第22話 雨が降っている(10)

 「そんな朱理あかりが、恒子つねこに、マーチングで歩き通すの厳しいでしょうから、なんて言うはずもない。だいじょうぶですよ、としか言わない。それで、恒子は、だいじょうぶなつもりで本番をやって、途中でつらくなって、破綻する」

 言いかたがまた「恒子」に戻っている。郷司ごうじ先輩は短く目を閉じた。

 「こないだも、ゴンベさんのときには、もうリズムが合ってなかった」

 郷司先輩はここまで「ゴンベさん」という言いかたを使ってこなかったが、もういいと思ったのだろう。

 城まつりで演奏する三曲のうち、最後の「リパブリック讃歌」は、日本では「ゴンベさんの赤ちゃんが」で知られている曲だ。だから部では「ゴンベさん」と呼んでいるメンバーが多い。「リパブリック讃歌」という題名なんか知らないメンバーもいるだろう。

 「たぶんそのときには曲も聴いてなかった、聴いてる余裕なかったと思う。大林おおばやしも言ってたとおり」

 つまり、郷司先輩と大林千鶴ちづるの判断が一致した、ということだけど。

 「でも、朱理は「だいじょうぶだよ、恒子」としか言わない」

 つまり、宮下副部長も向坂さきさか先輩のことを「恒子」と呼ぶんだ。

 「だから、朱理がそういう楽観的なことを伝える前に、晶菜あきなが、恒子が無理をしてる、ってきちんと言って、それに対策を考えたから、って伝えてほしいんだ」

 晶菜は黙る。

 「先輩が最初から説明すればいいじゃないですか?」という晶菜の問いに、まだ郷司先輩は完全には答えていない。

 宮下副部長より先に、郷司先輩が「恒子」のところに行けばいいのだ。

 晶菜の思いに、先輩も気づいていたのだろう。

 「わたしは、今日は練習に出ないわけには行かないからね。唐崎からさきがうるさいから」

 もともと、唐崎が、郷司先輩に「マーチングに出ない会計のくせに」というようなケチをつけた。それに対抗して、郷司先輩がマーチングに出ることになった。

 そうである以上、練習にも出て、その姿を唐崎に見せなければいけない。

 「そのあいだに、晶菜が、恒子にきちんとそれを伝えほしい」

 「いいですけど」

 そうすると、晶菜も練習をさぼることになってしまうのだけど、それは、いい。

 べつに出たい練習でもない。

 昨日、演技のパターンの組み合わせを聞いたので、それで対処できる。

 でも。

 晶菜は気にしていることを正直にきく。

 「宮下副部長が向坂先輩に心地いい話を聞かせるのに、わたしが、先輩、最後までやるのは無理ですよね、とか伝えるなんて、わたしが悪役わるやくになりません?」

 「なったっていいんだよ」

 郷司先輩が言う。

 他人ごとと思っているのだろうか?

 そう思ったので、晶菜は眉を寄せて先輩を見返す。

 郷司先輩が続ける。

 「恒子だって、朱理の言う話を百パーセント信じたりはしてない。だいたい生徒会の件で痛い目を見たはずだし。たしかに恒子も朱理のいうきれいごとは好きなんだと思うよ。でも、きれいごとを言う朱理と、だれかがバランスを取ってくれることを、恒子だって望んでるはずなんだ」

 それは、どうだろう?

 晶菜は、向坂先輩は大好きだけど。

 だからこそ、向坂先輩が「ほんとうだけど聞きたくないこと」は聞かないですませたいと思っているのは、よくわかる。

 そして宮下副部長は「ほんとうだけど聞きたくないこと」はなかったことにする。

 郷司先輩は「ほんとうだけど聞きたくないこと」を向坂先輩に伝えようとする。晶菜はその使者という位置づけだ。

 「朱理だけじゃ支えきれないから」

と郷司先輩は言った。

 「だから、わたしたち二人で、恒子を支えよう」

 笑って見せる。

 たぶん、その笑いには「あきらめ」の要素が入っているんだろうな、と、晶菜は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る