第28話 2703(6)

 「そこの画面にさ」

 向坂さきさか先輩は、ベッドの反対側に置いてある大きい液晶テレビを指さした。

 「六月の全員でやった練習の画像を出してみんなで見たんだよ。たちまち郡頭こうずまちのほっぺが赤くなって、汗かいて下向いてしまって」

 向坂先輩は愉快そうに言う。

 郡頭まち子は肌の色が濃い。だから、頬が赤くなったかどうか、なかなか見ただけではわからないのだけど。

 なぜそうなったかというと、まち子の出来がひどいものだったからだろう。

 まち子だけではない。みんなひどかった。

 六月に、城まつりの曲をフライングバーズ全体の合同練習で通しで演奏してビデオを撮った。

 そのビデオをいっしょに見ていたそのころの顧問の先生が、何も言わずに、不機嫌そうに教室を出て行った。そのあとまもなくその顧問の先生は学校を辞めた。

 上部かんべというその顧問の先生は、もう三十年もこの学校にいて、マーチングバンド部瑞城ずいじょうフライングバーズを育ててきた先生だ。部の絶対的な指導者で、前の部長や副部長が三月で辞めさせられたのも、この上部先生の指導に従わなかったからだ。

 しかし、そうやって刷新したはずの部の演奏の出来がひどいものだった。

 上部先生は、それに絶望して学校を辞めた。

 そういう話が伝わっている。

 ほんとうかどうかはわからない。

 先生が、顧問を務める部が集団犯罪や暴力といった大きな不祥事を起こしたとかならともかく、部の演奏の出来が悪かったことぐらいで学校を辞めるものだろうか?

 でも、その上部という先生はそこまでこの部の指導に賭けていたのかも知れない。

 真相はどちらかわからない。

 たしかなことは、そのビデオに映っていた「下手さ」には、その噂を生み出すだけのインパクトがあったということだ。

 「最初は、演技のレベルを落とすべきではありません、とか言っていた郡頭まち子が、そのビデオ見たことでたちまち牙を抜かれて」

 しかし、そのビデオには、二曲めで早くも力尽きた向坂先輩の姿も映っていたはずだ。

 向坂先輩はそれをわざと無視しているのか、それとも最初から目に入らないのか。

 最初から目に入らないのだと思う。

 そして、その向坂先輩の自信が、晶菜には頼もしい。

 「それで、観終わってから、椎名しいなが、「こういう演技でだいじょうぶ?」、「このパターンとこのパターンとこのパターンでだいじょうぶ?」っていちいち小森こもりに確認しながら、こういうパターンでどうだろう、って、そこの床でやって見せて」

 「そこの床」というのは、いま晶菜あきなが座っているところの横、ダークブルーの絨毯じゅうたんの上だろう。

 晶菜は、せっかく先輩が注いでくれたキウイのジュースをまだ飲んでいなかったことに気づく。

 「あ、いただきます」

と言って口をつける。

 たしかに、おいしい。

 果肉を残した、とろっとした食感の感覚が心地いい。

 先輩もジュースを飲んで、続ける。

 「その演技を、郡頭まち子と小森がまねて、身につけて帰ったんだけど。あれで、まち子も、最初に自分が言ってた「レベルの高い演技」なんて、まず自分ができない、ってことがよくわかっただろうと思ったよ。三パターン覚えるだけで手いっぱいだったんだから」

 それで、郡頭まち子のことばかり言うのもバランスがよくない、と、部長は思ったのだろうか。

 「醜いね、小森も。体つきも、演技も、すぐにまち子の後ろに隠れたがるところも」

 そこまで言うものではない。

 向坂部長でなければ。

 でも、演技はともかく、体については向坂先輩には言う資格がある。

 それだけの非の打ち所のない体を、向坂先輩は持っているのだから。

 だから、黙っている。

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