第43話 兄弟

 

 村に辿り着くと、村の人々は衣服を血に染めたふたりを見て驚き、何やらヒソヒソと話ながらこちらを遠巻きに見ていた。

 とりあえずは宿に向かいたかったが、はたしてこの格好の自分達を快く受け入れてくれるだろうかと不安に感じる。

 

「あんたら……!!どうしたんじゃい、そんな血だらけになってっ!?」

 

 この村で色々教えてくれた老婆がふたりを見つけるやいなや、目をこれ以上無いくらい見開いて桔梗ききょう白銀しろがねを見上げ、声をあげた。

 

「あ、いや……怪我はそこまで酷くはないんだ」

 

 この村は、鬼との関係を大切にしている。彼らの住処すみかで暴れた挙げ句、何体もの鬼を殺したなど言える筈がない。

 

「ちょっと、賊に襲われてな……」

 

 桔梗がそう言うと、老婆は気の毒そうに「そうかい」と言って頷いた。そして、きょろきょろと見渡す。

 

「もう一人の兄さんはどこ行ったんだい?」

 

「…………」

 

 老婆の言葉に、ふたり無言でうつむくと老婆はなんとなく察したのか、それ以上は何も言わず歩きだした。

 

「その格好じゃあ宿も泊めてくれんじゃろ。うちに来なさい。立派な家じゃあないが、雨風はしのげるからの。なに、独り暮らしの老人の家じゃ、遠慮はいらんぞ」

 

 今のふたりには有り難い申し出だった。

 桔梗は「世話になろう」と言うと、老婆の後を追った。

 

 

 

「老人の独り暮らしじゃて、綺麗な家じゃないが、まあ寛いでくんな。わしゃちょっと畑に行って来るで」

 

 家に着いて早々、そう言うと老婆は裏の畑へと行ってしまった。

 

「お前、顔……」

 

 白銀が手を伸ばし、桔梗の顔をそっと触る。

 

「……っ痛」

 

「やっぱり腫れてるな……ごめん、俺がついていながら……」

 

 お前のせいじゃないと、桔梗が小さく首を振る。

 

「桔梗は休んでろ。俺、薬草採ってくる。あ、あと冷やした方がいいな」

 

 後半は独り言のように呟きながら、白銀も外に出ていく。

 暫くすると、井戸の場所を聞く白銀の声が聞こえてきた。

 

「…………」

 

 静かな空間に、桔梗はひとり取り残された。

 桔梗は老婆の家を見回す。

 入り口の前は土間になっており、そこから一段高い箇所にけして広くはない板張りの茶の間がある。真ん中の囲炉裏いろりからぶら下がる鍋からは湯気が立っていた。

 他の部屋へと続く引き戸が二ヵ所。老人がひとりで住むには十分な広さだ。

 桔梗は無言のまま茶の間に腰かける。

 

 上手く頭が回らない。

 

 崖から落ちていく玄の姿が、ずっと頭から離れなかった。

 

 玄はそうじゃないと言うだろう。

 

 だが。

 

 自分が弟を探しにここまで来なければ、彼は死ぬ事はなかった。

 あるいは、ひとりで来るべきだった。例え、危険な目にあったとしても。

 

 白銀と出会う前までは、ひとりで旅をしていたのだから出来る筈だったのに……。

 もう、三人で居る事に慣れてしまっていた。あのふたりに甘えていたんだ。

 その結果がこれだ。自分だけ寿命が延び、玄は……。

 

「──うぅ!!」

 

 頭を抱え背中を丸め踞る。

 あの時以来、この考えがずっと頭を巡っていた。

 

 

 くろが死んだのは。

 自分のせいだと。

 

 

 

 ※

 

 

 

 老婆の名前はキヨといった。 

 

 鍋の中の青菜と根菜が煮えてきた頃合いを見て、老婆が味噌を溶かすと家中いい匂いが立ち込める。

 

 

 血だらけの着物は白銀が洗って干してくれた。

 乾くまで、桔梗は老婆の若い頃に来ていたいう着物を。白銀は、今は遠くに居るという息子の着物を借りた。

 

 

 ほい、と老婆に汁物の入った椀を渡される。

 

「どうした。食わんのか?」

 

 黙ってその椀を見たまま動かない桔梗に、老婆は心配そうに訪ねた。

 

「すまない……食欲が無いんだ。せっかく作って貰ったのに……申し訳ないが……」

 

「……そうかい。まあ、無理しなさんな」

 

