第1章 反逆

喜べない平穏

 セリシアの手によって実たちが地球に送られてから、二週間以上が経過した。



 あれから色んな手を試してみたが、次元の扉を閉ざしている強固な風の封印は解ける気配がない。



 ここでずっと塞ぎ込んでいても仕方ない。

 数日四苦八苦したところで、皆で話し合って方向性を変えた。



 次元の扉に関することはエリオスと詩織の二人に一任し、実たちはそれぞれ、学校と仕事に行くことになったのだ。



 この状況を打開できないのであれば、このまま地球で暮らすという道も考慮しておかなければいけない。



 そうなった時のためにも、早めに地球の生活リズムを取り戻しておいた方がいい。



 理屈はそういうこと。

 頭では、それが正しいと分かっている。



 それでも実は、素直に地球の生活に戻ることができないでいた。



 朝起きて、のんびりとニュースを見ながら朝食を取り、そのまま学校へ。



 うざったく絡んでくる晴人はるとを定期的に蹴っ飛ばせば、それを見た悠が困ったように笑う。



 放課後は二人に頼み込まれ、解説要員として日が沈むまでみっちりと補習に参加。



 疲れて重たくなった体を引きずって家に帰れば夕飯ができていて、シャワーを浴びた後は無為にベッドに飛び込むだけ。



 携帯電話を片手に時間を潰せば日付が変わり、目を閉じればあっという間に朝が来る。



 怒濤どとうの勢いで駆け抜けた日々が幻だったのかと思えるほど、何事もなく平和な世界。



 父が自分のことだけを考えて整えてくれた環境と、自分が取り戻したくて仕方なかった生活がここにある。





 それなのに―――この平穏に適応できない。





(母さん……桜理……)



 どうしても、心はあの世界に向いてしまう。

 大事な人を残しているというのに、すぐに気持ちを切り替えられるわけがなかった。



 どうやら自分は、あの世界に身を置きすぎてしまったようだ。

 今では、地球で過ごすことの方が新鮮だと感じてしまうほどに。



 魔力が安定しなかったから仕方ないとはいえ、自分があちらで寝込んでいる間に地球の季節はかなり進んで、今はもう九月になってしまっている。



 高校三年生になっていた自分の周りは、いつの間にか大学受験ムード一色に染まっていて、晴人や悠に漂うどこか焦った雰囲気に、自分は未だについていけない。



 意地でも同じ大学に受かってやるから、覚悟して待っておけと意気込む晴人。

 お前ならあの難関大学にも余裕で合格すると、どこか鼻高々に肩を叩いてくる教師たち。



 そんなの知ったことか。

 進路希望は、自分じゃなくて影が提出したものなのだから。



 自分の性格や思考回路を忠実に模倣した影が割り出した希望なので、おそらく自分が直接考えても同じ希望を出したとは思う。



 そうだとしても、やっぱり自分が選んだわけではないので、周囲の言葉をそのまま受け入れることはできない。



 ……なんだか、変な気分だ。



 影の方が偽物のはずなのに、今ここに立っている自分の方が偽物のように思えてくるのだから。



 空気を読んで合わせるのも面倒だから、いっそのこと学校など辞めてしまおうか。



 ついそんなことを考えて、変わってしまった自分の心に愕然がくぜんとした。



 なんとも皮肉なことだ。



 あんなにも地球にしがみつきたかったはずなのに、いざ地球に戻ってきたとなったら、この生活がわずらわしくさえ思えてしまうなんて。



 それほどまでに、自分の心はあの世界に囚われていたというのか。



 あの世界を捨てると決めた時、無理に母を連れ出してでも、家族三人で地球で暮らす道を選んでいたら。



 桜理がさらわれたあの時、素直に父に助けを求めて彼女を救っていたら。



 そうすれば自分は、心置きなくこの生活を楽しめただろうか。

 今さら考えたって意味もないのに、そんな〝もしも〟がぐるぐると巡る。



 こんなに未練たらたらだというのに。

 もう二度とあの世界に戻れないのなら、この不快感も飲み込むしかないのかもしれない。



 無情に時間だけが過ぎていくにつれ、そんな思いが脳裏をちらつき始めていた。


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