第20話 雨が降っている(8)

 「晶菜あきなのミッションは、今日の放課後、練習には出ないで、2703に出向いて、いまの話を向坂さきさかに説明すること」

 「えーっ?」

 晶菜は悲鳴のような声を立てた。

 わざと、だ。

 向坂先輩の呼びかたが「恒子つねこ」から「向坂」に戻ったのは、いいことにする。

 練習に出ないのも、いいことにしよう。

 しかし……。

 「2703」というのは、箕部みのべ駅前の高級高層ホテル「パールトンホテル」の二七階のスイートルームだ。

 向坂先輩の家は会社を経営している。その会社がずっと借り上げているという。会社の商談や接待で使うためだが、そういうことで使っていないときは、先輩が自由に使える。

 たぶん、今日の放課後、先輩はその部屋にいることが決まっているのだろうけど。

 「ただし」

と、郷司ごうじ先輩は、晶菜あきなの「悲鳴のような声」は相手にしないで説明を続ける。

 「大林おおばやしが絡んでることは言わないように。カラーガードの三人の一年生が歌を歌って時間を稼ぐから、そのあいだ、指揮を止めてマーチングを止めるように、と、それだけ伝えて。詳細なことはあとからわたしが向坂に話す」

 「だったら」

 べつにその「2703」に行きたくないわけではない。

 むしろ、パールトンホテル2703室に一人で入れる機会を晶菜は待ち焦がれてきた。

 でも、郷司先輩の意思は確かめたい。

 「先輩が最初から説明すればいいじゃないですか?」

 「朱理あかりが何か言うまえに向坂に伝えたい」

 簡潔に言う。

 「朱理」というのは、副部長の宮下みやした先輩のことだ。

 晶菜は黙っている。

 郷司先輩が言う。

 「あの日、わたしは朱理にカラーガードに限らず「パートの仕上がりはどう?」って尋ねたでしょ?}

 「あの日」とは、あの雨乞あまごいの話をした日だ。

 「はい」

と晶菜があいまいに答える。

 たしかに、郷司先輩はそんなことをきいたと思うけど。

 「そのときの朱理の答えと、さっき、わたしが大林にきいたときの、大林の答えと較べて、どう?」

 「どう?」と言われても。

 晶菜は覚えていない。

 「その、大林のほうが具体的だったと思いますけど?」

 しかし、それは、楽器を演奏しない宮下副部長と、自分で楽器を演奏する大林千鶴ちづるの違いではないのだろうか?

 四月に就任した部長と副部長のうち、部長の向坂先輩はその「ドラムメジャー」としてマーチングを指揮するけど、副部長の宮下先輩はマーチングには出ない。楽器も演奏しないし、カラーガードやバトントワリングで演技もしない。ミーティングで議長になって、反部長派のメンバーに発言させない、というのが主な役割だ。

 楽器を演奏する千鶴のほうが具体的に詳しく話せる。

 それだけのことでは?

 「朱理は、低音は問題なし、バトンとトロンボーンは、具体的な言いかたは忘れたけど、三年生はダメだけど二年生が引っぱるからだいじょうぶ、みたいな言いかただった」

 「はい」

 郷司先輩はよく覚えていると思う。

 そして、トロンボーンについて言っていることは、大林千鶴の言うのと一致している。

 「朱理がトランペットとパーカッションについて言わなかったのは、あの場に井川いがわ江藤えとう山鹿やまががいて、先に説明してしまったからだけど」

 井川恵と江藤九美くみ先輩が伴奏トランペット、山鹿先輩がバスドラムだ。バスドラムは大きいくくりではパーカッションに入る。

 「ほか、何か気づかない?」

 「はい?」

 気づくとか、気づかないとか、そんなことを言えるほど、晶菜は詳しく聴いていない。

 楽器のことはよくわからないのだ。

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