した。その傲慢無礼ごうまんぶれいとも天真爛漫てんしんらんまんとも取れる超常的な態度に、それまでマーサに抱いていた小さな嫉妬心は、跡形も無く吹き飛んでしまった。


『じゃあ、私は少しメンゲレ博士とお話するから、済まないけど君達は別の部屋に移動してくれないかな?』

 私達の自己紹介が終わると、ジュードが言った。


『はい、わかりました』

 と私が答える。


『わかったわ、パパ。あたしは林檎とい~っぱいたぁ~くさんお話するから、そっちは骨と皮だけのミイラになるまで延々と話しててもいいわよ』

 と中将の娘が、ニヤニヤしながら意地悪そうに答える。






 2人の護衛を引き連れ、私とマーサは用意された部屋へと向かった。道中、少女は歩きながら私の知らない歌を口ずさむ。そのメロディと歌詞は、青空の下に広がる芝生の草原を、私の脳内にイメージさせた。


『素敵な歌ですね。歌声もとても綺麗』

 私は素直な感想を述べた。


『でしょ~?あたしの名前の由来になった曲なの!だぁ~いすきな歌よ!』


 とマーサが言った。彼女は笑いながら、両手を広げる。歌を褒められたことが、とっても嬉しいといった風に。その時の姿は、どこか人懐っこい牧羊犬を連想させた。




▽ 依死 ▽




 マーサ・マッカートニーは、穏やかで紳士的な父親ジュードと違い、高圧的で奇天烈な少女だった。話は非常に長く、異常な程に早口で、私が理解しているかどうかなんてお構いなしに、話をどんどんと進めていく。知らない専門用語を多々使う為、本当に同じ言語で会話しているのかさえ怪しく思えるくらい、こちら側に話が伝わらなかった。


 が、最後に要点をまとめる時だけは、非常にわかりやすい言葉で短く纏めた。


『……ってこと。つまりあたしが言いたいのは、この研究が進めば、全人類の意識をネット上にバックアップする事も出来るってわけよ。ネットの世界で永遠に生きる日もそう遠くない。どう?面白いでしょ?』


 この結論に至るまで、マーサは20分ほど話をし続けた。その間、彼女の言葉が3秒以上途切れる事は1度たりともなかった。高速で展開される高尚な論理に対して、私はただただ頷く事しか出来なかった。


『は、はい。完全に理解したとは言えませんが、未来が面白い事になるのはわかりました』


 私はとても感心した素振りを見せながら、短く演説の感想を述べた。


『ふふ~ん!わかればよろしい!』


 色黒の少女は両腕を組み、目を瞑って満足げに鼻息をフンッと出した。その姿は年上のお姉さんというよりは、どこか年下のお嬢さんの様にも思える。


 マーサの言動は一語一句、全て自信に満ち溢れていた。自分の発言は例外無く、全て本当の出来事であると信じ切っているみたいだ。そう思える根本的な原因が、彼女の高過ぎる知能指数のせいなのか、陸軍中将の娘という上流階級のプライドがそうさせるのか、はたまた12歳という若さゆえの全能感なのかは、私には判断出来かねた。もしかしたら、それら全てが原因なのかもしれないし、私なんかには想像も及ばない思想が、この少女の頭蓋の中に収められているのかもしれない。


 用意された部屋の中に居るのは、私とマーサの2人だけだったが、扉の外には先ほど所長室に居た6人の兵士の内、2人が待機していた。


 彼らは最初、室内で令嬢護衛の任務に当たろうとしていたのだが、マーサに『ガールズトークするから出て行ってよッ!』と怒鳴られ挙句、部屋の外へと追い出されてしまった。年端のいかない少女に命令され、多少の悲壮感を漂わせながら、渋々と外に出る兵隊2人組の姿を見て、私はいたたまれない気持ちになってしてしまった。






 マーサの長い演説の後、私はこんな質問した。


『そういえば、マーサ。どうして私に会おうと思ったのでしょうか?あなたの専門分野は「機械工学」ですし、私はその分野について、まるで詳しくありません』


『おっ?い~い質問だね。それはね、あたしとアンタ。2人とも何かを間接的に破壊するボロワーだからよ。だから、どんな子なんだろうと思って会いに来た。もっとも、あんたの生物に対する能力と違って、あたしのやつはコンピューターに対する能力だけどね』


 私はマーサの言葉を聞いて驚いた。なぜならば、私の「デッドアップル」は、研究所内でも限られた人間しか知らないと聞かされていたからだ。なぜ彼女が知っているのだろうか?誰かが情報を漏洩した?何の為?


