第五十九話

 銀色の髪を後頭部で一房に纏め、椅子に腰掛ける女性。

 開け放たれた窓からは風が靡き清純な空気が部屋を満たし、手に持った本を読み進めるのにはうってつけの気温。


 そんな静かで神秘的とも言える部屋に、コンコンコン、と音が響く。

 扉を控えめに叩き入室しても良いかを訊ねるノックに対し、女性は凛とした声で了承を告げる。


「や、具合はどうかな」

「テリオスか。怪我は治ったが、見ての通り寝たきりだ。魔力を使い果たしたようだからな」


 ため息を吐きつつも、その口調には呆れは無い。


 ただただ優しい声色。

 仕方ないのだと、微笑むような音色だった。

 しかしわずかに滲む後悔の念──そこに込められた意味を見過ごせる男では無い。


 テリオスも察して、女性────ソフィアの顔を一度見て、顔を逸らした。


「…………凄まじい戦いだった」

「……ああ。誇りに思えるくらいに」


 共に勝利を誓い合った友が敗れたのにも関わらず、テリオスの表情は穏やかだった。


「コイツも自覚していた筈だ。ステルラ・エールライトという少女が突き抜けてしまえば・・・・・・・・・、最早打つ手はないと」

「現時点で彼女はテオ人間を飛び越えて、座する者と並び立った。……いや、下手すればそれ以上に」


 互いに意見は共通していた。

 本気で勝ちを狙うのならば、成長の機会など与えずに完膚なきまでに叩きのめせば良かったと。


 スポーツマンシップなんて存在しない。

 血で血を洗い尊厳を奪い尽くす凄惨な戦の中ならば、それが正解だった。


 しかし、今は違う。

 互いを尊重し互いを認め互いを慈しみ、『命の奪い合い』は『次の世代へと受け継ぐ』儀式となった。それを自覚しているが故に、二人は冷静な戦いへの合理性と感情的な人間の心を天秤にかけ────なんの躊躇いもなく、後者を取る。


 それは無論、魔力切れによる疲労に包まれているテオドールも同じであった。


 …………しかし。

 誰も彼もが、合理的に、全てを諦める事は不可能。

 仲が良い三人組であっても、一つや二つは相違点が生まれてくるものだ。


「…………たわけめ」


 ソフィアは、一度大きく溜息にも似た言葉を吐く。

 しかし罵倒に籠められた感情はまるで違う、優しく慈しむような声。


「……最後の、チャンスだったんだぞ」


 そこには万感の想いが詰まっていた。


 この学園で一番になりたい。

 この世代で一番になりたい。

 この時代の一番になりたい。


 同世代に怪物が生まれてしまった哀れな人間の、どうしようもない嘆き。

 その渦から拾い上げた当事者としてソフィア・クラークには、テオドール・A・グランへの言い表せない感情がある。訊ねることのできない後悔は幾つも重なり心の底へと追いやられたが、決して消えることはない溝。


 諦めさせてしまった女の、小さな懺悔。


「テリオスと戦える、最後のチャンスだった……!」


 三人の付き合いは長い。

 テオドールとテリオスは入学前から、ソフィアも入学してからずっと付き合いがある。


 故に、テリオスは知っている。


 テオドールがこの戦いを最後に順位戦から退く事を。

 グラン家という由緒正しき家系を継ぐ人間として、軍部の次期幹部として、すでに定められた道を歩むのが決まっているが故に。表面上はなにも抱えていないように見えるが、その実それなりに繊細な男だ。


 だからこそ、二人で誓ったのだ。

 決勝で会おうと。


 順位戦に力を入れられる、最後のチャンスだった。


 それを理解しているソフィアの嘆きは、テリオスにも伝わる。


 ソフィアの中で燻る僅かな後悔も────彼は客観的に理解していてなお、そこに触れようとはしなかった。


 なぜなら、二人の強さを知っているから。

 そこを過大評価するつもりも、過小評価するつもりもなかった。


 自分が首を突っ込む必要はなく、また、それが悪い方向に流れるとは全く考えない。


「……それじゃあ、僕は行くよ。先達の意地を見せてあげないとね」

「ああ。…………テリオス」


 扉に手をかけて、ソフィアの声がけに応じて動きを止める。


「メグナカルトは、強いぞ」

「……知ってるさ。嫌というほどにね」

「だろうな。誰よりもアイツを意識してきたのがお前だ、それを理解してない筈もない。…………因縁、とでも言えばいいのか」


 因縁というよりかは、嫌がらせにも似た感覚だったとテリオスは胸中で吐露する。

 英雄と呼ばれたいのに呼ばれない、笑顔にしたい女性は自分以外の男を見て笑い英雄と名付ける。嫌味の一つでも言ってやろうかと不愉快な気分になる自分の矮小さにまた一つ腹が立ち、後腐れない全力を剥き出しにする『英雄』に────気が狂いそうだった。


 自分の間違いを認めるのが嫌だ。

 自分の積み上げてきた人生を否定するのは嫌だ。

 自分の価値観や願いを嘘だとは、口が裂けても言いたくない。


 そこを割り切れないからこそ、自分は呼ばれないのだと。


「…………そうだね」


 それでもテリオスは立ち塞がる。

 決して英雄と呼ばれなくても、英雄という形に固執せずとも、英雄に敗れるという末路が待っていたとしても────そこに嘘はない。


 なぜなら、その英雄が言ったのだ。

 どれだけ自己否定を繰り返す愚かで矮小な自分に対して、言ったんだ。


『どちらが英雄に相応しいか』────世辞でも詫びでもなんだって、テリオスにとっては関係ない。

 誰もが認める英雄ロアが、テリオス・マグナスも英雄だと言ってくれたんだ。


 その事実だけが彼を現在奮い立たせている正体であり、また、かつての願いとは違った感情であった。


『英雄』。

 いまだ彼の胸中で渦巻く感情は複雑で、一言で言い表すことなど到底不可能なくらい沈み込んだ泥沼のように混ざり合っている。


 それでも、これまでとは違い。

 テリオスにとってその記号は呪いではなく、希望に変質しつつある。


 ロア曰く、英雄なんてクソ喰らえ。

 口は悪いが、そんな意見が出てくるとはまるで考えていなかったテリオスにとっては目から鱗となった。

 誰も彼もが絶賛し賞賛するかつての英雄を否定する、今を生きる英雄。この差異こそが、自らが英雄として呼ばれない理由そのものではないかと。


 その理由を、テリオスは知らなければいけないと思った。


「『期待を裏切るつもりはない』────……か」


 あの意志の強さ。

 どこまでも苛烈な程に輝く瞳が、彼を英雄足らんとしていた。


「案外楽しみなんだ。本物ロアを目前にした偽物が、どれだけ足掻けるか」


 僕は英雄になりたい。

 は英雄になりたい。

 尽きることのない渇望、幼き頃から抱き続けてきた願望。


 テオドールは道を変えることを良しとした。

 テリオスは、道を変えることを否定した。


 きっと、変えることを良しとしない意固地で頭の硬い愚か者こそが、座する者ヴァーテクスという領域に足を踏み入れるのではないか。

 現実を直視せずに夢を見続ける愚か者への、永遠の罰。


 自嘲を囀りながら、テリオスは医務室を後にする。


 瞳から滲む光は果たして、輝くか。

 諦められない願望を抱き渇いたまま、願いを叶えるために。坩堝の中心にて、二つの対極が混ざり合う瞬間を目指して。


 運命の刻は、近い。

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