第2話 白鬼と山犬

 

「本当に行きなさるのか?」

 

 

 翌朝、山へ向かう支度をしている桔梗ききょうに、長老は何度も同じ言葉をかけた。草鞋わらじの縄をきつく結びながら桔梗は自分の小ぶりの弓に目をやる。

 

「私も伊達だてに一人で旅をしている訳ではない。一応得物えものもあるしな」

 

 

 山の入り口まで見送りに来てくれた老婆は、さすがに諦めたのか「お気をつけて」と頭を下げた。

 

「案ずるな。まずいと思ったらさっさと下りることにする」

 

「そうして下され」

 

 老婆は桔梗の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 少し歩くと、だいぶ鬱蒼としてきた。深緑の青臭さも濃くなってくる。

 桔梗は、途中で見つけた沢水の流れに沿うように上を目指した。日が高くなり気温も上がる。こめかみを一筋の汗がつーっと伝った。

 村の井戸で汲んできた水に手をかけようとした時だった。

 

 どこからか視線を感じた。

 

 水筒を取りかけた手は、急かさず背中の弓を取り上げた。

 汗が背中を伝い、ヒヤリと冷たいものが走る。

 

 

 ────どこだ……?

 

 

 張りつめた空気の中。

 

 

 ザザッと真上の枝が揺れた。上を見る間も無く桔梗の身体は衝撃を受け仰向けに倒れた。

 

「────っ‼」

 

 あっという間の出来事だった。痛む背中に顔をしかめながら、自分におおかぶさるそれの正体を確認する。途端に桔梗は息を飲んだ。

 それは、老婆の言っていた青年の“白鬼びゃっき”だった。 

 太陽を背に輝く髪は銀色に輝いて見えた。その銀糸ぎんしの隙間からのぞく金色の目は殺気をはらみギラギラと光っている。肩より少し長めの髪が桔梗の顔すれすれにハラリと落ちた。

 

 チクリと首筋に痛みが走る。何か鋭く尖った物を押し当てられているようだった。

 この男がその気になれば、一瞬で首を掻き切られるだろう。

 

 

 木々のざわめきと蝉の声が遠くで聞こえる。

 白鬼のフーフーという、荒い息遣いだけが生々しく桔梗の顔にかかっていた。

 

 

 しばらく白鬼の顔を見ていた桔梗の口からため息がれる。

 

「違ったか……」

 

 ため息と同時に小さくそう呟いた。

 

 銀髪の男はそんな桔梗に怪訝けげんそうな顔をする。

 

 

「どいてくれないか? 別にお前の命を取りに来た訳じゃない」

 

 彼は桔梗の落ち着きはらった態度に、どうしていいのか困惑している様子だった。

 

「言葉が分からないのか? どいてくれ。この体格差じゃ、私がお前をどうにか出来るわけ無いだろう?」

 

 青年はじっと桔梗の顔を見たまま、少しの間思案している様子だったが、一気に桔梗から身体を離すと後ろに飛びのき距離を置いた。

 野犬のような警戒心だ。

 まあ、自分の血を目当てに何人もの人間が山に訪れていたのなら無理も無いだろう。

 

 桔梗は、白鬼を刺激しないようにゆっくりと立ち上がると、服についた草や土を払った。

 

「じゃあ何が目的で来たんだお前は」

 

 白鬼が口を開いたので、桔梗は少し驚いて彼を見た。

 

「なんだ言葉が話せるのか」

 

 その白鬼はずっと山で暮らしている為か、お世辞にも綺麗な恰好とは言えない。が、きちんと衣服を身に纏っている所を見ると、山暮らしの野猿という訳でも無さそうだ。

  そこそこ身長のある桔梗より、頭ひとつ分ほど背が高く、あまり丈の合ってない着物から伸びる筋肉質でしなやかな四肢ししは、野生動物の美しさを連想させた。

 まばらに伸びた不揃いの髪は、今右手に持っている小刀でたまに自分で切っているのだろうか。

 

「薬草を探しに来た。お前こんな草を見た事があるか?」

 

 例の薬草の絵を見せると、白鬼はしばらく思案するようなそぶりを見せると「たぶん、ある」と答えた。

 

「案内できるか? それで薬を作りたい」

 

「薬? お前、薬が作れるのか?」

 

「ああ、私は薬師だからな」

 

「くすし……?」

 

 白鬼が首をかしげた。

 自分と同じくらいの歳だろうか、背丈のわりにその表情がやけに幼く見え桔梗は頬を緩ませた。

 

「薬を作って、病や怪我を治す生業なりわいの事だ。お前も必要なら作ってやるぞ」 

 

 それを聞くや否や、白鬼は桔梗に駆け寄りその両肩をガシッと掴んだ。

 

「頼むっ‼爺さんを治してくれ‼」

 

 いきなり肩を掴まれ、身体を揺さぶられた桔梗は「落ち着け」とたしなめた。先ほどの警戒ぶりが嘘のようだ。

 

「お前、祖父がいるのか?」

 

「こっちだっ‼」

 

 途端に背を向けて駆けだした白鬼に、「おいっ」と桔梗は声をかけるが聞こえているのかいないのか、その姿はあっという間に茂みの奥に消えていった。

 

 

「まったく、せっかちな奴だ」

 

 桔梗は小さく舌打ちをしつつその後を追った。

 

 

 すでに白鬼の姿は見えない。

 その代わり、獣道けものみちがあったのでたぶんこの先だろうと桔梗は走った。

 祖父を治せと言っていたが、怪我だろうか。それとも病気なのだろうか?