『なるほど……。もし宜しければ、あなたの能力の詳細を教えてもらえませんか?』


『別に構わないよ。でも、先に林檎が教えてくれたらね』


『わかりました』


 私はウィルスを操る能力「デッドアップル」の概要について説明した。話を聞きながら、マーサは興味深そうに何度も頷きを入れた。


『……以上が、私の神貸能力のわかっている部分です』


『い~やぁ~、すっごくわかりやすい説明!林檎さ、本当に7歳なの?信じられないくらい大人びてる』


『褒めてくださって、ありがとうございます』


『さぁ~て、次はこっちの番だね。あたしは今んところ、2つの能力を持っている。まずは「ミストレス」。名前は小説の「月は無慈悲な夜の女王」から拝借したの。林檎が生物をぶっ殺す力なら、あたしのは機械をぶっ壊す力。まー、これに関しては口で説明するより、実際に見た方が早いかもしれないわね』

 

 そう言うと、マーサは右手でリモコンを操作して、部屋の隅に置いてあったテレビモニターを起動した。 電源が入ったのを確認した後、彼女の金色の眼が激しく輝いた。右手の銃の形にして『バンッ!』と呟くと、モニターの画面が突如ブラックアウトした。マーサは、私にリモコンを手渡す。


『電源入れてみ?』


 私は彼女の指示通りに電源ボタンを押してみたが、テレビモニターはうんともすんとも言わなかった。真っ黒な画面には、間抜けそうに何度もリモコンのボタンを連打する私と、余裕気に両手を頭に乗せているマーサが映り込んでいた。


『驚きました……。これはどんな仕組みなんでしょうか?』


『能力発動中、あたしの眼から特殊な電波が発生してるの。それで電子機器のプログラムを書き換えて、動作不良にする事が出来るってこと。一応言っとくと、発砲の物真似は不要。カッコいいからやってるだけ』


『つまり……?』


『つーまーりー!あたしに見られたら、たとえガンダムだろうが、トランスフォーマーだろうが、アイアンマンのパワードスーツだろうが、一瞬で動かない粗大ゴミに出来るってことよ。どう?ヤバくない?』


 私はガンダムもトランスフォーマーもアイアンマンも知らなかったが、いずれも強力な機械兵器なのだろうという事は、彼女の言い回しからわかった。私は勢いに任せて、マーサに拍手した。拍手された彼女は、まんざらでも無さそうな表情をしている。


『ん~で、もうひとつの神貸能力。最近発現したばかりで、パパにはまだ内緒にしてるんだけど……』


 ここからマーサは15分ほどノンストップで、自身の2つ目の能力について語り出した。様々な公式や化学法則などを、まるで議会で演説する国会議員の様に、身振り手振りを交えながら語った後、以下の文句で締めくくった。


『まーどういう事かというと、林檎のウィルスではあたしを殺し切れないってこと。だから、あんたの事は全く怖くないってわーけ!どう?ビビったでしょ?』


『確かに理論上、私のデッドアップルで、あなたは死なないですね。そんな人間、初めて会いましたよ。もっとも、私は研究所の人間しか知らないのですが……』


『研究所の人間しか知らないねぇ……。そー言えば、あんたさ、この施設がどんな研究をやっているのか知ってる?』


『確か……免疫学についての研究をしていると聞いたのですが……』


『んー残念。違うんだな、それが』


 ここでマーサは、とても愉快な事を発表する直前みたいに嬉しそうな表情を浮かべた。私は嫌な予感がした。




『動物実験施設なのよ、ここは』




 とマーサは意地悪な笑みを浮かべながら語った。そして、こう付け加える。『あー、安心して。あんたは人間だから、多分』


 私の予想は、最悪な方向で外れた。


 ――動物実験?目の前の頓珍漢なお姉さんは、一体何を言っているのだろうか?


 私はひどく困惑した。とめどなく溢れ出てくる嫌悪感のせいで、心臓の動きが止まってしまった錯覚すら覚える。


『厳密に言えば、人間の肉体強化に関する研究をしていて、その事前実験に動物を使用しているって事。公にはね』


 もしも……もしも彼女の言っている事が本当だとして、ここが動物実験施設ならば、ここにいる私達姉妹は……実験動物という事になる。


 もちろん最初は信じられなかった。何十年も掛けて積み上げてきた砦が、空から落ちてきた1発の大型爆弾で跡形も無く崩壊してしまった様な気分だ。


 今日初めて出会ったばかりの、この失礼極まりない少女を信用するべきなのだろうか?


