第6章-6 溢れ出す液体

 女の子が公園への坂を駆け上がってくる。


「……なんで」

 真理恵ちゃんが声を上げる。


 彼女は足を止めずに、公園に、展望台の階段に飛び込んでくる。

 かんかんかん、と大きな音がする。多分二段飛ばしで上がっているんだろう。


 そして振り向いた僕の目の前に、オアシスちゃんが飛び込んできた。


 膝に手をやって、肩で息をして、頭の上で小さなしっぽがそれに合わせて揺れている。


「オアシスちゃん……」


 僕が言いかけるとほぼ同時に、真理恵ちゃんが駆け寄った。


「どうしよう……」

 涙声でオアシスちゃんの肩を抱く。


「芽衣ちゃんが……もう会えないかもしれないって……」

「うん」


 オアシスちゃんが真理恵ちゃんに頷く。


「芽衣ちゃんがいないと、私、わたし……」

 言葉にならない様子の真理恵ちゃん。


「そっか」


 オアシスちゃんの口調は、いつもの調子と違うなと思った。


「やっぱり、芽衣ちゃんなんだね」


 相変わらずのふわっとした口調で……だけど、その言葉はいつものような優しさはなかった。


「当たり前でしょ!」


 真理恵ちゃんが怒鳴るように言う。


「芽衣ちゃんがいなくなっちゃうんだよ! もう帰ってこないと思ったのに、帰って来たのに、なのにもう一度いなくなろうとしてるんだよ!」


 無我夢中でオアシスちゃんに歩み寄る。


「芽衣ちゃんがいなくなっちゃう! 帰って来たのに! いなくなっちゃう! 死んじゃう! 生き返ったはずなのに! 奇跡が起こったのに! なのに!」


 ばちん、と大きな音がした。


 オアシスちゃんの手の平が発した音であることに気付くのに少しかかった。


 両肩を思いっきり叩かれた真理恵ちゃんの顔が、びっくりしたように横を向いて。


「……な」


 頬を押さえて少し呆然としてから、声を上げる。


「何するのよ!」


「真理恵ちゃん、落ち着いた?」

 オアシスちゃんの声は淡々として……そしてすごく、すごく上擦っていた。


「……芽衣ちゃんが、行っちゃう」


 真理恵ちゃんが涙声になる。


「大切な友達なのに。親友なのに。私を置いて芽衣ちゃんが行っちゃう」


 真理恵ちゃんがオアシスちゃんに手を伸ばす。一瞬僕は身構えたけど、その手はオアシスちゃんの肩に置かれた。


「私、また一人になっちゃう」


「一人だなんて言わないで」


 一瞬誰の声か分からなかった。

 それはすごく強い声で。


「なんで一人になろうとするの!?」


 そしてとても弱い、人間の感情が出ていて。


 オアシスちゃんは大きな声で、叫んだ。


「私だって、真理恵ちゃんの友達だよ!」


 それは今まで僕が見てきた、癒やし系でふわっと柔らかく笑う、そんなオアシスの湧き水じゃなく、天空から落ちる滝の水のような激しい姿で。


「私だって真理恵ちゃんと……そして芽衣ちゃんの親友のつもりなのに!」

 両手の拳を強く握って。


「芽衣ちゃんがいなくなって寂しいのは私だって一緒だよ!  一緒に悲しませてよ!」

 足を強く踏ん張って。


「芽衣ちゃんの代わりなんていないよ、そんなこと分かってるけど。だけど、私じゃダメなの? 私は真理恵ちゃんのことが好きだし、心配だし、これからも一緒にいたいのに、ダメなの?」


 オアシスちゃんの手が、真理恵ちゃんの後ろに回る。

 少し背の低いオアシスちゃんの顔が、真理恵ちゃんの肩に埋まって。


「そんなわけないよ!」

 真理恵ちゃんがそう言って、少し背中を曲げて、オアシスちゃんの背中に手を回して、肩に顔を埋めて。




 僕は何も声を掛けずに、何歩か離れたところの柵から、街を眺めた。


 女の子が二人、声を出して泣き続けているのが聞こえる。

 多分男の子には見せたくない顔だと思うから、僕はその方を見ないようにして、ただ夕焼けを眺めていた。


 いつだったか、芽衣と二人で来た時と同じように、夕焼けに包まれる町はとてもきれいで、他の何も考えずにいるにはぴったりだった。




「お兄さん、そろそろ帰りましょうか」

 真理恵ちゃんの声が背後からして、僕は初めて振り向いた。


 そこには目を真っ赤にして、だけどそれ以外はすごく落ち着いた表情で、並んで立つ二人がいた。


「だね。もう暗くなるし」


 僕はきびすを返すと、展望台を降りて、公園の出口に向かって歩き出した。


 真理恵ちゃんとオアシスちゃんが何も言わずに、僕の隣に並ぶ。


 丘を下る坂道を照らす光は、夕焼けから夕闇へと変わり始めていて、僕たちの影が長く長く伸びる。


「船丘公園に来て正解だったね」

 僕は何事もなかったような口調を心がけて、半分冗談めかして、言った。


「こんな情けない顔、他の人には見せられませんね」

 真理恵ちゃんが言った。


「それにさ」


 僕はおどけるように、無理に少し笑ってみせた。


「女の子が二人でこんなに泣いているのを通りがかりの人に見られたら、警察を呼ばれてたかも」


「……お兄さん、何を言ってるんですか」

 オアシスちゃんが僕の背中を軽く叩いて、笑った。




 その時、また携帯が鳴った。

 表示された電話番号は、今度こそ研究所の秋山さんの番号だった。

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