第42話 蒼い空

 

 白銀しろがねは一気に距離を詰め、くろの肩を掴む。その勢いで、玄の身体は背後の樹木に押し付けられた。

 

「ぐっ……」

 

 もう片方の腕を後ろに振り上げ、手刀の型にした白銀の手が玄の頭を狙う。

 その後ろで、叫びながら駆け出す桔梗ききょうの姿が見えた。

 

「──白銀っ!!」

 

 玄が腹からその名を呼ぶと、白銀の身体がビクンと揺れ、玄の額すれすれでぴたりと手が止まった。

 

 白銀は荒い息づかいで玄を見ながら、その口をあえぐように開く。黒目の中の金色が、迷うように揺れた。

 

「ぅう……あ……」

 

 玄が木を背に、ずるりと座り込む。

 白銀は玄を見下ろしていたが、それに合わせて腰を落とすと、片手を玄のほほにあてた。

 

「く……ろ?」

 

 白銀は顔をしかめ、頭を押さえる。

 そして、目の前にいる玄を初めて見たような表情かおで困惑した。

 

「玄? ……何でここに? あいつらは?」

 

「ああ、白君。戻って来たね?」

 

 白銀は、足元に転がる鬼の頭部に気がつくとハッと振り返る。そこには、鬼達の無惨な残骸が転がっていた。

 

「これ……お前が?」

 

「覚えてないの? ……まあ、正気じゃなかったみたいだしね。戻ってくれて良かったよ」

 

「え? これ、俺が……?」

 

 何が起こったのか分からないまま、白銀は自分の身体を確認する。血に濡れた自身の両腕を見て息を飲んだ。その視線を玄に移して、目を見開く。

 

「お前、その怪我……!!」

 

 白銀は玄のその出血量に顔色を変えた。駆けつけた桔梗は膝をつき、深刻な顔で玄の脈を診ている。

 

「桔梗ちゃん? 顔、どうしたの? 腫れてる……」

 

 眉を顰める玄に、桔梗は首を振る。

 

「私はたいした事はない。それより、早く止血をしないとっ!!」

 

 今朝より更に玄の顔色が酷くなっている。脈拍も弱くなっていた。

 

「そんな時間は無いみたいだよ」

 

 遠くから複数の声が聞こえてきた。新手の追手が来たらしい。

 玄は気力を振り絞って立ち上がるとふたりの手を取り立ち上がらせる。

 

「傷は見た目ほど酷くないんだ、早く逃げよう。ふもとの村まで行けば安全だ」

 

 ぐずぐずしていれば、追手は益々増えていくだろう。

 玄に促され三人が走り出すと、既に目視できる距離まで追手が迫ってきていた。

 やがて、来たときにも通った長い吊り橋が見えてきた。

 

 

 白銀だけなら逃げられるだろうが、桔梗の脚では厳しい。怪我をおして走る玄が居ては尚更だ。

 

 玄はザッと、吊り橋の前で止まった。それに気がついた桔梗が驚いて振り返る。

 

「玄っ?」

 

「君達は先に行って。ここは僕が食い止める」

 

 吊り橋を渡ってしまえば、白銀の脚なら村もさほど遠くはない。村までたどり着けば鬼達も諦めるだろう。

 

「大丈夫。また直ぐに追い付くから」

 

「お前、その身体では無茶だっ」

 

「白銀。桔梗ちゃんを」

 

 こちらを見ずに鬼の来る方を凝視する玄の言葉に、白銀は一瞬迷ったが、桔梗を抱き上げると「頼んだ」と言って走り出す。

 

 玄は、その背で自分の名を呼ぶ桔梗の声を聞きながら、徐々に迫る鬼達を見据える。ざっと二十人。普通であれば問題ない数だが、今の玄があの人数を相手にするのは無謀でしかない。

 正直、今は立っているのも厳しい状態だった。

 

 

 玄はふところにある小瓶を確認する。

 山吹やまぶきの城の前で、桔梗が彼女に渡したものだ。

 速効性の毒。苦しまずに死ねると彼女は言っていた。

 あの時は、何となく気まぐれで手にしたこの毒を。

 

