第1話(その9) ~春風 椎・シリコンバレー~

 誕生会は、21時に終わった。私はシナモンと一緒にエントランスで来客ら見送った後、邸内に戻り、1階の大広間のソファーに横並びで座った。ソファーからは、庭園とその奥に広がる夜景が眺望出来た。


 先ほどまで私を祝福してくれたものの残滓を、今日の為に雇われたロボット達が片付けていた。祭りの後の静けさを、ひしひしと感じる。


 この時、私は帽子こそ被っていなかったが、いつものツナギ姿に戻っていた。テーブルには大好きなアップルジュースが、コリンズグラスに注がれていた。


 シナモンはスーツ姿のままで、マッカラン30年のウイスキーをロックで飲んでいる。


『シナモン、今日はありがとう。最高のバースデーが迎えられて、私ほんっとうに幸せ』


 兄の左腕を自分の右腕で抱きしめ、今にも頬っぺたから零れんばかりの笑顔で、私はシナモンに感謝の気持ちを伝えた。


『今まで君が私にしてきてくれたことを考えれば、大した事じゃないさ』

 シナモンは右手で妹の髪を優しく撫でながら、静かに言った。


 この時のシナモンは、明るくウェーブがかかった金髪をオールバックにしていた。かつてパソコンの壁紙で見た、北海道の青い池を連想させる透き通った碧眼、我が家の芝生の様にキチンと手入れされた眉毛。


 アメリカ人男性は髭を生やす事が多いのだが、彼もその例に漏れず、顎の周りにキチンと整えられた短い髭を生やしていた。


 私はあまり面食いではないつもりだが、育ての親の顔がとても大好きだった。もっともハンサムだから好きなのか、シナモンだから好きなのかは、自分自身よくわからない。まるで鶏が先か、卵が先かのジレンマみたいだ。


✩☆✩


 広間の壁際には、木製の棚が設置されており、棚の天辺には3つの大きな写真立てが置かれている。


 1枚目は今から2年前、2036年5月に撮影されたものだ。卒業式の後、椅子に座った18歳の自分と、その横に立つ28歳のシナモンが写っている。


 2人とも、とびっきりのスマイルだった。が、見る人が見れば私達のそれは、無理して作られた表情として眼に映るだろう。


 シナモンは上下とも黒のスーツ姿で、妹の左肩に右手を置いている。


 腰掛けている私は、両手を膝の上で組んでいる。黒色の丈の長いガウンを羽織り、首回りから背中にかけて赤い布にグルリと巻いている。頭にはタッセルを左側にずらした角帽を被っていた。


 きっと写真の私が、ハリーポッターの映画に出演しても、まるで違和感がないだろう。





 2枚目は、シナモンがはじめて事業を立ち上げた時に撮影されたものだ。


 21歳の彼を中心にして、その右側にキャラウェイ、左側にはクローブ、そしてシナモンの前に11歳の私が写り込んでいる。


 男3人はそれぞれ中腰で肩を組み、表情はみな少年の様に、口を開いて笑っていた。私もこの時は心の底から笑っており、右手をピースサインの形にしていた。


 かつてシナモンが借りていたガレージが撮影場所で、みんなで部屋の片づけをした後の為、黒い煤や綿埃が顔の至る所に付着していた。





 3枚目は私が産まれる前の写真だ。


 椅子に座った8歳の無表情のシナモン。その彼の肩に右手を置き、柔和な表情を浮かべた若い東洋人女性のツーショットだ。


 今の大柄で筋肉質な体型からは想像できないくらい、シナモン少年の身体は小さく痩せこけていた。髪の毛は短く、薄汚れたタンクトップと穴の開いた短パンを着ている。しかし、あの透き通った碧眼の美しさは、今と変わっていない。


 横に立つ女性は小柄だった。髪は黒く、腰の辺りまで伸びている。丈が長い白衣を羽織っている。彼女の名前は「春風琴」といった。私とシナモンが初めて出会った時、彼が本当に探していた人物。そして、私と林檎の産みの親……


 琴は薬剤師だった。元々日本で暮らしていたのだが、夫の春風佐祐さすけと共に「国境なき医師団」の一員として、世界中の難民キャンプや被災地で医療活動に従事していた。夫婦はナイジェリアで仕事をしていた時、現地のテロ組織「ホモ・デウス」の襲撃を受けた。


 佐祐……つまり、私達の父親は激しく抵抗したため、その場で銃殺された。


 薬学の分野において天賦の才を持っていた母は、テロ組織に誘拐され、人体強化の薬物を開発する研究施設に監禁される事となった。その時、彼女はお腹に佐祐との子どもを身籠っていた。


 私がシナモンから聞いた経緯はここまでである。物心が付く前に琴は他界していたので、自分には母親の記憶が一切無い。そもそも、春風姉妹は元々戸籍が存在していなかった。


 私達の誕生日がわかったのも、シナモンが焼け落ちた研究施設に残された資料を、たまたま入手出来たからだ。その紙製のファイルは、火災による損傷が激しかったので、林檎の出生記録の部分が辛うじて読めただけだったそうだ。

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