 

 

 そんな事を考えていると、急に少し開けた場所に出た。そこからどこへ行けばいいのか分からずぐるりと見渡す。

 その時グイっと腕を引かれた。

 

「こっち」

 

 そのまま手を握られ引っ張られる形で白鬼の後ろを走った。

 ここまで必死な様子を見ると、あまり容体はよくないのだろうか?

 

 

 

 

 いい加減、息も上がってきた頃。

 

 

「ここだ」

 

 そう案内されたのは崖の斜面にぽっかりと開いた横穴だった。

 

「ここに、お前の祖父がいるのか?」

 

 家屋かおくを予想していた桔梗は少し驚いたが、「お邪魔します」と小さく頭を下げると足を踏み入れる。

 洞窟特有のヒヤリとした空気が頬をかすめた。

 

 

 薄暗い穴の中。奥で何かがのそりと起き上がる気配がした。

 白鬼はき木の近くに行くとカチカチと石を打ち付けた。しばらくすると火がつき辺りが明るくなる。ゴツゴツとした岩肌が黒く浮かび上がった。

  祖父がいるであろう場所もぼんやりと照らされる。

 

 

「…………」

 

 

 挨拶をしようとした桔梗は、言葉を飲み込んだ。そこには、大きな白い山犬が牙をむき出しこちらを睨んでいたからだ。

  あんな牙が喉に食い込んだらひとたまりもない。

 

「爺さん、寝てなきゃ駄目だって」

 

 白鬼は山犬に駆け寄ると、その身体をゆっくりと横にならせた。山犬は横になりながらも顔は桔梗を睨んでいる。

 

「祖父って……この山犬が?」

 

「そうだ。俺は幼い頃人にさらわれた。隙をついてこの山まで逃げて来た俺を、今まで育ててくれたのが爺さんだ」

 

 “白鬼”の噂を信じている人間の仕業しわざだろう。成長すると身体能力が人間の比ではなくなる彼らは、身体が未熟な子供のうちにさらわれる事が多い。

 その血液、特に心臓の中の血液は万能薬、あるいは不老不死の薬の原料となると信じられている為、希少な彼らを高額で買い取る金持ちが後を絶たない。

  必要なのが血液ということもあり、腐る前に薬にしなければならない。鮮度を重要視するためか、生きたまま取引されるらしい。

 ここに居る白鬼のように、ここまで成長できる者はごく僅かだと聞く。

 

 

「こいつが爺さんを治してくれるって」

 

「桔梗だ」

 

 “こいつ”と呼ばれてムッとした桔梗は強めの口調で名乗った。

 

「近くに行っても?」

 

 相変わらず牙をむき出す山犬は、今にも飛び掛かって来そうなくらい殺気を放っている。

 

「頼む」

 

 白鬼は山犬の身体を労わるように撫でながら桔梗を見た。すがるような彼の目に、桔梗は大きくため息をつくと、ゆっくり山犬に近づいた。

 

「怪我をしているな?」

 

 山犬の右後ろ脚が赤黒く染まっている。化膿が進んでいるのか酷い匂いがした。

 

「あいつらが仕掛けた罠がまだ残っていて、爺さんはそれに……」

 

 白鬼は悔しそうにうつむいた。     

 あいつらとは、彼の血を目当てに山に入り込んだ人間達の事だろう。

 

 

 そっと身体からだに触れてみる。苦しいのか息が荒い。こちらを見ていた山犬はいつの間にかがっくりと頭を地面に預け、目をつむっている。

 

 

「これは……まずいな」

 

 身体が熱い。傷口から何かに感染しているのは明らかだ。こうなると、ただの薬ではどうしようも出来ない。

 

 

「駄目なのか?」

 

 桔梗の表情に、何かを察したのか白鬼は絶望的な声で問いかけた。

 黙ったまま考え込む桔梗に、彼は唇を噛みしめ唸るようにつぶやいた。

 

「……人間なんか当てにするんじゃ無かった」

 

 そんな白鬼の呟きを、桔梗は自分の荷物から何かを取り出しながら聞いていた。

 

 

「お前は人間が嫌いか?」

 

「当たり前だろう、お前ら人間は災いしか持ち込まない。爺さんに聞いた、昔の事。お前たちは爺さんの仲間みんな殺しちまった。爺さんのこの怪我だって……‼」

 

 

 そうだろうなと桔梗は思った。彼にとって人間は負の存在以外の何者でもない。

 幼い頃人にさらわれ、命を狙われ、挙句あげく大事な存在の命まで奪おうとしている。全て、人の私利私欲しりしよくの為に。

 人は“鬼”を野蛮やばんな存在だと言うが、果たして本当に野蛮なのはどちらだろうと思う事がある。

 そんな人間を自分の住処すみかに連れて来るという事は、彼にとって相当危険な賭けだったろう。

 

 

 ならば、自分はそれに応えなければならない。

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