 ────まさか使う事になるとはね。

 

 玄は口元に笑みを浮かべる。

 

 ────最後は君の毒で逝くのも悪くない。

 

 振り返ると、丁度白銀が橋を渡りきった所だった。

 玄はすらりと刀を鞘から抜くと、目の前の橋に向かい、渾身の力を振り絞って素早く斬りつけた。

 

 

 

 

 白銀の背後でガラガラと音がした。驚いて振り返ると今渡ったばかりの吊り橋が、大きな音をたてて、遥か下を流れる激流へと崩れ落ちていく。

 向こう岸では、玄がこちらを見ている。

 彼がわざと橋を落としたのだと分かった。

 

「玄っ!?何してんだっ!!」

 

「玄っ!!」

 

 その距離と激流の音で、ふたりの声は届かない。

 玄の口元が動いた。視力の良い白銀は何を言っているのかと目を凝らす。

 

 

 

 “──行け”

 

「っ!!」

 

 

 白銀は玄を凝視したままゆっくりと後ずさる。そして、意を決したように走り出した。

 

 

 

 

 

 白銀が走って行くのを確認すると、玄は再び追手が来る方向へと振り返る。

 もう、彼らは直ぐ近くまで来ていた。

 このまま戦っても、きっと無惨に殺されるだけだろう。

 

「ごめんね、君達に殺される気は毛頭無いんだ」

 

 玄は、手にした小瓶の中身を一気に飲み干すと空の瓶を大事そうに握りしめ、その胸に抱く。

 そして、背中から激流へと身を投げた。

 落ちながら、崖の向こうの清んだ青空が玄の目に映る、その眩しさに玄は目を細めた。

 

 あのふたりに初めて抱いた感覚と重なる。

 

 裏家業を生業なりわいとし、金のために人をあやめいていた自分の目には、二人はとても綺麗なものに映った。

 

 その空の色を脳裏に焼き付けるように、玄は目を閉じる。

 

 やがて玄の身体は、激流へと飲み込まれていった。

 

 

 

 

「しろ……がね……」

 

 その一部始終を、白銀に抱えられていた桔梗は彼の肩越しに見ていた。

 

「玄が……落ちた。玄が……」

 

 白銀はその言葉に目を見開く。

 桔梗の言葉は嗚咽おえつへと変わっていた。白銀の肩にしがみつく桔梗の目からは、止めどなく涙が溢れる。

 

 あの激流に落ちたら、普通でもまず助からない。しかもあの失血量だ。玄の生存確率は限りなく……。

 

「嘘だ……う……そだ」

 

 嗚咽混じりの桔梗の声を聞きながら、白銀は桔梗を抱く手に力を込める。

 

「くそっ!!」

 

 ザザッと走っていた脚を止める。後ろを振り返るが、当然何も追いかけては来ない。ただただ、鬱蒼とした木々が続き、崖の一部が見えるだけだった。

 呼吸を整えながら来た道を凝視する。

 

「ごめん、待たせたね」と玄が走って来そうで、暫くそうしていた。

 桔梗も同じ思いなのだろう、小さくしゃくりあげながら同じ方向を見ていた。

 

 気がつくと、桔梗が涙を目にいっぱい溜めながら白銀を見ている。瞬きをすると、それはポロポロと頬を伝った。

 

「目……戻ってるな」

 

 桔梗が、白銀の斬られた方の左目を確認すると、驚くことに既に傷は塞がっていた。

 

「目?」

 

「ああ、お前の父親と同じ目になっていた。何だったんだろうなあれは……」

 

 言うと、諦めきれず桔梗はもう一度来た道を見つめる。

 

「…………」

 

 だが、やがて彼女は白銀の首に腕を回し、その肩に顔を埋めた。

 

「……もう、行こう……」

 

「……桔梗」

 

「…………」

 

 白銀はゆっくり歩きだす。

 そこから村に着くまで、ふたりとも無言のままだった。

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