 私にはマーサがつまらない嘘をつかない様に思えた。その理由は、多分、この子はその人生において敗北というものを知らなそうに見えたからだ。相手に対して、取り繕うという事を彼女は知らない。


 それに恐ろしく頭脳明晰ではあるが、精神年齢は実年齢よりも幼くみえた。良くも悪くも素直で無邪気な感じがする。高度な心理戦や腹芸をするには、いささか純粋過ぎる。


 思い当たる節はいくつある。私達を人間として扱うのなら、多少の外出だって許されるはずだ。今まで施設の外に出して貰えなかったというのは、私の存在が公になる事がとてもまずいからだったのだろう。

 

 それに椎に対する非人道的な実験や行為。これも彼女をそもそも人間扱いしていないのなら、説明がつく。だって、彼らにとって彼女は利用価値の無い実験動物ローレンテックなのだから。


 沈黙の中で様々な思考を張り巡らす私に、マーサはとどめの一言を突き付ける。




『ねぇ、林檎。あんたさ、戸籍無いのよ。知ってた?』




 この質問に私は首を横に振った。今まで自分の戸籍について考えた事がまるで無かった。国民を管理する為、戸籍があるという事を知識では知ってはいたが、自分も当然の様に保有しているものだと思い込んでいた。


『これさ、どー言う事かわかる?』


『私達は存在していない子供……少なくとも書類上では。ここで死んだとしても、外界の誰にも気付かれない』


『せーかい。あんたさ、やっぱり頭良いわね。というか、私「達」ってどーいう事?』


 マーサはこの施設に飼われている人間を、私だけだと思っていた様だ。私はたった1人の家族について、説明する事にした。


『私には、椎という双子の妹が居ます。彼女は私と違って、ローレンテックだからという不当な理由で、ずっと過酷な人体実験に参加させられていました。その事を知ったのは、つい1ヶ月前です』


 ここで、マーサは右手をパーの形で前に突き出し、私の話を制止した。


『待って。今、1ヶ月前って言った?』


『はい、そう言いました』


『あたしが林檎の事を知ったのも1ヶ月前なのよ。あんたはどうして妹の存在を知ったの?』


『それはグレゴール・メンゲレ所長が、妹の存在を教えてくれたからです』


『それ、かなりまずいかもしれないわ……。あたし達、嵌められたかも』


『ちょっと待ってください。話についていけません。説明してもらえませんか?』


『あたしがあんたの事知ったのは、匿名のメッセージが来たからよ。内容は「アフィリア連邦内にある動物実験施設で、人間を使った残虐な実験が行われている」ってリークだった。それでこの施設のコンピュータをハッキングしたら、林檎の研究データがたくさん出て来たって訳。おかしな話でしょ?動物実験の施設で、人間の……それも7歳の小さな女の子の研究データが出てくるなんて。それをパパに見せたら、とても怒っちゃって……』


 ここでマーサは言葉を一旦止めた。


『つまり、あたし達が今日来た本当の目的はこの施設の調査。パパって、物凄い正義感に溢れた人なのよ。だから、発見したデータが本当なら、あんた達を助けるつもりだったのよ。今、ここの周りにはパパの部下達が大勢取り囲んでいるわ。場合によっては、この施設そのものを制圧するつもりよ』


『なるほど。でも、なんでそれが嵌められたと思ったので……あっ!そうか……7年間も隠していた妹の存在を、今更私に打ち明けた……そして、同時期に外部への情報漏洩……いくらなんでもタイミングが良すぎます』


 私はマーサを全面的に信じる事にした。


『メンゲレが怪しいわね。あんたと妹が出会う事、そして偉大なパパとの会合が、あの腐れ博士には必要だったのかもしれない。理由はまだわからないけどね。林檎、パパ達の所に行こう!』


『わかりました。でも、私達みたいな子どもが行っても大丈夫でしょうか?表に居る護衛の人達に任せるべきでは?』


『あーそれは大丈夫よ。あたし達さ、機械と人間どっちもぶっ壊せるじゃない。そー考えると無敵なコンビだと思わない?』


 そう言うと、12歳の天才少女は私の手を取った。


『いくよ、マブダチ!パパと妹ちゃんを救うわよ!』


 7歳の小さな私は縦に首を振った。




▽ 15 ▽




 マーサは部屋を出ると、自分の護衛2人に対して、手短に状況を説明した。若い兵隊2人は、彼女の話を聞いて顔を真っ青にした。12歳とは言えど、高い知能を持つ彼女の言う事は、それだけの信憑性があるのだろう。1人の兵士が外に待機する部隊へ連絡を入れる。


