第7章-5 大好き
「なんだか、久しぶりにお兄ちゃんとちゃんと話す気がする」
「……言われてみれば、そうかな」
あれだけ芽衣のことを大切に思っていたつもりだったのに、こうやって二人でゆっくり話したことは、そう言えば芽衣が帰って来てから一度もなかったような気がする。
なんとなく、逃げていたのかもしれない。
芽衣のことがすごく好きで、だけど、だから、芽衣と向き合う勇気がなくて。
「お母さんは?」
「今は疲れて少し休んでるみたい。後で来ると思うよ」
「そっかぁ……」
小さくため息を吐いた。
「この前ここに来た時、お母さん随分と心配してたんだ。芽衣、芽衣ってすごく名前を呼んでくれて。……お兄ちゃんも、芽衣のためにごめんね」
「そんなことないよ」
大きく首をぶるぶると振った。
「お母さんも、お兄ちゃんも、芽衣のことが大好きだから。だから本当に心配なんだ」
「そんなこと言われると恥ずかしいよ」
体に被さっていた薄いタオルケットを掻き上げて、口元を隠した。
ちょっとだけからかってみたくなって、もう一度同じ言葉を繰り返す。
「みんな、芽衣のことが大好きだから」
「お兄ちゃんも?」
「大好き」
「えへへ」
照れくさそうな声とともに、目尻が少し下がる。
「……芽衣がゆっくり休んで、元気になったら、また一緒に家に帰って……そうだ、ピクニックと花火大会には行ったけど、まだ海には行ってないよね。砂浜でかき氷とか食べてさ……そうだ、海の家のラーメンとか食べてさ、多分そんなに美味しいわけでもないんだけど」
食べたことないんだけど、海の家のラーメンはしょうゆラーメンなんだろうか。こってりしたとんこつラーメンが出るイメージはないんだけど、塩ラーメンはあるかもしれない。
「ああ、でもお盆を過ぎるとくらげがたくさん出るっていうから、それまでに行かないとね……」
言葉を止めるのが怖いような気がして、どんどん話しかけ続ける。
「あ、そうだ、この前友達から聞いたんだけど、科学館のプラネタリウムがすごいんだって。今度行ってみようよ。お母さんに連れていってもらってもいいし、なんなら二人で電車に乗って行ってもいいと思う。いや、せっかくだからまた真理恵ちゃんやオアシスちゃんも誘ってみんなで行っても」
「お兄ちゃん、大丈夫だよ」
芽衣が僕の言葉を遮って、言った。
「芽衣、知ってるから」
心臓がどくんと強く鳴った。
口がパクパクと何度か小さく開いて、だけど何も言えずにそのまま閉じた。
「いつから気付いてたの?」
目を合わせられなくて小声で呟いた声は、自分でもびっくりするほど、吐き捨てるような低くてぶっきらぼうな声だった。
「最初から、かな」
「え」
「だって、周りがいとこと勘違いしてる、とかどう考えても変だし、食欲だってあんまりないし、しょうゆラーメンも美味しいんだけどなんだか美味しくないし、ゲームをしてたらいいとかおかしいし」
当たり前だった。どう考えてもおかしいと僕だって思うんだから、芽衣がおかしいと思わないはずなんてなかった。
「片付けてはあったけど、下の仏壇にお父さん以外の人が入ってる様子だったし」
お母さんが片付けたとは言え、痕跡は残っていなかったわけじゃない。むしろ逆に、真理恵ちゃんは普通に芽衣の仏壇と思って拝んでいたんだから。
「……本当は、本当なら、私はもういないんだよね」
「……うん」
僕は黙って頷いた。
「それが分かってたのに、なんで」
「……それでも、みんなと一緒にいたかったから」
芽衣はにこっと笑った。
「たとえ本当はもういないはずでも、偽物かもしれなくても、私は芽衣だもん。――このまま誰とも会えなくなるなんて嫌だよ」
「うん」
「お母さんがいて、お兄ちゃんがいて、真理恵ちゃんやオアシスちゃんがいて、一緒に過ごせるのなら、それがいちばん良かった」
「しんどくないの」
「苦しかったよ。しんどかったよ」
とても悲しそうな顔をした。
「なんで私、こんな思いしなくちゃいけないんだろうって、ずっと思ってたよ」
これ以上言わせちゃいけないのかな、止めようかと思ったけど。
その後に芽衣は笑ってみせた。
「でも、一緒にいられるうれしさの方が、ずっと大きかった」
こんな時なのに、いつも通りの口調で……お兄ちゃんおにいちゃんとうるさいぐらいしゃべる時のあの口調で、芽衣は話し続ける。
「お父さんが死んでからお母さんもあまり帰って来なかったから。……だから、お母さんとお兄ちゃんと家族三人で、一緒にいられるだけで、私幸せだったんだよ」
それ以上話さなくてもいい。
「お母さんと、お兄ちゃんと、あと研究所のお姉さんと、みんなでピクニックに行って。何度もライオンのうんちになって」
「……女の子がうんちって言っちゃだめだよ」
そんなことどうでもいいのに、くだらない指摘をして。
「真理恵ちゃんと、オアシスちゃんと、一緒にたくさん遊んで。花火をあんな近くで見たの初めてだったよ。すっごくきれいだった」
「僕も初めてだったよ。きれいだったし、音の迫力もすごかった。来年もまた行こうよ」
「行きたかったな、お兄ちゃんと」
過去形なんて使わないで欲しい。
芽衣は僕から目を逸らして、少し黙った。
しばらくして、また向き直って、僕の目をじっと見る。
「本当の私は、多分、急に死んだんだよね」
「……うん」
「だから、誰にもさよならなんて言えなかったと思うんだ」
そんな泣きそうな顔で、なんで笑うんだよ、芽衣。
「多分、みんなともう一度思い出を作るために、最後にさよならするために……みんなが芽衣とさよならするために……神様がくれた時間だったんだと思う」
「さよならなんて」
そう言いかけたけど、続きは言葉にならない。
「それだけでも、本当に良かったと思うんだ」
「……またライオンに食べられに行こうよ。花火も見ようよ」
そう話しかける僕に、芽衣は目を細めて、いつものようににこっと笑った。
「お兄ちゃん、最後のお願い」
最後だなんて言わないで。
そう言いたかったけど、何も口にできなくて。
「もうお兄ちゃんに会えないなんて、私が、芽衣が消えちゃうなんて……分かってはいたけど、やっぱり怖いよ」
震えそうな声で僕に言う。
「だから、お兄ちゃん、ずっと芽衣の手を握っていて」
「うん」
芽衣の手を強く握ると、弱々しく握り返してきた。
「そして、お願いだから泣かないで、笑っていて」
「笑ってる」
「約束だよ。絶対に」
「約束する」
約束できる気はしなかったけど、でも芽衣の最後のお願いだから、頑張って約束する。
芽衣は僕の目をじっと見た。
「……お兄ちゃん、ありがとう。そして」
消え入りそうな声で、でも最後の声ははっきりと聞き取れた。
「お兄ちゃん、大好き」
そして、芽衣のまぶたがまたゆっくりと閉じた。
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明日は19時、20時の2回更新の予定です。
明日の更新で完結となります。
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