第2話(その1) ~キャラウェイ・池袋精華小学校~

 春風椎から、キャラウェイの経営している学校へ入学したいと打診があったのは、2037年10月20日の事だった。


 話を聞いた時、彼はとても驚いた。なぜならば、自身が経営しているのは、小学校だったからだ。


 当時、春風椎は19歳。来年の4月に入学希望なので、20歳の小学生が誕生する事になる。


 彼女程の学業を修めた人間が通うには、小学校という施設は、いささかスケールが小さい様な気もした。


 が、キャラウェイは何も聞かず、椎の留学を了承した。きっと何か彼女なりの考えがあるのだろう。彼は自身が手塩にかけて育てた愛弟子を信じていた。


 彼は自分の為にコーヒーを作って、理事長室の机に置いた。椅子に腰掛けながら、暖かいブラックコーヒーをゆっくりと味わって飲む。彼は、ふと12年前の事を思い出す。


✩☆✩


 キャラウェイが椎と出会ったのは、彼女が8歳の時だった。


 椎に対する第一印象は、洋服を着た獣だった。それも何かに怯える獣。彼女の姿は、まるで酷く虐待されていた猫を連想させた。


 シナモンに案内された椎の部屋は、ぬいぐるみからベッドまで何もかもがボロボロだった。ハリウッド映画で使用された銃撃戦の撮影セットと言われても、きっと彼は信じただろう。


 幼い椎は、タイヤに踏み潰され内臓が飛び出たカエルを思わせる、綿が飛び出た毛布の上で、同じくらいグチャグチャになっていた、犬のぬいぐるみを腕に抱いていた。


 キャラウェイは、目の前の少女と親しくなろうと微笑んでみたが、彼女はほの暗い眼差しで彼を睨んだ。


 18歳のシナモンは、椎の部屋の扉を一度閉めた。そして、キャラウェイの顔を見た。


『時々、何かを思い出しては暴れ出すんです。最後のフラッシュバックは15分前でした。普段はいい子なんですよ』


 少年はケロッとした態度でそう言った。まるでこんなのはもう馴れっこだと言わんばかりに。


『物は壊れても買い直せば済みます。でも、人間を壊す訳にはいきません』


 そう言うと少年は、自分の右腕を隣に立つ男性へ見せた。そこには、赤黒く変色した痣と、何かが噛みついた跡がくっきりと残っていた。その痛々しい様に、キャラウェイは思わず顔をしかめる。


『つまり、私の能力で、彼女を制御して欲しいという事でしょうか?』

 とキャラウェイが質問する。


『はい、その通りです。僕の能力は、どうも相性が悪いらしく、効き目が薄いんです』

『わかりました。私は腕を噛み千切られたって、別に大した問題ないでは無いですし、構いませんよ』


 そう答えると、キャラウェイは閉じられた椎の部屋の扉に手を伸ばした。シナモンがその後ろに続く。


 再入室後、改めて少女の全身をしっかりと見たキャラウェイは、「なるほど、確かに春風琴の生き写し」だと感じた。黒い長髪、大きな二重の眼、その中に光る茶色の瞳。その姿は、琴がそのまま子どもに戻ったみたいだった。


 春風琴はキャラウェイにとって、気兼ねなく話せる友人の1人であり、シナモンにとっては自分を拾ってくれた大切な恩人だった。シナモンをキャラウェイに紹介したのも琴だった。


 この碧眼の少年は、自分を救済してくれた返礼を、恩人の娘にしたいのだろうか?


 キャラウェイは、ベッドに居る椎から3m程離れた所に立った。


 椎はまだ初対面の人間である彼に対して、警戒心を解いていない様だ。その証拠にぬいぐるみを抱く両腕に、キリキリと力が入っていた。


 彼は先程見せたのと同じ、友好的な微笑みを浮かべた。


『はじめまして、椎。私はキャラウェイ・チィンと言います。シナモンとあなたのお母さんの友達です。今日からシナモンと一緒に、あなたに勉強を教えます。どうぞ、よろしくお願いします』


 椎は無言だった。まるで目の前の大人から、必死に嫌われたがっている様子だった。


 彼女の新任教師は、出来る限り自身の能力を使わずに事を進めたかったが、渋々諦めた。










 キャラウェイ――自身のニックネームをその名に冠した能力。それは一言で言えば「人に愛される能力」だった。


 能力発動後、彼は再度椎に語り掛ける。「これで上手くいくと良いのだけれど」と不安に思いながら。


『椎、あなたも自己紹介をしてくれませんか?』

『は、はい。わたしは、春風椎です。8才です』


 どうやら、能力が効いたらしい。表情こそ硬いままだったが、椎は素直に自己紹介を始めた。これが本来の彼女の姿なのだろう。


『ありがとう。さて、先程はどうして私の事を無視したのか、私に教えてくれませんか?』

『あなたにわたしのことを、嫌って欲しかったからです。ごめんなさい……』

『ほう?どうして嫌われたかったのですか?』


『わたしは昔の怖かった事を思い出すと、上手く自分をコントロール出来なくなります。シナモンのことも傷付けてしまいました。わたしはお母さんと違って、人を不幸にする人間なんです。だから、誰もわたしに近付いて欲しくなかったんです』

 

 この言葉を聞いて、キャラウェイは椎に対する印象が、ガラリと変わった。シナモンが、彼女の教育を諦めない本当の理由がわかった。


『自分の感情をコントロール出来る様になりたいですか?』

『はい。そして、お母さんみたいな素敵な人になりたいです。お母さんの事はシナモンから、たくさん聞かせてもらいました』


『わかりました。私もシナモンと一緒に、全力であなたをサポートします。そして、お母さんみたいな優しくて立派な大人になりましょう』

『はい、よろしくおねがいします!』


 返事を聞いた後、キャラウェイは椎にゆっくりと近付き、頭を優しく撫でた。


 撫でられた彼女は、ようやく少女らしい、くだけた笑顔を彼に見せた。


 その後キャラウェイは、椎といくつか会話を交わした。主に母親の事についてだった。そのやり取りの中で、彼は1つ気になった点があった。


 それは自分が過去に接してきた他の8歳児と比べて、春風椎の精神年齢が異常に幼いと感じた事だった。まるで幼稚園児と話している気分だった。


 シナモンに拾われるまで、椎は非人道的な研究所や、犯罪が蔓延るスラム街で生活していたと、彼は聞かされていた。もしかしたら、それが関係しているのだろうか?






 新しい生徒との会話を終え、部屋を出たキャラウェイは、シナモンと今後のプランを練った。


 シナモンは真剣な眼差しで、自身の教育計画を説明する。そして、以下の様に締めくくった。


『……以上が、僕のプランになります。目標は2年です。2年で椎の「心の知能指数」を上げて、僕が琴から教わった「心の魔法」を彼女に習得させます。そうすれば、今後パニック障害を起こしたとしても、自分で対応出来る様になります』


『私もあなたの計画に賛同します。ですが、1点だけ良いでしょうか?』

『なんでしょうか、先生』

『シナモン、あなたはまだ大学生なんだから、あまり無理をしないでください。自身の学業だって大変でしょう?』


 碧眼の少年は、言われた内容がまるでピンと来ていないのか、キョトンとした表情を師に見せた。

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