第2話(その3) ~キャラウェイ・池袋精華小学校~

「キャラウェイ理事長!ボクが春風椎ちゃんを預かりますっ!」


 困惑と狼狽が支配する職員室に似合わない、元気溌剌げんきはつらつとした声が響き渡る。


 こう宣言したのは、教員歴2年目になる若い女性教員だ。椅子が吹き飛ぶほどの勢いで立ち上がり、まるで運命の人物に出会った時みたく、瞳をキラキラと輝かせていた。


 彼女の名前は、古場こばかなで


 後ろで纏められた長い黒髪。服装は腕と脚、それぞれに黒いラインが入った、デサントの白ジャージだ。


 上着のチャックは全開で、その下に着ている赤いシャツには、大きな膨らみが露わとなっている。


 赤シャツには白い線で描かれた、猿の形をした岩のイラスト。絵の下には「壱岐いき」という漢字がプリントアウトされていた。


「日本語を学びたいって事は、まずは1年生のクラスに編入させるんでしょ?」

 と奏が言った。


「はい、その予定で考えています」

 キャラウェイは、自身の予想がピタリと当たったのが面白くて、思わず口元を緩めてしまった。


「なら、なおさらボクがやる。来年度、ボクは新入生のクラスを受け持つし……」


 ここで奏は言葉を止めた。う~んと唸った後、申し訳なさそうな口調で、次の様に言い放った。


「……すっごく言いにくいだけど、この雰囲気じゃ、多分、誰もやりたがらないでしょ?」





「古場っち、キミ、まだ2年目じゃないか!?他の先生に任せよう、なっ?」


 ここで大田が会話に割り込んできた。その勢いは、どこか反政府運動のデモ隊を扇動するスポークマンを思わせた。


「何?ボクじゃ、経験不足って言いたいの?」

「そういう事だ」


「まあ、確かにボクは小学校教員と未熟なのかもしれない。でも、大田っちはハタチの小学1年生を受け持った経験はあるの?」


「それは……う~ん、もちろん俺にはないなぁ……」

 大田は先ほどの勢いはどこへやら、一転して回答に窮した。


「でしょ~?ボク達、この件に関して、条件はそんなに変わらないんだよねぇ。春風ちゃんと1番年齢近いのは、自分と六条先生。だから、ボクらのどっちかが適任ってことだと思わない?」


「奏!だとしても、他の先生に任せましょう!」






 六条 秋姫あきひは、立ち上がって、大声で奏に意見した。普段はあまり反対意見を述べない、物静かな女性なのだが、高校時代から付き合いがある奏相手には、やや強気に出る節があった。


「うわっ、急に大声出さないでよ、アキヒぃ。めっちゃビビったじゃん」


「あんただって、さっき大声出してたじゃない。……って、そんな事が言いたいんじゃない!


 こんな凄い経歴の天才に……彼女より劣った私達が、いったい何教えろって言うのよ!?きっと、授業内容が幼稚すぎて馬鹿にされる。それにあの聖女様の妹でしょ?もし、何か失礼があったらこの学校が……」


「気にし過ぎだって。キャラウェイ教授も言ってたじゃん。『明朗溌剌とした素晴らしい女性です』ってさ。いい子に決まってるよ。ちょっとの事くらいで、こわぁ~いお姉ちゃんに告げ口もしないって。秋姫さ、教授の事、信じてあげられないの?」


「信じたい。でも……私達には無理だよ……」


「よぉ~し、そこまで言うのならこうしよう!春風椎さんを受け持ちたい先生は、今この場で挙手してください!はい、どうぞっ!」






 奏の号令の後、20人以上いる職員の中で、挙手したのは2人だけだった。もちろん、1人は古場奏。肩が脱臼しそう勢いで、右腕を真っすぐ天へと伸ばしていた。


 もう1人はキャラウェイだったが、彼は控えめに耳の高さまでしか手を挙げていない。


「誰も希望者が居ないので、やっぱりボクで決まりですね。あっ、もちろん教授はダメだよ。だって、あなたはここの理事長なんだから。やりたい気持ちは、と~ってもわかるけどねぇ」


 奏はジト目気味な表情で、意地悪そうに言い放った。


 と思った次の瞬間、表情がガラリと変わり、箸が転んでもおかしい年頃の様に、けらけらと笑い出した。



✩☆✩



「んじゃ、春風ちゃんの担任も決まった事だし、宝生校長にこの件を報告しなきゃね」

 奏は笑いながら、キャラウェイに言った。


「でしたら、私から彼女にメッセージを送っておきます」

 理事長が素早く答える。


「大丈夫だよ、教授。ボクが直接言うからさ」


 突然、奏は立ち上がったまま、天井を向いた。そして顔に両手を添えると、声を張り上げる。


「お~い、おじさん!宝生校長が、いま何してるか教えて~?」


 キャラウェイはこの動作を見て、彼女が能力を使って、何らかのイタズラしようとしている事を察した。


 数秒の沈黙の後、奏はうんうんと頷いた。そして、空席の机を指差すと、次の様に言った。


「わかった!なら、この空いている席に校長を座らせて!」






 次の瞬間、神奈川に出張していたはずの宝生校長が、奏に指定された席へ瞬間移動してきた。彼女はドーナツを食べるために、大口を開いている最中だった。


 宝生は自分がテレポートしてきたことに、まだ気が付いていないらしい。そのままお菓子に齧り付く。余程、美味しかったのだろう。咀嚼しながら、左手をほっぺに当て、満足そうな微笑みを浮かべていた。


 10回ほどドーナツをゆっくりと噛んだ後、急に笑顔が曇った。ようやく、自分の置かれている状況がわかったらしい。


「古場先生!また神貸能力しんたいのうりょくでイタズラしたでしょ!?せっかく、湘南名物の生ドーナツを頂戴していたところでしたのにッ!」


 ドーナツを飲み込んだ宝生海は、犯人の奏に文句を言った。恥ずかしさのあまり、顔を赤らめながら。


「ごめんって、校長先生。ボクにとって嬉しい出来事があったから、つい直接言おうと思って、呼び出しちゃった。すぐに元居た場所へ戻すから、許して?」

 奏はあっけらかんとした態度でそう答えた。


「大体の見当はついてます。春風椎さんは、あなたが担当する事になったんですよね?」

「大正解!さっすが~」


「もう用事は済んだでしょうし、控室に戻してくれませんか?」

「早く残りの甘くて美味し~いドーナツを食べたいから?」


「わかっているのなら、早くお願いします」

「ラジャー!じゃあ、おじさん!校長を元居た場所に返してあげて。あと、美味しいカプチーノを1杯、彼女にプレゼントしておいて!」


 奏が言い終えると同時に、宝生校長は食べかけの生ドーナツと共に、職員室から一瞬で消失した。


 校長の帰還を見送った後、奏は手を1回叩いた後、大きく両手を広げた。


「んじゃ、先生方!これにて会議終了ですっ!解散っ!」






 まるで学童の様に、明るくはしゃぐ奏の姿を見ながら、キャラウェイは思った。


 ――奏さんのとんでもない行動力、そして少女の様な素敵な笑顔は、どこか椎さんに似ているなぁ。


 とてつもないエネルギーを持った2人が出会う時、この世界は一体どうなるのだろうか?キャラウェイ理事長は、来年の春が楽しみで仕方なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る