第40話 逃走

 

 

 ────この小僧……。

 

 この広間に来てからずっと、くろの視線は鷹呀おうがを捉えていた。

 特に殺気を放つ訳でもない、その冷たい視線は時おり鷹呀の背を泡立たせた。

 

 ────不気味な奴だ。

 

 体調でも悪いのだろうか、青白い顔をしている。それとは反対な真っ赤な瞳が、より一層彼の不気味さを際立たせていた。

 

 最初、あれだけ力の差を見せつけたのにその瞳から闘争心は抜けていない。

 先程の彼の動きから、相当な手練てだれというのは認識できた。……なら、尚更自分との能力の差は理解できるはずだ。

 

 ────あの霊薬師のためか?

 

 桔梗ききょうが彼らに走り寄り、玄が鷹呀から桔梗へと視線を移した時。それまでこちらを見据えていた鋭い眼が、一瞬穏やかな光を帯びた。

 余程、彼女に心を寄せているのだろう。

 

 歴然とした力の差のある敵に、全く怯む色を見せずに対峙できるのは、彼女への忠誠心ゆえか。

 

 ────殺してしまうには惜しい男だ。

 

「さあ、来い」

 

 鷹呀が言うと、玄は素早く走り出す。

 

 ────真っ正面からでは、勝機は無いと思ったのか?

 

 自分の周りを縦横無尽じゅうおうむじんに走り回る玄を、目の端で捉えながら相手の出方を伺う。

 横から襲いかかる玄の刃を、自身の刃で弾く。 

 キンッ。という金属音と共に玄の姿が消えた。間髪いれずに逆側からの攻撃も同じように避ける。

 

 広間には、玄の駆ける音と刃の混じり会う金属音が暫くの間響いていた。

 

「いつまで続ける気だ?」

 

 言うと、鷹呀は気配のする方へ素早く斬りかかる。血が飛び散り、玄が後ろに飛び退いた。身体を庇ったようで、腕からぽたぽたと赤い血が地面に落ちた。

 間を置く事なく、鷹呀がそこへ刀を突き入れると、玄はすれすれのところで回避し、その隙をついて鷹呀の喉元へと切っ先を向けた。

 

 ガシリと、刀を持つ手首を掴まれ、瞬間玄の腹が熱くなる。

 まるで、焼いた鉄を押し付けられたような痛み。

 

「ぐっ……!!」

 

 腕を振り払い、後方へと距離をとった。

 じわりと玄の腹の辺りが紅く染まる。

 

「無意識に急所を逸らしたか。中々やるなあ」

 

 関心したように言う鷹呀を、腹を押さえながら玄は笑う。

 

「一瞬で終わらせるんじゃなかったの?」

 

「ああ、少しお前のことを見くびっていたらしい。実力は認めよう」

 

「ふふ、そりゃ光栄だ」

 

「だが……」

 

 鷹呀は腰を落とし、日本刀を構える。

 

「俺との実力差が縮まった訳ではない」

 

 

 

 ふー……と、玄はゆっくり息を吐く。

 

 ────そろそろ決めないと、身体がもたない……。

 

 ザッ。と、床を踏みしめ腹に力を入れると、先程斬られた傷口から熱い血が流れ出る。

 

 

 先に動いたのは玄だった。真正面から斬りかかる。

 

「動き回るのは止めたのか?」

 

 刃同士の鍔迫つばぜりり合いは、力のある鷹呀の方が優勢だった。

 ジリジリと後方へ押しやられると、玄は左手に隠し持った苦無くないを鷹呀の手に刺し、同時に刀を振り払う。

 

「っ!!」

 

 鷹呀の日本刀が主の手を離れ、空を舞った。

 

 すかさず玄は後ろへ飛び退き、反動をつけ丸腰の鷹呀に斬りかかった。

 

 

 

 

「がはっ……!!」

 

 玄が口から真っ赤な血を吐く。

 鷹呀の右手が玄の心臓を貫き、その背中から血まみれのその手が突き出ていた。

 どこかで鷹呀の日本刀が地面に落ちる音が聞こえた。

 

「残念だったな」

 

「…………」

 

 玄の手が、自分を貫く鷹呀の腕を掴むが、程なくしてそれも力無くだらりと下がる。

 口の端から、血をぽたぽたと滴らせながも鷹呀を睨んでいた紅い双眸は、やがて光を失いその頭はゆっくりと項垂うなだれた。

 

 

 

 

 

「玄はまだ追い付かないかっ!!」

 

 桔梗を抱きながら走る白銀が問う。どんどん後ろへ流れていく景色の中、桔梗は目を凝らし後方を見た。

 

 

「まだだ……いや、待て」

 

 木々の間を縫って、近づいてくる人影が見える。

 しかも何体も。

 

「追手だ、白銀っ!!何人か鬼がこっちに向かってきている」

 

 桔梗の言葉に白銀は小さく舌打ちをする。

 人ひとり抱えている白銀は、これ以上早くは走れない。山道で足場も悪く、追い付かれるのも時間の問題だ。

 

 居たぞっ!!と、後方から声が聞こえる。

 間もなく背後で複数の足音がしてきた。

 

 ────もう追い付かれたか。

 

「来るぞ」

 

