第4話 奇病

 

「ご無事でしたかっ‼」

 

 里にたどり着くと、桔梗ききょうの姿を見つけた住人たちが駆け寄って来た。

 一晩経っても帰って来ないので、他の者と同じく命を落としたものと思われていたらしい。

 

 

 早速、庭に敷いたござの上にツルギソウを並べた。こうして干す事でより薬の効果が増す。

 一通り終え、長老の家に戻る。扉を開けると、長老が深々と頭を下げていた。

 

「明日の朝にでも薬湯やくとうを作ろう。……長老、頭を上げてくれ」

 

 頭を垂れたままの老婆に、桔梗はもう一度声をかける。

 

「長老?」

 

 すると老婆はガバリとその場で膝をつき、地面に頭をこすりつけるように土下座どげざをしてきた。ギョッとして桔梗は老婆の肩に手をえる。

 

 

「一体、どうし……」

 

 

「お願いがございますっ‼」

 

 

 桔梗の言葉を遮るように、老婆は声を張った。

 

 

「孫をっ……孫を助けて下さいましっっ‼」

 

 

 

 

 ※

 

 

 

 

 通されたのは、老婆の家の地下。

 壁ぞいに均等に置かれた蝋燭ろうそくあかりを頼りに、ぼんやり浮かび上がる階段を慎重に下りていく。

 

 

道雄みちお、入るよ」

 

 廊下の突き当りまで行くと一室だけ部屋があり、木製の引き戸の前で老婆が中に居るであろう人物に話しかけた。

 

「どうぞ」

 

 

 小さく中から返事が聞こえ、老婆は引き戸を開ける。

 

 

「これは……」

 

 桔梗の目に異様な光景が飛び込む。

 部屋の真ん中に一人の青年が椅子に座っていた。その横には食事用だろうか? 小さなたくが置かれている。

 異様なのは着物のすそから見えるあしだった。

 

 

「数年前から症状が現れましてな。最初は皮膚がだんだんと硬くなっていくというものでした。町に下りて色んな医者や薬師くすしてもらったのですが……皆、原因が分からない。こんな症例は初めてだと言うばかりで、どんな薬を与えても良くなるどころかひどくなる一方……」

 

 老婆はそこまで言うと深いため息をついた。

 

「あなたは?」

 

 道雄は急に部屋に入って来た見知らぬ女に、怪訝けげんな表情で問う。その顔はわずかな蝋燭の灯りでもわかるくらいに青ざめ、だいぶやつれているように見えた。

 

 

「薬師だ。少し足を診ても?」

 

 

 桔梗の問いに、道雄は渋々といった様子でうなずいたのでその足元に膝をつき“脚だったであろう物”に触った。

 

 

「…………」

 

 その質感はまるで樹齢を重ねた木だ。樹木のように盛り上がった皮膚のせいで、もはや脚の形をなしていない。それが足の爪先つまさきから膝の辺りまで広がっている。

 これでは歩くどころか立ち上がる事も困難だろう。

 

「痛みは?」

 

「昔は痛みもありましたが、今は感覚すら……」

 

 指でコンコンと軽く叩いてみる。枯れた木を叩いているような乾いた音がした。

 

 確かにこんな症状は初めて見た。一体なにが原因なのか……。

 桔梗の眉間みけんに小さな皺が寄る。それを見た道雄はもう諦めているといった様子で小さく首を振った。

 

「いいんです。無理ですよ……俺は一生、この部屋から出られないんだ」

 

 言うと、彼は口元をわずかに歪ませ、自嘲じちょうの笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 ※

 

 

 

 

 老婆のれてくれた茶を飲み、桔梗は一息ついた。

 

「道雄の母親は、あの子がああなってしまってから心の病にかかりまして、去年自ら命を絶ちました。父親は、道雄の姿を見るのを嫌がり里を出ていきました。里の者はこの事を知りません」

 

 老婆は自分の湯飲みに茶を注ぎながら続ける。

 

「道雄はこの里では旅に出ている事になっております……」

 

 ずずっと茶をすすると、彼女は桔梗を見た。

 

「それで、道雄は治るんでしょうか?」

 

 単刀直入に問う。

 

「まだ分からない。少し時間をくれないか?」

 

「……もうお疲れでしょう。風呂の準備が出来ておりますゆえ、今日はもうお休みください」

 

 風呂に入るのはいつぶりだろうか? 桔梗は老婆の好意に甘える事にし、これもまた久しぶりの布団に横になった。

 

 

 

 

 ※

 

 

 

 

 気づくともう朝になっていた。味噌汁のいい匂いが桔梗の頭を徐々に覚醒させていく。

 途端に腹が鳴った。そういえば、ここ何日かまともな食事をっていない。

 

 

「おはようございます桔梗様。朝食の準備ができております」

 

 身支度を整え、居間に行くと丁度老婆が茶碗に飯を盛り付けていた。

 箱膳はこぜんの上には焼いた川魚と少々の漬物、青菜の味噌汁が湯気を立てている。

 

 

「おはようございます、桔梗様」

 

 さえと呼ばれていた少女が、桔梗の湯飲みに茶を注いでくれた。

 

「ありがとう」

 

 桔梗が礼を言うと、さえは照れたようにうつむいた。

 

 

