第2話(その2) ~キャラウェイ・池袋精華小学校~
キャラウェイが経営する私立「池袋精華小学校」は、豊島区西池袋の住宅街の中に建っている。
2036年に新築された校舎は、学び舎というよりどこか現代美術館を思わせた。4階建ての校舎の壁は煉瓦で覆われており、所々下地のコンクリート打ちっぱなしの部分が見えた。
敷地の南側に正門があり、その左手には梟の石像が、まるで登下校を見守るように置かれている。
グラウンドは鮮やかな緑色。その中に青色で塗られた一周110mのトラックが、0を横に傾けた様な形で描かれていた。
椎から打診があった次の日、池袋精華小学校の職員室では、緊急の職員会議が開かれていた。
「そ、その……チィン理事長、本当に20歳の女性を、我が校の生徒として受け入れるんですか?」
白の襟付きシャツと黒のデニム姿の男性教員が、王に謁見する家来の様に身体を萎縮させながら、キャラウェイに質問をした。
30代前半、スポーツ刈りの黒髪。趣味の草野球の影響なのか、肌はこんがりと焼けていた。白シャツは、自身の筋肉でピチピチに伸びきっている。
「ええ、そうですよ。アメリカに住む古い友人の家族でしてね。10年以上前、私は彼女のホームスクーリングの教師を務めた事があります。
彼女が20歳の誕生日をアメリカで迎えた後、語学留学を兼ねて我が校に入学させます。国語やその他興味深い授業を受けてもらい、それ以外はALTとして3,4年生の英語を見てもらおうと考えています。
留学期間は半年間の予定です。なお、出張中の宝生校長には、既に了承を取っています」
キャラウェイは落ち着いた口調で、穏やかに返答した。
「前代未聞ですよ……そんなの……」
「大田先生の言う通り、日本では前例がありません。しかし、世界を探せばいくらでも例を挙げられます。
例えば、ケニアの小さな村で暮らしていた、ゴゴという助産師の女性。
彼女は94歳で小学校に入学しました。直系の子孫は、3人の子ども、22人の孫、52人のひ孫。
驚いた事に、彼女は自分の孫達よりも若いクラスメイトと一緒に授業を受けていたのです。
これはフランスで『GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生』というドキュメント映画にもなっています。大田先生は、この映画を観た事がありますか?」
「いえ、まだないです……」
「ならば、一度視聴する事をお勧めします。とっても良い映画ですよ。
おっと、話が逸れました。つまり、94歳の小学生が存在した以上、20歳の小学生が居たって、なんらおかしい事ではありません。大田先生は、どう思いますか?」
キャラウェイは、自宅で家族と談笑をしている時みたいに、とてもリラックスしながら語った。
その気になれば、理事長としての権力、そして自身の愛される能力で、この場を満場一致の賛成で丸く収めるのも容易ではあった。
が、力を使って簡単にモノを進めるのは、彼自身の好みではなかった。人生、一見無駄と思える事に価値があるのだ。
多少の反対意見があろうとも、しっかりとした対話を重ね、より内容を昇華させるこそこそが楽しいのだ。
「確かにケニアではそうだったのかもしれません。しかし、ここは日本です。
大の大人がランドセルを背負って、我が校の門を潜れば、地域住民からどんな目で見られるか想像できるでしょう?」
大田と呼ばれた男性教師は、まだ引き下がらない。眼には怯えが見えつつも、自分の意見はしっかりと通そうとしている。こうした一見、悪足掻きに見える態度をキャラウェイは嫌いじゃなかった。
「流石にランドセルを背負わせて登校させませんよ。そもそも当校は、私の就任時にランドセル以外での通学を認めるルールを制定したので、その心配は無用です。
あと外聞を気にされていますが、案外新しい試みをしたという事で、世間で話題になるかもしれません。もちろん、良い意味で」
「そこまで仰るのならば、私は反対しません。失礼致しました」
大田の引き際が早すぎる事を、とても残念に思いつつも、理事長はおくびにも出さない。
「御理解いただき感謝します。それでは、皆様。お手元のタブレットへ、春風椎さんの履歴書を送付しますので、各自確認してください」
キャラウェイはこう述べた後、自分のスマートフォンを操作して全教員にデータを共有した。
✩☆✩
理事長が椎の履歴書を送付して30秒後、職員室がざわつき始めた。
「え、えっ!?理事長、この方を……私達が教えるんですか!?」
紅葉を思わせる明るい茶髪の若い女性教諭が、驚嘆と悲鳴の入り混じった、ややヒステリックな声を張り上げる。
「六条先生、あなたが言いたいことはわかります。が、彼女が生徒として授業を受けるのは、主に国語。彼女の日本語に関しては、小学生低学年と変わらないレベルです」
紳士はなだめる様に喋る。今まで児童しか教えていないのだから、こんな反応にもなるだろう。わかっていた事だ。
「それに理事長……春風さんが聖女様の妹というのは……本当なのでしょうか?」
と六条は言った。
「間違いありません。おっと、これは
彼女は「はい、わかりました」と言ったきり、それ以上何も言わなかった。
キャラウェイは、先程、討論を交わした大田の方を見た。彼は記載内容によほどショックを受けたのだろう。目を何度も何度もパチパチとさせていた。
教師陣の中には、春風椎がその半生で一度も小学校に通わなかったという事実だけでさえ、「何か忌まわしい理由があるのでは?」と勘ぐっている者が居るに違いない。さらには聖女の妹というオマケ付きだ。
人類は自分達と匂いが違う者を迫害し、自分たちの鼻が利かなくなる遠い場所へ島流しにしたがる本能がある。そんな風にキャラウェイは、ずっと思っていた。人間は大好きだが、こういう排他的な部分は、いくら長生きしていても、慣れる事が出来なかった。
「最後の頼みは、あの人だけか。ほぼ大丈夫だと思うが、万が一そこからの立候補が無ければ、いっそのこと自分が1クラス受け持つのもありかも知れないな……」
職員室全体を眺めながら、そんな事を彼が考えていた――その時だった。
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