 桔梗の声のすぐ後にヒュッと空を切る音がしたので、白銀は咄嗟に横に飛び退く。さっきまで白銀が走っていた地面に槍が刺さった。

 後方から同じような音が次々と聞こえた。白銀は頭上へ飛び上がり木々の枝から枝へと跳び移つりながら逃げる。

 ヒュウッと音がして、何処からか飛んで来た縄が白銀の足に首に巻き付いた。

 

「──っ!!」

 

 引っ張られ、地面に叩き落とされる。

 

「がはっ!!」

 

 咄嗟に桔梗を庇い、白銀は背中から落ちた。その衝撃で一瞬息が止まり、痛みで顔が歪んだ。

 

「白銀っ!!」

 

「くっ……大丈夫、気にすんな。怪我は?」

 

 自分の事より桔梗の事を心配する白銀に、彼女は辛そうに首を振る。白銀がホッと胸を撫で下ろしていると、足音が近づいて来た。 

 そうしている内に、あっという間に囲まれてしまう。鬼達は各々武器を手にしている。

 白銀は桔梗を背に庇いながら、懐から取り出した小刀を構えた。

 

「この人数相手に無茶だっ」

 

「……心配すんな」

 

 白銀は小刀を逆手に持ち変え、後ろ手に構えた。

 

「その女の言う通りだ、半端な白鬼が鬼族に敵うと思うのか? 大人しく女を渡せば命は助けてやるぞ」

 

 白銀と対面する一際体格のいい鬼が、馬鹿にするように笑う。

 

 周りの鬼はざっと十体。

 玄と違い、白銀は集団相手にまともに戦った事が無い。この人数相手にどう立ち回ればいいのか分からなかった。

 

 だが。

 

「桔梗は絶対渡さねえ」

 

 ここで引く訳にはいかないと、白銀は構えたまま相手の出方を待つ。

 自分の呼吸音と心臓の音がやけに大きく聞こえた。

 

 ひとりの鬼が白銀に飛びかかる。見たことも無い大きな刃をぶんっと振り回し、白銀の胴体をかすめた。白銀は相手の懐に飛び込むとその首めがけて小刀を突き刺す。

 肉に食い込み骨に当たる感触がし、引き抜くと温かい鮮血が顔にかかる。膝を折った鬼の心臓目掛け、小刀を突き刺した

 

 思えば、食う以外で生き物を殺すのはこれが初めてだった。

 無駄な殺生をするなと耳に蛸が出来る程、祖父に言い聞かせられていたから。

 

 啓一郎の首に手をかけた時の事を思い出す。あの時は強い殺意を持ってこの手にかけようとした。

 それを止めたのは桔梗だった。

 

 白銀には、無闇な殺生はしてほしく無かったんだろう。

 人を殺す事で、白銀の中の何かが変わってしまうのを恐れていたのかも知れない。

 

 

 ドサリと首から血を吹き出し、仲間が地面に倒れるのを見た鬼達は激昂し始める。口々に白銀を罵りながら、次々と襲いかかってきた。

 避けても避けても、敵の刃が斬りかかる。ひとりずつ確実に仕留めていきたいところだが中々思うように動けない。

 

「くそっ、切りが無ぇっ!!」

 

 必死に攻撃をかわす事で精一杯だ。

 

「いつまでもうろちょろとっ!!素早しっこい奴だっ」

 

 なかなか白銀を捉えられない鬼達は、苛立ちを覚え始める。攻撃へと転じる事のできない白銀もそれは同じだった。

 

 不意に、白銀の首筋がチクリと痛んだ。

 

「っ!?」

 

 手で確認すると、針のような物が刺さっている。まずいと思い引き抜くがもう遅かった。彼は自分の脚の動きが鈍くなって行くのを感じた。

 そこへ、白銀に向かって鬼が下から刀を切り上げる。

 

「──白銀っ!!」

 

 桔梗の悲鳴にも似た叫びが、辺りに響いた。

 

 白銀の顎から、ぽたぽたと血が滴る。

 

「くっ!!」

 

 白銀の左の目が斬りつけられていた。顔に縦に入った切り傷から、止めどなく血が流れている。 

 同時に脚に力が入らなくなり、白銀はその場で倒れた。そこへ、彼の名前を叫びながら桔梗が駆け寄る。

 

「身体が……動かねぇ……!!」

 

 ────痺れ薬か? いや、その前に止血をっ!!

 

 毒は針の先端に塗られていたのだろう。

 早く、解毒してやりたいが生憎桔梗の荷物は全て鷹呀の屋敷に置いてきてしまっている。

 既に全身に毒が回ってきている白銀が、それでも体を動かそうと必死に腕に力を入れ、立ち上がろうとしていた。

 

「白銀っ!!待ってろ、今止血を……」

 

 桔梗は自身の着物の袖を引き裂き、それを白銀の傷口に宛がう。そんな事しか出来ない自分の無力さが無償に悔しかった。

 

「どけ、女」

 

 見上げると、一番身体の大きな鬼が二人を見下ろしていた。手には切れ味の良さそうな日本刀が冷たい光を放っている。

 

「そいつを殺したら、鷹呀様の元へ連れていってやる」

 

 言いながらその鬼は日本刀を振り上げた。

  

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