第4話(その4) ~春風 椎・椎名町サンロード~

 椎名町サンロードの端には、サミットという名前の大型スーパーマーケットがある。その北側を東西に走る車道の入り口には、「長二サミット通り商店街」の看板が架かっていた。


 その商店街には古い建物が多く、昔ながらのパン屋や寿司屋、コーヒーショップが軒を構えていた。


 道路の両サイドには、ロンドンのガス灯を思わせるレトロな形状の街灯が、一定間隔で設置されていた。


 それらのポールに取り付けられた短筒には、枝木を模した装飾品が、接ぎ木の様な形状で斜めに刺されていた。模造品の植物には、現実には存在しない7色のカラフルな葉っぱが生えていた。


 20世紀が色濃く残る長二サミット通り商店街を西へ歩いた先に、奏とカートにとっては住み慣れた、私にとっては新しい住居があった。築30年以上経過しているであろう、2階建てのアパート。



✩☆✩



 2人と1頭は、「104号室」と書かれた扉の前に立っている。


「教授の家と比べるとド貧相だろうけど、んま、なんとかなるっしょ!」


 そう言いながら、奏は扉の鍵を開いた。


 104号室の間取りは2DK。玄関の目の前がキッチンだった。広さは7帖で、正面右手には浴室と洋式トイレがそれぞれある。


 キッチンの奥には、フローリングの部屋が2部屋あり、広さはどちらも同じ6帖だ。


 靴を脱いだ後、私は正面左側に位置するフローリングの部屋へ通された。意外にも室内は綺麗だった。喋り方や態度から、自宅はもっと乱雑としているものだと勝手に思い込んでいたので、少し驚いてしまった。


 窓は遮光カーテンを閉められており、外の様子を窺い知る事は出来ない。水色のソファーが部屋の隅に置いてあり、よく見るとそこにはカートのものと思わしき体毛が、何本か付着していた。


 確かに奏の言う通り、シナモンやキャラウェイの家に比べてかなり狭い。とはいえ、幼い頃にナイジェリアでストリートチルドレンをしていた私からすれば、それは大した問題ではなかった。



「富は海水に似ている。飲めば飲むほど、渇きをおぼえる」



 ショーペンハウアーの著書「幸福について」に書いてあった言葉だ。私は彼の言う通りだと思う。雨風を凌げる屋根と壁さえあれば、それだけで感謝するべきことなのだ。


 が、育ち盛りの狼であるカートにとって、この部屋はいささか狭い様に思えた。


「ねぇカナデ。ワタシは平気ですが、狼であるカートには、この部屋だと狭くないですカ?」

「あ~それは安心して。この子さ、寝る時以外、だいたい庭に居るから」


 奏は閉じられていた遮光カーテンを勢い良く開け放つ。


 窓の外には、都心とは思えない広々とした野原が広がっていた。


「本当は大きなマンションが建つ予定だったんだけど、計画が行き倒れになっちゃって、しばらくの間ボク達が使わせてもらってるってわけ。キャラウェイ教授の口添えでね。あっ、もちろん使用料は払っているよん」


 奏は窓を開いて、カートに着けられたリードを外した。カートは一度、嬉しそうに短く吠えると、勢いよく飛び出し、そのまま雑草が生い茂る原っぱを駆け回った。


「ボク、元々は雑司ヶ谷に住んでいたんだけど、あっちはこんなに広い土地が無くてさ。んで、カートと暮らすことが決まった時、ここに引っ越してきたってわけ。日本で狼と暮らす時、本当は檻に入れたりしないといけないんだけど、あの子は特別」


 奏は走り回る獣を見ながら、そう言った。


「どうして、特別なんですカ?」

「あの子が神獣だからだよ」


「シンジウ?」

「神の獣と書いて、神獣って言うの。ボクの実家さ、島で神社を運営しているんだ。壱岐って知ってる?」


「ふーふーふー。『いき』とは、これですか?」

 私は、暖かい物を冷ます時の物真似をしてみせた。


「それも『いき』だけど、ボクが言ってるのは島の名前だよん」

 奏は、息を吹いている私の様子が、よっぽど面白かったのか、ケラケラと笑っている。


「島の名前……。う~ん、わからないデス」

「おっけー、ちょっと待ってて」


 奏はスマートフォンを取り出すと、マップアプリを起動し、「長崎県壱岐市」と呟いた。ピコンと電子音がした後、「これが壱岐だよ」と言いながら、画面に表示されたものを左隣に立つ私へ見せた。



✩☆✩



 奏は私の為に、以下の説明をした。


・壱岐は、九州の北西部に浮かぶ離島だよ。いい所さ!


・福岡の博多港から壱岐の郷ノ浦港まで、ジェットフォイルだと70分。早い!


・ゆっくり進むフェリーだと2時間20分くらい。意外と長いんだよなぁ。


・2038年の人口は約15000人。年々減ってるんだ……。ガックシ。


・春先に南寄りの強風が吹くんだけど、それが春一番の語源となったんだってさ。キミとは春風繋がりだね!



✩☆✩



「カナデは壱岐で産まれたのですカ?」

 彼女からの説明を聞いた後、私は尋ねる。


「いや、ボクが産まれたのは福岡。壱岐には、小学校から中学校までの間、住んでいたの」


「その後は、どこに住んでいたんデスか?」


「中学卒業した後は福岡に戻って、そっちの高校に通ってた。んで、大学生の時に東京へ出てきて、そのまま住んでるって訳。ほら、これ見て」


 椎が奏から手渡されたスマホには、1枚の写真が表示されていた。それは奏とキャラウェイのツーショットだった。


 成人男性ほどの高さがある石造りの四角柱を真ん中に、左側に奏が、右側にキャラウェイが立っていた。石柱には「日本最高峰 富士山 剣ヶ峰」と刻まれている。


「18歳の夏、2人で富士山に行った時の写真だよ。キャラウェイ教授とは、ボクが大学生の時に知り合ったんだ。2人でいろんな場所へ遊びに行ったもんだよ」


 奏は昔を懐かしむ様に目を細め、壁の上の方を見つめていた。


 一方、私は彼女から見せられた写真に釘付けとなっていた。なぜなら、画像のキャラウェイが、奏と一緒にウサイン・ボルトのライトニング・ポーズをバッチリ決めていたからだ。それも100点満点の笑顔で……。


 私にとってのチィン先生は、どんな時も落ち着いている紳士だった。よく笑う人ではあったが、少し照れ屋な所があって、こういう大胆な事はあまりしない……と思っていた。今の今まで。


 知人の意外な一面を見てしまった後、私はどう反応すれば良いのか困る秘密の告白を親友から聞かされた時のみたいな、ちょっぴり複雑な気分になった。

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