 左目に包帯を巻かれた白銀が、そのやり取りを見ていたが「おかわり」と自分の椀を老婆に差し出した。

 

「気にすんな。俺が桔梗の分まで食ってやる。今日はもう、休んだ方がいい」

 

「……ああ、そうさせて貰う」

 

 桔梗はふらりと立ち上がると、一組しか無いがと言いながら奥の部屋に、老婆が用意してくれた布団に横になった。

 

「だいぶ憔悴しょうすいしきってるようじゃの」

 

 老婆は、なみなみと注いだ椀を白銀に渡しながら気の毒そうに言う。

 

「可哀想に、よっぽど辛い事があったんだねえ」

 

「…………」

 

 きっと桔梗は自分を責めてる。

 いくら白銀が違うと言っても、納得はしないだろう。

 

 白銀は、桔梗が入って行った暗い部屋をじっと見つめた。

 

 

 

 

 

 いつの間に寝ていたのか、桔梗はふと人の気配で目を覚ました。

 部屋の隅で揺れる蝋燭ろうそくが目に入る。

 気配の主は、横向きに寝ている自分に寄り添うように、背中に身体をぴたりと付け、腕を伸ばし、そっと桔梗を抱き寄せた。

 

「白銀……」

 

「あ、ごめん。起こしちゃったか?」

 

「いや……」

 

 髪の毛に鼻を押し付けているのか、後頭部に白銀の息づかいを感じた。 

 桔梗が白銀に向き直り、包帯で巻かれた左目に手を添えると、蝋燭の灯りに照らされぼんやりと浮かび上がる白銀の顔が、少し緊張の表情に変わるのが分かった。

 

「目……傷ついてなくて良かったな」

 

「ああ、思ったより浅かったから……」

 

 白銀は桔梗の額に、軽く口づけを落とすと「もう、寝よう」と桔梗の頭部に手を添え、自分の胸に抱き寄せる。

 

 ────白銀の匂いだ……。

 

 先程まであった胸の苦しさが、少しだけ和らいだ気がした。

 

 

 

 ※

 

 

 

 翌朝。

 桔梗が目覚めると、横で寝ていた筈の白銀の姿が無い。

 

 外が何やら騒がしいので、表に出ると庭で上半身裸の白銀が薪を割っていた。手慣れた手つきで次々と薪を割っていく白銀を、老婆は関心した顔で見ていたが、桔梗に気がつくと「おはようさん」と笑顔で声をかける。

 

「起きたか、具合はどうだ?」

 

 手を止め、白銀は汗を拭う。

 銀糸の髪の毛が朝日を浴びて一際輝いて見え、桔梗は思わず眩しそうに目を細めた。

 

「心配かけてすまない。もう平気だ」

 

 いつまでも玄の死を引きずってもいられない。何より自分が腑抜けていると白銀に負担がかかる。

 桔梗も、何か手伝える事は無いかと老婆に訪ねた。

 

 

 

 

 朝食を終え、片付けをしている桔梗に「ちょっと出てくる」と言い残し白銀は家を出た。

 行き先はあの、吊り橋があった崖。

 だから、桔梗には何処に行くのかは告げずに出てきた。

 

 

 

 

 足元から、下を見下ろす。

 遥か眼下では昨日と同じように、激流が音を立てて流れていた。

 

「玄……」

 

 白銀はその場で膝をつく。

 

「本当に死んじまったのかよ……?」

 

 桔梗の手前顔には出さなかったが、白銀なりに彼の死をいたんでいた。

 旅を初めて以来、ずっと共に行動してきた玄がもう居ないちう現実が、正直まだ信じられない。

 だから、ここに来た。

 

「玄っ!!」

 

 崖の端で膝をつき、激流に向かって叫んでみたが、その声も激しい流れの音にかき消されてしまった。

 白銀は、暫くそのまま川の流れを見つめていたが、不意に何かの気配に気がつき振り返る。

 道から逸れた茂みの向こう。

 誰かがこちらに向かって来ているのがわかる。

 

「…………」

 

 白銀が、警戒しながらじっと凝視していると、やがて目の前の茂みがガサガサと揺れたかと思うと、ひとりの青年が姿を見せた。

 髪や衣服についた木の葉やクモの巣を払いながら、ため息をつく。

 

「ふう、やっと出られた……」

 

「お前っ!!」

 

 銀色の髪をした青年は、白銀に気がつき驚いて声をあげる。

 

「白銀さんっ!?」

 

 気配の正体は、桔梗の弟の蘇芳すおうだった。

 彼は大きな金色の目を更に見開いて白銀を見た。

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