エピローグ 女王陛下と受験生

第54話 女王陛下にお招きされた

 王都に戻った当日は疲れて一日寝ていた。


 さらに翌日は筋肉痛で使い物にならなかった。


 水の中を死ぬ気で全力疾走という荒行が、普段使わない筋肉を酷使したらしく、身体中バキバキで一日寝ていた。


 そして3日目の朝。


 コンコン……、と下宿のドアがノックされた。


「ふぁい……」


 私はまだ痛む足を引きずりながらベッドから出て、ドアの隙間から顔を覗かせた。


 そこには身なりのいい老紳士が立っていた。


「チエリー・ヴァニライズ様ですね。私はシャフトロニカ城の執事をやっております、セバスチャンでございます」


「は!?」


 私は一気に目が覚めた。シャフトロニカ城といえばまごうことなき女王様の居城であり、この国の中心地だ。


 そこの執事が? 私に? 何の用で?


 私は目を丸くして、セバスチャンの口ひげやら仕立てのいい執事服を眺めた。


 王城の執事は、代々セバスチャンを襲名すると言うが――。この人が当代のセバスチャンだろうか?


「女王陛下がぜひとも、チエリー様にお会いしたいと言っております」


「は!?」


 私はさっきから「は!?」としか言っていない。言えてない。


 だって女王様だもの。こんな安下宿に住んでる人間には、一生縁がないようなお方だよ。


「本日、ご都合のほうはいかがでしょうか?」  


「い、今行く。10分ほど支度の時間をもらいたい」


 私はそう言ってドアを閉め、急いで身支度を始めた。


 何が何だか分からないが、女王様にお呼ばれとあっては一刻の猶予もならない。


 洗面台に行って、くみ置きの水で顔を洗う。ブラシで髪もとかした。


 シュババババッと着替え、ブーツを履いた。


 それから口紅を手に取って、煙が出そうな勢いで化粧をした。


 頬に薄桃色のチークも塗りまくった。


 冒険者におしゃれ行為は無用なのだが、女王陛下にお呼ばれした以上、みすぼらしい格好で行くわけにもゆくまい。


 などと動揺しながら化粧していると、唇が3倍くらいの大きさになった。


 頬は完全にリンゴほっぺで、渦も巻いていた。


 やり直した方がいいか……? これでは、幼児がママの化粧道具で遊んでるみたいじゃないか。


「チエリー様? もし、ご都合がよろしくないようでしたら……」


 セバスチャンがドアの向こうから声を上げた。


「今行く! すぐ行く!」


 女王様にお会いするのに、どれくらいの化粧をしたらいいのか分からない。何もしないよりは、過剰な方がマシ!


 そう思って、そのまま外に出た。




 たいそう立派な馬車に乗せられて、シャフトロニカ城へと向かった。


 集合住宅や商店の建物が建ち並ぶ大通りを流していく。


 町は賑やかで、そこら中に出店も出ていて、店先は農産物や食料品でいっぱいだ。


 女王様に手土産とかいらなかったかな……? そのへんの店でクッキーとか買った方がいいだろうか?


 私はそんなことを考えて、落ち着かない気分だった。


 やがて雑多な町並みの向こうに、ひときわ大きなシャフトロニカ城の偉容が見えてきた。


 天を突くいくつもの尖塔は、魔物防御のための魔法兵器だと聞いたことがある。


 あれもニャニャンの作なのかなあ……。


 いや、そんなことよりも手土産なくて気まずいな、クッキー買うから馬車止めてって言おうかな? どのタイミングで?


 などと考えているうちに馬車は跳ね上げ橋を渡り、城門に着いてしまった。


 私はセバスチャンに促され、馬車を降りて門をくぐった。


 そしてわけの分からないうちに城内に導かれ、階段を3つばかり上って謁見の間の手前の、控えの間に案内された。


「こちらで少々お待ち下さい」


 セバスチャンはそう言って去って行った。 


 謁見の間の扉は閉ざされている。ぼそぼそ話し声が聞こえるので、先客がいるのだろう。


 女王様ともなれば謁見の客がひっきりなしで、お忙しいのかも知れない。


 手土産がない……! 手ぶら気まずくね!?


 いやそんなことより私は謁見のマナーを知らなかった。


 そもそも私はただの田舎娘出身なので、やんごとなき方に対する礼儀を勉強する機会がなかったのだ。


 えっと、片膝を突いて挨拶するんだっけ?


 確か、先に口を開いてはいけないと聞いた気がする。


 こちらから先に身体に触れてはいけないとかもあった気がする……。


 私は魔法学園での世間話とか、冒険者をやりながら聞いた噂話みたいなのを必死に思い出していた。


「きみは道化師かい?」


 ふと気がつけば、一人の少女が気楽な調子で私の横に立っていた。


 寝ぼけたような眼をして、寝癖がついたみたいな赤い髪をしている。


 小柄な体躯にマントを羽織っていて、どことなく育ちの良さも感じる。


「いや、魔道士だ」


 私は首を振った。


「そうなんだ。メイクが派手だから道化師かと思ったよ」


「これは失敗したんだ。化粧が薄いよりはマシだろうと思ってこのままやって来た」


「なるほど。迫力は感じる」


「ありがとう。きみも謁見の客なのか?」


「まあー、そういうところだね」


 少女は頭の後ろで手を組んで、伸びをする。


 どう見ても私より年下だけど、態度も口の利き方も落ち着き払っている。


「なんか余裕あるけど、慣れてるの?」


「そうかもしれないね」


「じゃあ、謁見のマナーとか教えてくれないか? 私は何も分からなくてピンチなんだ。手土産も持っていない」


「構わないよ……」


 少女は愉快そうに目を細め、鼻の穴を膨らませた。


 そして、マナーを教えてくれた。


「女王陛下のことは決して女王陛下と呼んではならない。女王様と呼ぶのもダメだ。女王陛下は、民との間の垣根を取り払おうと腐心しておられる。だから、女王陛下のお名前を、親しみを込めて呼ぶのが大切だ。お名前はメルン3世・シャフトロニカ――。つまり『メルンちゃん』と呼ばれるのをお望みであらせられる」


 なるほどッ……!! 聞いてよかった……!


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