第6章-5 中途半端な奇跡なんて

 テレビの中では知らない遠くの高校が試合に勝ったらしく、選手たちが嬉しそうに校歌を歌っている。

 今日はこれが最後の試合らしい。


 しばらく黙っていた僕は、腰を上げた。


「散歩でも行かない?」

 声を掛けると、真理恵ちゃんは黙って頷いた。



 

 この前に船丘公園に来た時は、芽衣と一緒だった。


 ほんの少し前のような気もするし、ずいぶんと前のような気もする。夏休みに入ってからのことだったから、でも多分それほど前のことじゃない。


 あの時も同じような時刻だった気がする。


 太陽が傾いて、空が少しずつ朱くなりかけていて。


 坂道をずっと上がって行くと、突然携帯電話が鳴った。


 研究所からの……秋山さんからの電話だと思って、背筋が少し伸びた。

 だけど表示された電話番号は、見覚えの無い番号で。

 

 電話に出てみると、聞き覚えのある声が飛び込んで来た。


「お兄さんですか!」


「オアシスちゃん?」

 思わず聞き返す。


「良かった。花火大会の時に携帯の番号を教えてもらってたから、もしかしたらと思って」

 そう言えばそんなこともあっただろうか。


「もしかして、真理恵ちゃんも一緒にいます?」

「うん」


 さっきオアシスちゃんの名前を出した時から、真理恵ちゃんが僕の顔をじっと見ていた。


「どこですか?」

「船丘公園」

「今から行きます!」


 聞き返す前に電話が切れた。


 切れた携帯電話を見る真理恵ちゃんに、僕は言った。


「オアシスちゃんから」


 そう言いながら、どこに行こうという目的もなく、ただ歩く。


 雑草が茂った中にブランコが二つ並んでいて、そっと座った。鎖はすっかり茶色くなっている。真理恵ちゃんも何も言わず、その隣に座った。


「芽衣ちゃんは」


 真理恵ちゃんがまた同じことを言ったけど、その続きの言葉は違っていた。


「……帰って来ないんですか」


「分からない」


「分かってますよね」

 今までぼそぼそと話していた声が、少し大きくなる。


 僕は無言のまま、ブランコを揺らす。


 真理恵ちゃんも同じように、小さく揺らす。


「……奇跡なんて、起きなければ良かったのに」

 真理恵ちゃんが言った。


「本当は諦められたのに。いつかは別れが来るなんて分かってるし、いつかは私たちだって大人になると知ってるし、今まで通りのままでずっといられないなんて当たり前なのに」


 ぎぃこ、ぎぃこ、とブランコが少しきしみ音を立てる。


「でも、芽衣ちゃんは帰って来た」


 いつの間にか背が伸びていた僕は、低いブランコを上手く漕げずに、何度も足を地面に当ててはまた揺らし直す。


「中途半端な奇跡が起こるから、諦められなくなるんです」


 ぎぃこ、ぎぃこ。


「奇跡なんて起きないと思ってるのに、中途半端に奇跡が起こるから、奇跡を信じてしまうんです」


「だったら」


 僕はブランコから立ち上がって、言った。

 ブランコがすねに当たって、一瞬顔をしかめる。


「だったら、芽衣ともう会えなかったらそれで良かったの?」

「そんなことは」


 言いかけた真理恵ちゃんの答えは途中で止まって。


 僕はまた当てもなく、ただじっとしてられなくて、無言で少し歩いて。

 真理恵ちゃんも黙ってついてきて。


「あんな突然に、目の前から芽衣が去っていって」


 目についたのは、木製の展望台だった。

 芽衣が帰って来た時に、二人で登った展望台。


「……夢でもいいから、幻でもいいから」


 ここの階段はちょっと変わった形をしていて、いったん展望台の真下に伸びて、折り返しながら展望台の真ん中に顔を出すような形になっている。


 階段の踊り場の辺りは昼間でも薄暗くて、まして日が傾くと、階段自体が見えにくいような明るさになる。こつんこつん、といやに大きく音が響く。


「私もそうですよ、会いたかったですよ!」


 だから、その声に驚いて振り返った時も、真理恵ちゃんの表情は見えなかった。


 階段を折り返して上に辿り着くと、急に光が大きく差し込んでくる。


 ちょうど夕日が西に沈んでいくところで、遠くの山に半分以上沈んだ太陽が、町を朱く染めている。こんな日でも太陽は全く変わりなく、いつものように昇って沈んでいくんだな、とぼんやりと思った。


「僕もだよ」


 泣きそうな気がしたので、真理恵ちゃんの方は振り向かずに言った。


「みんな会いたかったんだよ、僕も、お母さんも、多分他のみんなも」


 展望台の手すりに手を置く。


「知ってます」

 真理恵ちゃんが隣に来て、同じように手を置いた。


「知ってるけど、辛いんです」

「うん」


 多分向こうも僕の顔は見てないような気がしたけど、頷いてみる。


 それっきり黙りこくる。


 何が辛いのか、なんてわざわざ言葉にする気はしなかった。


 少しだけ強い風が吹いて、辺りの木がさざめいた。




「お兄さん、真理恵ちゃん!」


 その時、物思いで止まった空気を切り裂くように、公園の入口の方から叫ぶ声が聞こえた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る