 朝食を済ませ、桔梗は早速準備に取り掛かった。

 昨日から干していたツルギソウを手に取る。まだ完全に乾いてはいないが、まあ使えなくはない。それを老婆の家の土間で湯を沸かし、煮出す。いつの間にか里の者も何人か見学に来ていた。

 

 

「沢の上流にこのツルギソウが群生していた。この植物は根から微量だが毒を出す。この毒も少量なら無害だが、長期間摂取を続けると体に蓄積していき中毒を起こす」

 

「ああ、それで沢の水を飲んでいた者だけが病に侵されたのですね」

 

 傍らで見ていた老婆が納得したように頷いた。 

 

「だがこのツルギソウの葉は、その毒を中和する作用がある。乾燥させて、湯で煮出し、その煮汁を飲ませれば徐々に皆良くなるだろう」

 

 

 そう言うと、桔梗はふところから包み紙を取り出し、その中の粉末をツルギソウの煮汁に加えた。

 

「それは?」

 

「アカヨモギ、ドクダミ、センブリを粉にしたものだ。中和した毒素を体外に排出する助けをしてくれる。さあ、これを一日三度ゆっくりと飲ませてやれ。十日程で回復するだろう」

 

 後ろで見ていた里の者に、薬湯の入った鉄瓶を手渡すと「ありがたい」と何度も頭を下げそれを大事そうに持って行った。老婆とふたり、それを見送る。 

 これでひとつ片付いた。問題なのは……。

 桔梗は不安げに自分を見上げる老婆を見た。

 

 

「最善を尽くそう。長老、私があの青年の部屋へ自由に出入りしても?」

 

「構いませんとも、あの子が治るのでしたら。何でも私めに言いつけて下さいまし」

 

 老婆は深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 ※

 

 

 

 

 それから十日、沢の水の毒に侵されていた者は次々と回復していった。

 桔梗は里の者と顔を合わせるたびに礼を言われる日が続いている。

 

  今は、長老の家に世話になりながら、あの青年の病について模索もさくしていた。

 

 

 さえは桔梗によくなつき、時々薬草について聞きに来ていた。里の者を助けた桔梗を見て、自分も薬師になるんだと夢を語ってくれた。

  

 一方、道雄の病については進展が無いままだった。

 

 

 初めは何かの植物に侵食しんしょくされているのかとも思ったのだが、水分の供給も太陽も無いこの部屋でここまで育つものだろうか? 仮に水分の供給源が道雄であったなら、たちまち宿主の道雄が干からびてしまうのではないか。

 今のところ、道雄の体調は問題無いという。

 

 

「もう、いいです。俺はとっくの昔に諦めはついてますから」

 

 何度目かの訪問の時、道雄は桔梗に力なく言った。もう、一生太陽の下に出る事は出来ないんだと。

 桔梗は虚ろな目で微笑わらう道雄の前に膝をつくと、両手を伸ばし道雄の両頬りょうほほを優しく包む。

 予想だにしていなかった桔梗の行動に、道雄は目を丸くした。彼女の黒曜石こくようせきのような瞳が真っすぐ道雄の目を見据えている。その後、薬草のような爽やかな香りが道雄の鼻をかすめた。

 

 美しい人だと改めて思った。

 初めてこの部屋を彼女が訪れた時、その凛とした立ち姿に少しだけ胸が高鳴ったのを覚えている。

 

 

「私は霊薬師だ」

 

 

「……え?」

 

 唐突に言われ、一瞬何の事か分からなかった。

 

「私に治せない病は無い」

 

 

 そうだ。

 聞いたことがある。

 

 

 “霊薬師れいやくし”。

 

 どんな病も、瀕死の者ですらたちどころに治癒ちゆをする万能薬を作りだす事が出来る者。このたぐまれな能力を持つ者は希少で、大抵は権力者のお抱えになる事が多いと聞く。

 この自分が生きる時代に存在し、尚且なおかつそれが目の前に居る。

 

 信じられないという思いで、道雄は自分を真摯しんしに見据える霊薬師の顔を見つめた。

 

 

「まずはこの脚に絡みつく塊を取り除かなければならん。中がどうなっているか分からん以上無理に剥がす事も出来んしな。だがそれが出来ればお前の病は必ず治る」

 

 だから諦めるなと言うと、桔梗は道雄の頬から手を離した。

 

 

 ────治る……? この脚が?

 

 

 始めは医者に診せれば治ると思っていた。何かの病名がつくものなのだろうと。

  何人目の医者だったか……“奇病きびょう”と言われた。こんな症例は見たことも聞いた事も無い。どんな治療法が適しているのか……それすらも見当がつかないと。

 それからも何人かの医者に診せたが、すぐにさじを投げられた。それどころか、他人に伝染うつるかも知れないから隔離するべきだと言う。

 

 

 いつからだろう、もう治る事はないのだと諦めがついたのは。

 この脚でずっと、自分は一生を終えるのだ。

 

 

 それが……。

 

 

 ────治る?

 

 

 途端に涙が溢れて来た。桔梗に泣き顔を見られるのが恥ずかしく、両手で顔を覆い声を殺して泣いた。

 

 桔梗は、そんな道雄を見下ろし。その嗚咽おえつで震える肩にそっと手を置いた。

 

 

「辛かったな」

 

 

 ねぎらいとも慰めともとれるその言葉は酷く優しい声色こわいろだった。

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