『マーサ、どうする?』

 連絡している間、もう1人の兵士がマーサに相談する。


『もちろん、あたし達だけでもパパの所に行くわよ。時間が惜しい』


『わかった。ただ、危険だから君達は部屋に待機していてくれないか?様子を見に行くのは、俺達2人だけで行く』


『それって、あたし達の部屋に護衛居なくなるってことじゃん。結局、部屋に残って居ても危険なのは変わらなくない?』


『う、うむ……』


『だーから、あたし達も一緒に行く。そっちの方が安全でしょ?どう?文句ある?』


 兵士は少し考えた後、マーサに同意した。


『わかった。ただ、中将の安全が確認できるまで、前には絶対出るなよ』


『おっけー。いざとなったら、あたしとこの子の能力があるから平気よ』


 マーサは屈託の無い笑顔を浮かべ、左手で私の右肩をポンポンと叩きながらそう言った。






 数分後、私達4人は所長室の前に到着した。兵士2人は私達を後方に下がらせてから、部屋をノックした。


『マッカートニー中将!失礼致します!』


『どうぞ入ってくれ』


 中からジュードの声が聞えてきた。良かった。あの優しい人は無事だった。私はマーサの予想が外れた事に安堵した。


 部屋の様子を確認した兵士の1人が、私達に「入室しても大丈夫だ」というハンドサインを送ってきた。マーサは私の右手を握りながら、所長室へと歩いて行った。


 入室すると、私とマーサはソファに腰掛けた。彼女はまだ私の右手を握っている。ジュードは私達の対面に座り、護衛の兵士達は私達の後ろに立っていた。


『マーサがあなたの事が心配になって、一度様子を見に来たんです』

 と兵士の1人が言う。


『そうかそうか。確かに話が長くなってしまったから、君達を不安にさせてしまったね。すまなかった』

 とジュードが申し訳なさそうに答えた。


『ね、ねぇ。他の護衛の人達とメンゲレはどこ?なんでいないの?』

 ここでマーサが口を開いた。


 私の右隣に座る年上の少女は、ひどく怯えていた。彼女の左手が汗ばんでいるのが、手を繋いでいる私にはわかった。そういえば、なんで所長室にジュード1人しか居ないのだろう?


『違法な人体実験の資料が見つかった。だから、4人には彼の尋問をしてもらっている。なぁに、そんなひどい事はしないよ』


 そういうと、ジュードは私達に笑いかけた後、ソファから立ち上がり、メンゲレの机まで移動した。彼が歩く姿を見ながら、マーサは私の右手を握る力を強めた。彼女の身体はブルブルと小刻みに震え出す。


 ジュードはメンゲレの机の後ろへ回り込み、ニヤリと笑いながらこちらへ語り掛けてきた。


『林檎、この研究所は今日でおしまいだ。これから君には身寄りが居なくなる。どうだい、君さえよければ私達と暮らさないか?マーサもきっとよろこ……』






『ねぇ、アンタだれ?』






 マーサがジュードの会話を遮った。私は驚いて、隣の少女をまじまじと見つめる。彼女は泣いていた。あれだけ気丈に振舞っていたこの子が涙を流すなんて……。


『何を言っているんだ、マーサ。私だよ?パパに決まっているじゃないか』


『何がパパよ!全然違うじゃない!まず喋り方だけど、パパはもっと滑らかに舌を動かすから、そんな田舎者みたいなどんくさい喋り方はしない。特に"R"の発音!パパはもっと上品な巻き舌で発音する。あんたみたいに空気が漏れたみたいな気持ち悪い音は出さない。歩き方も全然違う!パパの歩幅はいつも75cmで固定されているの。これは軍隊の訓練で最初に教わった歩き方で、真面目なパパは外にいる時、今でもずっと守り続けてきている。でも、アンタが机に向かう時の歩幅はバラバラだった。それに表情が全然違う!あんたの笑い方みたいに、不気味に口角は上げない。宗教画に描かれる聖人君子の様に、見るもの全てに安心感を与えてくれるような素敵な微笑みをしてくれる……言い出せばキリがない。つまり、あんたは偽物ってことよッ!』


