第3話 霊薬師

 

 桔梗ききょうは荷物の中から小さな瓶を取り出すと、それを両手で包み山犬の前に正座する。

 

 

「そう落胆するな。助けられんとは言っていない」

 

 

 言うと、桔梗は目を閉じた。

 

 

 途端に桔梗の身体がかすかに光り始める。淡い紫色の光に包まれていくさまを、白鬼びゃっき呆然ぼうぜんと見ているだけだった。

 山犬も、薄く目を開きその様子を見ていた。 

 

 それはとても美しい光景だった。

 なぜ人が光っているのか。この女は何をしているのか。様々な事を思い、困惑しながらも白鬼は魅入るようにそれを眺めた。

 

 

 しばらくすると光は徐々に弱まり、やがて元に戻った。

 

 

「なん……なんだ? あんた……」

 

 白鬼の問いには答えず、彼女は瓶のふたを開け山犬の口元にそれを垂らした。

 

「これを飲めば、じきに治る。完全にな……」

 

 桔梗はふうと大きなため息をつき白鬼を見上げた。その顔は、少し青ざめて見えた。

 

「少し疲れた……しばらく休む……ぞ」

 

 言うとそのままその場にはたりと倒れこんでしまった。

 

「え? おいっ!!あんた、どうしたんだ?」

 

 驚いた白鬼は桔梗に駆け寄り上体を抱き上げた。彼女の口元からはすーすーとかすかな寝息が聞こえる。

 寝ているだけだと分かり安堵あんどのため息をついた彼は、「一体なにがどうなってんだ?」と困惑しながら銀色の頭をいた。

 

 

 

 

 ※

 

 

 

 目覚めて最初に視界に入ったのは、まきの火にぼんやりと照らされ浮かび上がる無骨ぶこつなむき出しの岩肌だった。

 徐々に覚醒かくせいしていく頭で、自分の置かれている状況を思い出す。

 

 

霊薬師れいやくし

 

 

 不意に声がしてそちらに顔を向けると、銀髪の男が岩肌を背もたれに片膝かたひざを立てて座っていた。その横では大きな山犬が穏やかな寝息をたてている。

 

「……ってやつなんだって? あんた。爺さんに聞いた」

 

 桔梗はけだるげに上体を起こしつつ、気になっていた事を口にした。

 

「ひょっとして……だが、お前……その山犬と話せるのか?」

 

「ある程度の動物とは話せる。あんたは話せないのか?」

 

「普通の人間は動物とは話せない。まさか、言葉もその山犬に?」

 

 白鬼にそんな能力があったなんて知らなかった。

 

「言葉だけじゃない。いろんな事を教えてもらった」

 

「……そうか」

 

 中々うらやましい能力だと思いながら桔梗は立ち上がった。

 

「私はどのくらい寝ていた?」

 

「……半日くらいか? そろそろ夜明けだ」

 

「よし、では今から例の薬草の場所へ案内してもらおうか」

 

「今からか? 体はもう平気なのか?」

 

「少し疲れただけだ、寝れば回復する。急がなきゃならない。頼む」

 

 集落に居る病人の中には、一刻も早く処置を施さなければならない者も何人かいた。そうそう休んではいられない。

 白鬼は「分かった」と言うと、スッと立ち上がった。

 

 

 

 

 洞穴から出ると、丁度東の空が赤く染まっていた。

 今日も暑くなりそうだ。

 

 

 案内するため前を歩く白鬼の後を桔梗は追う。

 不意に白鬼が歩みを止めた。

 

 

 怪訝けげんに思い声をかけようとした時、彼が肩越しに振り返り「爺さん助けてくれて、ありがとう」というと、照れたように頭をきまた歩き始めた。

 急に礼を言われた桔梗は驚いて目を丸くしたが、前を歩く背中に「どういたしまして」と言い口元をゆるめた。

 

 

 白鬼に案内された場所は、集落に流れ込む沢の上流。こんこんと水が湧き出る泉だった。

 思った通り、例の薬草がかなりの量い茂っていた。

 

「やはりな……」

 

「なんなんだ、この草は」

 

 桔梗は、その葉を一枚ちぎると指で揉み匂いを嗅ぐ。

 

「ツルギソウという草だ。この根は少量だが毒を分泌する。少しなら人体に影響は無いが、この量では……」

 

 そう言うと泉の周りをぐるりと見まわした。

 長老は草食動物が増えたため、薬草を含む草木が減ったと言っていたが、この十数年で再び均衡が保たれてきたのかも知れない。

 

「根の毒が水に溶けだして、沢の水を飲み続けた集落の人達の身体に徐々に蓄積していき、中毒症状を起こしたんだろう。この葉はそれを中和する作用があるんだ、葉を持っていきたい。手伝ってくれ」

 

 

 ツルギソウの葉をプチプチと採取しつつ、白鬼を見上げると彼は複雑な顔で立っていた。

 その顔を見て思い出す。山犬達を狩り、その種を絶やしたのはあの集落の人間だ。もちろん、その事はあの祖父としたう山犬から聞いている筈。

 作業を手伝うという事は、集落の人間を救う事に加担をするという事だ。

 

 

「いや、やっぱりいい」

 

 

 そう言って集落で借りた竹籠たけかごに、摘んだ葉を入れていく。

 

  しばらくすると、バサッと音がして竹籠が一気にツルギソウの葉でいっぱいになった。

  見上げると緑に染めた手で額の汗を拭う白鬼が立っていた。

 

 

「こんだけあれば十分だろ?」

 

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

 

 礼を言うと男はぼそりと呟くように言った。

 

「爺さん、助けてくれたからな。山降りるなら途中まで送る。ここからだと、ちょっと道が複雑だから」

 

 

 

 

 

 

 道中彼は色々と話をしてくれた。

 この辺りの冬は雪が深く、“白雪しらゆきの里”という名前もそこからつけられた事。春、この道は桜が綺麗な事。たまに里に下りて衣服や食べ物を拝借はいしゃくしている事。

 

「お前の血が目的で山に入った連中はどうした?」

 

 

 そう聞くと、彼は少し間を置いて「爺さんが片付けた」と早口に言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここを真っすぐ歩けば里に着く」

 

 

 白鬼は里があるであろう方角を指さす。

 

 

「ああ、ありがとう」

 

「いや、別に……礼を言うのはこっちのほうだし……」

 

 白鬼は照れたように頬を掻くと、「じゃあな」ときびすを返して元の道を戻っていった。

 桔梗はその背中を暫く眺めていたが、「よし」と背中の荷物を背負いなおし集落へと歩き始めた。

 

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