第1話(その6) ~春風 椎・シリコンバレー~

 ピザを食べながら、ボーっと林檎について思考していると、左隣に立つメアリーが話掛けてきた。


『よしッ!君が日本で困らない為の知恵をひとつ授けよう』

『知恵?』

『それはずばり、「ジャパニーズ・お辞儀」!』


 メアリーはそう言い終えると、日本でよく使われている3種類のお辞儀を解説を始めた。


『まずは会釈。親愛の挨拶。ちょっとだけ頭を下げる、こんな風にね』

 メアリーは私に正対すると、上半身を15度ほど前方に倒した。


『通りすがりの知り合いに挨拶する時はこれでいい。あと、日本だと知らない人が、みんな挨拶返してくれるわけじゃないから気を付けて』

『マジィ?挨拶を無視されるのは、ちょっと怖いんだけど……』

『むしろ、渡米組のあたしにすれば、知らない人がいきなり挨拶してくる文化に驚いたもんよ。あれ?この人、知り合いなのに顔忘れちゃったのかな?って、不安になったコトが何度あったか……』


 メアリーのぼやきの後、私達は顔を見合わせて、子どもみたいにキャッキャと笑った。ひと笑いした後、私は指導官に倣って、会釈をした。私が頭を上げると、メアリーはうんうんと満足そうに頷いていた。


『次は敬礼。初対面の人間の挨拶には、これ使っとけば、間違いない!』

 そう言うと、彼女は先程よりも深く、30度ほど前に身体を倒した。


『じゃあ、あたしを初対面の日本人と思って、やってみよう!』

『わかりました、先生』

『もちろん、日本語でね』

『わかった、やってみる』

 

 椎は2度咳払いをした後、日本語でメアリーに挨拶した。

「はじめましテ、わたし、シイ・ハルカゼと言いマス!」

 私は自信満々にそう言った後、敬礼の挨拶をしてみせた。


 メアリーは一連の流れを見た後、こう言った。

『元気があるし、お辞儀の形もとっても良いと思うけど、1点だけ。日本だと、人名は苗字→名前の順番だよ』

『つまり、日本では私は「ハルカゼ シイ」って名乗ればいいんだね?』

『そういうこと~』

『わかった。ねぇ、次はメアリーが実演して見せてよ、参考にしたい』

『ん?別にいいけど、久々だからちゃんと出来るかなぁ~』


 メアリーは咳払いをした。その後、マイクテストをやる時みたいに「あ~あ~」と言った。

「はじめまして、か、か……川島 芽愛莉です。どうぞよろしくお願いします!」と日本語で言った後、お辞儀をした。頭を上げてから、すぐに英語で『久々にやるとやっぱ違和感あるな、ファミリーネームが先ってのは』と言い訳をした。


『そう?あんまり変な感じはしなかったけど』

 私がそう言うと、メアリーは必要以上に安堵の表情を見せた。


『そうだ、挨拶で思い出した。日本はハグ文化があんまり無いから気を付けて。一応、仲の良い同性同士ならする人達もいるけど、異性にハグなんてしようものなら……相手をその気にさせちゃうぞ♪』


 メアリーは、少し意地悪そうに言った。日本で異性を勘違いさせた経験があったのかもしれない。彼女ならやりかねなそうだ。


『ガチィ?わかった、気をつける』


 私はメアリーに返事をしながら、少し悲しい気持ちになった。というのも、私は昔から無性にハグが好きだったからだ。


 自分なりにその衝動の理由を見つけたのだが、それを他人に説明する事はしなかった。なぜなら、それがあまりに子どもっぽい理由だと思ったからだ。


 川島芽愛莉の授業は続く。

『んじゃ、少し話が逸れたけど、最後に最敬礼。偉い人と会った時や、謝罪の時、あとは感謝の意を伝える時に、すっごく頭を下げるの』


 解説後、彼女は「遅刻して申し訳ございませんでしたぁ!」と日本語で叫ぶように言いながら、敬礼の時よりも、さらに深々と頭部を垂れた。


『最敬礼は1番重要でもあるし、同時に日本で1番クソみたいな文化だと、あたしは思ってる。使わないで済むのなら、それに越した事はないね』

 姿勢を戻した後、彼女はニヤニヤしながら、そう言い放った。


『なるほど、最敬礼は出来る限り使わないようにするよ。レッスンありがとうございました、カワシマ先生』


 メアリーに感謝の意を伝えた後、私はニヤニヤしながら上半身を45度傾けた。メアリーはその様子がよっぽど面白かったのか、ププッと吹き出し、両手を叩きながら爆笑していた。

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