第7章-2 違うんだよ

 研究所に戻ってくると、玄関を入ったところからすぐ、「芽衣! 芽衣!」と叫ぶお母さんの声が聞こえて来る。


 ……その様子だけで、芽衣の容態は分かった。


 芽衣のいる部屋に入ると、ベッドの脇でお母さんが叫んでいる。


「お母さん」

 呼びかけても返答がない。


「芽衣!」

 叫び声をあげている。


「お母さん、落ち着いてよ!」

 少し強い調子で話しかけるけど、振り返ろうとすらしない。


 お母さんの手を引っ張って、やっとお母さんが僕の顔を見る。


 目が真っ赤になっているのに一瞬驚いた。


 さっきの真理恵ちゃんの目を思い出した。


 オアシスちゃんが私じゃダメなのと言ったことを思い出した。


「違うんだよ」


 その先は言っちゃいけない、と頭のどこかで思った。

 だけど僕の口は言葉を続ける。


「本当の芽衣は、事故で死んだんだよ!」


 言ってはいけないことを言った、という自覚はあった。


 お母さんの動きが止まるのが、分かった。


「芽衣がいなくなるなんて、嫌だよ、寂しいよ、僕だってそうだよ、だけど」


 お母さんの手を、ぎゅっと握り締めた。


「僕だって、いるからさ……」


「……知ってるわよ!」


 怒鳴られるような口調に、背中が少し震える。


「当たり前でしょ」


 しかしその声はすぐに絞り出すような小さな声になる。


「和広も、芽衣も、二人ともとてもとても大切な、お母さんのとてもとてもかわいい子供よ! 当たり前でしょ」


 僕の手を振り払った。

 近くにあった機械の横っ腹を、叩きつけるように殴った。


「だけど、芽衣は芽衣よ。誰も代わりになんてならない」


 何も言えずに頷いた。振り払われた手を、ぎゅっと握りしめた。


「……和広だってそうよ。他の誰も和広の代わりになんてならないわよ」


 お母さんは僕の背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。


「お願いだからそんな悲しいこと言わないで……」


 涙を我慢していたのはそこまでが限界だった。


 ごめんなさい、と言ったつもりだったけど、それは言葉にならなかった。


 背中に触れた手の平に、ぐっと力が入る。

 僕もお母さんの背中に、そぉっと手を回して、そのまま胸に顔を埋めた。




 どのくらいそうしてたんだろう。


 お母さんの力が緩んで、僕はそっと離れた。


 今はまた何か芽衣の治療をするということで、僕は部屋から出ていった。


 扉を閉じる前にもう一度見たお母さんの背中は、いつになく小さかったけど、やっぱりいちばん安心できる背中だと思った。

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