第31話 2703(9)

 宮下みやした先輩が自分でこの部について来たのか、向坂さきさか先輩が引き抜いたのか。詳しいことは晶菜あきなも知らない。

 晶菜が、いちおうきいてみる。

 「ほかの書記とか副書記とかはどうです?」

 「いまの幹部は、わたしのよく知らない子たちばっかり」

 そうなんだ、と思う。

 それほど意外ではない。

 向坂先輩の派が最大派閥だったと言っても、向坂先輩が抜け、宮下先輩と郷司ごうじ先輩とが抜け、少し遅れて晶菜もフライングバーズに移った。それで、向坂先輩と仲のよかった杉原すぎはらすすき先輩が不登校になり、黒板くろいた先輩と名和なわ先輩が離れたら……。

 少なくとも、いまの三年生での向坂先輩派はほとんどだれもいなくなる。

 「斎藤さいとう由子ゆうことその仲間ども。わたしに、いやがらせなんかして」

 痛い、と思った。

 いやがらせされても、そんなのは気に留めない。

 いや、気に留めないふりをして、いやがらせした相手に致命的な仕返しを浴びせる。

 それが、晶菜の知っている向坂先輩だ。

 だからこそ、晶菜も生徒会の役職を捨てて、フライングバーズに来たのだ。

 その向坂部長が、ためらいがちに顔を上げる。

 「晶菜、なんとかできない?」

 晶菜は顔を上げて、目をまばたきさせる。

 「わたしがですか?」

 言ってから、キウイのジュースをテーブルに置く。

 もう二度くらい、目をまたたかせる。

 「できない、と思いますけど?」

 すなおな気もちだ。

 でも、この感覚……。

 ……いままで感じたことが、ない。

 向坂先輩が晶菜を頼ってきている。晶菜なんかを頼ってきている。

 そして、晶菜はそれを拒んでいるのだ。

 そんなことをしてはいけない。

 してはいけないとわかっていても、いけないことをしている快感が、晶菜をいまとらえている。

 「二年で、晶菜と仲いい子、いたでしょ?」

 「いまでも仲いいですけど?」

 晶菜が返事する。

 「でも、黒板くろいた先輩や名和なわ先輩が何ともできないのなら、たとえそのへんを動かしても何も動かないと思うんですけど」

 「やってみて」

 絶対君主の、とてもそっけない命令だ。

 その昔、オスマン帝国という国では、奴隷身分の人が高級官僚に上り詰めることがあったらしい。

 でも、どんなに政府のなかで偉くなっても皇帝の奴隷なので、皇帝が「死ね」と命令したら死ななければならなかったという。

 フライングバーズもそうなんだ、と思う。

 宮下副部長、カラーガード首席の小森こもり先輩、伴奏トランペット首席の井川いがわめぐむと次席の江藤えとう先輩、バスドラム首席の山鹿やまが先輩、そして晶菜。このなかで首席でも次席でもないのは晶菜だけだ。

 すべて、部長の、向坂先輩の奴隷だ。

 「やって」

 その一言で、そのとおりにやらなければいけない。

 そして、それがその奴隷たちの何よりの喜びでもある。

 向坂先輩が言う。

 「フライングバーズ、城まつり不参加を認める。生徒会役員のだれかから、その言質げんちさえとれれば」

 晶菜は反抗する。

 「繰り返しますけど、無理だと思いますけど」

 あとで「死ね」と命令されるよりは、ここでたてついておいたほうがいい。

 だいたい、二年生の役員が「認めます」と言ったところで、それは生徒会全体の決定にはならないのだ。かりにその二年生の役員たちが晶菜の説得に応じてくれたとしても、上層部を説得する時間はもう残っていない。城まつりの本番まであと四日だ。

 「それでも、やって」

と、向坂先輩は、ぽつん、と言う。

 頼りなさそうだ。

 そこで、晶菜は自信たっぷりに

「はい」

と返事する。

 無理だと思うけど、みる。

 それだけのことなら、べつに難しいことではない。


 ※オスマン帝国については:

 林佳世子『興亡の世界史 オスマン帝国500年の平和』

 新井政美『オスマン VS. ヨーロッパ』

などをご参照ください。

 …って講談社さんの本2冊になってしまった。

 ちなみに、皇帝に忠実な奴隷軍隊だったイェニチェリも、時代が移るにつれて皇帝に反乱を起こすようになってしまいます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る