第9話 遥か昔のエジプトの儀式(3)

 その明かりを背景に、一人の女が入って来た。

 絨毯じゅうたんの上をすり足で歩いてくる。

 途中まで歩いて来たところで、その「ぶおー」という音楽に「ぽんぽんぽんっ」という音が入る。晶菜あきなも使っているパソコンのメール着信音だ。

 メールを受信するパソコンでこの効果音を鳴らしているからだろうけど。

 「切っとけよ、それぐらい」と思う。ますますまじめに信じる気がなくなった。

 前に出て来た女は、長い髪を晶菜たちと同じようなヴェールでおおっているが、ヴェールがゆるいので、前から髪の毛が見えている。

 歳はあんがい若そうだ。鼻筋が通っていて、目がぱっちりしている。異様な感じはするが、美人のうちに入るだろう。目が大きいのはそういうメイクをしているからかも知れない。

 着ているものは黒い。顔と手首だけが外に見えている。首からいくつも首飾りをっている。手にも、数珠じゅずなのか、首飾りなのか、いくつもの玉飾りをつけている。

 「よくお参り下された」

 低い声を作っているのだろうけど、それが低くなりきれていないところに未熟な感じがある。

 「わが名はネフェルティティ。わが素性は存じておろう」

 いや、知りませんけど。

 あとで検索してみよう。

 「ただいまより、雨乞あまごいの祈りの儀式を始める」

 ここで「はいはい、どうぞ始めてください」と答えたらどうなるだろう?

 そう思ったけど、言わない。言ったら、このネフェルティティさんより唐崎からさきのほうが怒りそうだ。

 「ぶぉー」の音が大きくなる。そこに何かの声が混じる。男声合唱みたいな低い声。

 それが高まったところに、また「ぽんぽんぽんっ」……。

 メールソフトの着信音を切るくらいはかんたんなのに、なぜやらないだろう?

 大山おおやま先輩が「ははっ」と不謹慎な笑い声を立てたのがわかる。

 その笑いを抑え込むように、ネフェルティティさんはいきなり

「シャーイシャーイロンシェーシャーイ、シャーイシャーイシャーイ、ティーシャーイティーシャーイティーシャーイティーシャーイ、ペエファシァアウシャーイ、ペエファシァアウシャーイ、シャーイシャーイシャーイシャーイ、ティーシャーイティーシャーイ、シャーイシャーイシャーイシャーイ」

と大声で唱えだした。

 「シャーイ」ということばがキーワードらしく、そこにときどきべつのことばがはさまっている。

 それがお祈りのことばらしいのだが。

 あんまりありがたみがない。

 晶菜のおばあちゃんは熱心に仏教を信仰している。お仏壇の前で毎日おきょうを唱えている。

 そのなかには呪文のようなことばも出て来る。

 晶菜にはよくわからないけれど、それはとてもいろどり豊かなことばだ。たぶん、いろいろな母音、いろいろな子音、そしてことばのリズムが入り交じっているからだろう。

 このネフェルティティさんのことばにはそれがない。単調なリズム、単調なことばの繰り返しだ。

 ピラミッドがあり、ツタンカーメンとともに残った数々の美術品があり、ギリシャに征服されてからもクレオパトラを生んだ古代エジプトは、もっと色彩が豊かだったろうと思う。

 ネフェルティティさんは、自分の唱えことばで気分が高まったらしく、体をそのリズムに合わせて震わせ、手を激しく上下させて、その数珠か何かをじゃらじゃらといわせ始めた。

 立ち上がって、回り始める。

 そのネフェルティティさんの体の上に、赤、黄色、青、緑の小さいスポットライトが当たって、回る。

 たしかに。

 この踊りは、見ているだけで心臓の鼓動が速くなる。女のひとが、腰を曲げ、背を丸め、足をどんどん言わせ、手を単純に上下させ、首飾りや数珠を振り乱してその場で回っているだけなのに。

 いや、そういう、何も考えてない踊りだからこそ、体に訴えかけるのか。

 晶菜の頭はクールだ。こんな儀式はインチキだと思っている。

 でも、女のひとが

「シャーイシャーイロンシェーシャーイ、シャーイシャーイシャーイ、ロンシェーシャーイシャーイシャーイ、ティーシャーイティーシャーイティーシャーイティーシャーイ、ペエファシァアウシャーイ、ペエファシァアウシャーイ、シャーイシャーイシャーイシャーイ、ティーシャーイティーシャーイ、シャーイシャーイシャーイシャーイ」

と一心不乱で踊っている、そのことが体に訴えてくる。

 ふうん。

 こういう感覚、小説を書くとしたら、そのとき覚えておいたらいいな、と晶菜は思った。

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