 ここまで言い切ると、マーサはジュードを右手で指差し、後ろの2人に命令する。


『撃てッ!』


 が、兵士2名は発砲を躊躇した。目の前の少女の言っている事を信じ切れなかったのだったのだろう。その一瞬の戸惑いが、彼らの命運を分けた。


 所長室に2発の銃声が鳴り響く。私達の後方で、2つの大きなモノが地面にぶつかる鈍い音が聞えた。


 偽者と言われたジュードは、笑ったまま部下の脳天を手際よく撃った。そして、銃口をそのままマーサへと向けた。マーサの眼が金色に輝く。ミストレスを発動したのだろう。が、彼の顔から笑みは消えない。


『おっと、これは機械制御の拳銃じゃないから、お前のミストレスは効かんよ。残念なことにな。さてお前の洞察力には本当に驚かされたぞ、マーサ・マッカートニー。流石、世界最高のIQを記録した天才児。お陰でだよ。もっとも、この場でそれを気付かないフリをしていれば、もっと良かったがな。せめて外に待機させた部隊がみな到着した後に暴露すれば……そうすれば、お前を信じた何人かの兵隊によって私はその場で銃殺され、全てが丸く収まった。お前の早計さのせいで、後ろの若者2人は死んだのだよ。おぉ、なんと可哀そうな事だろう』


 会話を聞きながら、私は偽者までの距離を目測してみた。が、どう見ても2m以上離れている。私の能力の詳細についても知っているのだろうか?漏洩したデータの内容を私は知らなかったが、ウィルスの有効範囲が記されていたのかも知れない。


『質問にまだ答えて貰っていない。アンタ誰よ?』

 とマーサは怒りと恐怖に小さい身体を震わせながら、そう言った。


 偽者のジュードは質問の答えと言わんばかりに、無言でマーサの胴体目掛け、2発の弾丸を発射した。放たれた銃弾は、彼女の腹部に直撃した。撃たれた彼女は、上半身を折りたたむ様にしてソファの上で倒れ込んだ。


『マーサぁ!マーサぁ!お願いしっかりしてください!』


 私は立ち上がり、苦しむ彼女をソファに寝かせた。握っていた彼女の左手を離し、偽物のジュードに能力を発動しようと振り返る。


 が、私がマーサをソファに寝かせている10秒足らずのうちに、敵は所長室から逃げていた。彼がマーサの頭を狙わなかったのも、私がまだ息のある彼女に気が取られ、追撃に移るまでの時間を遅らせたかったのだろう。ここで私を殺さなかったという事――すなわち、彼が私が死んだ後の置き土産についても知っている裏付けとなった。








 ソファーに横たわっているマーサは、どう贔屓目に見ても虫の息だった。数分後、その体には確実な死が約束されている。


『いやぁ……マーサ……お願い……死なないでください……』


 私は生まれて初めて出来た友人の手を取りながら、必死に懇願する。しかし、願いとは裏腹に、腹部からの流血が止まる事は無かった。流れ出した体液は、ソファーを赤く染めるだけでは留まらず、床をも浸食していた。


『うぅ……死に……たくない……。あん……な糞野郎に……パパのフリされた……ままじゃ……死ね……ない。悔しい……くや……しい……。本当に……ぐや……じいい……。パパぁ……どごに行……っちゃっだの?ねぇ……?』


 マーサは大粒の涙を流しながら、息も絶え絶えに言った。


『あだし……ぜっ……たいに……あいつを……後悔させて……やる。許さな……ゲホッ!ゲホッ!……はぁはぁ……死んでも……許さ……ない』


 そう言うと、マーサは自分の持っていたスマートフォンを私の前に差し出した。血に濡れていたが、電源はまだ生きていた。


『ねぇ……り……んご。2つ……だけお願い……聞いて……』


『はい……』


『あた……しの……ずっと……肌……身離さず持っ……ていて……くれ……ない?』


『はい……』


『あと……あた……しのこと……忘れないで……欲しい……』


『もちろんです!絶対に……絶対にあなたの事は忘れません!だって……だって、私達は親友だから!』


『あ……あり……が……とう。あん……たに会え……て良かった……。ゲホッゲホッ!今から……最期に……あの能力……使う。上手く……いくと良い……んだけれども……』








 それから30秒後、マーサ・キャサリン・マッカートニーの小さな身体から全ての生体反応が消失した。


 私の手元には、突如動かなくなった血塗れのスマートフォンだけが遺された。


 知り合ってまだ1時間程度ではあったが、間違いなく彼女は私の親友だ。生まれて初めて出来た友人の喪失に、私の視界は涙で歪む。

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