第6章-3 英雄
秋山さんの車で研究所を出ると、すぐに景色は林の中になった。
車がやっとすれ違えるかどうかぐらいの幅の道を、車が降りていく。何度かカーブを曲がるとT字路にぶつかって、そこを右に曲がると、しばらくして窓の外に海が見えて来た。
来る時は無我夢中だったので、海の近くを走っていたことすら今更のように知った。
海がきれいだとか、まして泳ぎたいだとか、そんなことは考える気分ですらなくて、ただ海が近かったんだなぁとしか思わなかった。でも、今日は海が凪いでいるなぁ、と思った。
「帰っても、芽衣はいないんだよね」
窓の外を見ながら呟いた。
秋山さんは何も言わずに、ハンドルを握っている。
おかしなことを言ってると、自分でも思った。こんなことは初めてじゃない。芽衣がトラックにはねられて、お母さんの車で病院に駆けつけた時だって、こんな感じだったのに。そうだよ、鳴元芽衣は、僕の大切な、いつもお兄ちゃんお兄ちゃんと呼んでくれた、しょうゆラーメンが大好きで、知らなかったけど看護師になりたかった、小学四年生の女の子は、あの時に死んだんだ。
あれはMAY-10Xという、人型ロボットにすぎない。
人間のように言葉を話して歩き回る、耳の無い猫型ロボットとかと、うん、似たようなものだ。多分別の世界から来た存在で、そして、いつまでもずっと一緒にいるわけじゃない。帰る先は未来じゃないとは思うけど、多分、いつかはどこかに帰ってしまう。
そんなことは分かっている。
最初からいつまでも続くなんて思ってなかった。自分だって。
「和広くん」
その時、不意に秋山さんが話しかけて来た。
「……話しかけても、いいかな」
「はい」
正直に言えば、少しほっとしていた。沈黙に耐えていることはかなり辛かったから。
「いつだったか、子供の頃に読んだ小説の話をしたよね」
「夢の世界に行く話でしたっけ」
現実では冴えない主人公が夢の世界で英雄になって、王様に「このままこの世界に留まってもいいんだ」と言われる話。
そう言えばその話の結末がどうなったのか、まだ聞いていなかった。
「うん。……私、すごくびっくりしたんだけど、主人公は元の世界に戻らずにこの世界で過ごしたい、って王様に答えるんだ」
「はい」
「仲間たちも主人公に確かめるんだよ。元の世界の家族もいるし、色々な思い出もあるし、クラスで話すような友達もいるし、それでもいいの、って」
「……」
「だけど、主人公はこの世界に残りたい、それでいいです、って言ったんだ」
初めて信号で止まる。周りに家が何軒かあるだけの、こんなところに信号が要るのかなと思うような押しボタン信号だったけど、子供が一人だけ早足で渡っていく。
「王様は、わかった、って言ったよ。仲間もずっと一緒に過ごせることを喜んでたよ」
あとは他に人も車も来ずに、しばらくして青信号になって。
「だけどね。それでも『夢の世界』だったんだよ」
初めて秋山さんは、ちらっと振り向いて、僕の顔を見て。
すぐに前に向き直ると、アクセルを踏んで車が動き出した。
「そこまでみんなに歓迎されたのに、だけど、夢の世界は夢の世界で、主人公は元の世界でまた目が覚めた」
少し走って交差点を曲がると、そこは見覚えのある道で。
「その後、主人公はどうなったんですか」
僕の問いかけには、数秒答えは返ってこなくて。
「さぁ」
秋山さんは短く言った。
「ベッドの上で目が覚めて、お父さんとお母さんが心配そうにのぞき込んでいて。……このお話はそれで終わり」
小学校の前を通り過ぎる。家まではもう少しだ。
「びっくりしたけど、あとは読んだ人が自分で色々と考えて、ということなんだろうね」
ウインカーを出して、住宅街の細い道に入る。
「だから、ここから先は私が勝手に考えたことでしかないんだけど」
少しだけ声が上擦っている気がした。
「夢の世界で頑張って英雄になれるのなら、きっと夢の世界から帰って来ても頑張れる」
車がスピードを落とす。
「きっとそうだし、きっとそうするしかないんだと思う」
僕の家の前で、車が止まった。
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