世界の十字路16~風がもたらす大嵐~
時雨青葉
プロローグ
とある精霊神の災難
「やれやれ…。本当に、よくやりおるわ。」
自分が手を貸した人間の行動を追っていた彼女は、呆れとも驚嘆とも取れる息を吐き出した。
あの者は時おり、理解に苦しむ行動をするものだ。
あんなに必死になって捜し回って、寂しさで己の精神を追い詰めて、数年がかりでようやく取り戻したはずの夫と息子。
その二人を、たったの数日であっさりと手放してしまうのだから。
あの者のことは常々周りに抑圧されていて不遇だと
気まぐれに吹く向きを変える風のように、あの人間の気分はころっと変わる。
そして吹く向きを定めたのなら、気が変わるまで猛烈な嵐のように突進していく。
こちらとしては見ていて飽きないが、あの人間が持つ本来の性質に振り回される者は、なかなかに大変なのではないだろうか。
そうは言っても、一番振り回されるべき人間が、もうここにはいないのだが……
「もしかしたら、今一番振り回されているのは
はたと、そのことに思い至る。
記憶を
思えば契約を交わしてからというもの、あの者は当然のように自分を使ってきた気がする。
聖域を守る結界の補助に、いなくなった息子の捜索に、戻ってきた息子の追跡にと、あの者に手を貸した回数は両手では収まらない。
こうして考えると、あの者は果たして自分を神だと認識していたのだろうか。
いつもすぐ近くに神がいたからか、神という存在への認識がおかしくなっていないだろうか。
神は本来であれば、不用意に人間に関わってはならない。
自分たち精霊神とて許されているのは、魔力バランスを保つために選んだ人間に、自身の権限と力の一部を与えることだけ。
神が人間に介入するのは、有事の際に
本当なら、こんなにぽんぽんと人間に力を貸すことなどできないというのに。
愚痴のようにそこまで考えて、ふと疑問に思う。
そうだ。
こんな風に人間に肩入ればかりしていては、上からのお叱りがきてもおかしくないではないか。
それなのに、自分の元になんの音沙汰もないのは何故だろう。
無条件で目をつむってもらえているはずがないから、今は有事の際だから許されているということになるのか。
(確かに、今は有事の時なのであろうな……)
脳裏に浮かぶのは、自分が手を貸している人間の子供の姿。
あの子供とその父親には、
それはもう、異常なほどに。
特にアクラルトお気に入りのあの父親には、長が直々に接触を繰り返しているそうではないか。
彼自身が望んで受け入れた代償だとはいえ、長が彼に背負わせた苦悩はいかばかりかと。
いつぞやアクラルトが、珍しく憤慨していたことがあったか。
(全てはあの子供を守るため、か……)
ふと納得した。
森で暮らしていたあの子供を守り、そして去ってしまった彼をこの世界に呼び戻す。
自分があの者を助けていた目的は、そこに繋がる。
だから今までは、禁忌を犯しても見過ごされていたのか。
―――では、今回ばかりは制裁を
自分は神の事情よりもあの者の願いを優先し、この世界になくてはならない存在を追い出してしまったのだから。
「ふふ…。妾も、いつまで粘れるかのう……」
今さら思い至っても後の祭り。
犯した過ちは、今さら取り消しようがない。
しかし、不思議と怖くはないのだから笑える。
あとはもう、終わりの時が来るまで、あの者の願いを叶え続けるだけだ。
「む?」
その時、ふと誰かの気配が後ろに立った。
「またお主か。懲りない奴よのう。」
ほぼ毎日のように訪れる客に、げんなりと肩を落とす。
彼は近付いてくるや否や、もう聞き飽きた話をくどくどと繰り返してきた。
「ああもう…。その話であれば、腐るほど聞いたわ。アクラルトやティートゥリーからもな。」
あまりにもうるさいので、思わず耳を塞いでしまう。
精霊神ともあろう者が、揃いも揃ってどうしたというのだ。
今まで人間になど、
それを言えば、自分だってそうではあるが……
「………」
基本は流れてくる音声を聞き流しつつも、少し考える。
しつこい説得にはほとほと呆れるが、その効果は確かに絶大だ。
最初は彼らの意見など聞く気もなかったのだが、徐々にその考えが変わってきている。
こんな結末でいいのか、と。
何日も呪文のようにそう問いかけ続けられたら、少しばかり迷ってしまうではないか。
その問いかけなら、自分だって何度もあの者にしたのだ。
違和感を持っているのは、自分とて同じこと。
「……はぁ。」
溜め息が零れる。
うるさい。
非常にうるさい。
この状況から逃げ出すには、こちらが方向性を変えねばなるまい。
「―――分かった。交渉に応じるから、アクラルトたちもここに呼べ。」
腹に別の思惑を抱えながら、表面上はそう言ってやることにするのだった。
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