第3話(その1) ~春風 椎・名前の無い交差点&4401号室~

 ………………グオーーーン、グオーーーン、グオーーーンンンン………………。


 鈍い頭痛が、私を浅い眠りから目覚めさせる。飛行機に乗っているせいだろうか?いや、たぶん違う。不定期に起こる突発的な慢性頭痛には、何度も何度も悩まされている。


 それは私にどす黒い重油を連想させた。頭蓋の内部で、真っ黒の粘っこい液体がグラグラと揺れている。そんなイメージだ。


 何度か病院にも掛かってみたが、結局、原因はわからずじまい。幼少期から時たま発生していたが、第三次世界大戦の末期から、より頻度が増している。もしかして、呪いが関係しているのだろうか?

 

 だんだん気分が悪化してきた。吐き気もする。まだ殻を破れないヒヨコが、卵の中でピーピーと鳴き叫んでいるのを、ずっと耳元で聞かされている気分だ。





 足元を見ると、前席の背もたれに供えられたネットの中に、緊急用の嘔吐袋が入っていた。私はネットから黒色のビニール袋を取り出し、口を開いた。


 トイレまで行こうかと思ったが、間もなく着陸という事もあって、機内はシートベルトの装着と厳重な着席が義務付けられていた。


 仕方がないので、そのまま胃の内容物を吐き出そうかと思った。が、右側で眠っている見知らぬ少年を見て、ふと思い立った。


 ――自分が吐いたせいで、この男の子まで気分が悪くなったらどうしよう?


 そう思った私は、いったん袋を膝の上に置いて、お母さん譲りの精神操作法――すなわち、心の魔法を試みる事にした。





 まずは銀色のロケットペンダントを胸元から取り出して、右手で握り締める。その後、両手を組む様な形で左手をその上に覆い被せる。


 その状態で目を閉じて深呼吸を繰り返す。自分だけの暗黒世界で、自らの呼吸だけを感じようとする。


 きっと何も知らない人が見たら、それは神に祈りを捧げるポーズに見えるだろう。が、この時、私は神には祈っていない。心の中は無そのもの。理由は分からねど、この祈りのポーズが自然と落ち着くのだ。


 心の魔法を試したところ、徐々にではあるが、嘔吐感は収まってきた。よし、これなら大丈夫だろう。スマートフォンで時刻を確認する。


「2038/03/20 10:05」


 あと15分もすれば、飛行機は空港に着陸する。私の席は窓側だったので、気晴らしに外を眺める。


 機体は雲の中を飛んでいる為、楕円形の窓は白しか映していない。エンジン音も合わさって、まるでテレビの砂嵐の様だ。



✩☆✩



 飛行機は無事に羽田空港に着陸した。飛行機を出てすぐ、私はターミナルで入国審査を受ける。


 私は日本国籍も持っていたので、入国にあたっての煩雑なやり取りも無かった。アメリカ育ちの私が日本国籍を有していたのは、義兄であるシナモンの計らいだった。


 写真でしか知らない両親(父親に至っては、ネットで見ただけだ)との数少ない繋がりだからという理由で、琴と佐祐が日本で最後に暮らしていた文京区の住所を、そのまま私の本籍地にした。


 キャラウェイから、羽田空港まで送迎車を出すと打診があったのだが、私はこれを丁重に断った。


 理由は、一度、街並みや人々をゆっくりと見てみたいと思ったからだ。これから自分がしばらく住むことになるであろう、この東京を。


 空港線のモノレールに乗って、品川駅まで出た後、山手線の外回りに乗り換えした。目的地は池袋駅。世界で3番目の乗降客数を誇る駅だ。

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